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怪物のいる街  作者: こうみ
青月
24/26

第五話

 同刻。

 神道会本部へはいけなかった旨を青月から聞かされたのち、後日改めようと解散した。

 日向は戻ってきてから元気のない青月を気にかけて店に残った。ゆっくり、青月のいる作業場の扉を開けた。彼がどこにいるのか探し、見つける。母親の形をした人形が納められているガラスケースの前に立っていた。もう気付かれている。ガラス越しで彼女が入ってきたのはばれている。追い返されない。彼女もガラスケースの前に立つ。

「帰らなくてもいいのかい、きみの親が心配するよ」

「お母さんには連絡しました」

「そう。……きみのお母さんって、名前はなんて言うのかな」

「真里です。真の里でまり。とても優しくて、人の良いところも悪いところもちゃんと見てくれるお母さん。お友達なんですね、青月さん」

「俺と紗耶、真里、津雲川は小さい頃からの幼馴染なんだ。高校までずっと一緒」

「青月さんたちが高校生のときに撮った写真お母さんが見せてくれましたよ」

「まだ持っていたんだ、物好きだね、真里って。昔と変わらない」

「……もう、会わなんですか」

「会わないよ、会えないから。俺たち四人は、紗耶が抜けてから半ば自然消滅したんだ。それぞれの道へ行った、といえば聞こえはいいけど、みんな、あの日の悲劇を思い出したくなかったんだ。また三人でいたら、紗耶がいないと気付く。気付いて、思い出す。思い出して、悲しくなる。それだけ、紗耶の存在が俺たちのなかでは大きかった」

「戻っても、いいんじゃないでしょうか。今すぐじゃなくても、この先はまだありますから、いつか……友達として」

「言っただろう、会わないって」

「一度できた友情はそう簡単には壊れません。なにがあっても、かたく強いのが友情です。戻れますよ、きっと」

「そう言ってくれると嬉しいね。でも、もう俺たちは昔とはだいぶ違う。あのときの思い出は思い出に過ぎない。同じ時をもう一度過ごすのは、もうできないんだ。きみが思っている以上に、俺たちの友情はかたく強く、壊れてしまえば、すぐには戻せないものなんだよ」

 青月が日向を一瞥する。

 その眼差しから、彼らの友情がどれほどのものだったかを知る日向だった。

 青月は視線をガラスケースのなかに戻す。

「紗耶がいたら、違っていたのかもね。壊れてもすぐ、みんなを引き寄せる」

 寂しげな声色だった。聞くたび、胸が締めつけられる。

「青月さん、なにかあったんですか? 戻ってきてから元気がないですよ」

 心配を口にする。

 心配された男はガラスケースに背を向け、身を任せた。沈んだ顔で答える。

「過去にいたまま、過去の因縁を葬れるのか、って言われたんだ」

 驚きの声が出かかる。口を噤んで、俯く彼を正視する。

 その言葉は彼女がかけたいものだった。そう言ってくれた人はきっと、青月が今どういう心境なのかをはっきり見抜いたのだろう。彼女が思った通りなのは明々白々。青月はまだ、こちら(現在)にいない。ならば――。

「私も、そう思います」


     ×


 驚愕の色をした青月はそれから、傷ついた笑みをする。

「なんだ、きみもか。顔にでも出ていたかい」

「ずっと傍にいて、あなたがみんなとは違うところにいるような感じだったから」

「ふうん。俺、そんな雰囲気だったんだ」

 きっと、愛娘より長く共にいる黒鋼たちも同じように言うだろう。しかし過去の人間とたとえられて心にきたのは、他ならぬ愛する娘だからだ。

「青月さんの過去については、黒鋼さんから聞いて知っています。嫌だからって忘れられるものじゃないかもしれません。でも、過去にいたままでは東堂さんには勝てません」

 目を潤ませても、娘は涙を流さない。救う人間の前で泣くな、そう言い聞かせて堪えているようだった。青月も見習って、耳を塞がず彼女の言葉を聞く。

「越えようとしてください。それが足掻きです。もがきです。悩んでいてもいい、怖くてもいい。怯えていてもいい。だけど立ち止まらないでください。過去の因縁を断ち切る方法はひとつです――現在いまへ来ようと戦うんです。青月さんにとって過去の因縁は東堂さんだから、あの人に勝って!」

 今の感情を形容する術を青月は持たない。ただたとえるなら、暗闇に光が差し込んできて、その輝きに言葉を無くした。

 もやもやした心の濃霧を、言葉だけで愛娘が晴らしてくれた。彼を暗い過去のなかから引っ張りあげようとしている。今、手を差し伸べてくれている。あとは自分が、その手を握って過去から抜け出すだけだ。拒んだりするものか。……だが、しかし。

