第三話
目を閉じ、開ければ東堂はいなくなっていた。緊張の糸が途切れ、青月は肩の力を抜く。
「はあ、死ぬかと思った」
「大丈夫? ヨウスケくん」
「おう、なんとかな。それより日向が……」
俯く愛娘の肩に手を近づける。触れることにためらっていると、愛娘が顔をあげた。
「日向?」
「大丈夫です、大丈夫。ごめんなさい、びっくりしちゃって」
「無理はしなくていい。休んでくるかい」
「いいえ。せっかく秋くんの話が本当だってわかったんです。私たちも動きましょう」
いつも通りの彼女だった。青月はほっと胸を撫で下ろす。
「でもよ、どこから始める? 今から東堂さんを探しにいくのか」
「それはもっとあとだ。俺たちはまず、東堂師がやろうとした計画を詳しく知る必要がある。ヨウスケくんだって、たくさんあの人に訊きたいことがあるだろう」
「あるさ、いっぱいな。でも俺が一番知りたいのは、りんのことだ。どうして半人半鬼にしたのか、なんでりんだったのか……」
りん。すべてのはじまりはあの子だ。りんが異形化して人を喰うようになり、その犠牲に青月の婚約者が亡くなる。なぜ美月紗耶だったのかは青月にはわからない。愛娘のようにりんを魅了する綺麗な心の持ち主だったからかもしれない。
それから、異形の大量発生が起きる。りんが空腹を満たすための食事だった。背景には、青月を壊さんがため動く津雲川がいた。のちに東堂がそうさせたと判明する。
りんの空腹が満たされた頃に、日向鈴が津雲川に攫われる。あのとき――
「あのとき、東堂は日向といたはずだ。津雲川を追い払うことができた。なのにそうしなかったのは、もともとあの人が味方ではなかったからか」
青月は爪を噛み、脳細胞をさらに働かせた。記憶を呼び起こし、要点を整理する。
そして、青月が復讐を果たす日。東堂の予想とは違う結末があった日である。青月は津雲川を殺さず、りんを殺さず、吹っ切れた。津雲川は青月を倒せずに敗北し、神道会のふたりに連れ去られた。これで東堂の手駒はひとつ減る。
次に、神道会に囚われていたはずのりんがすがたを見せた。これは愛娘によってよき形で最期を迎えさせた。りんが再度街に現れたのは、東堂がもう一度、青月を壊そうと試みるため囚われの身から解放したからだ。しかし二度目の試みも失敗し、また手駒が減った。
「しつこいほど俺を狙っているのは、あの人が他人では想像できない意思があって、なんとしてでもやり遂げたいから。……一体、あの人はなにをしたいんだ」
髪を掻き上げ、天井を仰ぐ。溜めていた息を吐き、日向と霧生の会話に入る。
「ふたりは、あの人がどうしてここまでするのか、わかるかい。想像でもいい、聞かせてくれないか。ヒントになるかもしれない」
霧生がうーん、と腕を組んで考え込む。
「東堂さん、たぶん悪い人じゃない。本当に悪いやつなら、もうとっくにみんなここにいないだろう。たぶん、俺たちを直接手にかけないのは、興味がないんじゃなくてよ、自分自身じゃできないからなんだよ」
「自分自身じゃできない?」
「ああ。人を手にかけるって相当強い心がないと無理だろ。ある日突然なんかじゃない、もうずっと長く長くそうしたい、そうするんだって強く強く思って、考えて、計画する。それだけの心の力があの人にはあった。だけど、あの人が持つ強い心の力には、足りないもんがある」
「――なるほど、〝覚悟〟か」
霧生が頷く。日向もわかった顔になった。
「覚悟が足りない……だから、ほかの人を利用していた」
「そうだろうね。なんだ、ヨウスケくんにしてはすごいことを言うじゃないか」
「どういう意味だ、それ! 嫌味だろ!」
がるるると今にも掴みかかってきそうな彼を、日向がまあまあと宥める。
再び、青月は思考を巡らす。東堂の心――動機を推理する。
東堂久々津が青月に執着するわけを、青月を壊そうと至らしめたわけを探る。真実に辿り着きはじめて、すべてが明らかになるのだ。思考を停止させるな、回路を開け――。
「東堂さんに覚悟がないのは、なんでなんだろう」
日向も父親と同じことを考え始めた。
