第三話
祭りが終わり、神社は閑散とする。明かりもなく、人もない。月が真上から傾き始めた深夜の時刻。そこに二つの影あり。
「津雲川様、なぜここに? ここにいた異形は、すでに何者かが退治しました」
秋が問いかける。
「その異形が喰ったのはあの小娘の友人だ。ならば、あやつに負の感情があってもおかしくはないだろう?」
企みある怪しげな目で、津雲川がけたけたと笑った。
「……なにか、企んでいるんですか、津雲川様」
人の心に負の感情があれば、それを好む鬼どもが寄りつく。そして、人は怪物になる。
それが秋の仕える男の目的だというなら、なんのためなのか。それは彼のみぞ知る。
「八羽が、お前に俺を監視するよう言いつけたらしいな」
「……隠しても仕方ないようですね。はい。おっしゃる通りでございます」
「ならば報告しておけ。『組織には無関係。これは俺ひとりのこと、邪魔をするな』とな」
「一言一句、正しくお伝えします。――あなたは、変わられた」
話は済んだ、とばかり津雲川は神社へ向かった。
「あのナナシという異形に会ってから、あなたは変わられた。なぜですか。以前のあなたならみなに怪しまれるようなことは――」
無言。津雲川はなにも言っていない。だが、ただならぬ殺気を感じた秋は、口を閉じた。
「お前の目にはそう見えるか。ただ傍にいるだけ、ではないようだな」
ゆっくりと、津雲川が振り返った。
「だが、俺には関わるな。ただ監視だけをしていろ。それ以上のことはするな」
我慢の限界。秋は心に留めていたものをぶつけた。
「なぜですか。組織を裏切るおつもりですか! そんなの……あなたじゃない。あのナナシという少女が関係しているんですか。僕の目が節穴でなければ、あの子はあなたの――」
「黙れ」
凄みのある音に遮られる。
「……はい」
津雲川がコートを翻して歩を進めた。
秋は胸中にて小さくため息をついたのち、津雲川を監視する任に戻った。
×
青月、日向、霧生、東堂、黒鋼が人形の展示会場に顔を揃えた。幸介はすでに神社から去っている。彼らに、重苦しい空気が漂っていた。
事情を聞いた黒鋼が、眉間に皺を作る。
「なるほど。しかし、なぜ襲われたんだ?」
「私もわからん。偶然なのは確かだろう。不幸、としかいいようがない」
沈んだ面持ちのままでいる日向に視線が集まる。青月はじっと、顔を上げない彼女を見つめた。もっと早く気づいていれば、彼女は傷つかずに済んだはずだ。なにをしていたのだ、と青月は己をひたむきに責め続けた。整った顔が、みるみる怒りを張り付けていく。
「なあ、思うんだけどよ」
しばしの沈黙を破ったのは霧生だ。
「これを津雲川が黙って見過ごすとは思えねえんだけど」
「なら、狙われるとすれば……」黒鋼が日向を一瞥する。
青月も霧生と同じことを思っていた。津雲川が、友人を亡くし悲しみに暮れる日向を逃すはずがない。負の感情は、異形の大好物である。ナナシに日向を喰わせ、異形化させるということをしかねない。なんのためかは、定かではない。
「俺を苦しめるつもりなんだろうけどね……」
ぼそっと、青月が唇に笑みを含んで独り言を漏らした。
ケースを肩にかけ、飾られている人形に見送られながら外へ出る。
「おい青月、どこにいく?」
青月はひらひらと手を振り、月光の下に足を踏み入れた。
空を仰ぎ、津雲川を睨んだ。
「どうだ、愛娘が辛い顔をしているのは」
「ああ、悲しいよ」
ケースを乱暴に置き、人形を出現させた。刃を持たせ、津雲川に向ける。
「やる気か。相手をしにきたつもりはないんだがな」
津雲川が指を鳴らす。それと同時にナナシが前へ出て、腕を変形させた。
「……」
「怖い顔をするな、青月。今日があの女の命日であることぐらいは重々に承知しているさ。そうだな、今日という日にナナシを殺せたのなら、さぞ気分がいいだろう」
青月は俊敏な手さばきで人形を操る。
ナナシも地を蹴り刃と交えた。