「日向、俺は怖いんだ。きみたちのいる現在いまへ行くことが怖くて、怖くて……恐ろしかった。愛する紗耶がいない世界が地獄に見えた。だから、生き返ったときにこんなものを作ってしまった」青月はばん、とガラスケースを叩く。「紗耶の美しい身体を傷つけてしまったんだ」だらりと力なく手を下ろす。「地獄で生きるのが嫌で死にたかった。だが復讐をせずに逝くわけにはいかなかった。復讐が果たされるまでの間、俺は復讐心だけで生きてきた。それが唯一、紗耶を忘れない一時だった。俺は臆病者だから、こうも考えていたんだ。復讐は果たされなくていい。どのみち死ねない身体だ、紗耶のもとへは行けない。だったら復讐心を抱えたまま地獄を生きようじゃないかとね。おかしな話だろう? 恨む相手を恨むだけ恨んで、殺しはしない。ほんとう、臆病な人間だよ……俺は」

 心の奥底に閉まってあった告白が、流れるように告げられる。告白は続く。

「俺は生きていくうえで紗耶を忘れたくなかった。愛する人間を忘れるなんて、声も顔も格好もなにもかも思い出せなくなるなんて残酷なことじゃないか。ずっと傍にいて一緒に毎日を過ごした人間をぼんやりとしか憶えていられなくなる。生きていれば会えるだろう、だけど、死んでしまったら会えない。会えないのが辛くて、現在いまを生きるのが怖いんだ。――こんな臆病な父親がどこにいる。紗耶のことだけじゃない。きみへ真実を明かすのもびくびくしていた。隠す必要なんてなかったのに……言って、きみの父親として振る舞えたらよかった。そうしていたら今よりもっといいすがたを、愛する娘に見てもらえただろうね。胸を張ってきみの父親と言えない俺をどうか、父親なんて思わないでくれ」

 視界が霞む。愛する娘がぼやけて見える。目が潤んでいた。

 日向は目を伏せたまま無言でいる。きっと、ショックを受けているだろう。

 告白は済んだ。胸のうちをすべて伝えきった。どう思われても、よかった――

「えっ」

 抱きしめられた。どうして、どうして。

「り、ん?」

「前へ進むのが怖いなら、私も一緒に歩くよ、――お父さん」

 彼女と目が合う。彼女は左目から涙を零した。

「そんな、違う。俺はきみの父親なんかじゃ」

「ううん、私のお父さんだよ」

「ち、ちが、ちがう」

 流れる涙を押さえようと、左目を手で覆う。右目から一粒、頬を伝った。

「私が初めてあなたと出会ったとき、あなたは私を追い返さなかった。私が危険な目に遭うたび守ってくれた。腕を犠牲にしてまで私を助けてくれた。半人半鬼のりんを、復讐心で殺さずに、あの子を救った。それに、今、私の前で父親だって言った」

 やめろ、と言っても娘はそう言った。静かに、優しく、青月をぎゅっと包む。

「あなたは臆病者なんかじゃない。大切な人を愛する人をずっとずっと忘れないでいる優しい人。強くて、かっこよくて、世界でただひとりの私のお父さんだもん」

 青月は愛娘より差し伸べられた手を掴んだ。

 青月はようやく、ようやく、ようやく愛娘を抱きしめることができた。数十年間の時を経て今、十五歳になった娘のぬくもりを肌に感じることができた。

 ――やっと、やっとだ。ここまでくるのに膨大な時間を過ごした。理性が失われるくらいに日々を生きた。こんな近くにいる娘に触れられず、もどかしかった。けれどそれももう終わりだ。今日、今日から、他人ではなく親子でいられる。

「ああ、鈴……ごめん、ごめんね。父さん、近くにいたのに」

「ううん。いいの。だってこれから、ずっと一緒にいられるもん」

「そうだね。うん、ありがとう」

 ふたりの間に家族としての時間が流れはじめる。止まったままの時計が、動き出した瞬間だった。父と娘は再び抱擁し、再会の余韻に浸る。

 ふと、青月が紗耶のほうを見やる。

「よかったね」

 ガラスケースのなかにいる紗耶がそう言ったような気がした。

「ああ、よかった。もう俺はひとりじゃない。きみと俺の子がいる。俺はこの子を守っていくために、現在いまを生きるよ。きみはいないけれど、きみが残した命があるから、俺はこの世界を歩くよ、可愛い愛娘とね」

