第四話
ばさん。半ば乱暴に幕を下ろして、青月はガラスに身を任せる。奥にいる彼女を、深く深く愛でる。その顔は、どこか寂しげな表情をしていた。
「懲りないな、お前も」
背後から東堂が声を発した。青月は一瞬振り返るも、すぐに彼女へと視線を戻す。
「死人にすがる哀れな弟子だとでも思っていてください」
「できない相談だな。いい加減、彼女に話しかけるのは止めなさい。見ている私が辛いんだ」
すっと、青月の表情から笑みが無くなる。
「日向が言ったこと、ずいぶん響いているようだな」
「……」
「知るにはまだ早いと私は思う。だが、言わないのはどうかと思うぞ」
「言ったところで、日向は信じない。信じても、変わりはしない」
「やけに消極的な発言だな、お前らしくない」
東堂は歩み寄り、青月の横に立つ。そして、同じように彼女を眺めた。
「一度でも、返事は返ってきたのか」
「……」
「青月、お前が一番恐れているのは……なんだったかな」
自分が恐れているもの。青月は、ぼんやりと彼女の目を見つめながら考える。答えは、すぐに出た。
「死にたくないがため、お前はそうなったんだろう」
死にたくない。だれもが一度は思うことである。青月もその一人だ。けれど彼には、死よりも恐れているものがあった。
「……忘却」ぼそりと、ガラスに触れていった。
青月は死と忘却に怯える人間だ。だれかからの記憶からいなくなるのが怖いのである。忘れられることが、忘れることが、青月を震えさせる。
「人はみな、必ずだれかの死を見ている。そして、いずれ忘れる。お前はそれを恐れているんだったな。だがそれもどうかと思うぞ。いつまでも過去に囚われていると――」
だん。青月が、ガラスを殴った。強く、拳を握る。
「俺が憶えていれば、彼女は生きているんだ。忘れるのは、生きている人間の愚行だ」
「そう謳うのがお前の常だな。その意見に一理あるが、頷けんな」
「――」
「さっさと立ち直れ。今のお前は、私の弟子に相応しくない」
冷たく言い放った後、東堂は青月の部屋を去った。
一人残された青月は、溜めていた息を吐いた。
翌日のことだ。休日とあって、午後から日向が店にやってきた。
「こんにちは、青月さん」
「……どうしたんだい」
「暇なので来ちゃいました。えへへ」
「もしかして、俺が人形を操っているところが見たくて来たんじゃないのかな」
「よくわかりましたね。見せてもらってもいいですか?」
「いいよ。でも、俺がそういうことができるのは」
「はい、内緒にします。絶対だれにも言いません」
少女の明るい笑みに、青月のどんよりと淀んでいた気分が少し、抜け落ちる。
自室の明かりをつけた。片付いているとは言えない部屋に吃驚する日向であった。
青月は、いつも持ち歩いている黒ケースの施錠を外す。一歩離れて、指を上へ振り上げた。
「わあ」
中からひとつひとつのパーツが浮き上がり、組み合わさっていく。そして完成したのは、一体の猫だった。尻尾が三つに透き通る青い目をしている。日向はその猫に見惚れた。
「本物みたい。これ、青月さんが?」
「そうだよ。戦いで使うのはあんまりないかな。――触ってみる? 木できているから、本物みたいにふわふわじゃないけど」
「いいんですか!」
日向は猫のあたまに触れた。それを見た青月は、すっと手を前に出す。器用に、本物さながらに操ってみせた。
「わ、わあ。不思議!」
きらきらと目を輝かせて、少女は人形による小さな人形劇を堪能する。
「感激です! 人形がひとりで動いているみたい」
彼女の笑顔につられて、青月もほころんでいた。
そして、己の過去のひとつを語ろうと言った。
「はい。私、聞きたいです」
ふたりは向き合う形で座った。彼の語りが始まる。
「代々我が家は、こういった力を授かる家系なんだ。だから俺は、生まれながらに物体を操る見えない糸が使えた。兄たちの話によれば、この力は途絶えたはずだっていうんだけど、どうしてか俺の身に宿った」
「不思議なお家なんですね」
「ほんとにね。きみみたいに、普通の人間として生まれたかったよ」
「もしかして、嫌い、なんですか?」
