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怪物のいる街  作者: こうみ
邂逅
2/26

第二話

 彼女は、学校から家に帰るという日常を正しく繰り返そうとしていた。けれど、今日は少しだけ時間が遅くなってしまった。ただ、それだけだった。だというのに、目の前にいるそびえ立つ怪物が家へ帰らせてくれなかった。否、今の彼女に帰るという言葉がなくなっていた。代わりにあるのは、恐怖と逃げたい意思だった。

「あっ……」

 萎んでいる喉から出たのは、掠れた声だった。

 ――怖い、怖い、怖い。食べないで、食べないで。家に帰らせて。――だれか、助けて。

 彼女にとって目の前にいるそれは、恐怖の塊でしたなかった。流れ伝う冷や汗を感じながら彼女は、それを見上げていた。

 そして足に力が入らなくなり、ゆっくりと意識を手放していった。

 次に目が覚めたのは、見慣れない天井がある一室だった。

「え……」

 状況が呑み込めない。まだ震えている身体を起こして、辺りを見渡す。部屋の中はしんとしている。人の気配もない。

「どこなの、ここ」

 ソファから立ち上がる。よく見れば、和風の屋敷を思わせる部屋だった。天井近くまである棚には、種類様々な人形たちがこちらを見下ろしている。薄暗いせいか、どこか不気味だった。

 辺りを警戒しながら、日向は一歩を踏み出した。すると、奥の扉が鈴の音を響かせて開放された。すがたを見せたのは、中年の男だった。茶髪で眼鏡をかけている。長身で、肩に羽織をかけており、どこか威厳を纏っていた。

「目が覚めたようだな」

 低いがよく通る声が、日向の緩んでいた神経をぴんと際立たせる。自然に背筋が伸びた。

「ああ、そこまでかしこまらなくていい。私は東堂久々津という。きみは?」

 鷹のように鋭く光る目が、日向を見つめていた。ゆっくりと自分の名前を口にする。

「日向、りんです」

 幼い頃から人見知りをしてしまう日向は、しっかりと初対面に向かって名前を名乗れたことに安堵した。安堵するけれど、帰りたいという焦りがじわじわと滲み出てくる。

「鈴……。いい名前だね。さて、本題に入ろう。そこに座るといいよ」

 示された場所に目をやり、すとんと座る。東堂という男も、日向と対峙する形でソファに腰を下ろした。目がばっちりと合い、どきりと心臓が跳ねるのを感じた。

「きみは、きみを襲ったあれがなんなのかわかるかね?」

 日向は、首を横に振った。

「そうか。ならば、教えよう」

 東堂が一拍子置いて、話を続けた。

「あれはね、鬼といわれるものだ」

「鬼?」

「疑問はあるだろう。順番に話すよ。鬼は、人を食事のように喰う怪物さ。かといって、無差別に喰うわけではない。食べないものだっている。大きさも様々だ」

 自分を襲った怪物を思い出しながら、日向は東堂の言葉に耳を傾ける。

「鬼にも二種類いてね。きみが襲われたように、そのまま実体化しているもの。鬼が人の負の感情に付け込んで、人を人ならざる者にしてしまうもの。きみは運がいいよ。後者だった場合、生きている確率は低いだろうね」

 日向は、ごくりと唾を飲みこんだ。あんな恐ろしいものと遭ったのに生きている。それがどれだけ運がよかったのかを実感する。

「あの、質問いいですか?」

「なんだね?」

「鬼って、たしか空想上のものだったはずじゃ。なんで、現実にいるんですか?」

 東堂が、腕を組んだ。考え込んでいるようだ。

「私がさっき話したこと以上のことを知るとなると、他言無用になる」

「だ、だれにもいいません! 教えてください」

 日向は、不思議に思った。怖いものは大の苦手なはずだというのに、こんなにも興味が湧いている。未知のことを知りたいという知的好奇心があることに、驚いた。

「……」

 東堂はじっと、日向を見つめた。

「わかった。話そう」

「あ、ありがとうございます」

 ぺこりと、日向は頭を下げた。

やった。自分の、他の人が知らない世界にいける。嬉しい。

込み上げてくる歓喜が、日向の胸に広がる。

「鬼の起源は、平安時代の書物まで遡ることができる。時代を経て、鬼の存在は変わっている。そんな代物が今、こうして現代の公道を闊歩している。それが今の状況さ。だが、どうしてこうなったかは、不明なんだ」

