第二話
黒鋼から暁華と霧生のすがたがないから探してきてほしいと頼まれた。店内にはおらず、ふたりが行きそうな場所にもいなかった。見回りも兼ねて、もう少し足を伸ばすことにした。
夕刻を告げる虫たちが鳴く。
やはりどこにも見当たらない。すれ違ったのか、と来た道を戻るときだ。黒ケースの上に小さな鬼が落ちてきた。目が合うと飛び退いてどこかへ行ってしまった。
鬼が落ちてきたほうへ目を向ける。この先には、暁華の隠れ家があったはずだ。気になった青月は足を運んだ。そして、驚愕する。
結界が解かれた隠れ家の窓から、暁華、霧生と談笑する日向が見えた。
三人でなにをしていたのかを知る術は、彼女たちに聞くことが一番だ。ドアノブに手をかけるが暁華の言葉に、その手が止まった。
「鬼に縛られている人たちを救いたいと、霧生に言ったそうだな。それはだれなんだ」
だれなのか。青月も答えを待つ。
「だれというか、私のように大切な人が怪物に襲われて、悲しんでいる人たちです。今もきっと辛くて、悲しくて、苦しんでいる。そんな人たちをこれ以上生み出したくないんです。私は弱いけど、力になりたいんです」
愛娘から発せられた言葉に、青月が信じられないといった顔をする。
成長したと捉えられる。同時に、危険な道を進んでいっている。戦うと言い出しかねない。いや、もしかしたらここにいるということは――。
「成長したな、日向。もうビビッていたお前はいないぜ」
「そ、そうかな」
「照れるなって。事実なんだから。つうか、お前の救いたい人のなかに、……ナナシは」
「あの子も助けるよ。悪い異形じゃないと思うから。それに、津雲川さんだって」
腐れ縁の名が聞こえ、青月は我が耳を疑う。
「あの人も、ずっと苦しんでいる。攫われたときに津雲川さんを見て、そう感じたの。ナナシが――自分の妹が鬼になって戦うすがたなんて、本当は見たくないんだよ」
青月は眉根を寄せ、形容しきれない複雑な感情を殺す。
ナナシが津雲川と兄妹であるとは知っていた。ゆえに、フィアンセと青月とを殺めたのが津雲川だとして、彼を復讐相手と見なしたのだ。その結果、津雲川はナナシを守るために、青月は仇討ちのために相対することとなった。
「……あいつ、津雲川の妹だったのか。だから、ずっと隣にいた」
「なるほど、合点がいく。だが、ふたりはもう神道会に捕まってしまったぞ」
「それでもです。もしもふたりがまた人を殺めたりしていたら、私が止めてみせます」
最後のほうの語気が強くなる。どうやら生半可なものではないらしい。彼女が本気であることに不安になる青月。やめろ、といっても聞く耳を持たないだろう。
「ふふ。きみがどうして戦うなんて言ったのか、わかったよ。うむ、特訓のし甲斐がある」
特訓。青月の予想通り、日向はここで戦う力を身につけるつもりだ。
再びドアノブに手をかけたとき、日向がみんなはどうして戦っているのか、と問うた。またなかに入ることはできなかった。じっと、耳を傾けた。
はじめに暁華が答えた。
「私は、東堂師のためだ。一度忠誠を誓ったから、裏切れない」
次に霧生が言った。
「俺はこの鬼の力を、だれかのために使いたい。お前と一緒さ、日向」
ふたりの意思を知った日向は、青月はどうなのか、と言った。
「青月……俺にはわからねえ。あいつ、そういうのあんまり話さないからな」
「あいつは私たちとは違う。青月は復讐のためだけに生きてきた。そして、やり遂げたあとは自らを殺めようとしている。死の無い身体なのに。……青月は、どうにもできない怪物だ」
どうにもできない怪物。わずかに癇に障ったけれど、怒りはなかった。その通りだからだ。
「本当に、死のうとしているんでしょうか」
「きっとそうだ」
「でも、津雲川さんと決着がついたとき、とても吹っ切れた様子でした。青月さんが勝って、ナナシにはなにもしないって言っていました。復讐は終わったんですよ。今の青月さんが死を選ぶなんて……私はそうは思いません」
勢いよくドアノブをひねって隠れ家に入った。
突然の登場に驚く日向たち。青月はくすり、と唇の端に笑みを浮かべる。
「こんなところでなにをしているのかな」
座っていた台から下りた霧生が返す。
「日向の特訓だ。式札を使いこなせるようにな」
視線を愛娘へやる。日向は首を縦に振った。
「俺たちみたいに、戦うつもりなのかい」
冷たい眼差しに変わる。愛娘がびくりと震えた。庇うように、暁華が間に入る。
「そうだとも。なにか言いたそうだな、青月」
一笑。
「彼女になにができるっていうんだ」
――愛娘に武器を持たせてなるものか。
「戦うのは俺たちで充分だ」
――鈴を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「それにきみが戦っても、足手まといになるだけだ」