何度も鳴り渡る金属音と飛び散る火花。お互いが力任せにぶつかり合った。五分五分の戦いがしばらくの間続く。異形の雄叫びと物言わぬ人形の目が交わる。
「くっそ」
拮抗だが、わずかにナナシの力が上をいく。人形から伝わる振動に青月の手が震えた。けれど、退かずに粘り続ける。
――そのときだった。
大きく響いた金属音。
ナナシがついに人形の刃を捉えた。いとも簡単に刃を折り、人形を掴む。
「いいぞ。そのまま壊してしまえ」
木が軋む音と共に人形にひびが入る。苦しそうにもがくも抜け出せない。
壊れる――焦りが生じた刹那、一発の銃弾がナナシの頑丈な腕を抉った。
「青月!」
黒鋼と霧生のふたりが加勢する。
「危なかったな。来て正解だったぜ」
「なんできたんだ」
「加勢にきたってのに、その態度はねえだろ」霧生が言った。
「……ふん」
銃弾を浴びたナナシが怯んだのも束の間である。開いた穴はゆっくりと塞がっていく。ナナシは人形を放り投げたと同時に跳躍した。交えたのは霧生だ。
「あのときはよくもやってくれたな。おら、ついてこいよ」
霧生とナナシが別の場所へ移った。交戦の音が遠のいていく。
「さてと、残るはあんただけだ、津雲川。滅鬼師らしくねえあんたを倒すぜ」
「ふっははは。私とやろうというのかね、暑苦しい奴め」
「数は、こっちの方が上だ。んじゃま、いっちょ死んでくれや」
黒鋼が引き金を引き、連射する。青月もそれに続く。
津雲川に刃と銃弾が迫る。しかしそれは、一羽の鳥の翼によって妨害された。純白の翼が津雲川を包む。
「……式神か」
一羽の純白な鳥だけではない。さらに三尾の狐もいる。
「いけ」
津雲川の指示を合図に式神である鳥と狐が飛び出す。
青月は狐と対峙した。狐は低い姿勢を取った瞬間――目にも止まらない速さで人形の前に現れる。三尾を振るって人形を叩き付ける。
人形はバランスを崩されるも刃でそれを受け止めた。空いた手で狐の尻尾を握り締める。そして、口を開きそこから鋭利で細い刃物を相手の脳めがけ飛ばす。狐の脳天は破れ散り、そのまま式神は霧散する。
青月にとって式神など相手にもならない。今は一刻も早くあの異形を倒したくてしかたがなかった。閉じ込めていた復讐心が、殻を破ろうと蠢動する。
黒鋼も早々に決着をつけた。状況は、青月と黒鋼に優勢が傾く。
「さあどうする。雑魚相手じゃ俺たちには勝てないぜ」
「だろうな。しかし、本当の狙いはお前たちではないんでね」
津雲川が呪を唱えると突風が吹く。青月と黒鋼の間を吹き抜ける。
閉じていた目を開けると、津雲川のすがたはなかった。
「あいつ、どこにいきやがった? まさか、日向目当てか」
「だろうね。いくよ」
二人が会場へ引き返そうとする。けれど、そこへ新たな人影が立ちふさがった。
「津雲川様のところへは、いかせません」
月光に反射して輝く狩衣を着る秋が、臨戦態勢に入る。
「きみか。どいてくれ、俺たちは津雲川を追っているんだ」
「退けといわれて、退く僕ではありませんよ。いきたかったら、僕をた――」
秋が言葉を詰まらせた。彼のの首筋に刃が立てられた。
「じゃあその首を撥ねればいいんだね。わかったよ、やるから動かないでいてね。俺、案外不器用だからさ」
黒鋼の横に立つ青月の口から、絶対零度の如く冷たい声が発せられる。
「青月……お前、怒ってんのか」
「当たり前じゃないか。邪魔するならその身体を人形にして飾ってもいいよ」
「――ふざけたことを! 斬り刻め、光鉄の刃!」
風が刃を突き上げる。秋と人形は距離を取った。
青月は、今の自分は冷静ではないと思うのだった。落ち着こうとするも、今霧生と交えているナナシが脳裏をよぎり、怒りと復讐が燃え滾るのだ。
「さっさとお前を殺って、あいつを八つ裂きにしたいよ」
「青月、いつもの冷静さはどこにいった? 今はあいつをどうにかすることだけを――」
「ああ、わかっているよ。でも、今は冷静でいられないんだ。やり過ぎたら止めてね、黒鋼」
