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怪物のいる街  作者: こうみ
戦えない
15/26

第一話

 黄昏時。純粋無垢な少女は問う。

「鬼さんは人を食べちゃうって、ほんと?」

 自分が口にしたことがどれほど残酷なことかは、おそらく少女は知らない。鬼もまた、残酷とは思ってもいなかった。鬼にとっては普通の食事にほかならないのだ。少女にとっても、知的好奇心から出た言葉である。

 百聞は一見に如かず。鬼は近くにいた小さな子供を鷲掴みにする。

 なにをするのかわからない少女はぼんやりと眺める。

 刹那――鬼は牙を光らせて、小さな子供の喉元に噛みついた。ぐしゅり。

 びたびたと液体が漏れ出た。びたびた、びたびた。

 鬼が美味でもない肉塊を食していると、少女が叫んだ。

 鬼は不思議に首を傾げた。彼女の問いに答えただけなのに、少女は泣いて、叫んで、〝食べないで〟と繰り返す。仕方なく、鬼は食べるのを止めました。

 少女は遠くへ走っていきました。

 鬼は寂しそうにその背を見つめて、山へ帰っていきました。

 ――これは遠い過去のこと。

 互いのなかで堅く閉ざされた、血塗られた記憶である。


     ×


 はっとしたときには、神社の石階段を上り切っていた。

 今、思い出しかけていた記憶はなんだったのだろう。

 日向はあたまに手を添えて、記憶の糸を辿った。けれど、正体は掴めなかった。

 祭りのあった神社にて、待ち合わせをした人物を探す。本殿前に目をやると、両手を合わせて祈りを捧げる鬼島幸介のすがたがあった。

「幸介くん!」

「やあ、日向」

 ふたりは本殿前の階段に腰を落ち着かせ、口を開く。

「律華の葬式が終わってすぐだけど、大丈夫だったかな?」

「うん、大丈夫。それで、話って」

 幸介は後ろに両手をついて、俯いた。

 厚く垂れ込めた雲から、ぽつぽつと雨粒が落ちてくる。

「きみが心配だ」

「私が? どうして」

「一番つらいのはきみだろう。目の前で、得体の知れない怪物に、親友を奪われたんだ」

「私なら平気。心配しないで」

「ならどうして、そんなにも辛い顔をしているんだい?」

 言われて、ゆっくりと両手を頬にあてがう。冷たい。ひんやりとしている。雨粒ではなくて、これは、これは、これは――。

 涙だ。自分は今、泣いている。

 自覚した日向は両手で顔を覆い、膝に顔を埋めた。声を殺し、言葉無き叫びをあげる。

 幸介は黙って、彼女の背をさすった。

 雨脚が強くなって、それから弱くなった頃、日向は顔をあげて涙を拭った。

「私、なにもできなかった。助けるって、救うって決めたはずなのに、ずっと、ずっと、守られてばっかり。戦わなくちゃ、いけないのに」

 あの決心は嘘だったのか、と自責の念に駆られる。

「……どうやらきみは、僕とは違う次元にいるみたいだね。得体の知れない怪物から救うなんて、まるでヒロインだ」

「私は、ヒロインなんかじゃないよ。戦う力なんてないし、親友を……律華を見殺しに」

 してしまった、よりも幸介が先を行く。

「律華は生きているよ」

 幸介は胸に手を当て、さらに続ける。

「たとえ姿かたちが見えなくても、僕たちが憶えている限り、名前を呼んでいる限り、人は生きているんだ。だからきっと、律華だって僕たちのことを忘れてはいないよ。きみと僕が忘れないでいるなら、律華だってそうさ。律華は、僕たちのなかで生き続けているよ」

 当たり前じゃない! 日向の耳の奥から、律華の声がした。

 生きている。生きているんだ。

 日向の暗澹たる思いが晴れていく。

「うん、そうだね。生きているんだ。だったら」

 ぱんぱん、と日向が自分の頬を叩く。

「いつまでもくよくよしていたらダメね。前に進まなくっちゃ」

 いつもの明るい彼女に戻ったのを見た幸介が、口元を緩めた。


     ×


 鈍った身体を動かすため、霧生は数日ぶりの外出をする。背に竹刀袋にしまわれた愛刀を携えて、雨上がりの晴れた空の下を歩く。賑々しい街を抜け、鬼たちのいる神社を訪れた。すると、先客がいることに気付く。日向ともうひとりだれかがいる。佇んでいると、木陰から腕を引っ張られる。なんだ、と思えば、大小様々な鬼たちがしーっと指を立てた。どうやら会話を盗み聞きしているようだ。霧生も木陰から耳を澄ます。