――きみを死なせなくないんだ。
思うことと口に出た言葉とが逆になった。言い直しはしない。
青月に掴みかかろうとした霧生を制して、日向が言い返した。
「私に戦うなと言いたいんですね。ですが私は、私なりの方法で戦います。もうみなさんの背中を見ているだけなのは嫌なんです。強くなって、みなさんの役に立ちます」
はっきりとした声音に、迷いが消えた瞳。以前までの彼女はもういなかった。
一瞬、本当に娘なのかと戸惑う。成長の兆しに驚き、表に出さぬよう表情を取り繕った。
「きみがそれ相応の働きをしたのなら、その言葉を信じよう」
みなに背を向け、隠れ家を後にする。
階段を下りる途中で足を止め、先の娘の顔を思い浮かべた。戦うことがどれだけ辛いか、苦しいか、悲しいかをまだ知らない純粋無垢な少女。勇敢に戦おうとする乙女。戦わせたくない青月だったけれど、彼女が本気だとわかった。異形を倒すとは人を殺めるのと同等だ。手を汚させるような真似を彼女にさせる。背を押すべきか、止めるべきか。止めてもおそらく聞く耳を持たないだろう。ならば、父親らしく背を押し、成長を見守ろう。
娘の成長に喜びと不安を憶える青月。隠れ家を出たところで、声をかけられた。
「よう。ほほう、子を心配する親の顔だな。とりあえず、乗れ」
宵の口。黒鋼の愛用するバイクにて風を切る。束ねた髪をたなびかせながら、流れていく街の色を眺めた。時折、影に隠れる鬼たちが見える。いつまであんな怪物のいる街が続くのだろうか、と青月は考えた。もしかしたら、このまま永遠に鬼と共存するかもしれない。
しばらくして、黒鋼がバイクを停止させた。
青月はバイクから下りて、自身の死した場所であり復讐のはじまりである場所に立った。
閑散とした夜道。丁字路の分岐点に佇む電柱の下に、花束が置かれている。ここでこと切れた紗耶へのものだろう。彼女を亡き者と扱うそれに、青月は嫌悪を懐く。
「怖い顔するなよ。紗耶の友人が置いていったそうだ。まだお前以外に、彼女を想う人がいるんだな」
「まさか、それを教えるために俺をここへ連れてきたわけじゃないよね、黒鋼」
「んー、それも含めて一度、お前と話がしたい。復讐を果たした――津雲川と決着をつけたお前と、この先のことをな」
バイクにもたれかかった黒鋼が、改まった口調で言った。
わずかな沈黙ののち、青月が口火を切る。
「この先のことっていうのは、どういうことだい」
「お前は復讐を終えた。なら、その次はどうするんだ。お前は以前から、復讐を果たしたあとは死すと言ってきた。だが、津雲川と決着をつけた今の青月は吹っ切れたように見える。これからお前がどうするのか、聞かせてくれ」
一考することなく、返答する。
「決まっている。俺のオリジナルがどこにあるのか、探すまでだ。生きるのか死ぬのかは、そのときに選ぶよ」
幽かに驚きの色をした黒鋼。
「ナナシは殺さないのか」
「きっとそんなことをしたら、紗耶に平手打ちをされるよ。〝小さな少女を殺めたところで私は戻ってこないのよ、このわからずや!〟ってね」
「……本当に、吹っ切れたんだな。昔のお前からは出てこないぜ、殺さないなんて選択」
青月はじっと、そよ風に揺れる花束を見つめた。
「津雲川に勝った。それだけでもう充分だったよ」
決着のついたあの刹那は、青月を蝕んでいたどす黒い復讐心から解放された瞬間でもあったのだ。長く相対し、刃を交えた結果を得た。結果以上はいらない。囚われていた復讐心から自由になり、吹っ切れることができた。そして、ひとつの答えに至った。
「俺は復讐を果たしたいんじゃない。この穢れた復讐心から解き放たれる日を待っていた。その日こそ、津雲川に勝ったあのときだったんだ」
雲に隠れていた月光がすがたを現す。青月の人間離れした端正な顔を照らした。
黒鋼は彼の変化に感嘆する。
「紗耶の死の悲しみからようやく、前に進んだな」
「ふふ、そうだね。それじゃあその歩みのお供になってくれるかい、黒鋼シュウ」
「もちろんだ、青月。――生きろよ」
生きろ。その言葉に頷かなかった。
まだその選択は、するべきではない。生か、死か。どちらになるかは、青月を作った張本人による。あの男に屈したとき、この身は不良品だのなんだのとレッテルを張られて、破壊されるだろう。だが、結末がどうなろうと知ったことではない。彼のなかでは〝生きたい〟という望みが、産声をあげ始めている――。
「……なんだ、霧か」
ふと、周囲が真っ白い霧に包まれた。武器を構えて敵襲に備える。
霧のなかから白い虎に乗った女が登場する。蜜月八羽だ。
「こんばんは。愉しいお話中にお邪魔して申し訳ありません」
甘くとろける音だ。聞き入れば骨抜きになりそうな妖艶なそれに、さっそく犠牲者が。
「ああ……綺麗だ」