青月は一歩前に出て、両手の指を滑らかに動かす。指示を聞いた人形がぴくりと反応した。両手を広げ、掌から刃を取り出す。さらに口からも刃を出現させて口に加えた。体勢を低くして、秋の急所を狙って疾走する。
「このっ」
秋は人形の連撃を交わす。反撃をするが、傀儡は破損してもまた再生する。
青月の攻めの手は緩むどころか増していった。しかし、冷静さを失っているためか、空振りするばかりだ。
秋とて同じ。妖気にて迎撃を繰り返すものの、ひとつも当たらない。
互いの力が相殺し合う。両者の手が止まったのは、息が乱れはじめたときだった。
「おい、いい加減やられてよね」
「そちらこそ。早く退いたほうが身のためだ。長く続けば、日向鈴の身になにが起こるかわかりませんよ」
我が愛娘になにをするか、不届き者め。
青月はそう叫ぶのを抑えた。今は少しでも冷静を保たなければいけない。
「青月、安倍の言っていることは本当だ。このままここでくすぶっていたら、津雲川がなにをするかわからない。ここは一旦退こう。あんたもそれでいいよな?」
「いいでしょう。もう時間稼ぎは充分のはずです。僕は退きますよ、それでは」
安倍は風に包まれすがたを消す。やっと静寂が流れ始めた。
青月は肩の力を抜き、盛大に舌打ちをした。
「おーこっわ。相当怒ってんな、青月」
「当たり前じゃないか。……でも、きみが止めてくれなかったらなにをしていたか、わからないよ。一応、感謝はする」
「一応ってなんだよ、一応って」
「一応は一応だよ。早く師匠のところへ行こう」
「霧生の奴も気になるが、優先すべきはそっちだな」
会場に引き返す。急いで扉を開け、中に駆け込んだ。
「師匠! 日向!」
そこには、片腕を抱える東堂がいた。しかし肝心の日向のすがたはなかった。そのことに焦りを感じた青月は、東堂に問うた。
「師匠、日向は?」
「すまない。やられた。津雲川が連れ去っていったよ」
「なに……」
ぎちりと音を立てて歯軋りをする。拳を握り、壁を殴る。
怒りを露わにする青月を黒鋼が、肩を叩いて宥めた。
青月は短く息を吐く。髪を掻きあげ、沸騰したあたまを落ち着かせる。
「あなたがいながら、鈴が連れていかれた。なぜです?」
「すまない。油断した。あいつがまさか、直接彼女を襲うとは、予想外だった」
熱がおさまったあたまは東堂の言を疑った。
東堂久々津は元滅鬼師であり、神道会の実力者。そんな彼が、果たして敵に隙を与えるのだろうか。いるとわかっているなら、くると知っているなら、わざわざ対峙するだろうか。勝算があったのか、あるいは本当に隙を突かれたのか。それとも――。
「なら、助けにいかねえとな」
入口にもたれかかっている霧生がそう言った。土まみれになっているところから、ナナシとの交戦が激しかったことが伝わってくる。
「まだそう遠くにはいってねえだろ。なら、俺が追いかけて」
「おい霧生、落ち着けって。そんなぼろぼろで疲れ切ったお前がいっても返り討ちになるだけだ。今はじっくり休むべきだろう」
「その休んでいる間に日向になにかあったらどうするんですか」
「だがな――」
ぱちんと、乾いた音が黒鋼の言葉を遮った。東堂が手を叩き、二人の口論を止める。
「まずはみな、落ち着け。考えるものも考えられない。話は私の店に戻ってからだ」
×
秋と青月が交戦中の時まで遡る。
瞬きする暇もなく、津雲川に捕えられた。神社を抜け出したところで気を失う。次に目が覚めたのは、彼女の住む街の上空を飛ぶ鳥――津雲川の式神の背の上だった。起き上がり、真下を眺める。その高さに身が竦んだ。
「やっと気がついたか、小娘」
日向はとっさに身を退き、津雲川をきっと睨む。
津雲川は彼女に向き直り、胡坐をかく。
「なにもせんよ。憔悴しきったお前なんぞ、興味もない」
「ないのならどうして、私を連れ去ったんですか。私をどうする気? あのナナシって異形に喰わせて、異形にするんでしょう?」
