第一話
滅鬼師たちの集う神道会総本山、京都。
津雲川とナナシの起こした異形の増殖は、ここまで届いていた。
「今回の件は、我々神道会も黙っては見過ごせません」
華やかで開放的な一室に、張り詰めた空気が流れた。
「秋くぅん、いうことはわかるけど、あれは津雲川の独壇場に等しいよ」
安倍秋の隣に座する芦木吉満がため息を漏らす。
「自分がいい出した実験だ。処理だってあいつに押しつければ計画的だよ」
「どこが!?」
「いちいち、一人のことに組織が動く必要ないじゃないか。面倒くさい」
ぱちんと、なにかが音を立てる。
「おやめなさいな。見苦しいですよ、芦木殿、安倍殿」
艶めかしく甘い、よく通る声の主、蜜月八羽が言った。
「鬼……いえ、異形があれだけ出現したということは、私たちの責任でもありますわ」
組織の与り知らぬものとはいえ、津雲川ひとりが独断で行った増殖には、大勢の犠牲者が出たことから眉を寄せることとなった。なぜそのようなことをしたのかは、不明だった。
ふと、蜜月と秋の目が合った。
「そういえば安倍殿、あなたは津雲川を尊敬していましたね」
「……それが、なにか」
閉じていた扇を開け、蜜月は口元を隠す。
「あなたに命を下します。津雲川の動向を探りなさい。なにかあれば、報告するのです」
安倍は黙り込んだ。どう返事したものか、わからなかった。
「返事はどうしました?」
「はい。わかりました。その命、この安倍秋が承ります」
秋は、蜜月の言葉に困惑しながらもあたまを垂れる。
このなかではまだ若い秋は、津雲川宗生を心から尊敬している。強く、堂々とした立ち居振る舞い。曇りのない真っ直ぐな眼差し。揺らぐことのない忠誠心。そんな彼に憧れていた。そしてそれは、津雲川がナナシという少女と関わり急変しても、変わらない。
あの半人半鬼の少女はなんなのか。
なぜ、津雲川は切羽詰まったような、辛そうな顔つきをしているのか。
秋は一度それを問うたことがあった。けれど、関わるなの一言が返ってきた。
その一室を出て、青空を仰ぐ。
「津雲川様、なんで」
×
「おっはよーリン! って、めちゃくちゃ暗い!」
家を出てしばらくしたところで律華と合流した。日向の顔を見た律華が、おそるおそる彼女を覗き込んだ。
「またなにか、あった」
「なにもないよ。なんでもない」
嘘だった。二週間前のことで、日向の胸中は曇っている。時間は経っているけれど、彼女の心はまだ二週間前にいた。
「それならいいけど」
学校に向かう道。同じ学校に通う生徒たちで賑わっている。朝の挨拶が飛び交い、何気ない雑談がそこにはあった。だが日向には、歩きづらい場所である。正面から目を離して、おもむろに横を見る。すると、奇妙な場面に出くわした。足を止め、じっと凝視する。
現代には全く見かけない容姿をした人影が数個。顔は札かなにかで隠されており、性別ははっきりしなかった。狩衣を着た人影は、なにか作業をしている。
「なんだろ、あれ」
目をさらに凝らしてみると、人影の足元には液体に汚れた身体があった。
「――ひっ」
あれは、異形に喰われた人間だ。幸い腕しか見えていない。視線を外して、先を行く律華の隣に立つ。
「リン?」
「なに?」
「最近、元気ないよ。なにかあるなら、相談に乗るよ?」
「うん。ありがと」
わけを話せないことを心中で謝る日向。落ち着かないまま、一日がスタートする。
ぼんやりと授業を受けながら、二週間前のことを振り返った。自分はただ呆然としているだけだった。けれど、あの場で自分ができることはない。守られるのが正しかった。それでよかったんだと、日向は納得する。
「……青月さんの顔、怖かったな」
ナナシと呼ばれていた半人半鬼の少女を見た瞬間、青月の顔には怒りがあった。なぜ怒っているのかは、わからない。
「人形……か」
