第四話
青月たちは一旦、東堂の店に戻っていた。開口一番に東堂が、津雲川が京都へ向かったはずだとみなに告げた。
「あいつの行く先がわかってんなら、今からでも追いかけて」
「急ぐ気持ちはわかる。だが、今は落ち着け」
霧生は渋々口を閉じた。
次に口を開いたのは、暁華だった。
「東堂師はわかっているんですか、日向がなんで攫われたのか。しかもいきなり」
東堂は椅子に腰を落ち着かせて、煙管を吸う。ゆっくりと紫煙を吐きながら続けた。
「そうさな、決着をつけたいがため、青月を誘い出すつもりなんだろう」
煙管の先が青月に向けられた。青月は納得した顔になった。
「なんで青月なんだ?」霧生が首を傾げた。
「あのナナシとかいう異形が、関係しているのかもしれんな。人の傍に在って人の言葉を聞くあの子に、津雲川が特別な感情を懐いている――例えばまもりたいといったものだとして、それに刃を向けるは青月だ。向こうからすれば、厄介者だ。なにせ、仇にされているんだからな」
仇にされている。否、そうさせたのはそちらだ。青月は目を伏せる。
「ちょっと待ってくれ。青月は仇を討つためにあいつと戦っていて、あいつはナナシを守るために戦っていることになるのか。……俺が思っていたのとは違う。津雲川が青月に仇を討たせることをしたのならともかく、ナナシを守ろうとしているだぁ? これじゃあまるで、だれかがこうなるよう仕組んでいるように聞こえるぜ」
霧生のあたまが冴えているのか、いつもより饒舌だった。そして、青月にひとつ、謎を残した。だれかが仕組んだ。まさか、そんなことがあるのか? 謎を解こうと思考を巡らせる。すると、東堂の言葉がそれを遮った。
「戦いの形がどうであれ、津雲川のやっていることは杞憂に終わるだろうな」
その意味がわかる青月は唇の端を歪めた。
「でしょうね。俺はもう人間じゃあない。ただ心臓一突きで終わるならもうとっくに俺自身がそうしている。だけど、それはできない。なぜか。人じゃないから」
「待て、待て。お前、なに言っているんだ。人じゃないって、どういうことだよ」
「あー、お前は知らなかったな、青月のこと」
霧生は青月のほうへ視線を投げ、説明しろと促す。
「ヨウスケくんは知らないのも無理はないよ、あのときは気絶していたんだし。――一度死んだ肉体の部位と師匠の人形を作る腕を使ってこうして生きているんだ。壊されても、師匠さえいれば俺は何度も目を開けるよ」
信じられない、霧生はそんな顔をする。
「壊れたものは、直せばいいんだからね」
艶めかしい唇に笑みを含む。
「俺が死ぬには、師匠がひた隠している俺のオリジナルを壊すところからしないといけないんだよ。わかる?」
笑ってはいるものの、冷たい目が霧生を射抜く。
「……オリジナルとお前が、どう関係するんだよ?」
「言っただろう。肉体の部位……一部が使われている――どうやって使われているかは俺も定かじゃないよ。どこかに肉体があるのなら、また――」
「オリジナルの肉体を使うか、オリジナルとそっくりなものを作る」
東堂が青月の言葉に続く。
「物を作るというのは、あたまの中にイメージするか見本を真似ながらするものだ。つまり、青月の本物の肉体がある限り、見本を真似て作り直せばいいのさ。まあなくなったところで、私のここに入っているがな」
東堂が煙管の先で自分のあたまを軽く叩いた。それを見た青月は、目を逸らす。
一方話を聞いた霧生はというと、あたまが混乱しているのが顔に出ていた。
「じゃあなんだ。お前はいくら壊れても師匠に作り直してもらえばいい。死ぬには、オリジナルと師匠をなんとかしなきゃいけないってことか。なんだよ、わっけわかんねえ!」
霧生が髪を掻き毟った。