「お前はあいつをその気にさせる餌にすぎんよ。ナナシに喰わせるのもいいだろう。が、正気のない人形なんぞただの木偶の坊。斬るのも億劫だ。安心しろ、お前をあいつに喰わせるつもりはない」
日向はおそるおそる、彼に問いを投げた。
「教えて。私は、あなたがなにをしたいのかわからない。ただ青月さんが気に入らないのならここまでしないはず。わざわざ異形なんてつれて、たくさんの人を殺めて……目的を教えて、いいえ、言いなさい!」
自身でも驚くほど声が張る。羞恥はなかった。真実を知りたい欲が勝った。
津雲川はほう、と感心した。
「友が死に、意気消沈していたのが嘘のような物言いだな」
友の死――泉田律華の死がよぎったが、眉間を寄せて追い払う。
「今にも泣きだしそうな顔だぞ、小娘。強がりはよせ」
「私のことはいい。はやく、話してよ」
津雲川の表情が少しだけ緩む。
「――いいだろう、話をしよう。本部までは長い。お前の気晴らしにもなろう」
それから津雲川が、淡々と語り、真実を彼女に伝える。
「はじめに言っておくとだな、ナナシは俺の妹だ」
「妹、ですって」
「ああ。十歳のおり、異形になった」
異形化したものは、その年齢で成長が停止する。そのことを霧生から聞いていた日向は、驚愕と悲しみの色を浮かべた。なぜそうなったのか、と言うと、津雲川はそれについては話せないとかぶりを振った。
鬼が云々ではなさそう――日向はそう思いつつ、続きに心耳を澄ます。
「俺は妹を利用し、人を殺めてきた。そして今、お前を攫って、あいつを釣る餌にしている。――もともと、こんなことをする性分ではない。だが、やらなければならんのだ。後戻りできないところまできてしまった。あいつとは、正々堂々と戦いたかったな」
正々堂々と。津雲川の口から出た言葉に、彼を見る目が変化する。
この男は本当に、敵だろうか。なにか、引っかかる。
津雲川は立ち上がり、日向に背を向けた。
「ナナシは、青月とそのフィアンセを喰った。青月は、フィアンセを失い、自身も死んだ。これだけで済むはずだった。だが、そうはならなかった。その結果がこれだ」
彼はわざとらしく両手を広げた。
「彼奴は生き返り、仇を討とうとしている。俺はナナシを殺させないために戦っている。――つまりは、俺の目的はさっさとこの結果を終わらせることだ。わかったか?」
「……すべてを終わらせるために、青月さんを倒そうとているの」
「お前から見れば、そういうことだ。向こうも同じだろうさ。ケリをつけるために、俺とナナシに刃を向けている」
語りを聞き終えた日向は、やはり引っかかりを感じていた。すっきりしないでいると、津雲川が言った。
「お前、青月の正体をどこまで知っている」
「あまり、詳しくは……身体が普通じゃないことぐらいしか知りません」
「なるほど。彼奴は隠しているのか。ついでだ、あとで青月の正体を教えてやる」
式神が着地したのは、街外れの山のなかだった。周囲は黒く塗りつぶされたように真っ暗闇である。ぽつんとある神社の本殿前に、ふたりが立つ。津雲川が一歩前に出て、声をあげた。
「滅鬼師津雲川宗生である。眷属よ、ここを通してもらいたい」
本殿の二枚扉が開かれる。そこからゆっくりとすがたを現したのは、二匹の鴉だった。
「なんで、鴉が」
「神社にはな、祭神の一族とみなされている特定の動物がいるのだよ」
特定の動物や昆虫を眷属としてまつっている神社がある。神と変わって神意を伝えたりしているとされ、吉凶を示す神の使者としばしば同じように用いられている。ひとつの神社に二匹の眷属がいたりもするのである。
「お二方、神道会の傘下にある神社へ結んでくれ」
「何故か」
「戻るためだ」
津雲川が面倒臭そうな顔色でいい放った。
頷いた二匹は、翼を広げる。本殿の中で光が灯り、奥に道が出来上がる。
「いくぞ、ついてこい」