「そうだ、ずっと聞きたいことがあったんだ」

「なに?」

「きみは小さいときから得体の知れない存在が見えていたって、律華からよく聞いていたんだけど、本当かい?」

「うん。どうしてかはわからないんだけど、物心ついた頃から見えていたの」

「幽霊の類、なのかい?」

「うーんと、簡単に言えばそうかな。あ、でも私、霊感はないの」

「ふむ、そうか。あくまで僕の考えなんだけど、なにかきっかけがあったんじゃないのかい」

 きっかけ。その短い言葉が日向、そして霧生の心に響いた。

 霧生が鬼を見るようになったのは、友の死後、自身が怪物になりかけたときからだ。それまでは鬼なんて存在を認知しておらず、ただの怪談話、都市伝説と思い込んでいた。東堂曰く、鬼が見える人物に共通しているのは〝死〟。霧生の場合、友の死だ。日向も、目の前で友の死を目の当たりにした。だが、彼女はそれ以前から見えていた。なら、いつ、死を目にしたのか。

 悶々と霧生が思考を巡らせていると、日向が言った。

「きっかけって言われても、小さいときのことなんか、ほとんど憶えていないし。――そういえば、お母さんから聞いたことがある。私が小さいとき、一日中泣いていた日があって、大変だったって」

 怖い鬼さんがいた。怖い鬼さんが、友達を食べた。そう泣きじゃくっていたという。母親は〝また怖いものを見たのね〟とあやしたものの、幼き日向は泣き止まなかった。心配になった母親が、なにがあったのかと聞けば、怖い鬼さんがいた、としか言わなかった。

 日向の話を聞いていた霧生はふと、あることに気付く。

「怖い鬼、また……じゃあ日向は、生まれたときから鬼がいると知っていた?」

 鬼を認知できる者の共通点は〝死〟に関わっていることだ。だが、幼き日向をあやした母親は〝また〟と言った。友達が食べられた時点で見えていたことになる。ならば、それよりも以前から鬼の存在を知っていたと言えよう。つまり、生まれたそのときから、彼女は鬼を認知していた。なにかしらの〝死〟に関わっていた。

「なんで、そうなるんだ」

 霧生は腕を組み、あたまを捻る。すると、どうしてか東堂の顔が浮かんだ。

 ――「お前と同じように、大切なものを無くしたニンゲンを知っている」

 まだ霧生が東堂の下に来たばかりに呟かれた言葉だった。

 そのニンゲンが日向だとしたら?

「だとしたら……東堂さんが鬼? 天炉たちと同じ鬼だってことに、なるよな」

 そう考えれば辻褄が合ってしまう。

「なんで、辻褄が合うんだよ。あの人が鬼なわけ、ないだろ」

 あたまを掻き毟り、至った考えを振り払おうとする。しかし、思考の流れは停止しない。再び巡りはじめて、彼を悩ませた。

 初恋の思い人と東堂は遠い昔に出会っていた。

 少女は生まれたときから鬼の存在を知っていた。

 友達が食べられたのはおそらく、霧生が半人半鬼になったあとだろう。

 日向の話を順序立てて整理した霧生は屈んで、小枝を拾った。整理した事柄に加えて、今まで起こった出来事を文字にする。〝日向、鬼、会った〟〝半人半鬼になる前に〟〝青月、死んで生き返った、仇討ち〟〝津雲川、ナナシ守る〟〝ナナシ、異形、青月の敵〟〝師匠が鬼?〟

 簡略的にまとめて、それらをひとつに繋げる言葉を探す。やはりその最中でも、東堂の顔が横切った。なぜかはわからない。けれど、一番にしっくりくる。ゆっくりと、霧生は〝東堂〟というワードを組み込んでいく。

