3 テイナ辺境伯領にある夜でも明るい砦の一室では、王宮から戻った辺境伯が苛立ちも顕わにソファの周りを回っていた
テイナ辺境伯領にある夜でも明るい砦の一室では、王宮から戻った辺境伯が苛立ちも顕わにソファの周りを回っていた。
ソファには夫人のエメラインが退屈そうな顔で座っており、侍女達がせっせと彼女の爪の手入れをしている。
「戻られたばかりでお疲れでしょうからお座りになったら?」
上面だけ見れば優しい言葉だが、その声はとても冷たい。
ケネスはイライラと爪を噛みながら、さらに足を速めた。
辺境から王都までは馬車で10日かかる。王宮にあるような魔法転送陣を使えば目的地まで一瞬で着くが、それには膨大な魔力とそれを使える術者が必要だ。それだけの魔法の才能を持つ者はここにはいない。いや、正確にはいるのだが、使わせる訳にはいかなかった。
故に、狭く乗り心地の悪い場所に揺られての旅を強いられる。
その間ずっと、腹が立って仕方なかった。
無駄な時間をかけて王宮に呼び出され、噂話と称した疑いをかけられた。噂は真実なのだが、そんなことはもちろん言えない。痛む腹を探られ、苦悶を押し隠しながらの笑みでどこまで誤魔化せたか。
王宮で王以外にも魔力について問いただされ、厳しく尋問された。
辺境伯といえども、より上位の公爵や魔法伯には逆らえない。噂になっている娘はいるのかなど、根掘り葉掘り問いただされたが、当然ながらすべて否定した。冷や汗を見せずに乗り切った自分を帰りの馬車の中で一人褒めたなど、夫人には言えない。
「一体どこから漏れたのだ!腹立たしい!」
この砦であの小屋を知る者はごくわずかだ。
隣の厩舎は先代の時こそ使っていたが、今は魔の森で捉えた魔物を入れておくためだけの場所で、ほとんど人は立ち入らない。さらにここ数年は殺した魔物の解体部屋にしていたので、悪臭が酷過ぎて誰もが避ける場所だ。
だからこそ、立ち入り禁止区域に指定して、入れる者を限定していた。許可なき者が禁止区域に入ろうとすれば、警報が鳴り、その者は火の玉に襲われる結界魔法がかけてある。
考えられるとしたら、王宮から使者が来たあの日だ。
余計な詮索をされぬよう、必要最小限の魔法以外は解除していた。魔力を食う結界魔法をかけたままでは見つかった時言い訳できないと思い、一番最初に解除したがそれが仇になったのだろうか?
辺境伯は部屋中をうろつきながら考えた。
あの時、使者のセッター子爵とその従者はずっと共にいた。
馬丁はその間離れていたが、召使い達に見張らせていた。どこにも行かず、話をしていたと報告を受けているので問題はないはずだ。
ひょっとしたら、あの三人以外にも誰かが来ていたのだろうか?
馬車が到着した際に中を改めている。隠れていた?
わからぬ……。
いずれにせよ、まだ疑いは晴れていない。しばらくは魔法も満足に使えないだろう。ため込んだ魔力がなくなることはないというが、不便な生活には苛つかされる。
「いい加減になさったら? 見苦しい」
エメラインはヒラヒラと手を振った。前触れなく動かしたので、ヤスリが逸れて手の甲を擦ってしまう。血は流れなかったが、手入れの行き届いた白い手には赤い筋ができた。
「使えない子」
舌打ちをする。泣き叫びながら土下座した侍女は蹴り飛ばされ、控えていた侍従に連れ去られた。
「問題などないではありませんか。貴方とわたくしの子はイチヤ、ニコラの姉妹と世継ぎのヨシュアのみ。娘は二人ですわ。三人目などおりません」
「……、うむ」
「貴方は侍女に手など出さなかった。暇を出したのは侍女の素行が悪かったから。侍女は子など産まなかったし、貴方の子だと言いながら子どもを連れて乗り込んでなんて来なかった。その侍女は我が家に盗みに入ったので馬丁に殺された痴れ者ですわ。それだけの話です。そうですわよね?」
「…………、んむ」
「娘が魔力を提供? 何の話だかわかりませんわ。魔力は我が家のお抱え魔術師であるケント=ボールトマンの研究の成果。彼の偉業はとても誇らしいことです。そう言って差し上げればよろしかったのに。貴方は本当に愚図ね」
エメラインの冷たい視線にケネスはさらにイライラとし、椅子を蹴飛ばした。
ガタンと大きな音がし、エメラインの侍女が小さく悲鳴をあげる。エメラインはやれやれと言いたげに肩を竦め、立ち上がった。
「わたくしはもう休みます。イチヤやニコラの耳に下種な噂を入れないでくださいましね」
立ち去る後ろ姿をケネスは睨みつける。
エメラインの醜く崩れた体は貴族の義務、跡継ぎを作るだけのために利用した。できた子どもとて似たようなものばかり。もっと自分に似れば可愛がれただろうが、あれらは、……、無理だ。森の魔物のほうが可愛く見える娘たちなど、着飾ったところで令息どもに笑われるだけなのだ。
それに比べ、キャロラインのまろやかな体。今思い出してもよだれが出る。ケネスは窓に映る自分の顔を見つめながら、存分に楽しんだ若い女の姿を思い出す。平民のくせに貴族の妾になれるのだと信じていたキャロラインには子どもができるまでずいぶん楽しませてもらった。エメラインとは段違いの体だった。
あやつが娘だと言ってサンドラさえ連れてこなかったらよかったのに。
いや、サンドラがいてこその魔力か。
サンドラ。
キャロラインが連れてきたケネスの娘だという少女。
最近は見ていないが、最初に見たときは成長が楽しみだと思った。
秋に咲く桔梗の色をした青紫の目。金色の髪。雪のように白い肌。キャロラインよりさらに美しい目鼻立ちだった。美しさは自分に似たのだろう、とケネスはほくそ笑む。
魔力はもちろんのこと、成長したら、存分に遊んでやるつもりだ。壊れたところで構わない。むしろ壊れたほうが魔力を引き出せるかもしれないとケントも言っていた。
たしか連れてきてから8年経つ。16歳になるか。そろそろいいだろう。こっそりこちらに連れてきて、汚れを落として……。
「楽しみだ」
サンドラのことを考えていたらいらいらは収まり、むしろ楽しみで気持ちが昂った。
王宮での噂など、すぐに別のものに変わる。それまでしばらくの辛抱だ。
夜に写るケネスの笑顔はとても醜悪だった。