青月はかぶりを振る。
「昔はこの力も家も好きじゃなかった。でも今は、そうでもないかな」
色白い掌を見つめた。
「鬼とは戦うし、師匠の手伝いもするし。――けれど、なによりもきみが俺の力を見て怖がらなかったことが嬉しいよ」
「え? あ、言われてみれば」
「ふふ。ありがとう、日向。きみみたいな人は」
いない。と言いかけてある女の存在が遮った。すぐ後ろのガラスケースに座す彼女だ。彼女は、青月の秘匿とされた力を知っても離れていかなかった。変わらず、愛してくれた。だが、その愛おしい存在は――。
「青月さん?」
はっと我に返った。
「ごめん。あそこまで感動してくれた人は、いないんだ」
「そうだったんですか」
「師匠と黒鋼はなにも。ヨウスケくんは面白くないなんて言っていたかな」
「霧生なら言いそうですね……」
そうして彼の語りは終わった。
日向は猫の人形を一瞥する。
「どうして、私にその力のことを話してくれたんですか?」
青月も同じく、彼が手がけた武器に視線を向けた。
「俺のことを、知ってほしかった。きみには、どうしても話しておきたかったんだ」
感情の籠った口調に、日向は青月の横顔に目をやる。
「青月、さん?」
心の内を悟られまいと、青月はニセモノの笑みを浮かべた。おそらく、とても不自然なものになっただろう。
「きみに会えたことが、嬉しいから」
「え? わ、私ですか?」
「そう。きみといると、落ち着くんだ」
日向がぽかんと口を開けたままになった。ぽっと赤面する。
「はは、恥ずかしいです。そんな面と向かっていわれると……落ち着くだなんて」
あわわと慌てている日向。くすくすと、思わず青月の口から笑みが零れる。
「そんなこと、言われたことがないです。人見知りするし、だれかに頼らないとなにもできない。友達だって……そんなにいないし」
「消極的だね。だれかに似ているよ」
自嘲。
「だれか?」
「気にしなくてもいいよ」
誤魔化す。
談笑に浸っていると、部屋の扉が開かれる。そこにいたのは、東堂だ。
聞かれていただろうか? 青月はわずかに眉根を寄せた。
「珍しいな。お前がここに人を通すなんて」
「通さないともいっていませんがね」
「ふふ」
東堂が、二人の間に歩み寄ってくる。そして、真剣な面持ちになった。
「すぐに、行ってほしいところがある」
それを聞いた日向と青月は、なにかがあったのだと察する。
「ここからそう遠くない山の奥にある神社だ。暁華を通して、霧生からの報告があった」
「霧生から?」日向が言った。
「ああ。異形化寸前の人間を見つけたらしい。動きは封じてあるそうだ。様子を見にいってくれ」
青月と日向は東堂の店を出て、言われた神社へと向かった。
鳥居まで続く長い石段を上りきって、刀を構える霧生を発見した。
青月は息を整えて、間髪入れずに状況確認をする。
「これは……」
地面に、淡い色で描かれた星形の模様の結界が張られていた。その中には、身体の半分だけが皮膚を破って変態化している男がいる。噛まれたところから変形して発達したようだ。首の部分から、骨に似た白いものが飛び出ている。動けないのか、動かないのかわからない。ただ呆然と、不気味な目でこちらを見ていた。
「俺とメイが見回りをして発見した。噛んだ奴はどっかいっちまったが、なんとかこいつは捕えた。結界はメイが張った。けど、簡単なものだからいつ破られてもおかしくない」
霧生は、淡々と早口で状況を説明する。青月はそれを聞き、あたまの中に記憶する。
「なあ、ちょっと奇妙じゃねえか?」
「同感だ。まだ昼間だっていうのに、異形がいる」
青月は半分だけ異形化している男を睨んで、戦闘体勢に入った。人形を、異形と向き合わせる。張り詰めた空気が、溜まっていく。
×
長い長い石段を上がっていく。胸がはち切れんばかりに走る。全てを踏み終えて、日向は肩で息をする。呼吸を整えてから、顔を上げた。そこに広がる、奇怪な光景を目にする。半分変形し半分人間らしさを残している男が、低いうねり声を発している。
「たす……けて」
掠れた声が、日向の耳に届く。
目の前にいるあの男をどうやって救う?
