第七話
「なにも鈴まで行くことないじゃない。もう夜よ」
「ごめんね、お母さん。でも、行かなくちゃいけない。大丈夫、帰ってくるから」
「そう。じゃあ母さんはここで待っているわ。黎くん、この子をお願いね」
「ああ。……行ってくる」
「いってらっしゃい」
楽しい一時はあっという間に過ぎ去り、決戦の一時間前となった。
店に向かう道中、日向は今の自分に緊張や恐怖心がないことに気がつく。ずいぶん落ち着いている。青月を一瞥する。その横顔はいつもの彼らしい色をしている。視線を感じた青月がこちらに目を向けた。
「てっきり緊張しているのかと思ったけど、今はそうでもないのかな」
「はい。不思議とどきどきも怖いもないんです。麻痺、しちゃったのかな」
「麻痺なんかじゃないよ。きみが成長した証さ。これまでいろんな戦いを経験してきたから、今も堂々としていられるんだよ」
「成長か。そう言ってくれると嬉しいです」
「ふふ。ほんとう、大きくなったね。――そうだ、ちょっといいかな」
耳を貸してほしい、という手招きをされる。なんだろう。
青月は日向の耳元で囁く。
「この戦いが終わったら、真里と結婚しようと思うんだ」
「えっ――、けけ、けっこん!?」
びっくり仰天。同時に、顔に満面の喜びの笑みを浮かべた。
「お似合いですよ、うん!」
「そんなに喜んでもらえるとは思わなかったな。あ、でも、俺から言うからみんなには内緒にしてね」
「はい、だれにも言いません。でも、どうして」
「昔、俺と真里って付き合っていたから」
「初耳です! え、じゃあ、紗耶さんとは」
「その次。ちなみに、紗耶は俺と付き合う前は津雲川とだったんだ」
「し、しかくかんけい!?」
「ま、そんなところ」
「ど、どろどろです。昼ドラみたいです」
「あっははは、よく言われるよ。――さあ、店に着いたよ」
日向は店を見上げた。ここへ初めてきた頃に思いをはせる。
さまざまな記憶が流れていく。いろんな出来事が脳裏をよぎった。
もうすぐ、長かったフィクションのような日常に終止符が打たれる。
それを、この目で見届けよう。
×
「相手が鬼とわかれば弱点も自ずとわかる。鬼は心臓を貫くだけでは死なない。心臓ともうひとつ、首を斬らねばならないんだ。たとえ首だけ落ちても胴体を動かす場合が考えられる。できればその二か所を同時に狙ってほしい」
暁華より弱点を教えられた青月は東堂との戦闘をイメージする。人形を使うのはよそう。戦術はばれている。直接己が刃を握ったほうがいいだろう。
ガラスケースを開ける。優美な刀を手にした。漆黒を基調として華麗な花が描かれる鞘からわずかだけ刃を覗かせた。反射する刃に映る目は、曇りもなく真っ直ぐとしている。かちん、と刃を鞘へ納めてみなのところへ向かう。
仲間たちは、それぞれ武器を携えていた。
青月はみなの顔を順に目にして、最後の戦いへの言葉を放った。
「いくぞ!」
彼らが向かう先は、ナナシとまみえた神社だ。竹林を抜け、上へと続く石段の前に立つ。
結界が張られていない。罠がある気配もない。暁華に式神で周囲を探らせた結果、なにもないただの石段だと判明する。
「俺ひとりで行くべきだろう。みんなは、ここで待っていて」
日向たちは道を開けた。その道を、堂々たる足取りで青月が進む。
その背を見送られながら、万感胸に迫る思いで石段をひとつひとつ上っていく。
本殿前に足を踏み入れて、東堂ともうひとつの影を捉えた。二対一になるか。
「時間通りだ。さて、もう語ることはあるまい。はじめようではないか」
「その前に、もうひとりを紹介してほしいな」
東堂が屈んでいる影の背を押して、月光の下へ。照らされたそのすがたは、苦悶の色を浮かべる津雲川だった。彼は死んではいなかった。しかし、様子が変だ。
「そうか……お前も半人半鬼になったんだね」
ミシミシ、ギチギチ。木が壊れかけに出すような、耳障りな音がした。まだ彼の身体が鬼の力に馴染んでいないのだ。自信の右腕をあらん限り握りしめて抵抗している津雲川だったが、それもむなしくそこは徐々に変形していく。完全に侵食される前に倒さねば、青月に勝ち目はないだろう。
「あお、つき……逃げろ。俺に構うな」
「それがそうもいかないんだよね。まあ、恨まないでよね」
「ふん……減らず口、がぁ」
「おしゃべりはそこまでだ。――はじめるぞ」