「動かなくなったらそれまでってことだよ」
青月は微妙な笑みを浮かべる。よく、すらすらと言えたものだ。そうなることを恐れているというのに。
ある日ぷつりと糸が切れて、人形が動かなくなるように、ある日突然、この手足が、この口が、目が停止する。そのときは〝死〟ではなくて〝壊れる〟。それが最期だろうと青月は予想する。最期が訪れれば、フィアンセのもとへ行ける。だが――。
「よく、平気でそんなことが言えるな。本心は違うだろう、青月」
黒鋼の低い声が芯に響く。眉根を寄せて険しい顔が視界の端に入る。
本心。壊れたくはない。本心と目的が異なることが、黒鋼には見抜かれていた。
剣呑な空気が漂うと、東堂が煙管で机上を叩く。
「話は終わりだ。日向を助けにいくのは明日の夜としよう。結い繋ぎの橋が結べるのは夜だけだからな。みな、今晩はゆっくり休め」
×
結い繋ぎの橋とは、各地にある神社と神社にかかる橋のことだ。祀られている眷属が番人となって守護しており、許しがあると通ることが可能だ。無数の鳥居が並び立ち、曲がり角にはかがり火がある。古びた看板には行き先が刻まれている。
薄暗い橋の上を、両手を拘束された日向と津雲川が歩く。最中、津雲川の口から霧生と同じく、青月の正体を聞かされていた。
「どこかにある人間の身体がある限り、東堂さんがいる限り、あの人は蘇る……。なんだか、違う次元の話を聞いているみたいです。青月さんはなんのために、その道を選んだんですか」
「ひとつは、フィアンセの仇討ち。もうひとつは、死だ。目的を果たしたのち、潔く散るつもりなんだろうが……彼奴は、長く生きすぎた。そのせいで、死を恐れるようになった」
「目的と、本音とが違う……矛盾している」
「そうだとも。青月は知ってしまったんだ。死者はいずれ、生者の記憶から薄れていく。名を呼ばれず、存在を忘れ去られるのが怖くなったのだ、あいつは」
ふいに、日向は歩を止めた。そして、思ったことを口にする。
「あの人は、純粋なんだ。失うのが怖くて、忘れられるのが嫌で、もがいている。そして、私と同じ。臆病なんだ。だから、矛盾したんだ。まだ青月さんは、生きようとしているんだ」
津雲川は無言のまま、その先に耳を傾ける。
「青月さんは死を恐れているんじゃない。死ねないとわかったから、恐れているんだ。愛している人の傍にいたかった。蘇ったことで仇討ちのチャンスを得たけど、同時に不死身の身体になったから、フィアンセのいない世界を生きることになった。それに耐えられなくて、目的のなかに死がある。でも、あの人の身体が人じゃないから、矛盾したんだ」
一本一本の糸を繋げていくように、言葉を発する。
「だれだって死は怖い。青月さんだってそう。本当は生きたいはず。だけど、愛した人はいないからどう生きたらいいかわからないんだ。わからないから、仇討ちを考えた。そして、今に繋がる」
ばらばらだった糸がきれいに結びつく。そこではっとした。
「あれ、私、なに言ってるんだろ」
「無意識か。だが、お前の言うことは正しいだろうな」
それだけ言って津雲川は歩を進めた。つられて、日向の腕が引っ張られる。彼女も再び歩きはじめた。さきの自身の発言に驚き、唇に手を添える。ひとつを発した途端、次々に言葉が現れた。一本になるとわかり、知らず知らずのうちに続けていた。ここにいない青月の心を読むように。
彼女冴えたあたまが、津雲川へ詰問した。
「青月さんは、いつ、ナナシに襲われたんですか?」
津雲川はこちらに視線だけを向け、正面に向き直る。
「十五年前だ」
「十五……私が産まれたとき?」
偶然か否か、首を傾げる。津雲川にぐいと拘束された手を引かれ、思考を遮断された。
慣れない橋を渡る。終始沈黙なため、気まずい。
