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私は婚約破棄の手紙を紙飛行機にして川に飛ばしてやろうかと考えた。すぐに思い留まった。恐らくそんなことをしたらお父様が本気で怒るだろうと想像できたからだ。別にヘンリー殿下のことはもうどうでもよかった。お父様はそう思っていないみたいだけど、もうそういう気分じゃなかった。でも、一体誰がこんなおかしな噂をふりまいたのか。そのことだけが気がかりだった。
メイドが来客を告げた。
「コーネリアス殿下がお越しです。どういたしましょう?」
私は鼻から息を吐くとメイドに告げた。
「コーネリアス殿下が相手なら私に断る権利はないわ。すぐにお通しするように」
「はいっ」
メイドがそう言って消えてしばらくするとコーネリアスが現れた。
「これはレディ・シャーロット御機嫌いかがかな?」
「良いとお思いですか殿下?」
この言葉にコーネリアスは笑った。このコーネリアスという男は私の婚約者であったヘンリー王太子の異母兄弟にあたる王子で、側室の子だった。母は元々王宮で働く下女で、ヘンリーはこのコーネリアスを目の上のタンコブとして恨んでいた。馬術、剣術、神学にも通じ才能においてミッドランドに並ぶ者なしと言われた人材だったからだ。私は口を開いた。
「コーネリアス殿下が私を訪ねるなんて珍しいですわね」
「君がヘンリーの女じゃなくなったと聞いてね。俺の中では君は“あちら側”の人間だったからさ」
ちなみにこのコーネリアスもヘンリーを憎んでいるという噂を聞いたことがあった。何でも王妃は下女との間に子を作ったエドワード王を恨み、その恨みの全てが下女であるコーネリアスの母『ウルスラ』に向かった。母へ向かった憎しみに一番過敏に反応したのがコーネリアスだったからだという。以来コーネリアスはあの手この手を駆使しながら、ヘンリーから王太子の座をかすめ取ろうと動いていると聞いたことがあった。今の言葉を聞く限り、やはりその噂は真実だったのかと私は思った。
「殿下はいつも猛々しい方ですわね。王太子様のことになると」
「ふふふ、あんなボンクラ廃嫡になりゃあいい。次の王に相応しいのは皆誰か分かっている。正室の子。それだけが奴の取り柄だからな」
「私にそのことを言って大丈夫なのですか?」
「レディ・シャーロットはもう“あちら側”の人間ではない。それに、王子が王の座をめぐり争うのは世の常であると俺は考える」
コーネリアス王子は、才はあるが徳がないと聞いたことがあった。下品で粗野な喋り方といい、本当に王宮で育ったものかと疑いたくなるほどだった。コーネリアスも私のこの視線の意味する所に気付いたらしく笑って答えた。
「戦場暮らしが長いとこういう喋り方になっちまうのです。おっと、なってしまうのです」
言い直した所が少し可愛かった。コーネリアスは続けて喋る。
「まぁ数年前の北への遠征も俺が父上の代理として軍をまとめていましたが、あのボンクラには俺の様なことはできないでしょう? 父上もこの国を真に守れるのは誰かと思い直す筈です」
「そうですか」
「それにレディ、あなたは無実の罪を着せられた。俺にはそのことまで分かる」
私は大きく目を見開いた。なぜそう思ったか聞きたかった。コーネリアスは私の顔を見ると私の言いたい言葉を察したらしく、鼻で笑った。
「俺は聞いたことがあったのですよ。なんでも『見えない貞操帯をつける女』と呼ばれた女がいるらしと」
「貞操帯?」
「あの器具を御存じないので? なんといえばいいのかな? つまり、そういう行為を出来ないように金属のパンツを婦人にはかせるアレのことですよ」
私はそれを過去に一度イナンナに教えられた事を思い出した。顔から湯気が出そうになった。なんと破廉恥な言葉を惜しげもなく言うのだこの人格破綻者は!
「ぶ、無礼な!」
相手が王子であることを忘れ、私はそう叫んでいた。
「ははは! 無礼か! たしかに。まぁ君は学生時代にそう男から呼ばれていたらしいという噂を聞いたことがあった。で、思ったわけです。君ほどの堅い女が複数の……失礼……、となると、これは間違いなく罠に嵌められたのだなと思った。あのボンクラには女を測る器量がないらしい」
ここでコーネリアスは顔を私に近づけて言った。
「ならば俺と結婚しないか?」
コーネリアスは野心に満ちた目をギラつかせた。引き締まった体と透き通るような白い肌と整った顔立ち……、何よりその殺気を帯びた瞳が私の中の女を刺激した。