青月は鞘から刀を抜き、正眼に構えた。
初手はふたり同時に動く。東堂が出現させた数十体の式神たちと操られた津雲川の猛襲を、青月は一振りの刃にて応戦する。あえて津雲川の攻めの手を相手にせず、群がる式神たちを片付ける。式神たちは次々と消えていく。その際生じる白煙が視界を悪くした。青月は冷静に大気の揺れ、音、津雲川の息づかいからどこから攻撃されるかを読む。一体一体、確実に式神の数を減らしていき、最後の一体を葬った瞬間、白煙から脱出する。
一瞬だけ見えた東堂は人ではなく鬼のすがたをしていた。まだ攻めてくるつもりはないらしい。
白煙から追いかけてきた津雲川が変形している右腕を振るう。間一髪回避する。鬼の血が注がれた右腕の腕力は人の倍以上だ。下手に刀で防いでいては簡単に折られてしまう。りんとの戦いで得た知識をもとに、戦闘スタイルを選ぶ。まだ馴染んでいないとはいえ、侵食は続いている。いつ足のほうへ力がいくか定かではない。もしも足のほうまでいけば、津雲川の攻める速さが格段に上がる。そうなっては不利になる。一番の理想はその侵食を止める――つまり、切断することだ。今はまだ腕だけゆえ、そこを斬り落とせば青月はより戦いやすくなるだろう。しかし、思い通りにいかない、いかせないのが東堂であった。その手を狙う青月に、光鉄の刃が放たれた。しかし、わざとなのか、その一手は外れる。青月の髪を結ぶヘアゴムを千切っただけに終わる。
青月は東堂を一瞥するが、すぐに眼前の男に集中する。まだ相手は無傷に近い。こちらから何度も切り刻んでいるものの、鬼の血が流れる津雲川にとってはかゆいものだ。致命的な一撃を与えなくては、倒せない! ――どうする、どうする。
青月は津雲川ばかりに気をとられてしまい、東堂の一手を見逃す。
「いいのかね、そやつばかりで!」
一歩下がったときだ。地面から蔓が伸びて縛った。
「しまった」
反応が遅れる。地面からさらに無数の蔓が現れて、青月を締めつけた。ずるり、ずるり。触手の如く巻きついてくる蔓になす術がなかった。十字架にかかげられたような格好になる。そこへ東堂が歩み寄ってきた。
「もとがいいからか、美しい眺めだよ」
「変態が」
「どうとでも言ってくれ。さあ、選べ。燃やされるか、切り刻まれるか」
「どちらもごめんだ」
「では私の好きさせてもらうぞ――っと」
津雲川が震える手で東堂を襲うが、ひらりと交わされた。しかし、それは彼の思惑だった。
「……青月、俺を使え。手なら動くだろう」
「だろうと思った。それじゃ、遠慮なく――」
「そんな真似はさせんよ!!」
鋭利な光鉄の刃が五つ、ふたり目がけ飛ばされる。
ひとつは青月の右腕を。ひとつは青月の左腕を。
ひとつは地面を。ひとつは蔓を。
もうひとつは――津雲川の脇腹を貫く。
友が苦悶の声を漏らす。姿勢が崩れかけるも、青月は不可視の糸にて立たせた。指先にある肉体の感触を確かめる。負傷したものの戦えないわけではないだろう。今の彼は半人半鬼だ。ちょっとやそっとで倒れない。そうでなかろうとも、津雲川はタフである。すぐにくたばるような男ではない。
青月は使用していた刀を友に預けた。友は操られるがまま構える。
東堂は苛立ちを露わにする。妖気による攻撃を連続で行う。それらすべて、青月は見切り、津雲川へ回避の指示を送る。止まらぬ、迫りくる相手にとうとう一撃を加えられた。右肩から血飛沫が噴き出る。さらに左足の付け根にに刃が刺さった。
主が負傷したことにより、術が弱まる。青月は蔓から解放された。次の手をと、津雲川を後退させる。生身とはいえ人形とたいして差はない。人体構造を無視した戦闘スタイルは不可能だが、充分に扱える。
「そろそろ、トドメといくか」
鬼が妖気の乱発で命を落とすような存在ではないだろう。こちらからトドメを刺さなければいつまでも終わらない。神道会がいつ乱入するかも不明だ。今のうちに決めなくては。せめて心臓だけでも狙えないか。
「おい、黎。俺を人形と思え。この身を果てさせてもかまわんぞ」
「それじゃ、お願いしようかなっ!」
青月の指示により、津雲川は地を蹴り敵との距離を詰めていく。
足をやられた東堂の動きは鈍っていた。やるなら今しかない。操る彼に突きの構えをさせた。
「そう簡単に行くと思うなよ、ニンゲン風情がぁ!」