黒鋼の呟きを聞き逃さなかった青月。正気に戻るよう、鳩尾を殴打する。
そのやりとりが面白かったのか、蜜月が控えめに笑った。優美なかんざしが輝く。
「なにをしにきた。異形を狩りにきたようには見えないけど」
孔雀の描かれた扇の先が、青月に向けられた。
「あなたとお話をしにきたのです。どうか、お時間を頂けませんか」
蜜月と青月のふたりは近くの公園に場所を移った。薄暗いなか、優雅な蜜月の立ち居振る舞いが際立つ。
扇を広げ口元を隠し、蜜月は口火を切った。
「津雲川からの言づてです。『お前の身体は師の懐にある』とのことです」
師の懐が示すのは、東堂がだれにも近づけさせていない神社。青月が生き返った、神社とは名ばかりの実験施設。オリジナルがまだ、そこに眠っている。
探す手間が省けた。そこがどこにあるのかわかっている。あとは行くのみ。
「俺からも言づてを頼むよ。一応礼は言っておくと伝えてください」
「いいですわ。一言一句、間違わず」
「そうだ。会ったついでだ、津雲川はまだ生きているのか?」
「ええ。ですが、彼には罰を受けてもらいますから、ここ十年は出てきませんよ」
化粧顔が笑む。
「ずぶとい人ですから、そのうち出てきますよ。では、これにて」
「待ってくれ。俺からも話がある」
踵を返しかけた蜜月を呼び止めた。
「芦木が言っていた、すべてお見通しだと。なら、東堂久々津のことも知っているんだろう」
「聞かせろ、ということですか。いいでしょう、あなたには期待していますから」
すり寄ってきた虎のあたまを撫でて、蜜月は語った。
「東堂久々津は、津雲川とナナシを利用してあなたを壊そうとしている。それはあなたも薄々気づいているのでは?」
「……そうだろうとは思っていた。確信はなかったけど」
「あのお方は少々あたまのネジが狂っていますからね、自分で作ったものを自分で壊したい性分なんですよ。いつまでも壊れない人形を見ているのは腹立たしいのでしょう」
「あの人がどういうあたまをしているのか、知りたくもないね」
「それには同感しますわ。――話を戻しましょう。実のところ、あのお方の思惑についてはあなたが死す前からこちらは知っていました。ですが、思惑を阻止することはしませんでした。件の者が現れるまで待て、と神流様の命を受けましたので」
「待っていて、俺が生き返り、津雲川と決着をつけたから今度はそっちが動き出す番だと?」
「ええ。まあ、こちらが動くにはあなたにひとつ、聞かねばならないことがあります。その返答次第です」
なにを聞こうというのか。青月は待った。
「あなたは東堂久々津を、どうするおつもりですか」
黒く澄んだ瞳と作られた瞳の視線が交じり合う。
「オリジナルがどこにあるのかわかった以上、俺は行かないといけない。そうすれば自ずとあの人が阻むだろうね。そのときは、俺の意思を示すまでだ」
だから、と口調を強めてさらに言う。
「邪魔だけはしないでくれ。もしもそうしようなら、貴様らを八つ裂きにしてあげる」
青月の返答に満足したのか、蜜月はゆっくりと頷いた。
「東堂久々津との決着を、愉しみにしております。もちろん、邪魔はしませんよ」
「なんだ、てっきり攫っていくのかと思ったんだけど」
冗談のつもりだった。返ってきた言葉は、
「組織と同志を汚した不届き者を連れていくなど、煩わしいわ」
妖艶な音にて紡がれた。身体の芯まで寒さが行き渡った。
ではでは、と蜜月が白い虎に乗って夜空へ去っていく。見届けたのち、公園を後にする。
東堂久々津は自身の思惑を成功させるために、津雲川の妹ナナシを異形化させて彼を従えさせた。逆らうことができなかった津雲川はナナシを守るため、青月を壊そうとする。思惑と目的を知った神道会側は、青月が生き返るのを待ち、東堂が本性を現すまで動かない計画を立てた。
これが復讐の背景だった。
だが、青月が復讐を別の形で果たしたことによって歯車が狂う。
青月という人形は壊れなかった。ナナシを生かし、津雲川を生かした。ふたりは今、神道会に捕えられている。使える駒がなくなった東堂が、どう動くのか。
「青月、なんの話だったんだ」
「俺の肉体の話。あるんだって、師匠の実験室に」
その実験室がどういった場所なのかを知る黒鋼は絶句する。
「あそこか。はは、灯台下暗しだな」
「そのようだね」
「……行くのか」
「行かないといけない」
「もうすぐでなにもかもにケリがつくわけか。いろいろあったな」
青月は花束を見、夜空を仰ぐ。これまでにあった出来事に思いをはせる。
「本当、いろいろあった。まさか、鈴がこっち側にくるなんてね」
この先の未来、愛する紗耶はいないだろう。
けれど、彼女が残した子がいる。あの子がいるのなら――。
「生きて、守っていくよ。見守っていてね、紗耶」
見上げた星たちが輝く。まるで、彼女が微笑むように。




