光の戦士
物心つく頃にはすでに、スーパー戦隊に夢中だった。
記憶に残る一番古い戦隊は、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』。恐竜や他の古代生物をモチーフとした数々のデザインに、毎週大興奮したものだ。
それからというもの、ダイレンジャーにカクレンジャー、オーレンジャー、カーレンジャー、メガレンジャーにギンガマンと、幼稚園、小学校低学年に至るまで、おれの「戦隊熱」は冷めないまま。それどころか、いつか自分が大人になったら、必ず戦隊に入隊し、悪の軍団と戦うんだ、と固く決心するようになる。「スーパー戦隊の活動を応援するため」クリスマスや誕生日のたびに超合金ロボをねだり、「応援していると知ってもらうため」毎年一回は必ず遊園地のヒーローショーにでかけ、「いつか入隊する準備のため」その時その時の変身グッズを身につけては、毎日毎日飽きもせず、変身ポーズや必殺技の訓練に、精を出していた。
小学校高学年になると、さすがに戦隊熱は冷めてきたが、代わりに今度は、徐々に中2病を発症し始める。
ある日突然異能力に目覚めたり、異界へと転移する、という設定のマンガやアニメにはまり、やがて中学に入学すると、今度はラノベ。おかげでますます中2病は加速し、15歳の誕生日を迎える頃には、おれは異世界の王族の生まれ変わりで、天使と悪魔の間に生まれ、その両方の血と能力を受け継いだ「薄暮の堕天使」の仮の姿でもあり、幼い頃に受けた人体実験の影響で、もうすぐ強力な超能力に目覚め、その力に翻弄される運命にあるのだと、半ば本気で信じ込んでいた(この頃のことを思い出すと、ゴロゴロ転がりながら変な声を出したくなるほどに恥ずかしい)。
ところが、満を持して迎えたはずの高校受験で、その数々の「異能力」は――当たり前だが――さっぱり目覚めようとしなかった。
超越的な能力を駆使して、一気にトップ校へトップ入学を果たすはずが、結局、コツコツ身につけた学力だけで、相応の高校へと入学。このあたりでようやく「あれ、なんだかおかしくね?」という疑念が生じ始める。
そして、その高校でも、成績真ん中運動苦手、帰宅部で友達も数人、という「こんなはずじゃない」地味な生活を3年間送り続け、やがて迎えた大学受験でも、コツコツ身につけた学力だけで、相応の地方国立大に入学。
このあたりで、おれは、ようやく完全に悟った。
この世に「ヒーロー」などいない。あ、いや、「ヒーロー」と呼ばれる人は存在するのかもしれないが、それは、単色で派手なデザインにフェイスマスクのついた全身スーツに身を包み、多人数で「敵」一人をボコボコにする人間を指すのではない。
そして、おれは、その「ヒーロー」と呼ばれる人間から、最も遠い位置にいる。異世界でいうなら「村人A」、魔界でいうなら「使い魔1」といった存在で、もちろん、隠された能力もなければ、いつか発動するはずの超能力もない。できることといえば、コツコツ努力することぐらいで、そして――これを認めるのが最もつらかったが――コツコツ努力して努力して、ようやく人並みに近づけるかどうか、という程度の能力しか持ち合わせていない。おれは、その程度の人間なのだ、と。
以来おれは、ひたすらこつこつ、ひっそりと生きてきた。
無難に大学の課題をこなし、無難に就職活動をし、知名度はないが、堅実な地方企業に就職。そこでも、地道に仕事を覚え、上司や同僚とそれなりに付き合い、得意先にも堅実に顔をつなぎ……特別目立つところはないが、まあいないよりかは戦力になる、といったスタンスを、なんとか維持し続けている。
将来の展望も、まあ、この上なく堅実な――無味乾燥なもの。
近い将来、ある程度の年齢になったら昇進し……しかし昇進しすぎることはありえず、無難に仕事をこなし続ける。課長ぐらいで定年を迎え、その後退職金を少しずつ取り崩しつつ、穏やかに暮らし、やがて時満ちれば、ひっそりと死ぬ。そして、その後十年もたてば、家族を含めた皆の記憶からも消え、忘れ去られていく……それが、それこそが自分に与えられた「運命」なのだと、あの日、あの瞬間がやってくるまで、おれは固く信じていたのだ……。
「駒井祐介ですね。探しましたよ」
不意に目の前に現れた「その存在」は、一目見るだけで「あ、これは俺たちの次元を超越している方だ」と分かる風貌をしていた。
