第六話
悶えて蒸発する異形の声が、闇夜に広がった。
グラウンドにいた異形はすべて倒し終えた。青月は手を下ろし、息を吐く。
「青月、まだやれるか」
「なんとかね。黒鋼こそ、失敗しないでくれよ」
「するわけがなかろう。さっき外れたのは偶然だ」
「青月さん、黒鋼さん!」
日向と暁華だ。同族の気配がするといって裏へ回った霧生のすがたはなかった。
なにかあったのか、息を切らすふたりの色がよろしくない。
「今、津雲川がここにきている。おかしな少女を連れていた」
おかしな少女。青月はその言葉にひっかかる。
「少女?」
「ああ。霧生と同じく半人半鬼らしい。今そいつと霧生が戦っている」
少女、半人半鬼。
「まさか……」
心当たりがあった。眉を寄せ、ぼんやりとそのすがたを形にしていった。
「あいつか」
異形たちとの連戦での疲労が憤怒に変わった。
倒さなければいけない存在であるとわかると、身体が勝手に動いていた。
「いかせるものか」
だが、炎を纏った鳥――津雲川の式神に阻止される。
「いい顔をするな、青月」
青月の憤怒の顔を愉しんでいるのか、津雲川はにやりとする。
「さて、今の貴様の心意を語ってやろう。さしずめ、クソガキと交えている小娘のことが気になるんだろう? ああ、言わなくてもわかる。その顔にしっかりと書かれているからな」
「わざわざ言ってくれてありがとう、津雲川。腹立たしいことこの上ないよ」
主の怒りを表すが如く、人形が式神を真っ二つに裂いた。それが戦闘の合図となる。
しかし、拮抗した攻防戦に決着がつかないと思われたときだ。
ガラスの割れる音に、青月も津雲川も手を止めた。
「……霧生」
ぼろぼろになった霧生が落下していく。
そして、ナナシが傷だらけの霧生の腹部に踵を叩き付ける。
「――がはっ」
血と唾液を吐き出しながら、霧生は地面にめり込んだ。
抑えていた感情が、溢れ出ようとしていた。
その怒りを露わにした青月の顔を見るや、津雲川が一笑する。
「せっかくの美しい顔が崩れているぞ、青月ぃ」
「黙れ。あの異形、あいつは何者だ!?」
「くっふふふ。聞かずともわかっているだろう。そうだ、あれはお前の大切なフィアンセを殺めた鬼だ。名前はないが、俺はナナシと呼んでいる。貴様もそう呼ぶがいいさ」
復讐すべき鬼が、眼前にいる。今すぐにでも、この手で八つ裂きにしたい――。
しかし青月は、その本能を否とした。軽率な行動はやめろ、と自身を叱責する。
心中にて燃え上がる復讐心を抑え込む。
「はっはっはっは! 殺したそうな顔をしているな、青月ぃ。だがな、まだそのときではない。しかし、刃を交えねばお前の情が治まらんと見える。ナナシ、いけ」
ずるずると自分より何倍の大きさがある片腕を引きずり、持ち上げるナナシ。
人形に刃を構えさせ、半人半鬼の少女に強い眼差しを向ける青月。
先に手を打つは、青月だ。
人形は一気に飛ぶ。相手の急所だけに集中して刃を何度も振るう。けれど、届かない。ただ弾き返されるだけになった。とはいえ、青月は攻めを止めることはしなかった。感情任せに見える攻撃が繰り返される。
そんな状況を目で追う日向。唾を飲み、緊迫した空気を肌に感じるのだった。
ナナシは獣のような鳴き声を発しながら交戦する。相手の攻撃を受けても止まらなかった。見る見るうちに目が開かれていく。
「ああああぁああぁぁあぁぁぁっ!!!」
空が薄暗くなりつつあるときだ。大気を大きく震えさせるほどの少女の叫びが轟く。
「ちっ。暴走寸前か。まあいい」
ナナシが片腕を乱暴に振り回し始めた。ただひたすら、そこに人がおらずとも振るった。
「どうなっているんだ、ありゃ」
黒鋼が日向の前に立ち、ナナシの片腕から守る態勢を取った。滅鬼弾を装填した拳銃を手中に収め、相手の出方を見る。
青月は下がって、じっとナナシを見つめた。目は赤くなり、見開かれている。視点が定まらない瞳は、壊すべきものを探しているようだ。今手を出せば、あの暴走に巻き込まれる。
「おい、青月。あれはなんだ?」
「暴走ってことだね。霧生が前にああなったのを憶えているよ。暴走した以上、勝手に収まるか、あそこにいる滅鬼師が動きを封じない限り止まらない」
「……霧生も、あんな風に」
「日向、逸らしたらいけないよ。霧生だって、鬼の力を使い続けたらああなるんだからね」
「はい……」
と、突然静寂が訪れる。ナナシの動きが止まったからであった。じろりとこちらを――否、黒鋼の背後にいる日向を見ていた。
「え?」
日向がぽかんとしている瞬間である。ナナシが音もなく彼女との距離を狭めた。
「日向、逃げるんだ!」
暁華の声が響く。けれど、声よりも先にナナシが日向を喰わんと開かれた口が動いた。