 日向と鬼である東堂が出会った。東堂は日向の友達を食べてみせた。それは、霧生が半人半鬼になる前――東堂と接触する前のことだった。

 青月はナナシに一度、殺された。そこへたまたま居合わせた東堂が、生き返らせた。そして仇討ちの機会を与えた。

 津雲川は青月を葬ろうとしていた。東堂が復活させた青月の仇討ちから、ナナシを守るために。そのナナシは幼い頃、鬼の力を手にする。のちに青月と接触し、喰い殺す。

 霧生は溜めた息を吐いた。慣れないことをしたせいか、あたまが重い。

「なんだあ、このしっくりくる感じは。師匠が黒幕みたいじゃないか、これ」

 すっかり日向と幸介がいることを忘れて、考えに耽る。届きかけていると感じて、小枝をいじりながら書いた文字を眺めた。

「にしても、滅鬼師の津雲川がなんで、半分鬼になったナナシを守っていたんだ? ナナシのほうも言うことは聞いていたみたいだったな。まさか、親子か兄妹だったりして。なんてな」

 霧生は立ち上がり、小枝を放り投げた。書いた文字の羅列を足で消す。

「やめだ、やめだ。これ以上考えたって、俺にはどれが正しいかわかんねえし。つうか、こういうのは青月に任せとけばいい」

 思考を停止させる。答えは得られなかったけれど、これまでの出来事の節々に東堂が関係しているかもしれない、とわかった。なぜ、どうしてなのか。引っかかりを感じてすっきりしない。日向の昔話からここまで広がるとは思いもよらなかった霧生は、ため息をつく。

「あれ、霧生?」

 突然名前を呼ばれて、びくりとする。振り向けば、幸介と別れた日向がいた。

「お、おう」

「ひとりでなにしていたの?」

 周囲にいた鬼たちはいつの間にか、いなくなっていた。

「いや、なんでもない。それより、お前こそなにしていたんだ」

「友達とちょっとね。あ、そうだ。霧生にお願いがあるの」

 ぐいと日向が身を寄せてきた。

「私を、強くしてほしいの! 戦い方を教えて」


     ×


 昔話を語った日向はそれから、幸介に言った。

「私、決めた。戦う。もう、守られてばかりの私とはおさらばよ」

 あたたかな陽射しが少女を輝かす。照らされたそのすがた、その瞳は、戦う乙女のそれだ。

 怯えを捨て、逃げるという選択肢を捨て、戦うことを誓った。

 ――この先、なにが起こるかも知らないまま。

「かっこいいね、それでこそヒロインだ。応援するよ」

 幸介からそんな言葉をかけられて、ぽっと頬を赤くする。

 その後、幸介と別れて、ばったり霧生と会って、勢いそのままに発する。

「私を、強くしてほしいの! 戦い方を教えて」

 急なことに状況が呑み込めない霧生はぽかんとした。わけを話すと、驚きと戸惑いの色を浮かべた。やはり断られてしまう、と残念がったときだ。彼が日向の手を握った。

「わかった。それなら俺より、良い人がいる」

 神社を離れて連れてこられたのは、暁華の隠れ家である。なかは広く開放的で、ある物はすべて武器や様々な情報が記されたたくさんの書物だ。修行ができるようにと、壁際にはいくつもの的が置かれている。

 隠れ家をはじめて訪れた日向はさっそく、あたまを下げ、暁華に頼み込む。

「お願いします。私に、戦う力をください」

 だが、

「すまない、断らせてほしい」

 即拒否されてしまった。

 日向は引き下がることなく、粘った。

「お願いします、暁華さん」

「しかしだな……。どうして戦おうなんて思ったんだ」

「私はもう、守られるのは嫌なんです。これからは戦って、怪物に縛られている人たちを守りたいんです」

 すると暁華の視線が鋭くなった。覚悟があるのか否かを確かめているのだろう。

 しんと静かになり、緊迫した空気が漂う。暁華と日向は見つめ合ったまま動かない。事の顛末がどうなるか、霧生はひやひやしながらそのときを待つ。

 しばし経ってからだ。暁華がにこりとする。

「生半可な気持ちではないようだな。覚悟がある者の目だ」

 日向の顔がぱっと明るくなる。

「きみに、戦い方を伝授しよう」

「ありがとうございます!」

 ほっと胸を撫で下ろす。ふと、思ったことを口にする。

「でも私、武器なんて持っていない。どうしたら……」

「日向、勘違いしてはいけない。武器を以て戦うことがすべてではない。時には言葉で、相手を説き伏せることも重要だ。自信と強い意思があれば、きみにだってできる」

 日向の脳裏にナナシの虚ろな顔がよぎった。彼女にも届くだろうか?