妙にあたまが働き、日向は思考する。
青月は仇討ちをしようとしている。
津雲川はナナシの兄で、妹のナナシを殺させないために戦っている。
だから、ふたりはぶつかっている。
すっきりしない。なんだろう、この感覚は。
津雲川が因縁めいた感情で――例えば憎いなどで青月と対立しているのなら、わかる。現実はそうではない。ナナシを守ろうとしている。まるで青月のことは二の次だ。そうなるのはどうしてだろうか。
「……まさか、小説とかみたいに、黒幕がいたりするのかな。真犯人、みたいな」
「なにをぶつぶつ言っている。もうすぐだぞ」
津雲川はまじまじと日向を見下ろした。
「なによ」
「友を失ったばかりだというのに、その小さいあたまはずいぶんと働いているようだな」
わずかに目を潤ませながら、言った。
「考えていなきゃ、泣いちゃう。そんなの、私の友達は見たくないだろうし、あなたに見せたくない。だから、泣いたりなんかしない。あなたの前では、絶対に」
きゅっと拳を握り、津雲川を見上げる。
「私をどうするかは知らない。でも、あなたには屈しないわ!」
その眼差しに、津雲川は真摯な顔つきになった。
「――父親とは大違いだな。強い小娘だ」
とても小さな声だった。最後のほうだけ、日向に聞こえていた。
しばらくしたときだ。橋の終わりが眩しく光る。とうとう、京都に来たのだ。
すると、津雲川が振り返った。
「お前、両親の顔を憶えているか?」
日向のあたまに疑問符が出る。
「その様子では憶えてないようだな。……奴も悲しいな」
ぽかんとすると、ぐいと手が引っ張られた。
結い繋ぎの橋から、京都の地に立つ。眼下の景色が京都とわかるまで時間は割かなかった。
日向は背後の閉じられていく本殿の扉を見た。
「あっという間に、来ちゃった」
彼女の横で津雲川が、鳥の式神を出現させた。
「いくぞ」
また空を飛ぶ。すぐに壮大な紅い門が目に飛び込んできた。
ふたりは門前に降り立った。
捕まる。その実感が日向を襲う。
門が軋みながら開放される。後ろの街並みとは別次元の世界が奥に広がっていた。伸びる道の先には、和風の屋敷が並び、整えられた庭があり、現代とは違った雰囲気があった。外の世界から隔離された小さな都と言えよう。静かで豊かな時間が流れている。
津雲川は足早に中心へ進む。一際大きな建物が鎮座しており、絢爛豪華な装飾が一層目を引く。神道会の本部である。
ほう、と目を奪われている一瞬だった。
「見惚れているところ悪いが、ここから先は見せられんよ」
首筋に衝撃が走った。――暗転。
×
美月紗耶は、青月のフィアンセだ。だれにでも優しく、だれにでも笑顔を振る舞った。そんな彼女を、青月は愛する。華奢な身体つきで無邪気な子供のようにはしゃぐ彼女を好いた。
「ねえ、**」
紗耶が青月の名前を呼ぶ。
「私たちの子供、なんて名前にする?」
愛おしい彼女の声は、とても柔らかい。
「俺は紗耶に任せるよ。きみが好きなように決めていい」
「そんなの、不公平よ。私だけが決めるなんて、できない」
「そう言われるとは思わなかったな。でも、俺はなにも考えていないから、どうしたものかな」
「あ、じゃあ――」
靴音がした。青月は過去に思い耽るのをやめ、吐息を漏らす。
「武器も持たずにうろつくと、鬼か異形に喰われるぞ」
渋い声でだれなのかはっきりする。振り向くことはしなかった。
大通りから離れた路地は、人気がまばらである。丁字路の坂道の前には街灯があり、その下にはわずかな花が束ねられた花束がある。青月が置いたのだ。
ここは、青月と紗耶、ナナシが邂逅した場所である。
「なにをしていた」
ふたりは互いの横顔をちらりと見た。
「命日だからね、今日は。彼女と、俺の」