 くすり。紗耶が笑んだ、ように見えた。

 可愛い愛娘、と言われて日向はぽっと頬を赤くする。

「そうだ、ふたつ、鈴に訊きたいことがあるんだ」

「なに?」

「その……紗耶を、母さんをこんなにした俺を恨むかい」

 おそるおそる問う。日向はしばし考えたのち、にこりとしてかぶりを振った。

「恨まないよ。あ、でも、もうしちゃダメだからね」

「わかっているとも。もうこんな真似はしない。これはすべてが終わったあと、ちゃんと埋葬するよ」

「埋葬……するんだ」

「うん。けじめとしてね」

「見られないのは、ちょっと寂しいな」

「大丈夫。写真があるから、いつでもきみのお母さんを見られるよ」

「写真! 見てみたいです! あ、もうひとつって?」

「それはその、あの……ふたりきりのときだけ、父さんと呼んでほしい。まだ慣れない」

「うん、わかった。お父さんが慣れるまで、みんなの前では青月さんって呼びます」

「そうしてくれると助かるよ。――さて、いつまでも余韻には浸れない。今後のことを考えようか」

 熱が落ち着いた日向はさっと真剣な顔になった。その様子に、青月は彼女の成長を感じるのだった。臆病で人見知りだった娘が怯えていない。大きくなった。

「お父さん? 私の顔、変?」

「全然変じゃないよ。これからだけど、もう一度神道会のだれかと会おうと思うんだ」

「でも、東堂さんが神道会の人たちを口封じしている可能性もあるんじゃ」

「だけど、俺たちにできるのはそれぐらいだ。東堂に気付かれずに、だれかに接触する方法は……」

 思考を巡らす。ややあって、作業場の扉をノックする者が現れた。暁華だ。

「ふたりに客人だ。外で待ってもらっている」

 店の外へ出る。ふたりを待っていた人物が、こちらを向いた。

 闇夜にて月光に照らされ咲く花の如く、赤を基調として金糸の鶴が輝く着物に身を包む蜜月八羽が客人だった。神道会のだれかと会う手間が省けた。好機だ。

「こんばんは。今日はあなたがたにお伝えするよう命を受け、参上しました」

 耳朶がとろける甘い声だ。その声がなにを伝えるのか、青月は心耳を澄ます。

 蜜月は俯いて残念がる色を浮かべた。

「津雲川と安倍が、東堂にやられてしまいました」

「そんなっ……」

 日向がその報せに動揺する。対して、青月はやはりか、と納得顔になった。

 津雲川と秋は東堂の企みの詳細を知っている。生かしておくはずがない。否、知っているからではなく、使えなくなったからそうしたと見たほうが正しいか。

「俺が行っていれば犠牲を出さずに済んだのか……」

「芦木があなたの行く手を阻みましたが、恨まないでください。あのときあの場にいても、津雲川のことですからあなたを先に逃がしたでしょう。秋も同じです。あなたが、東堂の首を斬り落とすに相応しい人物ですからね」

「俺が相応しい? 買い被りすぎじゃないか」

「買い被りではありません。あなたは東堂の計画を悉く失敗に追い込みました。この次、東堂と相まみえたとき、それは計画の首謀者を葬るときです。その強き心でどうか、過去の因縁を断ち切ってくださいまし」

「もちろん、断ち切るよ。もうあれこれ利用されるのはうんざりだからね」

「……あなたは、東堂久々津がなぜおかしな計画を考えに至ったか、心得ていますか」

「きみたちに訊きたいよ。俺たちではあの人の心にたどり着けない」

「いいでしょう。お教えします。しかし、日向さん、あなたにはお辛いかもしれませんが、よろしいですか」

「構いません。私は大丈夫です。教えてください、蜜月さん」

 青月を見、日向を見た蜜月は、東堂の心を語りはじめた。

「あの方は青月さん、あなたと同じく死を恐れています。己の死後、ニンゲンどもが自分をどう思うのか、どうするのかを知りたがっているのです。人を残酷に扱ってきた男のわりに、臆病なものです。死は、どんな万能の者でも抗えないというのに」

「死に敏感で臆病者か。どこかのだれかに似ているよ。だから、選ばれたのか」

「片や死の恐れを克服し、片や未だに怯えている。ふふ、相応しいでしょう?」

「そのようだね。俺が過去の因縁であるあの人を断ち切るのが先か、あの人が死後どうなるのかという疑問の答えを見つけるのが先か……神のみぞ知る、いや、神すらわからないかもね。死んだあとなんて、わかりっこない。人はいつか死を迎える。死んだ者がそのあとどう思われるかなんて、その人の生き方次第だし、関わってきた人間にもよるだろう」

「おや、あなたは知らないようですね」

 青月は首を傾げた。

「東堂久々津は、ニンゲンではありません。生粋の鬼ですよ」

 新事実をここにきて耳にする。青月は目を見張った。しかし彼よりも色濃く反応したのは隣にいた日向だった。鬼という言葉をきっかけに、なにかを思い出しているのかあたまを抱えている。その様子を窺う。見守られるなか、日向がぽつりと呟く。