「え? わからないんですか?」

「ああ。自然と、いつの間にか、当たり前のようにいたのが鬼なんだ」

「だったら、大勢の人が見ているんじゃ……」

 そういうと、東堂が首を振った。

「実は、そうでもないんだ。見える人だっているが、それはごくごく僅かなんだよ。滅鬼師たちが調べているみたいだけど、詳しいことはわかっていない」

「滅鬼師?」

「鬼を滅する師、それで滅鬼師という。鬼退治専門の役職だ。彼らの起源も、謎のままだよ。噂じゃ、陰陽師から派生した職種みたいだけど」

 聞き慣れない単語が、次々と東堂の口から発せられる。日向は、混乱しかかるあたまに手を添えた。

「わからないことばかりだろう?」

 優しい笑みを唇に浮かべながら、東堂がいう。

「安心したまえ。ゆっくり、憶えていけばいい」

「はい」

 話はここまでだ。また知りたいことがあれば、いつでも聞いてくるといいよ。といって、東堂が話を切った。ふう、と日向は一息つく。そして、東堂を見つめる。優しそうな人だ。この人のところで未知の世界を探検できるのなら――。

 ふいに奥の扉がまた、鈴を揺らして開かれた。現れたのは、

「青月、彼女なら目を覚ましたよ」

 青月と呼ばれる男だった。長い黒髪を、横の部分にある髪をうしろで束ねている。スタイルがよく、顔立ちも整っていた。けれど、どこか冷たい目をしている。

 じっと眺めてくる青月と目を合わせた日向は、どきりとした。おもわず目線を逸す。

「そうですか。で、彼女をどうするんです?」

 青月が冷淡な声で発した。安堵していた胸が、緊張に縛られていく。

「うーん、そうだね。それはまだ決めていなかったなあ」

 東堂は腕を組んで、うなだれる。

 ここでこのまま返されたら、自分はどうなるのだろう。

 日向は焦りを感じ、咄嗟に声を出す。

「あの、ここで手伝わせてください!」

 いつもより大きな声でいったことに気付き、恥ずかしさが出てくる。顔が熱い。

 ゆっくりと顔を上げれば、東堂がきょとんとしている。

「だめ、ですか?」

 東堂は真面目な顔つきになり、顎に手を持っていった。

そのうしろにいる青月を一瞥した。壁に背をつけて、瞼を落としている。

なぜだろう――彼とは初対面ではない気がする。日向には、それがどうしてなのかわからない。他人というよりも、もっと近しいもの。

「うん、いいだろう」

 しばしの沈黙を破って、東堂が頷いた。

「本当ですか?」

「ああ。鬼が見えるのなら、放ってはおけないね」

「ありがとうございます」

 深々とあたまを下げた日向は、少しだけにやりとする。

「そうなったとあれば、青月、見回りいくだろう?」

「……ええ、まあ」

「だったら、彼女を連れていってくれないか」

「師匠がいけば――」

「いってくれるね?」

「……わかりました」

 青月は嫌そうに答えたのち、自分よりも大きめの黒いケースを肩にかけた。そして日向を見、その場を後にする。

「いっておいで、日向」

「あ、はい」

 日向は、先をいく青月のあとを追った。

 深夜に近くなった夜の時刻。

 辺りを警戒しながら歩く青月と、お化けが出ないか怖くてしょうがない日向が肩を並べて、暗闇を進んでいく。

 ぽつぽつと立つ街灯が、唯一の光と呼べた。月光は輝くも、日向と青月の足元までは届いていない。日向は、そんな中を悠然と歩く背中を見つめる。

「なに」

 気づいたのか、突然立ち止まった青月がこちらを向いた。

「い、いえ。青月さんは、怖くないんですか?」

「ないね。結構長いから、こんなことして」

「へえ……。そのケースの中、なにが入っているんですか?」

「きみが知るようなものじゃないよ」

「教えてくれないんですか?」

「教えない」

 ぎこちない会話が、紡がれる。

「いつも、こんな時間に見回りしているんですか?」