「そりゃ、したらまずいとか、やったら後戻りできないからだろ」
「人を手にかけられない……つまり、殺められないんじゃ」
「殺められないのはちょっと違うんじゃないのか」
「そうかな」
「そこじゃなくて、肝心なところでびくびくしていたりして」
「肝心なところねえ。青月さんを倒すことだったりして」
「おいおい、それだとあの人の計画自体が成功しないぜ」
「だって、あの人にとって肝心なところって、青月さんを倒すかどうかでしょう? 今まで自分自身でやってこなかったのは、霧生の言う通り自分でできなかったからだよ」
ずきり、とあたまの隅が痛む。考えすぎたようだ。思考を巡らしたあたまを休ませた。
「青月はどう考えているんだ?」
「俺も日向と同じかな。自分でできないでいる。怯えているのかもね。――そうだ、ここでずっと考えっぱなしもよくないから、いっそ神道会本部まで出向いてみる?」
ふたりがびっくりする。
「だってわからないじゃない? なら、わかりそうな人に訊いてみるんだよ」
考えたあとは行動する。青月はさっそく『結い繋ぎの橋』を渡ろうと神社へ向かった。以前祭りのあった場所は深閑としている。日はとっくに暮れて、辺りは薄暗い。ちなみに、霧生は橋を渡るのを嫌がり、日向は危険な目に遭わせるわけにはいかず、留守番を任せた。青月ひとり、本殿前に立つ。
扉を開こうと手を伸ばすが、背後の気配を察知して引っ込めた。正面を向いたまま、後ろにいる芦木に問いを投げた。
「神道会は東堂久々津の計画を知っていたのか?」
芦木は低い声音で答える。
「もう話してもいいでしょう――ええ、はじめから知っていましたよ。黙認していたわけではありませんので、誤解しないでいただきたい」
「しないさ。そっちがそうなら、俺たちに教えてくれないかな。あの人がどうしてここまでするのかを。なぜ俺なのかを」
「計画は知っていますが、それは我々が探るべきところではないと判断しました。こちら側は彼奴を捕らえられればよいのですから」
「ああ、なるほど。今の段階では探らないんだ。捕らえて拷問でもして、吐かせると」
「その通りです、くっくっく」
「なら質問を変えよう。動機はわからずとも計画はわかっているんだろう。東堂久々津がこれからなにをしようとしている?」
「簡単なことですよ、あなたとの因縁に区切りをつけようとしています」
「じゃあ、今度あの人と対峙するときが最後になるわけか」
「その最後に相応しい手駒を、もう手に入れているでしょうね」
「……津雲川を見殺しにしたのか」
「でしょうね、と私は言いましたよ。まだ同志は生きていますよ」
「助けないくせに」
「同志を見殺しにするのは我らとて苦しい。しかし、そうしなくてはならない」
「なにか企んでいるのかい」
「黙って傍観する我々ではありません。ただ、我々が思うようにするためには、あなたがたにかかっています」
「蜜月八羽もそんなことを言っていたね。俺たちに託した、賭けたと。どういうことかな」
「なに、東堂久々津を謀殺するのです。そのためのあなたたちなんです。ま、美味しいところ取りみたいな~!」
芦木がいつもの調子になった。話が終わったと踏んで、青月は扉を開けようとする。だが、彼の手より先に芦木の手が扉を押さえた。
「行かないでいただけますか」
「きみの話を聞いていると、この先に東堂久々津がいそうな気がするんだよね」
「ええ、いますよ」
「だったら!」
「だから行かないでいただきたいんですよ!」
ミシリ、と扉を押さえる手に力が込められ、そんな音が聞こえた。
「津雲川はタフなやつです。簡単には死にませんよ」
「……悪いが、それでも」
「今のあなたでは決して勝てません」
低い声が青月の耳元で発せられる。
「あなたにはまだ、足りていないような気がしますね」
「覚悟とでもいうのかい? それならもうとっくに」
「過去にいたまま、過去の因縁を葬ることができますか?」
ぐさり、とその言葉が胸に刺さった。
「復讐を果たしたあなたですが、まだもやもやしていることがあるんじゃないですか」
「きみなんかに心配されるなんてね、俺も終わりかな」
