第7話 パートナーという言葉の意味
触れ合う唇は熱く、長い口づけはより深くなり──許容範囲を超えた私は、慌てて彼から離れると悲鳴にも似た声を上げる。
「い、い、いきなりなにをするんです?」
「無事に声は出たようだ」
心臓の鼓動がうるさく、混乱していた私していたのですが、「あ」と自分の声が出ていることに遅まきながら気づいたのです。
「言った通り、ルーン文字の上書きをした」
ファンヴァラ様は平坦な声で答えていたので、恥かしさのあまり頬が熱くなりました。ああ、もう穴があったら、今から入りたい。そして埋葬して欲しい。
「どうかしたか?」
そう言ってファンヴァラ様は小首を傾げました。彼にとってキスとは──たぶん深い意味はないのでしょう。人工呼吸だとか、魔法を使うためのもので──それ以上でもそれ以下でもない。勘違いをした自分が情けなくて、恥ずかしくてしょうがありませんでした。
「あー、いえ」
呪縛が解けたせいか周囲の色彩が明るくなった気がします。ふと彼の服装に目がいきました。今までは黒い外套を羽織ったと見えていたのですが──今は燕尾服姿で、白いベスト、蝶ネクタイ、白い手袋に、黒の革靴と十八世紀のイギリスの貴族にも劣らない格好でした。年齢は二十代後半でしょうか。海外の俳優さん顔負けの凛々しい姿でした。威圧感は変わらないままですが。
目を逸らしながらも私は精一杯状況確認をしようと口を開きます。
「あの……先ほど言っていたルーンの上書きって、き、キスとなにか関係が?」
「フィリには、呪縛を解く効果がある。分離とパートナーのルーンを施した──が、何かまずかったか?」
ファンヴァラ様は少し困った顔で、私を見つめ返しました。無自覚というのは、なんと厄介なものなのでしょう。とはいえやるならやるで一声をかけて欲しいものです。いえ、声をかけていざやる方が恥ずかしいような……。
「……どうした?」
「い、いえ! その急だったんでビックリして……」
「そうか。承諾は得ていたので問題ないと解釈していた」
あー、思った以上に前向き。素直? なのかもしれません。
「パートナーを得るのは初めてだからな。……私もまだ実感していない」
「は、はあ……」
「そもそも私が《死の精霊王》である以上、あまり良いイメージはないからな。だからお前が嫁ぐと言った時は驚いた」
「ふぁ?」
いま「嫁ぐ」って言いませんでした? いや気のせいかもしれません。とつぐ……どつく。
「………………」
パートナーという言葉の捉え方に、齟齬があるように思えたのですが──もう手遅れな気がしました。今更「契約はビジネスパートナとしての契約ですよね?」とは言えません。ええ、言えませんとも。
言ったらどうなるかわかりません。ここは大人の対応をとっておきましょう。
「あーえっと、…………改めて呪縛を解除していただき、ありがとうございます」
私は深々と頭を下げました。
「いい。パートナーになったのだから、畏まらなくていい」
「はぁ。ファンヴァラ様がそうおっしゃるなら、わかりました」
こうして私は近々で直面していた問題から脱したのでした。とりあえずは。
***
私はファンヴァラ様に支えてもらいながら、屋敷の外に出ました。「領土の景色を見てもらいたい」と彼が提案したからです。
私もその意見に賛同し、今に至ります。
空は夕暮れ色から宵闇に変わり、柔らかな月の光と星々の輝きが広がっていました。
秋は日が落ちるのが早いのですぐに、暗闇が夕焼け色を追いかけて染めていきます。ひんやりとした風が私の頬を掠りました。
屋敷は古く廃墟ともいえるほど長い間、手入れがされていませんでした。屋敷の庭も、丘から見える領土も主の不在だったからか、草はぼうぼうに生え、そして鬱蒼と生い茂る森はどこか薄暗く嫌な気配を放っています。
あれがファンヴァラ様のいう《領土の死》というものなのでしょうか。
「眠気は?」
「ありません。それになんだか頭がスッキリした気がします」
私は少し外の寒さに身震いをしていると──彼は羽織っていた黒の外套を掛けてくれました。
「パートナーとはいえ王様の外套を私がかけてしまってよいのですか?」
「パートナーなのだから、問題ないのでは?」
同じ言葉なはずなのですが、気のせいでしょうか。やはり別の言葉に聞こえているような……。いえ、ファンヴァラ様が優しいので私の勘違いかもしれません。これ以上恥の上塗りは是が非でも避けたいいところ。
「妖精界とは、そういうものなのでしょうか……?」
「先ほども言ったが、幽世の影響で、この領土は死に向かっている。それを回避するために、お前の力が必要だ」
なんの飾り気もない言葉でした。しかしどこまでも真剣で、まっすぐで他の誰でもない私に頼んでいる。私は短命なホムンクルスで、なんの力もないというのに──。
「そういえば、その、どうして私によくしてくれたんです? たしか予言がどうのって言っていましたよね?」
彼は中庭へと視線を向け──噴水のあった場所へと私を案内しました。石造りの噴水はとても大きく立派なものでしたが水が枯れて、どこか哀愁が漂っているのを感じます。また噴水の傍までくると──薔薇の枝でしょうか。枯れていました。
「白薔薇の精が朽ちるときに『ある予言』をした。この丘を蘇らせるには私とある娘の力が必要だと」
「それが私?」
なんとも釈然としない返答でした。私がその『予言の娘』という条件が当てはまるのか謎です。私の不安を察したのか、彼は言葉を続けました。