日向は、かぶりを振りかける。やるせない思いを、飲みこむ。
ばちんと、電流が音高く弾ける。それを聞いた日向の肩は波打つ。
「きますかねえ」
霧生が刀を持つ手に力を加える。
異形が、結界を破らんと何度も突進している。壊れてはいないものの、少しずつひびが入った。それが広がるたび、その場に緊張感が増す。
日向も下がり、あの異形から目を離さないようにした。
異形は大音声で雄叫びを上げる。身を引いて、ひび割れる結界に勢いよく突撃した。
「くる」
結界が崩壊する。そのままの勢いで異形が突っ込んできた。
先に動いたのは霧生だ。相手の攻撃を刀で受け止める。重力ある攻撃に歯を食いしばってそれを弾き返した。一瞬空いた隙に入り込み、一撃を与えようと刃を突いた。だが、分厚くなった相手の腕に阻まれる。連撃をするも全て弾かれた。跳躍して距離を取る。
異形の目が霧生にいっているとき、青月が操作する人形が背後を取った。刃を振り上げて背中を切り裂いた。黒い泥が飛び散る。けれど、急所までは届かない。
異形の飛び出た目が青月を捉える。変形しきった腕を振るいに振るう。それを、人形は踊っているが如く交わし続けた。異形が攻撃するたびに地響きがする。
「――っ」
緊迫する戦況の中にいる日向は、呼吸を忘れる。その空気に呑まれていきそうになるのを堪える。けれど、心臓が激しく脈打っていた。びりびりと大気の揺れを肌に感じるのであった。
拮抗する戦い。長く続かと思われた。が、ある一手で変わる。
「ぐう!?」
剛腕に捕まった霧生。みしみしと骨が鳴る。力が入らなくなった手は刀を落としてしまう。
「ヨウスケくん!」
青月が叫ぶ。
「霧生!」
同じように日向も叫んだ。
だが、異形は嘲る。
そうして、霧生を地面に叩き付ける。何度も何度も。
「――やめて」
日向は口を塞いだ。胸が絞めつけられていく。
「やめろ」
青月が人形に指示を伝達する。反応した人形は一気に跳躍した。重力に乗る。刃を、霧生が握られている腕に向けた。そして、落下。腕が切り裂かれる。
霧生が異形の手中から離れる。地に落ちる――かと思えば日向が霧生を受け止めた。
「霧生、大丈夫!?」
ぼろぼろになっている霧生を心配する日向に異形の攻撃が向けられる。
「逃げろ! 日向!」
青月が助けにいこうとするが間に合わない。
「――くっ」
もうだめだ。やられる。喰われる。そう思ったときだった。
「え?」
いっこうに攻撃が来ない。目を開けてみる。腕。人間じゃない腕がある。それも、異形のではなく霧生から伸びているものだった。
「……せねえ」
霧生が咳き込む。
「喰わせ……ねえぞ」
「霧生……!」
ふらつきながら霧生が立ち上がった。血で滲んでいる唇を拭う。変形した右腕に力を入れる。そして、異形を後退させた。
日向は彼のすがたを疑った。片目が赤くなり、片腕が白く変貌した。それは例えるなら、今倒そうとしている異形のそれだ。
「終わらせっぞおおおおお!!!!」
霧生が声を荒げる。地を抉るほど勢いをつけて相手の懐へ入り込む。形変えた腕を振り上げて異形のあたまを殴り、向こうの動きを止めた。青月に目配せする。
今だ、やれ。
青月は人形に刃を取らせ異形に二撃与えた。異形は蒸発して霧散する。
日向は肩の力を抜いた。ようやく緊張から解放されたため、大きく息を吐く。
「お、終わった……」
安堵に胸を下ろす。顔を上げて、霧生の様子を見た。異形と同じように変形した腕が、元の人間の腕に戻っていく。そして、霧生が地面に倒れてしまった。
「霧生!」
急いで駆け寄る日向と青月。
「霧生、しっかりして」
霧生の顔は、あまりよろしいものではなかった。汗をかき、息を切らしている。
「異形は倒した。とりあえず、師匠のところに行こう」
霧生を彼の自室で休ませてから、日向と青月、そして一人の華奢なすがたをした女が東堂の下に集まった。先に口を開いたのは、その女だ。
「異形化させた人物を探しておりましたが、残念ながら見つかりませんでした」