日向は目を瞑る。目前に迫る恐怖から目を逸らした。ナナシの牙が彼女の首筋に触れる――そのときだった。どんと、青月が日向を押し飛ばした。
「喰わせるか!」
ナナシの牙は、青月の腕を食いちぎった。ぶちりと音を立てて、青月の腕は胴体から離れる。腕は、本体から遠くへ飛ばされた。
「青月さん!!」
片腕があった場所から激痛が駆け巡った。けれど、青月にとってそれは一瞬のことだった。すぐに痛みは鎮まり、液体も雫を垂らすだけになる。周りは驚いた表情をしているが、青月本人はそうでもなかった。自身の身体がどういうものか、わかっているからだ。
「静まれ、怪物よ」
ナナシの足元に五芒星の印が浮かび上がった。淡い光が輝くと、ナナシが重力に圧されて膝をつく。軽々振るっていた腕も地面に下ろした。変形した腕も徐々に元通りになる。そして、ナナシは静かに気絶するのだった。
「さらばだ、青月」
津雲川はそういい日向を、興味津々な瞳で一瞥する。静まり返ったナナシを連れ、その場からすがたを消した。
ようやく、夜の学校に静けさが戻った。
暁華と日向が青月のもとへ駆け寄る。
「青月さん、その腕……」
「青月、大丈夫なのか」
青月は食い千切られた部分を手で押さえた。片手で人形を操り落ちた腕を持ってこさせた。
「い、痛くないんですか?」
「そうだぞ。あれだけ派手に食い千切られては……」
「そいつは痛みを感じねえよ。そういう身体だからな」
倒れた霧生を抱き上げてやってきた黒鋼がいった。
「青月、そろそろ話したらいいんじゃないか」
「……」
青月は黙った。自分のことを話す気にもなれず、口を閉じる。
それを見た黒鋼がため息をする。
「俺が代わりに言うぞ?」
「好きにすればいいよ」
素っ気ない態度をした。
黒鋼が、一拍子置いてから離し始める。
「青月は、見た目は俺たちと変わらんが、身体の一部は違う」
顔を見ずとも、日向たちが驚くのがわかった。
「東堂師が、青月の死にかけの肉体をいじって改造したんだ」
話の続きは店に戻ってから、東堂の口より語られた。
「彼は一度死んでいる。どうしてなのか、そう、ナナシと呼ばれる異形に喰われたからなのだよ。しかしこの私が人と似て非なる者、人形のようにして復活させた。人間ではなくなったゆえ、死なない。壊れたら直せばいいものになったというわけだ」
話はそこで切られる。生き返り人形となった以上のことは語られなかった。そのことにほっとする。――それほど、日向鈴に聞かれることを恐れた。
「そんな……死んだって」
ぽつりと日向が呟いた。
「日向、きみには理解しがたいことだろうけど本当なんだ。信じてほしい」
「本当だってことは、わかります……でも、どうして」
そこまでするのか、と言いたげな顔だった。しかし、青月は問われるより先に言った。
「ごめん。詳しいことはまた別の日に。今日は疲れただろう? 帰るといい」
半ば強引に帰らせようとしているように聞こえなくもない言葉だった。
日向はその後、暁華と共に店を後にする。黒鋼も霧生の様子を見にいくといい、別室へ移動する。残ったのは、青月と東堂だけである。
東堂が煙管を口に含む。紫煙を吐き、口を開いた。
「とうとう、話すときが来たな」
「はい。でも、正直話したくありません。知っている人は少ない方が、気が楽です」
「ふふ。さて、その壊れた腕を修復せねばな」
食い千切られた部分を、青月は静かに握りしめた。
「……師匠」
「なんだ?」
青月は躊躇う。
「言ってみなさい」
「お願いです。俺が……鈴の父親であることは絶対に話さないでください」
「いいのか、それで。娘を前にして、父親といえないのは辛いことだぞ」
「わかっています。ですが、このことだけはだれにも言わないでください。彼女の……紗耶のことも」
東堂はわずかに同情の色を浮かべた。
「いいだろう。お前のことも、彼女のことも黙っておいてやる」
「ありがとうございます」
青月は深々とあたまを下げた。
日向鈴は、青月と紗耶の間に生まれた子供だ。ナナシがふたりを殺めた際、病院にいた子供は奇跡的に生き残ったのである。人間としての肉体を捨てた青月は、傍には置けないと、信頼できる夫婦のもとへ預けたのだった。もちろんその夫婦には、青月の正体、紗耶の死、ナナシについて子供に黙っておいてほしいと約束した。今もそれは守られている。
実の娘がいるというのに、手が届かない。
「いや、これでいい。あの子の父親はもう、いないんだ」
在るのは、人の形をした〝青月〟という名の物だ。
ゆえに、日向鈴の父親は――人としての〝彼〟は死した。
その瞬間が蘇りかけて、振り払うように自室に戻った。
いつものように、紗耶の形をした物を愛でる。
彼女がくすり、と笑っているようだった。