「でもよ、暁華さん。さすがに装備無しじゃ可哀想だ。なにか護身用に教えられないか」

「ふむ、それもそうだな。だったら、式札が良いかもしれない」

 器用に指で挟み、一枚の式札を見せた。

 まじまじと凝視する。特になんの変哲もない紙切れである。こんなものが護身用の武器になるのか、と訝しむ。

「日向、これはこう使うんだ」

 暁華が実際に扱ってみせた。

 荒ぶる魂よ、鎮まれ。

 しゅを詠唱する。霧生が苦悶の表情を浮かべ、膝をついた。

 開いた口が塞がらない日向に、暁華は式札を握らせる。

「今私が唱えたのは、怪物を落ち着かせたり、動けなくしたりする。呪さえ憶えてしまえば、日向も同じことができる。ちなみに霧生が苦しんでいるのは、彼のなかに鬼の力があるからなんだ。彼のように半人半鬼、異形になりかけた人間にも力が働く」

「は、はあ」

「あ、暁……華さん、無理、くるし……」

「おっと、すまない」

 呪から解放された霧生は咳き込み、その場に座った。

「呪の力がなくなるパターンはふたつ。自分から解くか、相手が無理矢理解いてくるかだ。前者の場合、式札から意識を逸らせばいい。後者の場合は、自分の命を最優先に考えて逃げることだ。わかったか?」

 こくりと頷く。

「よし。これからは毎日二時間、呪を使う特訓だ。実験台には、霧生とそこらにいる鬼たちになってもらおう」

「俺かよ!? 勘弁してくれよ、暁華さん」

「仕方なかろう、異形を直接相手にするわけにはいかない」

「鬼だけでいいだろう。実験台なんて御免だ」

 そう言い張る霧生は、隣で日向が呪を詠唱したことに気付かず、不意打ちを食らう。

「おお、よくできたな、日向」

「はい!」

「ふ、不意打ちは……よしてくれよぉ」

 日向に見込みありと見た暁華はさっそく、特訓を開始する。

 捕まえてきた鬼たちが逃げないよう、予め隠れ家に結界を設けた。曰く、結界があるのでだれも近づけないので邪魔が入ることはない。そのなかにて、暁華のスパルタじみた特訓が行われるのだった。

 呪を詠唱して対象を結界に閉じ込める。聞くだけならばごく単純なことだ。しかし、並々ならぬ集中力が必要とされる。わずかでも集中力が途切れ、結界に綻びが生じてはいけない。さらに対象がじっとしているのは稀ゆえ、簡単ではない。

 結界を張る難しさを痛感した日向は歯を食いしばり、集中力を研ぎ澄ます。だが、彼女の生む結界は持って数秒が限界だった。

「うむ。最初はこんなところだろう」

 暁華がストップをかける。くらりとあたまが揺れて、膝をつく。息があがり、心臓がはち切れそうな勢いで鼓動する。俯けば汗が滴り落ちた。汗を拭い、日向は真ん中にいる鬼へ目をやる。結界に封じられる時間が短いためか、元気に動き回っていた。

「少しずつ伸びてきているから、続けていけば滅鬼師たちと大差ないだろう」

「わかり、ました」

 呼吸を整えて立つ。式札を握り、意識を向ける。対象の鬼が結界に封じられた。出よう、出ようともがく鬼に負けじと踏ん張る。

 ふと、鬼とナナシとが重なった。もしもナナシをこの結界に封じたなら、どうなる? 先の霧生と同じく、苦しむ。そのすがたに耐えられるのか。否、否、

「そんなの、ダメ……」

 式札を持つ手が下りていく。それに伴って結界が緩んでいった。

「日向、しっかりしろ!」

 呼ばれて、はっと我に返った。すると結界が壊れて、鬼が飛び出してくる。驚いた日向は尻餅をついた。腹の上で小さな鬼がけらけらと笑って面白がっている。

 鬼をひょいと摘み上げた暁華が言った。

「もしもこれが異形だったら、きみは死んでいた」

「はい……すみませんでした」

「謝ることじゃないさ。さて、少し休憩しようか」

 暁華の手を借りて立ち上がった日向は、改めて実感した。

 戦うこととは、死と恐怖があり、覚悟がなければ相手と対峙することさえ不可能だ。

「大丈夫。私はもう逃げたりなんかしない。戦うって決めたんだから」

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