「そうか。暁華は、その人物を引き続き追ってくれ」
暁華と呼ばれた女がこくりと頷いた。日向は、初めて見る暁華を正視する。年は二十歳すぎだろうか。懐にいろいろな装備品を身に付けている。日向は、彼女も鬼を狩る人間の一人なのだと感づいた。
「――さて、日向」
「あ、はい」
「私に聞きたいことがあるんじゃないのか?」
聞きたいことはある。日向は思い切って口を開く。
「霧生のあの腕は、なんですか?」
「……話せば長くなる。かいつまんで言うならば、鬼の力だ」
東堂は、日向に霧生のことについて話す。
霧生は、過去に一度だけ鬼に噛まれたことがあった。そこから異形化する寸前で、東堂に助けられたのだ。異形にならずに済んだものの、身体の半分は鬼の力を残したまま残留している。その力を使えるよう鍛えた結果、鬼の力を我が物にしたのである。ただし、元々人間である以上、使うのには大きな負担がかかるという。
「せいぜい二回が限界だそうだ。一度使うだけであの様子だ。それ以上となれば、暴走しかねん。使うのは控えるよういったんだがな」
一度使えば体力が一気に消耗するその力で、霧生は自分を助けてくれた。
日向の心中は、感謝の気持ちでいっぱいになる。
「師匠」
日向の横にいた青月が言う。
「今後のことですが、人間を異形化させている異形を探すべきでは?」
「もちろん、そうするに決まっている。ただし、霧生の体力が回復してからだ。今は、神道会の連中に任せよう」
話にキリがついたところで、解散した。日向は、暁華と共に店を後にする。彼女曰く、自分が家に戻るまで護衛するよう命じられたそうだ。二人で、夕方の路地を歩いていく。
日向は暁華を一瞥する。腰まであり、後ろで束ねられている黒の長髪。すらりとスタイルがいい。
「なんだ?」
彼女の視線に気づいたのか、暁華がこちらを見やる。
「いえ。暁華……さんっていうんですね」
「ああ、そうだ。初めてだったな。私は暁華メイ。黒鋼と同じく、東堂師に仕えている鬼狩りだ。日向鈴を護衛するよう、師より命を受けている」
暁華は拳を胸に当て、凛々しい顔をする。その顔に、しばし見惚れる日向であった。
歩を進め、会話を紡いだ。
「暁華さんは、いつから東堂さんのところに?」
「東堂師が神道会を離れてすぐだ。そうだな、十年前だろうか」
「離れる? もしかして、東堂さんって元々その神道会にいたんですか?」
「そうだ。神道会……滅鬼師を引退しているんだ、あの人は。鬼を倒すことに嫌気がさしたみたいでね。詳しいことは、だれにもわからないよ」
元滅鬼師。だから鬼に詳しいのか。本人はかじった程度だと言ったけれど、本当はとても強いのかもしれない。日向は東堂について想像を膨らませた。
「みんなから聞いている。きみは、鬼に苦しめられた人たちを救いたいそうだね」
どうやら、少女の決意は周知の事実になっているようだ。
「今にして思うと、どうしてあんなことを言ったのか謎です……」
「いいことじゃないか。私は応援しているよ」
「ありがとうございます。でも……正直、行き詰っています」
「なんと。どうしてだい? 青月にきついことを言われたのか」
「きついというか、現実、ですね。神社で半分異形で半分人間の人を見て、どうしたらいいんだって思って。私には武器もなにもないから、戦えない。いるだけじゃダメだってわかっています。でも、こんな私になにができるのかわからなくて」
日向が俯きかけると、暁華がにこりとした。
「きみにできることは、ひとつだ」
「ひとつ?」
「決して、死なないことだ。どんなことになろうと、私たちが守る。だから、きみは生きて私たちを見守っていてほしい。それだけで、みんな強くなれる」
その言葉を聞いた彼女は、嬉しさで胸をいっぱいにする。戦うことができないけれど、まだほかにできることがある。ならばそれを、やっていこう。日向のなかで、もやもやしていたものが晴れていった。そして、力強く頷く。
「はい」