青月の正体を知った。まだ釈然としない自分がいる。どんな顔で会えばいいのか、はっきりしなかった。自分には決して理解できない目的があって、生きているのだろう。生き返ってまで果たさないといけない目的があるのだろう。日向のあたまに、ぐるぐると疑問が回る。
厚い灰色の雲が垂れ込めて、雨が降り始める。次第に雨足が強くなっていった。
しばらくして予鈴が鳴る。やっと授業から解放された生徒たちが、がやがやと賑わい始めるのだった。
「リン。授業中ずっと上の空だったよ。なにか考え事?」
「うん」
「そっか。あ、ねえ知ってる?」
なにを? と日向が首を傾げると、律華が自慢げに語り始めた。
「二週間前にあったあれ、怪物が出たってニュース」
「え? 怪物? そんなの出たんだ」
「知らないのー。結構テレビでやってたよ」
「見てないかな、はは」
「もう。怪談話の怪物が出たってもっぱらの噂だよー」
日向は白を切った。もちろん、テレビで騒がれていることは知っている。生徒たちの間では〝怪談話〟として持ち切りだった。あの場にいた彼女にとっては複雑、耳を塞ぎたいものだった。けれど、瞬く間に広まったそれはおさまらず、聞かざるを得なかった。
幸いだったのが、だれも日向や青月たちのすがたを見ていないことだった
「でもなあ、一回見てみたいかも」
律華の言葉に、日向は驚いた。
「や、やめときなよ。怪物っていうぐらいなんだから、きっと怖いよ。食べられちゃうよ」
「怖がりだなあ、リンは。ちらっとだけも見たい」
「ダメだって。絶対に止めておいた方がいいよ」
律華は頬を膨らませる。
「わかった。止めておく」
腑に落ちない様子だった。
「そうした方がいいよ」
よかった。これで、友人が異形に襲われるという最悪な出来事は避けられた。
いや、そんなことは起きないでほしい。
予鈴が鳴り、次の授業を担任する教師が入ってくる。
「そういえば……」
ふと、日向は考えた。霧生が会わせてくれた天炉という鬼はどうしているのだろう。喰われてはいないだろうか。
「いってみよう」
×
彼女と夜道を歩いていた。
その日は祭りかなにかあったはずだ。それにいこうとしただけのことだった。
彼女は笑っていた。楽しそうに、嬉しそうに。
けれどそれは、一瞬だけだった。
どうして死んだのが、自分ではないのか。
どうして死んだのが、彼女なのか――。
かつんと、東堂が煙管で机を叩いた。その音に、はっと我に返る。
「なにを考えていた」
「いえ、なんでもありません」
青月は、東堂に渡された資料を持ったまま佇んでいた。
「日向がきてから、なにか思い出しているようだな。そんなに懐かしいか、愛娘に会うのは」
「……嫌味ですか。会えて嬉しいですが、そこまでは」
持っていた資料を、元あった場所に戻す。珈琲を淹れ、ソファに腰を下ろした。
「ふふ、私には昔の思い出に浸っているように見えるがな」
「師匠……」
「わかった、わかった」
東堂は声を殺して笑う。煙管を口に含んだあと、再び口を開いた。
「ナナシのことだがな」
「なにか、わかりましたか?」
「すぐに飛びつくな。まだはっきりとしたことはわからない。暁華や黒鋼が調査しているが、進展はない。霧生以外に半人半鬼がいたとはな。今の時代、いるはずがないと考えていた私の失態だ。改めねばいかんな」
「ナナシは、何者なんです? 俺が初めて遭ったのは十何年も前のことだ。なのに、見た目は少女のままだ」
東堂の顔色が変わる。
「そうだったな、お前も知らなかったな」
「なにをですか?」
「……青月、霧生はいくつに見える?」
「背は低いですけど、二十歳前後でしょうか」
「そう見えるかもしれんな。実は、あいつの成長は十四歳で止まっている。なぜだと思う?」
「十四歳ということが初耳です。なぜかといわれても、わかりません」