「ははは。ともかく今は、下がっていてください。大丈夫、あの野郎はきっとあんたの前にきますよ~」
押さえられていた扉が開き、芦木がくぐる。くるりと回り、青月と顔を合わせた。
「最後にいい? 芦木」
「なんです?」
「津雲川が殺されてもいいのか」
「よくありませんよ。同志が減るのは嫌ですから。が、そこはあいつ次第」
「助けたりはしないんだ」
「我々が少しでも動きを見せてしまえば、彼奴に伝わります。我々はあくまで、時が来るそのときまで傍観者でいるつもりです」
「ふうん。ま、あいつが負けるとは思えないけれど」
「同感です」
「あ、もうひとつ」
「はいはい、なんでしょう」
「東堂久々津をどう――」
「我らが同志を穢した虫けら野郎」
「やっぱり神道会は物騒な連中の集まりなんだね」
「なっはははは~! ではでは、お達者で~」
『結い繋ぎの橋』の扉が閉じた。
青月は石段を下りていく。その間、芦木が言った言葉を復唱する。
まだもやもやしていることがあるのではないか――。
あるといえばある。日向鈴のことだ。彼女が美月紗耶の人形を見ていたあの日から、心がどうも晴れない。よかったはずなのに、母親と会わせられたのに。もやもやしている。きっとこのままでは、東堂久々津に負ける。それを悟ったのかどうかはわからないが、だから芦木は行かせなかった。
歩を止めて、ぼんやりと空を見つめた。さらり、と髪が風に揺られる。
過去にいたままでは、過去の因縁を断ち切れない。
ならば、現在に行くしかない。
方法はただひとつ。愛娘に父親であると告げる。
「できる、だろうか」
生き返り、復讐を果たした。そのあとを生きるためには、愛娘に自分を父親として見てもらう。もう隠せない。否、隠す必要はない。
「怖い……なんて思われるか。それに、こんな父親はあの子に相応しくない」
それでもと、青月は決心する。
来た道を戻っていく。ないはずの心臓があるように思えて、どきどきしている感覚が胸にある。不安と期待をしているからだろう。父親なんかじゃないと否定される不安と、会えてよかったと肯定してくれる期待が混ざっている。
心中でなんて言えばいいかと考える。あっという間に店に着く。
二枚扉の片方のドアノブを握り、いつもとは違う気持ちでなかに入るのだった。
×
夜が更ける時刻。
神道会の地下牢にて、安倍秋は明かりも持たずにひたすら走っていた。息が切れても、足の感覚がおかしくなっても、どうでもよかった。己が師を救出するためならば、関係ない!
「東堂よりも先に、津雲川様を逃がすんだ。死んでも……構うもんか」
津雲川のいる牢に辿り着いて早々、震える手で鍵を開け、津雲川を縛る手枷と足枷を解く。
「秋……そういうことか」
みなまで言わずとも、津雲川は状況を察する。
自由になった余韻に浸る間もなく、ふたりは地下牢からの脱出を試みる。
先行する津雲川の背を追う秋は、気を失いそうだった。こんなところを東堂やほかの滅鬼師にばれてしまえば、殺されるどころの話ではない。しかし、みすみす師を見殺しにするほうがもっと罪が重い。
指の先、足の先から血の気が引いていく。足が竦む。否、立ち止まるな――
「――えっ」
反響していたふたつの足音が止む。秋も津雲川も歩を止めた。否、止められる。
……おかしい。こんなところに、手がある。
……あれ、なんで。あるはずが、ないのに。
「あ、き……」
津雲川が目を見開く。青ざめた顔だ。
「つくも、がわ、さま」
生々しい音とともに、手が抜けられた。夥しい血が飛び散る。
「秋ぃぃぃいい!!!」
敬愛する師の声が、遠のく。
ダメだ。まだ、逝けない。
逃がさなくては。
「逃げて……」
これが最後だ。
おそらく、東堂は倒せない。でも、隙はできるはず。
「散れ――東堂久々津」
片手にある分だけの力を注ぎ、放つ。
未練なんてない。師に出会えただけで充分だ。
ああ、だけど、もっと一緒にいたかった。
「さよなら――津雲川様」
視界が黒く染まっていく。瞼が落ちる。目尻から、涙がこぼれた。
安倍秋、死す。