自嘲交じりに自身を付け足す。黒鋼がよろしくない色になるのがわかった。
「……お前、仇を討ったらそのあとはどうするんだ」
「考えたことがないから、さっぱり。そうだね、望んでもいいなら、自分の本当の身体を探すよ。ナナシを倒せたらの話だけど」
「探して、見つかったら」
「生きるのか、壊れるのか、決まるだろうね」
花束に背を向け、星空を仰ぐ。
「復讐だけでここまで来たんだ。きっと、最期はとても惨めなのかもしれない」
黒鋼が彼の作られた背を凝視し、返す。
「お前は生きる」
はっきりと放たれた。青月は首を傾げた。
「どうしてそう言えるんだい」
「お前が臆病だからだ」
反射的に黒鋼のほうを振り返り、鋭い眼光でねめつける。
それに動じることなく、黒鋼は言った。
「師匠の話を聞いてから、やっと引っかかりがなくなった。お前の身体は俺たちとは違う。師匠に直してもらうことで何度も蘇る。それじゃあ、紗耶のところへはいけない」
言うが早いか、青月は黒鋼を街灯にぶつけ、胸倉を掴んだ。
その反応で確信を得た黒鋼はさらに言う。
「――復讐する好機を得た代わりに、お前は不死身になった。そうなったお前の隣に、紗耶はいない。彼女のいない世界は、お前にとっては残酷だったんじゃないのか」
掴む手が震える。顔を上げない青月を、黒鋼は見下ろした。
沈黙ののち、青月は長く蓋をしてきた心の奥底に眠る偽らざる思いを起こす。
「……あのまま死を迎えていれば、こんなことにならなかった。運命は、俺を生かしたんだ。師匠があそこに居て、俺を助けて、復讐する機会を与えてくれた。だけど、紗耶は死んだ。もうどこにもいない。耐えられなかった。紗耶を失ったことが、紗耶を忘れていくのが、恐ろしかった」
青月は掴んでいた手を放した。その手を自身の胸にあてがう。
「ここを何度も刺した。でも、師匠がいる限り蘇ると知った」
「そこから、矛盾したのか」
「そう、死にたがりの矛盾が生まれた。死よりも、死ねないことが俺を苦しめた。どう足掻いてもこの残酷な世界で生きるしかない。だけど俺はひとりだ。ひとりが嫌であんな人形を作った。彼女の死を忘れないために復讐を選んだ。次は……身体を探して、師匠をどうにかして、死ぬ。これで俺の目的は達成だ」
蓋を開けた胸の内を、すべて明かした。重荷がなくなり、すっと軽くなった。もしも目が本物だったなら、落涙していただろう。青月は作られた目を閉じ、わずかに笑んだ。
黒鋼が無骨な手で青月のあたまを乱暴に撫でた。
「なっ! ちょっと、なにするんだ」
「おめえは、ひとりじゃねえだろう、が!」
ぱん、と軽く青月のあたまを叩いた。さらに、目をぱちくりさせる青月に言った。
「お前には、鈴がいるだろう。あいつを置いて先に逝くのか」
日向鈴。
「それに、俺と暁華、霧生、師匠がいる。もうお前は、ひとりなんかじゃない」
みんな。
――埋まらなかった心の一部が満たされる感覚が、胸いっぱいに広がった。
「そうだね。俺には仲間がいる。愛娘がいる。鈴を置いてはいけない」
青月は吹っ切れた。そして、確固たる意思を告げた。
「幾度生き返ろうと、幾度こときれようと、俺は愛する紗耶を片時も忘れない。彼女の意思を継ぐ者として、鈴の父親として、前へ進むよ」
曇りのない瞳が黒鋼を見据えた。
「紗耶の意思ってのは、なんだ」
「俺と彼女が愛する娘を、この身が壊れようともすべての悪から守り抜く。決して傍を離れずに、鈴に幸福を与える」
彼の曇のない瞳を、黒鋼は見つめた。
「お前と紗耶の意思、しかと聞き届けた」
にっかりと笑んだ黒鋼が拳を前に出す。
その拳に、青月も拳を作ってあてがった。
彼の薄れていた覚悟が、静かに蘇ろうとしていた。