東堂は間を置いて、物語る。
「あいつが異形に噛まれたのは、中学のときだ。死には至らなかったものの、異形の力を持ってしまった」
「それは知っています。本人からも聞いています」
「ここからだ、青月。半分とはいえ鬼になった以上、容姿がその当時のままになるんだ。鬼に大きいものと小さいもがいるのは、その形で生まれたからだ。それ以上のことはない。それでいえば、鬼の力を得たものは、姿かたちが変わらなくなる。そのままなんだ」
青月には、初めて耳にする話だった。
「ナナシにも同じことが言えよう。幼きときに鬼の力を得て、成長が止まったのだ」
「……そんなことが」
「ふふ、驚いているな。このことを知っているのは、数少ないんだ。聞けてよかったな」
「どう思えばいいか、わかりません」
「だろうな。……鬼の力を得た以上は、鬼も同然だ。人間じゃない。ただ壊すだけの能力から解放されるには、永眠するしかないだろう。そうして初めて、人間になれる。お前もそうだぞ、青月。人形でなくなるには、死ぬしかない。その覚悟、身に宿っているか?」
「ナナシを殺しに殺し尽くしたら、いさぎよく壊れますよ」
虚言を吐く。それは本心ではなかった。
「壊れたら、直せばいい」
独り言のように言った東堂の意味深長な言葉を、青月は聞こえなかったことにした。
「もうすぐだな、あの祭りが」
あの祭り。あの日――。青月は回想しかけて、止めた。
「彼女の命日と同じというのも、なにか運命を感じるな。ああ、そんな怖い顔をしないでくれ。からかってはいないよ」
「さっきから俺をからかっているでしょう、師匠」
「さて、どうだか。どうする、日向も誘うか? 一大イベントとなれば、すぐに知られるだろう。せっかくの祭りだ、呼ばないということはないだろ?」
「そんなことはしませんよ」
青月は珈琲で喉を潤したのち、席を立った。
人形を作る機材が部屋を占領している一室に戻る。ガラスケースに近づいて、奥にいる彼女を愛でる。ガラス越し、ゆっくりと指で彼女の輪郭を形作った。二度と開かれることがない唇に手を添えて、寂しげに微笑む。
「きみを殺した異形、やっと見つけた。絶対に、仇を取るからね」
――生きて。
耳の奥に残る優しく透き通る声が、空っぽの彼女から聞こえた――ような気がした。
ふと、青月の脳裏にナナシが浮かび上がる。あの異形に勝てるだろうか。勝たなければいけない。仇を取らなければ、生き返った意味がないのだから。しかし、あれを倒せるだろうか。ぐるりと、自問自答の悪循環に入り込んでいく。
「……殺し尽くしてやる」
×
いつもより短く感じた学校を終える。紅色の太陽が日差しを注ぐ時刻のことだ。
律華と早々に別れた日向は、霧生に以前案内してもらった天炉という鬼がいる場所へ向かった。うろ覚えながらも、辿り着く。
「あ、日向さん。どうも」
丁寧に会釈をする天炉。
「天炉さん、こんにちは」
「こんにちは。で、今日はなんの用で?」
椅子に座った日向は二週間前、ここに異形が来たのかを問う。
すると、天炉がぽっと頬を赤くした。
「異形なら来ましたよ、来ました。でも、とても美人な滅鬼師さんがおっぱらってくれたんですよ。作り物みたいな顔で着物がよく似合って、優しい人でした」
美人さん。どうやら、津雲川宗生以外の滅鬼師がここにきたようだ。
「隠れていたおいらたちを見つけても、『悪い鬼ではないようですね』なんて言って、そのままどっかいきました。もしもほかの人だったら今ごろ、おいらたち退治されていましたよ」
天炉やほかの鬼たちが無事だとわかった日向は胸を撫で下ろす。
ふたりはしばし談笑に浸った。ほとんどが、天炉の一目惚れしたという美人滅鬼師のことだった。気になって、名前を知っているかといえば、
「名前はえっと、秘密の密と月、八つの羽、それでみつづきやつばと名乗っていました」
