第二話
時間は微々たる早さで進む。
青月もまた日向と同じく、異形が同族を喰っていることを知った。
街の片隅にある、人気がない道にて。
「じゃあ、その異形を探せばいいんだね」
「おうよ。東堂さんからの伝言、しかと伝えたぞ」
褐色肌の鍛えられた肉体にワイルドな上下を着こなす男の名を、黒鋼シュウという。東堂の下、情報屋兼鬼狩りとして動く。鬼を撃てる銃弾、滅鬼弾を持つ彼は今、バイクに跨りながら青月に東堂の言葉を告げた。
「定かではないが、異形が人間を殺さず生かして、増殖を謀っているようだ」
青月は腕を組み、壁に背を預ける。
「なにかが起こるかもしれないね。津雲川が帰ってきていたし」
「なんだって? あいつは総本山に呼び戻されて、いないはずだろう」
「ちょうどさっき会ったよ。たぶん、なにか企んでいるんじゃないかな」
「調べてみますかねえ」
「お願いするよ」
会話が途切れたところで、黒鋼が真摯な顔つきになった。
「お前、まだ追っているのか」
青月は、目だけを黒鋼にやる。瞬いてから、視線を前に戻す。
「当たり前じゃないか。俺はそのためにいるんだ。それ以外に、俺の存在する意味はないんだ」
「いつまでも囚われているんじゃねえぞ、あおつ――」
黒鋼は言葉を詰まらせ、ごくりと唾を飲みこんだ。恐ろしく冷たい尖った視線が、彼の心臓を射抜く。殺気立つ青月の空気に圧倒されたながらも、黒鋼は続けた。
「お前の癇に障ったのなら謝るが、俺の言っていることに間違いはないはずだ」
「……」
「わかった、そんなに怒るなって」
黒鋼が降参とでもいうように上げた両手を見て、青月は色を戻す。
彼には、決して譲れぬものがあった。己のすべてを奪った異形への復讐である。その日より初めて懐くそれを忘れたことなどなく、果たせぬかぎり、青月のなかから消えることはない。
黒鋼はそれを、過去に囚われていると見ていた。
「俺がそう見えるなら、否定はしない。だけど、囚われなくなったら俺が今、ここに立っている意味がなくなる」
「……だからってな、前には進めないぞ」
青月が一笑する。
「構わないよ。果たせるのならそれでいい。……放っておいてくれ」
「お前の悪い癖だな。だが、放ってはおけん。お前を一人にはさせんぞ」
「だれかと一緒にいるのは、好きじゃない」
否、怖いのである。またその日のことが繰り返されるかもしれないという恐れゆえに、だれかを傍に置けない。けれど青月は、そのことを語ったことはない。
ふたりの間によろしくない空気が流れたかと思いきや、大気が揺れた。低く不気味な声が、青月と黒鋼のいるところへ近づいてくる。
「それでもだ。俺はお前の傍にいる」
「……いくよ、黒鋼」
「あいよ」
黒鋼はガンホルダーから拳銃を取り出し、青月はケースから一体の人形を出現させた。
どこにいるか辺りを見渡す。と、コンクリートが抉られる音が聞こえた。頭上に、まるで蜘蛛の如く這う異形が二体いた。
「二体か」
「関係ない。殺すまでだ」
二体の異形が、同時に飛び込んでくる。青月は先に飛んできた片腕が発達している異形を相手にする。黒鋼は二体目の異形を狙った。
人形は青月に操られながら、踊りのように舞った。両掌から刃を伸ばして、敵の急所を攻撃する。だが、反応は向こうの方が早かった。こちらの攻撃を交わした瞬間、二撃目を決める。
「!?」
人形の片腕が、砕かれる。ばらばらになった腕は地面に落ちるも、浮き上がって元あった場所へ移動した。砕かれた片腕は再生する。傷一つなく、何事もなかったかのように腕は元通りになった。異形が驚いている隙に人形は正面に突っ込む。
「カラクリってか」
その様子を見ていた黒鋼が、独り言を呟いた。
青月は、狭いところでは不利と判断して開けた場所へ移る。異形もそのあとを追った。建物に囲まれた開けた場所は、戦うには充分な広さがあった。
「さあ、思う存分やろうか」
ぺろりと、青月は上唇を舐める。
人形は跳躍する。と、それと同時に異形も地を蹴って人形目がけ身体を跳ばした。
「すばしっこいのか、運動神経がいいのか、わからないね」
金属音が弾ける。変形した腕に刃は傷をつけることができなかった。