刹那の時、鬼が片手を突き出す。刃が掌を貫通する。鍔まできたところで津雲川の手がそれごと掴まった。その行動は青月にとって予想の範囲内だった。身動きが取れないのは向こうも同じである。間髪入れず、次の手を打つ。津雲川に片手を引かせ、勢いよく東堂の胸へ――。
「な、にいぃぃ」
半人半鬼となった男の力は人のそれを超える。鬼の肉体でも裂けることができる。
生々しい音がした。貫通したようだ。その感触が糸を通じて青月にも伝わった。
東堂久々津が地に伏す。だが、起き上がった。ぽっかり胸に穴を開けて。
「ふ、ふははは、はっはははは!! 甘いな、青月ぃぃぃ!」
鬼の形相で東堂が青月へ突進してくる。二本の角、奇怪な模様、爛々と輝く真紅の目が近づいてくる。迫りくる敵に対して、青月は目を閉じて佇む。
「ば、ばかな……」
寸でのところだった。鬼の爪が頸動脈に食い込みかけて制止する。
青月はゆっくり瞼をあげる。コートをたなびかせて前に立つ男の背を凝視する。
「俺を無視するんじゃあない、東堂久々津ぅ」
津雲川が自らの意思で動いた。青月の盾にならんがため、捨て身の策を講じたのだ。策とは呼べぬ代物だがこうする意味はある。
「きさ、貴様……なにを、している」
「見てわからんか。ピンチになった阿呆を助けたのだ。ついでに、鬼としての心臓も停止させてもらったぞ」
「な、なにぃぃぃぃをぉぉぉ」
敵の空いた手が再び振り下ろされる――と思いきや、結界らしきものがそれを妨げた。
本殿の扉が開放される。『結い繋ぎの橋』より、蜜月と芦木が現れる。
「ごっくろう様でした~。ここからは我々の番ですので、そいつを預からせてもらいますよ」
東堂から覇気が消失していき、青ざめた色になった。
「あ、あとそこのそれもね」
「物扱いか、芦木」
「ジョウダン、ジョウダン。ハハハハハ」
「やっぱり神道会のみんなは性格がおかしいね」
緊迫した空気がなくなり、戦いの熱も落ち着いた頃、朝日が世界を照らす。
そのあたたかな光を浴びた青月は、ほっと胸を撫で下ろす。
明日がきた。今日がきた。新たな世界で生きる日々が、はじまる。
「青月さーん!」
日向が駆け寄ってきた。青月は両手を広げ、抱きしめる。
「鈴、終わったよ」
「よかった、よかった」
黒鋼たちもやってくる。彼らも安堵の色を浮かべた。
その光景を横目に、津雲川は同志とともに橋へ向かう。青月の呼びかけに、歩を止めた。
「真里が待っている。ときどきでいいから街へおいでよ」
彼がどんな表情をしたかはわからない。友が手を振り、奥へ消えていくすがたを見送る。
「津雲川さん、戻ってくるかな」
「それなりの罰を受けると思うけど、大丈夫だよ。さあ、帰ろうか」
「はい!」
去り際、青月は本殿をじっと見つめる。
「お父さん? どうしたの」
「ここに、俺の心臓があるかもしれない。でももう、俺にはいらないよ」
「いいの?」
「ああ。それがなくっても、きみの父親として生きていけるからね」
それに、この下は鬼の実験室だ。人目に晒すわけにはいかない。
視線にて、暁華にここを破壊するよう頼んだ。
詠唱ののち、本殿が炎に包まれた。
――その炎を以て、終止符が打たれる。
×
これは死者と生者の存在を巡る物語だ。
死後という未知の世界を知りたいゆえに計画されたものである。
鬼の疑問に対する正しい答えは結局のところ、この物語にはない。
だが、青月という男を通してみたものは、考えることを止めさせた。
そうして時は流れる。
少女は成長した。人見知りを克服し、友人を失った悲しみを乗り越え、日々を送る。
少年は頭領になった。摩訶不思議な存在たちと共に生きる道を進む。
男は店主となった。主を失った店を引き継ぐ。
女は神道会にて指導者となった。多くの弟子を持つ。
友は再び街へ舞い戻る。そして、再会を果たすのだった。
そうして彼は、紗耶の生きたかった鈴の生きる世界を謳歌する。
〝父親〟として、ひとりの人間として――。
怪物のいた街はそれから、彼ら彼女らが日常を過ごすあたたかな故郷となる。
×
「鬼さん、なまえ、なんていうの?」
「……酒呑、童子。酒を呑む童の子と書く」
「むずかしいよ」
「酒呑でいいさ」
「じゃあ酒呑さん! 明日もここにくる?」
「ああ、いるよ。ところで、きみの名前は?」
「えへへ、日向鈴! すずでリンだよ」
「そうか、そうか。ではリン、また明日」
「うん! また明日ね! ばいばーい」