まず、大きさが違う。
肩幅は優に一メートルを超え、背丈は三メートル以上もある。
実に巨大なのである。
かといって、威圧感はまったくない。
遙か高みにある大きな顔にあふれる、この上なく優雅で、気品に満ちあふれた穏やかさ。そして、あくまで優しく、柔和な微笑み。それらが、見上げる者の心を一瞬で捕らえ、心のうちにある警戒心や不安感といったマイナス感情を、一瞬で溶かし去ってしまう。
ほっとしながら、視線を下へと移していくと、その顔に続く体にまとっているのは、見たこともないほど薄く、それでいてしなやかな布。それを、細身だが強靱に引き締まった体躯に、無造作に巻き付けているのだが……あろうことか、その全身が――衣服まで含め――蛍さながらの淡い光を発しているのである。
これでこいつが――このお方が「高次の存在」ではないと思わなければ、どうかしてるというものだ。
実際おれも、たった一つ感じた違和感さえなければ、そのお方のお姿を見た瞬間「あ、これは観音様だ。観音様が顕現なさった」と、すぐさま平伏していたと思う。
実際、それほどまでに、その突如現れた「高次の存在」は、高校の修学旅行の際、京都の寺で見学させられた観音像にそっくりだったのだ――ただ一点、頭に一本も毛が生えておらず、他の部位よりも明るく光り輝いていることだけを除けば。
突然「高次の存在」に直面したおれは、あまりの驚きに言葉も発することすらできず、ひたすらあうあうと口を開け閉めするばかりだった。
が、そのお方は、そんなおれに眉をひそめることもなく、再び優しげな視線を投げ下ろしてくる。
「駒井祐介。あなたに頼みたいことがあって、やって参りました。どうか、私の話を聞いてください。」
その時おれは、恋人の希美と一緒に、とあるこじゃれたカフェのオープン席に座り、オーダーを済ませたところだった。
希美はおれより3歳年下の25歳。友人の紹介がきっかけで知り合い、付き合うようになってから、そろそろ丸2年になる。お嬢様育ちで、少しわがままなところはあるが、明るくて優しく、働き者で、同じ特撮ものが趣味ということもあり、話も合う。その上、かわいらしい顔立ちで、体つきもおれ好みのちょっとぽっちゃりでと、おれからすると、まさに非の打ち所のない、パーフェクトな女性だ。
こんなにレベルの高い女の子が、一体どうして容姿も身長も収入も平均以下のおれなんかと付き合う気になってくれたのか、不思議でたまらない。きっと自分は、他にいい男が見つかるまでの「つなぎ」にしか過ぎず、そのうちあっさり振られるに違いないとか、これはきっと長期の「どっきり」で、そのうちきっと「種明かし」があり、友達みんなから笑いものにされるに違いないとか、数々ネガティブなことを考えてきたが、今の今までそういうことは一切なかった。それどころか、時を経るに従って、「祐介君といると、本当に楽しい」「祐介君とずっと一緒にいられたらいいのに」などと、ますます甘えたことを言ってくれるようにまでなっている。
おれ自身も、希美と同様「将来をともに過ごすのは、この子をおいて他にない」と思うようになっている。というわけで、今日こそはその思いを彼女に伝え――ついでにもう一つ、重大な秘密を打ち明けた上で――二人の希望を現実のものにしようと、ジャケットのポケットに、ダイヤの指輪を忍ばせていたのである。
オーダーを聞き終えたカフェ店員が立ち去ったところで、おれはさりげなく立ち上がり、ポケットの中に手を入れ、指輪のケースの存在を確認し、そっと握りしめた。そして、昨日何度も練習したとおり、
「あのさ、その……そろそろ希美と付き合って2年だろ?その記念に、これ、受け取ってほしい」
そう言いながら、彼女の目の前に指輪のケースをコトンと置く……そのつもりで、口を開いたその瞬間、突如、あのお方が顕現したのである。
周囲にあまりの静けさに、ふと我に返り、横に座る希美の様子をうかがう。と、驚いたことに、まるでモノクロ写真のように、彼女の姿から一切の色彩が消え失せ、さらにその上、足を組もうとしたその時を狙って瞬間冷凍しました、といわんばかりの、なんとも不安定極まりない姿のまま、完全停止している。