地面を揺らしながら、異形は着地する。淫らによだれを垂らしながら、呻いている。
「気色悪い」
あらかさまに嫌な顔をした青月は、指を素早く動かした。それに応えた人形は、刃を構えて迎撃に向かう。懐に入り込んで、急所に刃を突こうとする。
――が、異形が一歩早かった。後退したのち間髪入れずに発達した腕をぐんと伸ばす。そして人形を掴み上げた。
「ちっ……」
手が小刻みに震える。彼と人形を繋ぐ糸が届かない。それでも人形を動かそうとすると、鉛を引っ張っていると錯覚させるほどの重量感があった。
さて、どうする。
「ケースは置いてきた。人形は動かせない。絶体絶命っていうのかな」
自嘲気味に苦笑した青月は、手を下ろした。
「やられてくれればいいものを。まったく面倒なことしてくれるね」
「■■■―――!!!」
言葉なき叫びを上げる異形は、ぐわりと大きすぎる口を開けた。そして人形をその中に入れようとする――そのときだった。
ジュグリと、異形の腕が裂かれた。弾け飛ぶように泥の飛沫が湧き上がる。
青月はゆっくりと手を上げて、自由になった人形を自分の前に立たせた。
蒸発する煙から現れたのは、刀を握る霧生であった。
「よう。珍しくピンチっぽい状況だったな」
「別にピンチでもなかったんだけど」
「うっせ。だれがどう見たってあれは最悪の状況だろうが」
霧生は青月の傍らに立った。そして、まだ息のある異形と向き合う。
青月はふと、気になった。
「日向は?」
「んあ? ああ、そのうちくるだろ。俺が先にきちまった」
「……そう」
「来てほしくなかったか?」
「……別に」
発達した片腕を無くした異形が、はち切れんばかりの雄叫びを発する。同時に、霧生と青月を襲う。
二人は武器を構えて、応戦するのであった。
×
「異形がいる気配を感じた。いくぞ」
天炉たちがいるビルからしばらく歩いていたときのことだった。霧生が唐突に言い出し、異形がいるところへと駆けていく。日向も彼について行き、その場へ向かおうとする。けれど霧生が「先に行く」といってすがたを消したのだ。
「もう、早すぎるよ」
息も絶え絶えに、日向は走り続けていた。運動がそこまで得意ではない、むしろ苦手な日向である。霧生のように速く走れるわけがなかった。
「こ、ここ?」
深呼吸で息を整えながら、忍び足で角から開けた場所を覗き見る。眼前に広がる摩訶不思議な光景に、目が、離せない。
「なんなの、これ」
身体がおかしな風に変形している異形と、人形を操る青月と、刀で戦う霧生がいる。三人だけが戦っているのに、大気が振動するほど凄まじさがある。
「……っ。私、戦えないよ」
心臓が跳ね上がった。自分があの中にいてはいけない。入り込める隙なんて、どこにもない。――戦えるはずが、ない。
「!」
ぼんやりと眺めていると、異形がぎょろんと目をこちらに向けた。日向を見つけると、一番に欲しかった獲物を見つけたかのように大音声を上げる。
「いや……嫌ああああ!!」
怖いやめて怖い食べないで怖い助けて――。
「日向! 逃げろ!」
異形が、日向へと疾走する。だが日向はそれに気づかない。否、気付いているが足が竦んでしまっている。霧生の声も、彼女の耳に入らなかった。
「ひいっ――助けてええええ!!!」
日向の悲鳴が、響き渡る。
異形は巨大な口を開けて日向を喰わんとする――はずが、ぴたりと動きを止めていた。剥き出しの牙がギリギリのところで止まっている。
「……え」
なにが起こったのか、日向にはわからなかった。霧生も理解ができずに、辺りを見渡した。
青月が、異形に手を向けている。手の骨を浮き上がらせながら、眉間を寄せていた。
「いかせないよ」
ぐんと、向けている手を引っ張った。すると異形もそれに合わせるように、身を仰け反る。なにかに操られるように異形は、ずるずると日向の前から後退していく。
青月が、異形を操っているのだ。まるで人形を駆使するかのように。不可視の糸を異形に繋ぎ、我が物にしている。
「なっ」
そんな光景を初めて目にする霧生は、驚きを隠せなかった。
「薄汚いものを手にかけるのは大嫌いだけど、仕方ないよね」
