第0話 ある花屋店員の末路
子供の頃に両親に連れられて、一面の花畑を見に行ったことがあった。
雲一つない勿忘草色の空。
赤紫色の秋桜が風に揺れて、踊っているようでした。もし精霊を見ることが出来たのなら、きっと秋の収穫祭を喜んでいるのでしょう。
そんな妄想をしてしまうほど、その光景は幻想的で──よく覚えていました。
花の命は短くて、あっという間。
けれど、懸命に咲き誇るその姿は、とてもいじらしくて好きでした。
だから大人になったら、花関係の仕事に就こうと決めたのです。
人に笑顔を届けるようになりたいと──
二〇一九年七月某日──
大人になった私は夢を叶えたのです。花屋とフラワーアレンジメントの仕事で、毎日が忙しくなりましたが、苦ではありませんでした。
朝は早いし、花用の冷蔵庫の温度確認は小まめにしないと、花がすぐに駄目になってしまう。水やりももちろん、掃除に花の手入れ、予約や注文の確認。
店長が役割分担を決めて、その日は結婚式のブーケを届けるはずだったのです。
私の自信作。
ブーケにもいろんな種類がありますが、作ったのは流れるシルエットと呼ばれる縦長のラインが特徴で、格調高いブーケの代名詞です。使用したのは白いバラ、オスカル・フランソワで、香り豊かでとても花びらが細やかで美しい。
本当は車で運ぶ予定だったのですが、店長が熱射病で倒れてしまい、急遽私が届けることに──
今思えばあれが運命の分かれ道だったのかもしれません。
車の運転に不慣れだった私は、配達用のバイクを使うことにしました。確かに急いでいましたが、私のモットーは安全運転。バイクの運転は慣れていたし、よく通る道でした。
信号も青──オールグリーン。過失はありません。
しかし少し前を走っていたトラックが、急ブレーキをかけた瞬間──
目の前の乗用車がぶつかり、私もあわててブレーキを踏んだのですが、遅かったようです。
バイクはぶつかり、私はそのままアスファルトに叩きつけられました。
痛かった──とは思います。しかし、その時の私は別の気持ちでいっぱいでした。
自信作のブーケを届けたかった。
憧れの結婚式で、自分が作ったブーケを使ってもらう。そんな嬉しい日に、こんなのってあまりに酷い。
誰かが叫んでいることが、遠くから聞こえてきました。
熱くも寒くもないので、意識がぼんやりとして──
意識が途切れるほんの僅かな時でしょうか──甘い花の香りに気付きました。街中の花壇の花だったのでしょうか。
──あれ……。この花って……なまえ……なん……だったけ?
***
甘い花の香り。
何故だかとても懐かしいような、思い出せそうで思い出せない花の名前──。
『春が来ない……。このままでは……』
どなたの声でしょうか。誰かが呼んでいる?
真っ暗な闇の中で、悲痛な声だけが私に届きました。
『花がなぜ……。何がいけないのだ?』
花が咲かないのでしょうか? 育て方が間違っていた?
それとも環境が悪かったのでしょうか?
ああ、そういえば私も小さいころに育てていた花が上手く咲かない時がありましたっけ……。最後の最後まで私は花のことばかり。
それでも、もし生まれ変わるならまた花に携わる仕事がしたい。
──ん……。
そう、本当に思っていたのです。ここがどこだか理解するまでは──。
私が次に生まれた場所──そこは人造人間製造工房でした。