慌ててあたりを見回すと、モノクロで停止しているのは、希美ばかりではない。隣の席に腰掛けている女子大生っぽい女の子達も、一人は大仰な表情でなにかを訴えかけようとしている状態のまま停止し、もう一人はのけぞって大笑いしようとする直前の姿で停止。通りの向こうを歩いているサラリーマンらしき男性など、スマホに夢中で段差に気付かず、足を踏み外して転びかけているところで停止している。
そこまで目にしたところで、おれの脳裏に、ふと、昔読んだラノベの設定が、浮かび上がってきた。
(あ、これは、ひょっとして……)
「ええ、その通りです。今現在、私とあなたは、通常の時間の流れから外れたところに存在しています。誰にも邪魔されず、ゆっくりあなたと言葉を交わすには、このようにするのが一番よいかと思ったのです」
いきなり答えが返ってきたことに――しかも、おれの脳裏に一瞬浮かび上がっただけの疑念に対し、完全な回答が返ってきたことに――おれはまた、ちょっと驚いた。
どうやらこのお方、いきなり顕現し、いともたやすく時間の流れを抜け出すだけでなく、おれの思考を読み取って、それに完全な答えを返すことすら可能らしい。
「ええ、その通りです。ですが、もし疑念がありましたら、「言葉」という形ではっきり尋ねてほしく思います。その方が思念も明瞭な形を取るゆえ、私としても要点を押さえて答えやすいのです」
あまりに大きな驚きが連続して降りかかってきたせいで、感情が麻痺してきたのか、この頃になると、おれも少しずつ、自分を取り戻してきていた。
そうなってくると、当然ながら、まず最初に思い浮かぶ疑問がある。
こんなことを聞いていいのかどうか、失礼を働くことになるんじゃないかと畏れながら、それでもおれは、おそるおそる、そのお方の顔を見上げた。
「あの……それで、あなた様のようなお方が、一体どうしておれのところなんかに?」
と、そのお方は、ほんの少し、ほおに浮かんだ笑みの色を濃ゆくする。
「先ほども、申し上げたではありませんか。あなたに、ぜひお願いしたいことがあるのです」
高次の存在は、そう言うと、口調を改め、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めたのだった……。
あなた方人間が認知しているこの世界は、実のところ、唯一の「世界」ではありません。こうして私を目にしている以上、もうおわかりかと思いますが……この世界より高次の世界が歴然と存在いたします。それも、一つではなく、無数に。もちろん、その逆に、この世界より低次の世界も無数に存在いたします。
「この世」あるいは「宇宙」とは、無数の高次の世界と低次の世界が存在する、極めて複雑で、不安定な「場」なのです。
その「場」の複雑さを、少しでも解きほぐし、不安定な状態を多少なりとも安定させるには、「力」「エネルギー」が必要です。
といっても、ある一つのエネルギーだけが突出して高い状態になると、バランスが崩れ、「宇宙」は、より不安定な状態へとシフトしてしまいます。二つ、もしくはそれ以上の「力」が互いにぶつかり合い、引っ張り合い、その結果、均衡を保つことではじめて、「宇宙」は安定して存在し続けることができるのです……。
「おわかりですね?」
問いかける高次の存在に向かって、おれは、こくこくとうなずきを返す。
おわかりもなにも、ハイファンタジー系のラノベやゲームや漫画やアニメでおなじみの設定である。その種の「文献」を数多く読みあさってきたおれに、理解できないはずがない。
おれの「全て分かってますよ」的な表情を確認し、安心したようにうなずくと、高次の存在は、さらに先を続けた。
今、この「宇宙」で、困ったことが起きています。
誕生以来数百億年バランスを保っていた、この「複数のエネルギー」の均衡が、破られようとしているのです。
なぜ、そのようなことがおこるのか、長い間、その原因は謎でした。
ですが、ごく最近になって、ようやくその謎が解き明かされたのです。
原因は、この「宇宙」に属さない、未知の「場」でした。
たまたまなにかのきっかけで、この「宇宙」と未知の「場」とをつなぐ「回路」が開いてしまい、その結果、未知の「場」に蓄積されていた「闇」のエネルギーが、この「宇宙」に流れ込んでしまったのです。
このままでは、近い将来「闇」は「光」を覆い尽くし、バランスを失った「宇宙」は、消滅することとなってしまいます。