青月はさらに手を動かして、異形を放り投げた。
混乱している異形は地面に叩き付けられる。
今だと踏んだ霧生は刀を構えて、異形の急所を狙った。一撃、二撃と決まる。
「……」
異形が蒸発していく様を、日向は呆然と眺めていた。
しんと、静寂が舞い降りる。
青月は、異形を操った手の方の腕を抑えて、息を切らしていた。
「だ、大丈夫ですか」
日向はゆっくりと青月に近づく。
「痛いんですか?」
青月の手に触れようとするが、寸でのところで空を切った。少しだけ、胸が絞めつけられる。
「おーい」
どこからか、男の声がする。その方向を見れば、褐色肌の男がこちらに駆け寄ってくる。だれだろうと思っていると、霧生がその男の名前を発した。
「黒鋼さん、いたんですか」
黒鋼は青月のケースを肩にかけて、三人と合流する。
「もう一体の異形は?」
「やったよ。ちっと苦戦したがな。青月の方も、倒したみたいだな」
青月が黒鋼からケースを受け取り、人形をしまうのを横目に、日向はぎこちなく黒鋼を見上げた。自分より背丈は高く、纏う空気も違う。自分は、かなり場違いではないか。日向の胸中に、なんともいえない気持ちが広がり始める。
「お? そこのお嬢さんは?」
「黒鋼さんは初めてッスね。こいつ、日向鈴っていうんです。縁あって、つい最近東堂さんのところにきたんです」
落ち着かない日向をよそに、黒鋼は顎に手を添えてまじまじと観察する。
「へえ。まだ学生だなー。高校か?」
「あ、はい。えと、日向鈴です」
初対面の相手に、彼女は少しだけ気後れしてしまう。そんな様子を見ていた霧生が、不思議そうに日向を見ていた。
「なんだよ、日向。緊張することはないだろ。黒鋼さんは、俺たちの仲間なんだ」
「そう、なんですか?」
「おうよ」黒鋼が胸に拳を当てる。「俺は黒鋼シュウ。情報屋まがいなことをしている。あんたとは初めてだな。よろしく頼むよ」
親しみ深い笑みを含み、黒鋼は日向に手を差し出す。なすがまま、日向は黒鋼と握手を交わした。鍛えられたその手は、日向のひ弱なものとは異なり、戦える人のものである。
その後、みな揃って東堂の店へ戻った。
青月、霧生、黒鋼が東堂へ一連の出来事を報告する。その間、日向はじっと黙り、目を伏せる。ここにいることが不自然で、不釣り合い。帰ると言えばこのまま立ち去れるだろう。けれども言わないのは、味わったことのない空気のなかにいるからかもしれない。
「――なるほどね、おかしなことになりそうだ」
東堂は、眼鏡のブリッジを上げた。腕を組み、背もたれに深く座った。
「異形が蔓延っているのは普通なんでしょうけど、最近は数が増えてきています」
「数が増えているってことは、人間に憑く鬼が増えたってことか?」
「そうではないだろう」
東堂は目を細めて、虚空にやる。
「憑くのではなく、霧生と同じく鬼の力を持っている者が、人間に牙を立てているのかもしれない。異形化するにはふたつのパターンがあるからね」
異形化。その言葉を耳にした日向は、顔を上げる。東堂の言葉に、聞き入る。
「ひとつは、鬼が人間の負の感情に憑くこと。ひとつは、鬼の力を持った人間――異形も含むよ――が、生身の健常者に噛みつくこと。前者の場合は、鬼を祓うか、鬼に憑かれないように注意していればいい。だが後者は別だ。対処のしようがない。異形を、殺すしかない」
「殺す!?」
日向が勢いよく立ち上がった。
「殺すって、まさか……」
異形たちが蒸発していく瞬間があたまに浮かぶ。
あれは鬼が葬られたわけではない。ならばあれは――人の死。
「異形は元を辿れば人間だ。異形を倒すには、心臓を二回貫く必要がある。それはね日向、鬼ともうひとつ、人間の命を絶つためなんだよ」
日向は息を詰まらせる。
「鬼になった者が人に戻ることはない。だからそうするんだ。――それでも、だれかを救うと言えるのかい?」
青月の問いかけが少女の心に響く。
人ならざる存在であっても、救いたいか?
はい。
それがその者を殺めるとしてもか?
……それが、正しいのなら。
その手で、その者の心臓を貫くことはできるのか?
……。
救うことが、できるのか?