と返ってきた。
日向は天炉の書いたその字をまじまじと見つめる。
その横で天炉が饒舌にその人物について美人さん、美人さんと繰り返す。
「……鬼が赤面するぐらい、きれいな人なんだ」
蜜月八羽という名前を、あたまに刻む。
「鬼だって赤面するって。ちゃんと心があるんだからな」
声のほうへ振り向くと、霧生がそこにいた。
「霧生! もう動いて平気?」
「まだそこまで本調子じゃないが、大丈夫だ」
「よかった。あ、まだお礼言ってなかったね。何度も助けてもらったのに」
「いいよ、そんなの。照れくさいし。にしても、珍しいな。ここにいるなんて」
「天炉さんに聞きたいことがあってね」
あえて、異形のことは伏せた。けれど霧生はどこか察したような色を浮かべた。
「ふうん。――そうだ。もうすぐ祭りがあるんだ。どうだ、一緒にいかないか?」
「ごめん。たぶん友達からも誘われると思うんだ。祭りの会場で会えないかな」
「おう、いいぜ。……ダチか。いいな、そういうの」
霧生の表情が気になったけれど、ふたりと別れて帰路についた。
「楽しみだなあ。早く一週間経たないかな、なんて」
ルンルン気分の彼女の髪を、そよ風が撫でた。そして、日向は足を止めた。
音無く現れたのは、津雲川宗生だった。ナナシはいないようだ。
警戒して相手を見据えていると、津雲川が肩を竦めた。
「なにもせんよ。俺が殺したいのは青月だけだ。あいつ以外に興味はない」
「ならどうして。私、家に帰るんです」
「聞きたいことがあるのだ。お前、なぜ鬼を魅了することができる?」
まただ。それがわかっているなら、とっくに話している。
「同じことを訊かれたことがあります。私にはわからない。逆に教えてほしいぐらい」
津雲川がふむ、と手を顎に添える。
「自覚なし、か。しかしナナシが興味を持ったのは間違いないんだがな」
「なんですって?」
「その様子だと、なにも知らないようだな。――お前、何度か怪物に襲われていないか?」
「そうです、けど」
「それがなぜか、教えてもらっていないか?」
「いいえ。東堂さんは、死がどうとかって言っていましたけど」
「鬼や異形が興味を持つのは、その死だ。死とは恐ろしい。時間と共に死者は忘れ去られてしまうからな。だがときに、死者を忘れず強く思う者がいる。その尊い心に魅了され、怪物はその人間に興味を持つのだ」
「それなら、だれだってそう思っているはず」
「甘い考えだな。だれもがそうだとは限らんぞ、小娘。お前はどうなのだ、日向鈴?」
日向は思考を巡らす。亡き人を忘れず、強く思うだろうか。
「忘れない……。私なら、忘れない。絶対に」
日向の真剣な眼を見た津雲川は、面白いとばかりに口角を上げた。
「では聞くぞ。お前の身近で、だれかが亡くなったりしたか?」
日向は自問する。思い当たる節ならあった。けれど、そのことを津雲川に話す必要があるのかと躊躇った。
「躊躇する必要はないだろうに。まあいい。要するにだ。お前がだれよりも死者を忘れまいと強く思っているその心に、怪物は魅かれているんだ。せいぜい、喰われんようにするのだな」
一瞬の突風ののち、津雲川がその形を消した。辺りを慌てて見渡すも、あるのは日向の影だけだった。
「なんだったの……」
腑に落ちないまま、次の日を迎えた。
津雲川の言葉に悩まされていると、律華がずいと顔を近づけてくる。
「ねえリン、祭りいくでしょ?」
「あ、もうすぐだったね」
「そうそう。リンは一回も行ったことないんだよね。私と幸介も行くから、一緒に」
うん、といいかけて知らない名前があることに気付く。
「幸介?」
「鬼島幸介。私と同じ中学で、家も近所なの」
律華と、初対面の幸介と行く祭り。不安はあるけれど、
「どう? 行く?」
「行く!」