「鬼と異形は、基本夜に行動するからね。実体化する鬼は、幽霊みたいなものだから」

 幽霊と聞いて、日向はぞくりと寒気を感じた。

 と、そのときだった。どこからか不気味な雄叫びが聞こえる。空気を揺らして、日向と青月の耳に入ってきた。

「な、なに……」

「今度は、異形のようだね」

 青月が冷静に分析する。持っていたケースの鍵を解除し、色白い指を滑らかに上へ向けた。パーツが現れ重なっていき、一体の人形が完成する。それに目をぱちくりさせる日向をよそに、重い足音が響いてきた。異形が、どんどんと近づいてくる。角を曲がり、彼女の前にすがたを見せたのは、その名の通り異なる形をした人間だった。

「ひっ……。なに、嫌。怖い……」

 目くじらに涙があふれる。日向は一歩二歩と、後退りしてしまう。先ほどまであった高揚や歓喜は、一瞬にして消え去った。あるのは恐怖だった。

 対する青月は、日向の前に立ち人形を動かす。淫らによだれを垂らしている異形めがけ、人形を走らせた。同時に、異形も地を蹴った。

 人形は素早く刃を掌から出現させ、通常の倍以上ある異形化した人間の腕を狙う。だが、それは弾かれる。鉄のように分厚く、白く人ならざる腕に傷はつかなかった。相手は人形を掴もうと、腕を伸ばした。

「そうはさせないよ」

 人形は宙を舞った。異形の攻撃は空振りに終わった。

 人形はそのまま異形のうしろに着地する。そして素早く踵を返して迎撃に向かった。異形も雄叫びを上げ、応戦する。

 そんな、日常では皆無である出来事に呆然とする日向であった。膝から崩れ、ただぼうっとその場を眺めていた。怖い、怖い、怖い、怖い。夢なら、覚めて。早く、早く。こんなのは、夢なんだから――。

 皮を引き裂く音が、辺りに響いた。人形がその刃を液体で汚していた。異形はというと、裂かれた部分を手で押さえている。指の間から零れるは、赤い液体――否、黒い泥だった。

「終わらせる」

 青月は素早く指を動かした。それに反応した人形がぴくりと反応し、異形を襲う。怯んでいる異形の懐に飛び込んだ。そしてそのまま、勢いよく胸部を刃で貫いた。

 勝った――かと思いきや、異形が空いている手で人形を叩きつぶそうとする。だが人形は、二撃目を許さず、もう一方の掌の刃を胸部に向けて振り上げる。どしゅり、どぼどぼ……。

「……なんなの」

 まだ頭が追いつけていない日向は、溜まっていた涙を流した。鼓動が、まだ収まる気配を見せてくれなかった。

 異形は泥になったあと、蒸発していった。

「戻れ」

 人形がぴょんと飛び、青月の前に立つ。ばらばらのパーツになったあと、ゆっくりとケースに戻っていった。そのケースを肩にかけ、青月は日向に手を伸ばした。

「わかっただろう。きみの知らない世界が、どれだけ怖いか」

 知らない世界。その言葉が、彼女が忘れ去っていた記憶を呼ぶ。

「違う。私、知っている」

 だが、もやがかかっており、はっきりとしたことはわからない。

 日向は青月に手を引っ張られて、立ち上がった。

「知っているって、なにを?」

「わかりません。でもなぜか……はじめてじゃない気がするんです」

 彼女の意味深長な言葉に青月はそう、とだけ返した。

「東堂さんに聞けば、なにかわかるかな」

「今日はもう遅いよ。明日にしたほうがいい。さあ、もう帰るんだ。きみの家はすぐそこだろう。これ以上遅くなるのは、危ないからね」

「あれ、どうして私の家がこの近くだってわかったんですか?」

「……毎日、この辺を見回りしている」

「そうなんですか。じゃあ、詳しいんですね」

「……」

 一夜にしてたくさんの未知なる体験をした少女は、夜道を帰っていく。

 じっと、その背中を見送られながら。

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