第四話
肉塊を優しく抱きしめて、通路の壁にもたれさせた。
怒りと悲しみの波が彼を襲った。波は雑念を削ぎとり、気を鎮めた。
「なんだ、せっかくの隙を無駄にしたか」
愛弟子が振り絞って放った力は隙を作るには充分だった。地下牢の頑丈な通路にできた跡がそれを物語る。しかし、東堂は無傷である。
逃げてもよかった。秋の作った隙を無駄にするわけにはいかない。けれど、けれどだ。
「弟子を殺されたままおめおめと逃げ帰る師がどこにいる! 仇を討たずして敵に背を向けるものか」
握った両手の拳から血がぽたぽたと落ちた。赤い妖気を付与する。
東堂がけらけらと笑う。
「仇ぃ? 貴様が一度でも私に勝ったかね」
「それでも……お前を焼き尽くす。灰ごと燃やしてくれる」
先手は津雲川の首を目がけて振るわれた一撃。
相手は身を翻して回避する。間髪入れずに、鋭利な金色の刃を放つ。すべて、炎によって灰と化す。二撃目の刃が出現し、切り刻まんと再び放出された。
その二撃目を、津雲川は炎で消失させ、身を捻ってかわす。
互いに妖気を操る滅鬼師だ。相手がなんの妖気を使うことが得意かはもう知っている。それを前提として、この息を呑む、瞬きをする暇のない戦闘を続ける。何十、何百と交わっても終わらぬ。終止符を打たせる条件はそれぞれ異なる。東堂はただ津雲川さえ捕えられたらよし。津雲川は勝てない相手の心臓を貫けばよし。いつ訪れるかは不明。ただ、戦い方が知られたなかで勝ち筋を見出すほかない。
津雲川は、この戦いでこと切れると見込んでいた。東堂の一撃ではなく、妖気を長期間に及んで使用した結果でそうなると。妖気は滅鬼師の生命そのものを削って扱う代物だ。長期戦であればあるほど、滅鬼師が不利になる。ゆえに、滅鬼師たちは長引く戦闘を嫌う。もちろん、それは東堂も同じである。しかしあの男がその程度で逝くはずがない。
攻めては防ぎの繰り返しだった流れが変化する。東堂が大きく距離をとって、片手を壁に添えた。土の妖気が、ただの壁を変形させる。壁の一部がつららのように鋭く尖って津雲川を襲う。彼はそれを身軽に交わす。肉塊を尖った岩が貫こうとすれば、拾い上げて後退する。
ひんやりと体温の下がった肉塊が、津雲川の闘志をさらに燃やした。
「秋、すまなかった。――待っていろ、仇は必ず」
主の思いに呼応するかの如く、炎がさらに燃え上がる。ばちばちと火花が散る。
これを最後の一撃にしよう。全身から、心臓から、生命の底から力を呼び、右手にすべてを注ぐ。この手で彼奴の心の蔵を抉る。それでいい。それだけでいい。
東堂は驚きの色をわずかに見せた。この戦いにおいて初めて、まずいと悟った。
津雲川は地を蹴り、疾走する。彼の身体に纏う妖気が輝く。相手の攻撃よりもはやく、一歩を踏む。少し、あと少し、あと数メートル、あと数センチメートル。零距離――。
「これでトドメだ!!!」
炎が服を、皮膚を、肉を、骨を焼く。あたたかな心臓が手に触れる。生命の源も、炎で燃やした。そのまま勢いよく右手が貫通する。
勝った。やった、貫いた。確かに貫いたぞ。
「は、ははは」
緊張の糸が切れて、渇いた笑い声を漏らした。
それにつられたのか、どうかはわからない。自分の声ではない笑い声が耳に入った。
「ははははっはっはっは!!!」
「なっ……」
生命を絶ったはずの男が笑っている。なぜ、どうして、心臓は焼いたのに。
貫通した右手が折れる勢いで掴まれた。
「鬼が心臓を貫かれたぐらいで死ぬと思うなよ!」
血が噴き出て、右手が抜かれる。
津雲川は慌てて相手の手を振り払い、後ろへ下がろうとする。しかし、妖気を酷使した反動で身体が悲鳴をあげる。吐血し、その場で膝をつく。