宇宙の消滅を防ぎ、再びその存在を安定したものへと戻すには、増えすぎた「闇」を再び未知の「場」へと追い返し、「光」と「闇」の均衡を取り戻さなければなりません。
幸い、「造物主」は、このような不測の事態に備え、ある非常手段を準備していました。
駒井祐介。その非常手段こそ、あなたなのです……。
高次の存在は、ここで言葉を切ると、じっとおれを見つめた。
おれは、雷に打たれたような衝撃と、胸の奥底から湧き上がる、大いなる興奮とを、同時に感じていた。
この「宇宙」には、「光」の種を宿した者が存在します。
その者達は、通常は、決して力に覚醒することなく、与えられた場所で、与えられた人生を生き、ひっそりと消えていきます。
ですが、ちょうど今のような「非常事態」が起きたとき。その者達は、身に宿す「光」のエネルギーを覚醒させ、「闇」に対抗するよう、運命づけられているのです。
全てはエネルギーの均衡をはかるため。そのために、あえてちっぽけな存在となることを選んだ、無私なる存在。そして、万が一の時には、この上なく重大な責任を担わねばならないと知りながら、身をもってその覚悟を体現してみせた、勇敢なる存在。その血を最も色濃く受け継いだ「転生者」こそ、他ならぬあなたなのです……。
そうか。
そうだったのか。
だから、おれはあれほどスーパー戦隊に憧れたのだ。
だからおれは、あれほど強く、異世界に惹かれ、未知なる能力に目覚めようとしたのだ。 あれは全て、おれの「運命」が、おれを密かに導いた、その結果だったのだ……。
今間の人生全ての意味が理解できたように思ったその瞬間……体が、細かく震え出していた。
もちろん、恐怖による震えではない。
あまりに興奮していたせいで、おのずと、体が震えてならなかったのだ。
……「闇」との闘いは、きっと長く続くことになります。
その間、あなたは人並みの幸福を味わうことなど一切ないまま、ずっと困難な戦闘を続けなければならなくなります。
その過酷さを、私は重々理解しているつもりです。
ですから、あなたを強制的にその闘いへと誘うことは、到底できません。
もしあなたが、そのような運命を嫌い、平凡ながらも日々の喜びと、安穏とに満ちた一生を送りたいというのであれば、私と出会った記憶を消し、元いた時間の流れの中へと、何事もなく戻します。
いかに「闇」の力が強大だとはいえ、その力によって宇宙が引き裂かれるまでは、まだある程度の猶予はあるはず。あなたが、あなたの運命を全うするぐらいの時間は、きっと残されています。
ですが……もし、もしも、それがたとえどれほど過酷で、どれほど困難な闘いだったとしても、この宇宙を救うためなら耐えられる、と思ってくださるならば……どうか、どうか、私たちに、あなたの……光の戦士の力を貸していただきたいのです……!
もちろん、おれの心は決まっていた。
ヒーローになる。
それも、宇宙を救うヒーローになる。
それが、昔からのおれの夢だったのだ。
途中、現実の厳しさに打ちのめされ、いつの間にか夢を手放し、忘れてしまっていたけれど……本当はずっと、ずっと夢見ていた。
おれは……ヒーローになる!
思わずポケットの中の右手を突き出そうとして、そこではじめて、ずっと指輪のケースを握りしめたままだったことに気づき……おれは、うつむいた。
もし、おれが光の戦士として覚醒したら……きっと、希美と一緒にはいられない。
自らの使命を全うするためとはいえ……おれを一途に愛してくれている、おれにはもったいないほど可憐で、愛らしい女性を、見捨てることなどできるのだろうか?そんなことが、許されるのだろうか……?
だが、その葛藤も、いずれ生まれてくるはずの我が子に思いをはせた途端、おのずから消滅していく。
おれが、最愛の人と結婚し、平凡ながらも幸福な人生を歩むことができたとして……おれの子供はどうなる?平凡で幸福な人生を全うできるのか?おれの孫は?その子孫は?限りない希望を持ってこの世界へと生まれ出てくるであろう彼らに、「闇」と直面し、消滅しなければならない運命を残すだと?おれが、自分のみの幸福を望んだために、やがて生まれてくる自分の……全人類の子供達に、そんな過酷な運命を課すだと?そんなこと、そんなこと、できるはずがない!