「あのときの鬼は、東堂さんだったんだ」

 初耳だった。問い詰めたい気持ちをぐっと抑えた。

「私、東堂さんに会っていたんだ。でも、どうして私、忘れていたんだろう」

「そういえば、あの男からこんな話を聞きました。昔、ニンゲンの幼子と出会った。幼い少女は鬼に〝鬼さんは人を食べちゃうって、ほんと?〟そう問うたそうです。鬼は実際に近くにいた子を食べ、問いに答えたようですが、肝心の少女が怯えて逃げていったというのです。あなたが思い出した記憶にありませんか?」

「ごめんなさい。あのときの記憶は曖昧で思い出せないんです。ただ、東堂さんが鬼だって聞いて、初めて会ったときの初めてじゃない感じだった理由がわかっただけです。なにがあったのかまではわかりません」

 ずいぶん前に、彼女と出会ったばかりの頃、〝わかっただろう。きみの知らない世界が、どれだけ怖いか〟〝違う。私、知っている〟という会話をした。ただの女子高生だった日向がなぜ知っていると答えたのか、深く追求しなかったがここにきて明らかになった。東堂久々津という鬼を知っていたからそう答えたのだ。

「意外な接点だね。きみとあの人が出会っていたなんて」

「そうですわね。では、伝えるべきことは伝えました。これにてお暇します」

 蜜月が手招きをする。どこかで待機していたらしい白と黒のしま模様の虎が主を迎えにくる。姿勢を低くして、主を背に乗せた。

 彼女の去り際、青月はふと思ったことを問う。

「ふたつ、いいかな」

「手短に」

「ひとつ、神道会は東堂久々津をどうするつもりだ? 神流公がまさか、見逃しているなんて言わないよね」

「神流様がそのようなことをなすものですか。東堂久々津は、我らが同志津雲川宗生と安倍秋を手にかけました。組織を抜け出したとはいえ掟を破れば罰が下ります。鬼とて例外ではありませんえ」

「ああ、なるほど。俺を行かせなかった理由がなんとなくわかった気がするよ」

「東堂さんにふたりを殺させたのは、掟をわざと破らせるためですか……そうすれば、あなたがたが自分たちの掟を破らず、あの人に罰を下せるから」

「賢いお嬢さんですわね。その通りですよ。――もうひとつはなんです?」

「滅鬼師のみんなって性格が悪かったりするのかい」

「あ、青月さん!? 失礼ですよ!」

 蜜月はぽかんとする。それからほころんだ。

「面白い冗談ですこと。ふふ、さあて……どうでしょうねえ」

 口元に絢爛たる袖を運び、隠す。目は笑っているが、果たしてそれが本当かはわからない。ただ片方の顔だけ目を大きく開き、口角を歪ませているようには見えた。

 濃霧とともに、蜜月が去った。

 静寂に包まれる。ふたりはしばらく佇み、それぞれ蜜月からの言葉を解釈し、整理する。

 死後がどうなるかなど、だれがわかろうか。だれが東堂へ、正しいという答えを与えられるのか。組織を敵に回し、多くの犠牲を出し、自身の持った疑問――否、不安を解く方法を探し回った。満足するまで繰り返されるだろう行いに、終止符を打たなくてはならない。東堂の不安を消す術を持たない青月だが、正しいという、彼自身が満たされる回答がないと気付かせることはできる。その繰り返しから解放しよう。それを以て、過去の因縁を断ち切り、愛娘のいる紗耶の生きたかった世界を歩もう。生き返らせてくれた恩と借りを返そう。

「東堂さんはやっぱり、悪い人なんかじゃなかった。お父さんを通して先の未来を知ろうとしただけだった。方法さえ間違えなければ、こんなことにはならなかったんだ……」

「もしかしたら俺も、同じようなことをしていたかもしれないね」

「お父さ――」

 ふに、と日向の唇に人差し指を置く。

「だけど俺があの人のようにならなかったのは、きみと出会ったから、みんながいたからだ。東堂にはだれもいなかった。〝それは違う〟と言ってくれる仲間がいなかったんだ。だから繰り返してしまった。きっと気付かないようにしていたんだ、正しい答えなんてない、満足のいく死後なんてありはしないことに」

「だれも、いなかった……ひとりだったんですね」

 青月は日向を抱き寄せた。

「俺もあの人も、もうひとりなんかじゃない。ようやく、過去から抜け出せる」

「お父さん、お願い。東堂さんを止めて」

「ああ、もちろんだとも!」

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