……わか、らない。
ぷつんと、彼女の自問自答が途切れた。無言のまま、佇む。
「その様子だと、言えないんだね。ヨウスケくんに言った決意とやらは、嘘だったのかな?」
「ち、違います。私は――」
「本当だったとしても、覚悟がないならやめるべきだ」
ぐさりと、その言葉が日向の心に突き刺さった。
覚悟。それが足りないのだと、思い知らされる。
「おい青月、そりゃないぜ」
霧生がふたりの間に立って、青月を睨んだ。
「日向は臆病で逃げてばっかりかもしれないが、覚悟がなけりゃ俺たちについてくるはずがないだろう!?」
「霧生、いいの……いいから」
「よくねえ。俺は仲間を信じない奴が大っ嫌いなんだ」
「その仲間が、足手まといになるとしてもかい?」
「なんだとてめえ! もう一回言ってみやがれ!!」
霧生が青月の胸倉を掴んだ――ところで、黒鋼が二人を引き離した。
背後から、東堂の一喝が入る。
「私の店で言い争いをするのなら出ていってくれ」
青月と霧生のふたりは、互いを睨み付けたのち、そっぽを向いた。
一方日向は、涙ぐんだ目を拭ったのち、店を出ていってしまう。
「日向」
「黒鋼、そっとしておきなさい」
「は、はい」
前がぼやけてうまく走れない。胸の中にある気持ちを晴らすため、吐き出すため、日向は自分の家へとひたすら走り続けた。
声を殺し、唇を噛んだ。こみ上げてくる感情を飲みこむ。
家につけば、帰ってきた挨拶もなしに自室へ飛び込む。ベッドにしがみついて、堪えていた声を上げて、それが枯れるまで泣きに泣いた。
×
深更。
青月は習慣のひとつであることをする。ガラスの向こうにいる彼女へ、話しかけるのだ。ガラス越しに身を寄せて、中にいる彼女を愛おしく見つめた。
「今日も一日が終わる。――おやすみ、紗耶」
すーっと、彼女の頬に触れるようにガラスを撫でる。
彼女と彼、二人だけの親密な時間が刻まれていった。ただ静かに、ただ穏やかに。
だがそれは、唐突に終わる。青月が優しい微笑みを消して、ガラスケースを覆う幕を下ろした。そこから離れて、夢見から現実に戻るのであった。
彼女は、決して声を出さない。なぜか。人形であるからだ。人形はだれかが作り、完成することで初めて生きる。彼女もまた同じである。青月が、彼女の肉体をそのまま使用して作り上げたのだ。彼の愛と執着が、彼女を生き返らせたのである。
ただ、蘇ったとしても、彼女の中はがらんどう。話しかけたところで、返事はない。わかっていても、青月は止めなかった。止めることができなかった。
部屋の電気を落とそうとしたときだった。
「少し、話をしようか」
東堂がすがたを見せ、青月に声をかけた。
「なんでしょう」
東堂の事務室に移動する。お互い向き合って腰を下ろした。話題を口にしたのは、東堂だ。
「まだあんなことをやっていたとはな」
机上に置かれた烏龍茶に伸ばしかけた手が止まる。けれどすぐに、口に含んだ。
「わかっているんだろう。意味がないと」
「ええ。でも、やめられないんですよ、彼女が俺のなかで生きている限り。……その話をするために俺を呼んだんですか。てっきり、さっきのことかと」
けらけらと、東堂は一笑する。
「あれはお前があの子のために言ったんだろう。珍しく、感情的になっていたな。お前がああやってだれかのために叱るすがたは稀だ。それに免じて、さっきの口論は見逃してやろう」
「……あなたのことだ。俺とヨウスケくんを追い出すと思っていたんですが」
「大事な弟子だからね、あれぐらいじゃ追い出さないよ。まあ、仏の顔も三度までだが」
最後のほうはやけに感情が籠っており、青月の背筋をぞくりとさせた。
ところで、と東堂が言った。
「日向に、彼女のことは話さないのか?」
自問。話すか?
自答。話さない。
「話しませんよ。話したとしても、理解できるはずがないですし。それに、俺が残酷で非道な人間だと思うでしょう」
あの純粋無垢な娘に語り、果たして受け入れてくれるのか。それが青月の気がかりだった。死体をいじり倒し、愛する女の生きた屍を生んだ。そして、生き返ったように見せるため、生まれながらにある力にて操る。そんな己が、彼女の目にどう映るのか――。
青月が持っていたコップを握りしめた。その手を東堂は正視する。
「私だけが知るのか、そうなると」
「ですね」
「いつか話すときが来たら、お前はどうするんだ?」
「来ないと思います」
「来るだろう。日向が彼女を見つけたときが、その日だ」
青月は、整った眉を寄せた。
「さて、そろそろ眠るといい。私の話はここまでだ」
自室に戻り、髪を下ろす。服を着崩しては、ベッドに寝転んだ。天井を仰いで、珍しく感情的になった自分を振り返る。
なぜ、あんなにも感情を露わにしたのか?
「……わからない。わからないよ」
青月はぽつりと呟いたのち、目を瞑った。