おれは、限りない愛情のこもった目で、そっと希美を――限りなくいとしい、最愛の女性を見つめた。
できれば、この先の人生をずっと、一緒に幸福に過ごしていきたかった。
だが……どうやら、それはできそうにない。
いきなりおれが行方をくらませば、きっとおまえに傷を残す。
だが、数ヶ月、半年……数年もたてば、きっと、その傷も癒える。
その時は……誰か他の男と、新しい幸せをつかんでほしい。
おれは、おまえのその新しい幸福と、やがてくる新しい命がずっと続いていくように、遠いところで戦い続ける……。
握りしめていた指輪のケースから、一本一本指を外し、ポケットから右手を抜き出す。
そして、その手を高く掲げ、思い切り拳を握ると、おれは、迷いのない、力のこもった目で、高次の存在の目を見つめ返した。
それを見たあのお方は、いかにもうれしそうににっこりと微笑み、深々とうなずいた。
……ありがとう。そうと決まれば、もはや一刻の猶予もありません。あなたを光の戦士として覚醒させ、遙かなる戦場へと送り出さなければ。
それには、「光」の種が宿る「場」――すなわち頭頂部に、私の指を直接当てなければなりません。
駒井祐介。今こそ覚醒の時です。虚飾を捨て、あなたの「真の姿」を見せてください……。
「真の姿」。
それが、なにを意味しているのか、おれには、はっきり理解できていた。
実をいうと、おれは二十代初めから、ずっと抜け毛に――そして、薄毛に悩んできた。
十代の終わりまでは、多すぎるほど多かった毛髪が、二十代に入った途端、一体どういう遺伝子のいたずらか、急速に減り始めたのだ。
毎晩、風呂でシャンプーするたびに、どさり。
毎朝、ブラシで髪を整えるたびに、ばさり。
枕についた抜け毛を拾い集めれば、黒塗りのスチールウールかよ、というほどの量になった。
毎朝入念に払っても、夕方には、ジャケットの襟には毛がびっしりと貼り付く。
その抜けた分に反比例して、頭はどんどん寂しくなっていく。
これほど急速に毛が抜けるなんて、きっと何らかの異常があるのではと、恥を忍んで病院で診察を受けたこともある。だが、その結果は、ますますおれを絶望させるものだった。
身体に何らの異常なし。抜け毛が多いのは、単なる体質の問題です……そう言われてしまったのだ。
おれの「ヒーロー願望」が、完全に、完膚なきまでに消滅したのは、ちょうどこの宣告を受けた頃だった(今までに見たどんな特撮ヒーローものでも、アニメでも、マンガでも、ラノベでも、頭のてっぺんがザビエル化した主人公は存在しなかったし……第一、どれほど強力な必殺技を発動し、邪悪な敵を殲滅したところで、きびすを返した瞬間、てっぺんが丸くハゲていたら……ギャグにしかならないではないか)。
仕方ない。これも運命だ。今後の人生は、おとなしく、ひたすら目立たないように生きていこう。……失意の中、おれはそう、心に決める。が、それはそれとして……一つ問題があった。
いくらなんでも、二十代でこうまでパーフェクトにイってしまったら、否応なく悪目立ちしてしまう。毎日普通に通勤通学するだけで、人々の視線を(頭頂部に)集め、昼食を食べに食堂へ入っただけで、好奇の視線を(頭頂部に)浴び、帰宅するために電車に乗れば、クスクスと笑い声が(頭頂部めがけて)飛んでくる……このような日常生活には、到底耐えられない。
となれば……選択肢はただ一つ。
おれは、テレビCMで有名な、とある企業の「サロン」に内密で出向き……「仮の姿」となった。
以来、その「サロン」に定期的に通い、二十代前半、まだそれなりに「頭髪力」が残っていた頃は増毛でごまかし、それ以降はカツラを作り……なんとか今まで、目立たない、ひっそりとした生活を必死に守り抜いてきた。
だが……それは、間違っていたのだ。
あのお方の光り輝く高貴な姿を見ていると、「仮の姿」を選んだおれの選択は、愚か極まりない誤りだったと、素直に納得できた。
高貴なお姿の中でも、さらに高貴な光を発しているのは、「光」の力の宿る、神聖な頭部。その神聖な光を、わざわざ遮り、隠してしまうなど、まさに愚の骨頂。なんてバカなまねを、おれはしてきたのか。むざむざ、自分の「光の戦士」としての資質を、自分から投げ捨ててしまうなんて……。
と。
そこまで考えたところで、おれは、はっと目の前が開けたように感じた。
そうか!……おれの額が、人より早く後退していったのも、後頭部がどんどん白くなっていったのも、全ては「定められた運命」ゆえ、だったんだ!内に秘めた「光」の力を自覚させ、やがてくる「覚醒の時」を少しでも早めるため、そのようにプログラムされていた「宿命」ゆえ、だったんだ!……そうか……なにも恥じることはなかった。これが、これこそが、光の戦士の「聖痕」だったんだ……。
全ての謎は解け……おれは、この上ない幸福感と、今までに感じたことのないほど強い意志、そして、一点の曇りもない使命感で、体中満たされていた。
そうだ、今こそ「仮の姿」を捨て、「真の姿」に戻る時。「光の戦士」として、生まれ変わる時が来たんだ……!
