21話 【風花雪月・四ノ型】
エリュティアノルン本人は知らないが、EAOには、リリース初日から囁かれてきた噂がある。
――エリュティアノルンが徘徊している。
もっとも、プレイヤーの多くはそれに猜疑的だ。
ガセ、勘違い、あるいはラスボスを騙る偽物。
そのいずれかだろうというのが有識者(街に籠っているプレイヤーだが)による共通見解だった。
「ああ! もう! むかつくむかつく! どいつもこいつも私の話を聞きやしない! 本当に居たんだって! ラスボスがフィールドに!!」
先日、本物のエリュティアノルンと遭遇した彼女、 模倣犯のレリプカは躍起になっていた。理由はひどく単純で、「せっかく危険を教えてやってるのにコイツラ聞く耳も持ってない」というもの。
彼女は掲示板に書き込んだ。
エリュティアノルンと遭遇したと。
それに対する反応は一様に「嘘乙」。
彼女の言葉に取り合う者はいなかった。
……いなかったのだが。
『本当に居たんだったらスクショ見せろよ』
一件だけ、レリプカを煽るコメントがあった。
いや、一件だけには収まらない。
星火燎原、その一件が火種となり、瞬く間に証拠を見せろと言う空気が広まった。
「はぁ!? 生きるか死ぬかの瀬戸際でスクショなんてとってる暇ないでしょ!?」
怒りながら彼女は言葉をそのまま書き込んだ。
掲示板の住人たちはしかし、謎の結束力を見せる。
『証拠も無しにどう信用しろと?』
『まーた妄言か』
『あなた(デスゲームで)疲れてるのよ……』
「むっかー!! 腹立つぅぅぅ!!」
確かに言えることはただ一つ。
彼女に掲示板は向いていない。
いやまぁ、掲示板を活性化させる才能はあるのだろうけれど、それは炎上の才能があるのと同じようなものである。
ウィンドウの向こう側。
彼女に返信している人たちは、実のところ真偽なんてどうでもいいと思っている。ただ、この閉じこもるしかなかったデスゲームにおもちゃが転がり込んで来たから弄んでいるに過ぎない。
「トトロいたもん!」と言ってる少女に「だったら案内してみせろよ、ぐへへ」と言ってるようなもの。トトロの在否に関わらず、駄々をこねる姪をみてほくそ笑んでいるだけなのである。
「あーもう! 分かったわよ! スクショでも何でも取ってきたらいいんでしょ! いいわよ、取ってきてあげるわよ!!」
一度はエリュティアノルンと遭遇したのだ。
もう一度会うことになってもおかしくは無い。
また、会えなければそれはそれで別にいい。
死の危険と巡り合わないのは幸運なのだ。
どちらに転ぼうと得しかない。
ちなみに、彼女は知らない。
スクショがあったらあったで「合成乙」と言われることも、掲示板で信用を得ることの難しさも。
彼女はまだ知らない。
*
「たしかこのへんで眠りこけていたのよね。まだいるかしら?」
模倣犯ことレリプカは、エリュティアノルンと遭遇したマップに戻ってきていた。目的は一つ、ラスボスをスクショに収めること。
「っ! いた!」
彼女は心臓が痺れるのを感じた。
自分は操り人形で、目の前の存在に糸を握られているのではないか。そんな錯覚が全身を巡る。
震える手を情けない手で押さえた。
呼吸が止まりそうで、意識的に息をした。
ジェスチャでメニューを開き、スクショを選ぶ。
画面いっぱいに被写体を映し、シャッターを切る。
(やった! エリュティアノルンのスクショ! これであいつらを見返してやる!!)
意気揚々と掲示板に書き込む彼女。
『ふん! 見なさい! エリュティアノルンのスクショよ!』
彼女は1秒後のカタルシスに恋慕した。
偉そうなことを言っていた奴らが「すみませんでしたぁ!」と許しを請う様を思い描いていた。
さぞやスカッとするに違いない。
そう思っていた。
しかし、現実は真逆。
『ラスボス……?』
『お昼寝中で草』
『雑コラ』
『もっとまじめにやれ』
「は? ちょ、ちょっと!? あんたらがスクショ取って来いって言ったんじゃない!」
どうして自分が責められているのか。
これが彼女には分からない。
何のために自分は命を懸けたのか。
これではまるで馬鹿ではないか。
まあ、馬鹿なのだが。
「もう! だったらマップ位置教えてあげるから来なさいよ! 人に百回尋ねるくらいなら自分で一回訪れなさい!」
そういって、マップ座標を掲示板に送信。
「もう知らない! 勝手にしなさい!」
画面の向こうのプレイヤーに悪態を吐いた。
それから、その場を立ち去ろうと歩き出す。
「……ぇ、なんで、さっきまで寝て……」
振り返った彼女。
そこには一人の女性が立っていた。
ボロボロのクロークを装備した女性だった。
「言ったはずよね? 命が惜しければ立ち去りなさいと。もう一度ここに来たということは、ふふ、死にたいということかしら?」
「ひっ、や、やめ――っ」
女性の名前はエリュティアノルン。
EAOのラスボスその人である。
(『帰還の羽根』……は使っちゃったんだった!)
『帰還の羽根』はレアアイテムである。
一度目にエリュティアノルンから逃げるために使った分が、レリプカにとって最初で最後のそれだった。
「お願い! 何でもするからたすけて!!」
「へぇ? なんでも?」
「も、もちろん! 買い出しでも使いっぱしりでも何でもするわ、させていただきますわ!」
「ふぅん? それはまぁ、魅力的なお誘いね」
もちろん、レリプカにそんなつもりは毛頭ない。
彼女の目的はただ一つ。
時間稼ぎである。
(現在地は掲示板に書き込んだ! 今に誰かが駆けつけてくれるはず、それまで耐えるのよ私!)
ちなみに、それは絶望的な確率だ。
掲示板の住人の9割は引きこもりである。
街の外に面白いものがあると言われた程度では原動力としては甚だ乏しい。
だが、魔王に交渉は通じない。
「ふふ、でも残念ね。命乞いの期間はもう過ぎたわ」
「待って、死にたくない」
「大丈夫、痛くはしないわ。【風花雪月・四ノ型】――」
魔王の手が、視界いっぱいに広がる、
黒く、暗く、恐ろしいまでの闇が広がっている。
頭を掴まれた。
動けない、動かない、体が。
「――«虧月»」
次の瞬間、彼女の世界は暗転した。