死に際とたとえるのが正しい。そんな状況でも、わずかに残る生命で妖気を付与しようとする津雲川だった。妖気は薄く、消え入りそうである。
まだ戦う意思を捨てない彼を滑稽といった眼差しで見下ろす東堂。
「お前は驚いているな、私がなぜ死なないのか。当然だ、私はニンゲンではない。お前たちと同じ方法で葬れると思うなよ」
東堂が指を鳴らす。天井の一部から手の形になった岩が津雲川を地面に叩きつける。
背中からくる圧迫感に顔を歪める。口の端から血を流す。仇を睨み上げ、動かせる手に力を宿そうと試みる。しかし、それを許す相手ではない。べきりと鈍く重い音と苦悶の声が響く。
「鬼ならば首を、とでも考えたか? ばかばかしい。死にかけの貴様に私のここを落とせるものか」
東堂は屈んで、煙管の先を弟子のあたまに乗せた。
「このまま死にゆくのもいいが、お前のことだ、私にいろいろ訊きたいだろう?」
「……お前の目的を吐け。青月を生き返らせた、俺の妹を異形に仕立てあげた。俺をあいつとまみえさせた。ここまでするわけはなんだ」
「そうさな。――私は死者が生者にとってどういう存在なのかに興味がある。死んでも尚愛されるのか、慕われるのか、はたまた憎まれ恨まれるのか。それは死んだ者の生き方次第で変わる。私はこの目で見たかった。だから青月を選んだ。私が望む結果を生み出すに値する人間だと思っていた。人が死すといずれ忘れ去られる、顔も声も背格好も思い出せなくなる。ただぼんやりと居たということしかわからなくなる。いつかは訪れる瞬間だ。もちろん生まれつき奇怪な能力を持つ男にも。あいつは愛する者を殺された。自分さえも殺された。しかしあいつは忘れ去られるのを、愛する人を思い出せくなることを恐れた」
「死に際に、そんなことを考えていたのか、あいつは。ばかだ、臆病者が」
「その臆病の望みを私は叶えてやった。生き返らせてみた。するとどうだ、愛する者の肉体を使って生き人形を作った。生きているんだと己に錯覚させた」
「……それが、紗耶の死後か。ふん」
「そう、そうさ。あれが青月を愛した女の死後! 笑ったね。あいつは復讐よりもあの女を生き返らせることを優先した。だから、だからだよ。私が青月を選んだのは、あいつが死んだときまただれかが彼奴を生き返らせるのではないかと考えたからだ。くっくっく」
「……あいつは紗耶のいない世界を嫌った。復讐を果たせたら死ぬ気だった。しかし、お前が残酷な考えで青月を生き返らせ、こと切れぬようにした! あいつは死ねない、紗耶のところへいけなくなった。だから、矛盾を抱え込んだのだ」
東堂がゆっくりと煙管を口に運ぶ。
ふと、ぎりぎりの状態のなか働く津雲川のあたまがある答えにいきつく。
「そうか、ようやくわかったぞ」
人の皮を被った鬼の心中を感じ取る。彼が語れば語るほど、少しずつ見えてくるものがあった。津雲川は血の味が広がる口の奥から言葉を振り絞る。
「お前、己の死後がどうなるかを知りたいんだな」
ぴくりと、東堂の眉が動いた。
それを見逃さなかった津雲川は、先ほどから感じていたものの正体を見抜く。
「青月とお前は似ている。臆病で死に敏感だ。だれよりも死ぬことを恐れている。いや、お前が一番か? 鬼よ。人を喰い散らかした罪を背負い死すときには、恨みを抱えた人間たちが黙って眠らすはずがなかろう。それが怖いのではな」
「その語る口を噤めよ、出来の悪い素材風情が」
押し殺された声が、津雲川の心の蔵に響いた。ぞくりと、背筋に悪寒が走る。
「もういい。ああ、私の機嫌を損ねたなこの出来損ないが、素材が、使えない弟子が」
東堂の表情が一変する。殺意ある眼差しが、津雲川を見下ろした。
「よかろう、直すのは癪だが、最後まで使ってやるぞ」
東堂が彼の髪を掴み、無理矢理こちらを向かせた。顔を覗き込み、口元を歪ませる。