おれは、聖なる光の種が宿る「場」を覆い隠す遮蔽物に手をかけると、大いなる喜びとともに、一気に引き剥がした。
……その瞬間。
あのお方は、それまでずっと細めていた目を、少しだけ、大きく開き……穏やかさに満ちあふれていた微笑の形をほんの少し変え、にやり、と笑った。
そして、ただ一言、
「あーあ」
喜びともからかいとも哀しみともつかぬ言葉を残し、すうっと消えてしまったのである。
気がつくと、周囲の色彩も、喧噪も、元に戻っていた。
大勢の人が行き交う、休日の繁華街。その一角にある、こじゃれたカフェのオープン席で――すなわち、行き交う人々の視線がこの上なく集まりやすい場所で――おれは、かぶっていたカツラを右手にわしづかみにしたまま――今までひた隠しにしてきた「真の姿」を衆目にさらしたまま、立ち尽くしていた。
それから後のことは、あまり思い出したくない。
ただ一つだけ言っておくと……結局、希美に指輪は渡せずじまいだった。
彼女は、「真の姿」をさらしたおれの姿を――頭頂部そのものを――指さして、思い切りぐはぐは笑い!大慌てでもう一度カツラをかぶったが、慌てすぎて、カツラが大幅にずれていた、その姿をみて、のけぞってげひげひ笑い!さらに慌ててカツラを直そうとしていると、その慌てっぷりがまたおかしいと、腹を抱えてひぐひぐ笑い!しまいに、ようやくかぶり直したカツラを剥ぎ取り、陽光に照らされ、まぶしく輝くおれの地肌をペチペチと叩きながら――薄毛の人間にとって、この世で最も屈辱的な扱いだ――ぎっひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ……と、いつまでも笑い続けたのである……!
希美が笑いやむ頃には、おれのプライドは粉々に砕け散り……ついでに、彼女に対する愛おしさも、跡形もなく消滅していた。
今、おれは、旅に出る準備を進めている。
仕事を辞め、「サロン」に行くのもやめ、買ったばかりの指輪をはじめ、金目のものを全て売り払い、まとまった金を準備した。
パスポートを更新し、当面必要だと思われる様々な物資も、全て揃えた。
残ったいくらかの雑事をこなし、最後にアパートを解約すれば……後は、出発するばかりだ。
最初の目的地は、もう決まっている。
あれから、根気よくネットを検索し続けた結果、分かったのだが……どうやら、あのつるっぱげ野郎に一杯食わされたのは、おれだけではないらしい。他にも、数百人、数千人が、同じようなひどい目に遭わされているようなのだ。
まずは、その人達に会い、互いに語り合って……どんなことでもいい、野郎の正体、すみか、性質、行動パターンなどにつながる手がかりを見つけ、蓄えていく。
そこからが、旅の本番だ。
できれば、志を同じくする仲間と協力して、あのつるっぱげ野郎を追いかけ……追いつめる。
それは、きっと困難な旅になるだろう。
なにしろ相手は「高次の存在」だ。俺たちとは比べものにならない能力を、数々身につけている。
だが、おれは、それがたとえどれほど過酷で、困難な旅になろうと、決して諦めない。
人並みの幸福など、もはやおれには縁のないものだ(希美……かつて、一度は愛した女性だ。あれ以来彼女は、おれと会うたび吹き出し、最短でも3分間は笑いが収まらないようになってしまったが……どうか、おれのことは早く忘れて、他の男と幸せになってほしい。その方が、お互いのためだ)。
おれの心の中には、もはや「復讐」の一語しか存在しない。
おれの、ちっぽけで平凡かもしれないが、満ち足りていたはずの未来を、一瞬でぶち壊しやがった、あのつるっぱげ野郎を見つけ出し、きっちりツケを払わせる。そのためなら、どれほど過酷で、どれほど困難な道のりも、きっと耐え抜いてみせる。
そうだ、おれは、復讐の昏い光に照らされた……「光の戦士」として、今こそ生まれ変わるのだ。
……ちくしょう。




