15話 お前たちは、報いを受けなければならない
「おいおい、どうなってんだこりゃ」
男は空を見上げてそう言った。
緊急イベントが発生してはや30分。
倒した阿吽カラスの数は既に3桁に上り、しかし未だ終わりは見えなかった。
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【襲撃イベント】阿吽カラス(511/4096)
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目的:モンスターの殲滅
※セーフティエリア解除中
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現在の進行状況がこれだ。
既に第一軍の4倍のカラスを倒した。
だが、倒すより速いスピードで増え続けている。
「っ、キリがねえ」
唯一の救いは、一匹一匹のステータスが低い事か。
男のようにレベリングを中断して街に帰ってきていた者や、普段から素材回収を自分で行っている生産職でも対応できている。
とはいえ、このペースで増え続けられればたまった物じゃない。システム上のHPが残っていてもいつかは精神が破れてしまう。
そう、危惧したときだった。
「……ん? なんだ。カラスが空に帰っていく?」
「し、しのぎきったのか?」
「助かった、助かったんだ!」
不思議なことが起こった。
先ほどまで徒に仕掛けてきては散らされていたカラスたちが、一斉に空に飛び立ったのだ。
それを見て、今回のイベントを乗り越えたと言っているやつもいる。
(……おかしい。この襲撃イベントの目的は「殲滅」のはず。モンスターから撤退するなんてあり得るのか?)
焦燥感だけが募っていく。
何か見落としているのではないか。
見落としているのは何か。
その正体を、必死に探る。
「ぎゃああああぁぁぁぁあ!!」
次の瞬間、あちこちで悲鳴が上がった。
空から視線を戻した男が見たのは、ポリゴン片になってデッドエンドを迎えるプレイヤー達だった。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……8人か。思ったより残っちゃったわね」
煌めく、プレイヤーの死亡エフェクト。
いっそ幻想的過ぎるほどに空想的な空間に、一人の女性が立っていた。
ボロボロのクロークを纏い、不気味に笑っている。
「な、何者だお前は!」
男は武器を構え直した。
そして、気付いた。
自分の手が、ガタガタと小刻みに震えている事に。
小さく頭を振り、震脚で怯えを振り払った。
目の前の女性は不敵に笑うばかり。
「相手に名前を尋ねるときは自分から、そんなことも知らないのかしら?」
「……俺の名前は――」
「ああ、名乗らなくていいわよ。死にゆく人間に興味は無いもの」
「貴様……ッ!」
その時、男は気付いた。
目の前のプレイヤーが丸腰であることに。
威圧感こそすさまじいが、それだけではないか。
「う、うおぉぉぉぉぉッ!!」
重圧に耐えられなくなったのか。
プレイヤーの一人が、女性に斬りかかった。
男は慌てて、制止するべく声をかける。
「待て! 今はセーフティエリア解除中――」
だが、その声が届くより早く。
別の結末が訪れた。
「【風花雪月・三ノ型】«赤雪の舞»」
それは、流れるような四連撃。
女性の体が一瞬ブレた。そう気づいた時には掌底、回し蹴り、サマーソルトが決まっていて、跳躍した彼女がこちらにプレイヤーを蹴り飛ばしていた。
「なっ」
見たことが無い技だった。
疑念は確信に変わっていた。
目の前の女性は、自身より遥かに強者である。
叩きつけられたプレイヤーが、男に手を伸ばした。
音にならない声で助けを求めている。
男は、看取ることしかできなかった。
プレイヤーのHPは、既に全損していたから。
「……なんなんだよ、なんなんだよお前」
男は肩を震わせた。
「今がどういう状況か分かんねえのかよ、プレイヤー同士で足を引っ張ってる場合じゃないだろ。このイベントは全プレイヤーが結束しなければクリアできないって分からないのかよ!!」
当然、恐れからではない。
だが、怒りからかと言われれば少し違う。
それに名前を付けるのならば、正義感か。
目の前の女性の悪行を、決して認められなかった。
「……」
だが、女性はそこに佇むばかり。
しばらく彼女は目を閉じて黙していた。
耐え切れなくなった男が返答を催促する。
「答えろよ! てめぇにとって命とは何だ!!」
「お前らが命の重みを説くなッ!」
その時、それまで静寂を保っていた女性が声を張り上げた。男はたまらずしり込みする。
女性がじりじりと迫りくる。
一歩、また一歩と。
男は気付かぬうちに退いていた。
女性が近づくほどに距離を取ろうと必死だ。
振り払った震えが倍以上になって帰ってきていた。
「お前は今までどれだけの命を奪って来た。どれだけのモンスターを殺してきた!」
「っ、も、モンスターは関係ないだろ」
「関係なくないッ、たとえ作られた命だとしても、電子データだとしても! 私たちは今ここに存在している! お前は、お前らはッ、一体どれだけの存在を奪って来た!!」
支離滅裂だ。
電子データは生きていない。
たとえデリートされたとしても、まったく同じ個体を復元しようと思えばできてしまう。
人間はそうではない。
同じ人間なんて一人としていない。
たとえクローン人間を作ったとしても、まったく同じ環境で育ったとしても、二人として自分は存在しない。
人間と電子データを同列に並べるなんて馬鹿げている。
「やめろ、やめてくれ」
「ただの一度でもモンスターを見逃したことは?」
「そ、それは」
「それが結論よ。お前たちは、報いを受けなければならない」
助けて、いやだ、死にたくない。
がちがちと奥歯が鳴っている。
この騒音すらも、聞こえなくなってしまう。
自分という存在が消えてしまう。
無かったことにされてしまう。
「……死ね」
目の前の少女が、拳を振り上げた。
気付けばとっくに彼女の間合い。
逃げられない、避けられない。
男は、最後の抵抗にと目を閉じた。
「……?」
だが、いつまで経っても衝撃は届かない。
痛みすら感じずに死んだのだろうか。
疑問を確かめるべく、男はゆっくり目を開けた。
まず、最初に入ってきたのはオールグリーンのHPバー。ただの一ミリだって削れていない。
それから、大きな背中。
男を庇う様に立ちつくす。
白いベールを纏った、神々しさを携えた、まるで。
「念仏を唱えるには、すこし早いようですよ?」
「女神様……?」
純白のその人は、何も言わずに微笑んだ。
それだけで男の震えは消えて、安心感に包まれる。
「邪なる者よ、立ち去りなさい。私の領域を汚す者は何人たりとも許しません!」
そのお方を挟んで向こう側。
襲撃者の顔が歪んだのが見えた。
苦虫を噛んだように、苛立たしげに襲撃者は言う。
「私の行く手を阻むか、秩序と鎮守の女神シナリア」