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馮驩のスキル

特技スキルですか」


 馮驩ふうかんは考え込んだが、そうする間もモグモグと咀嚼するのをやめなかった。そのまましばらく考えて(口のものを嚥下して)から、


「左様。私も貧しい時分には、よく特技で股肱をしのぎましたナ」


 喉元まで出たツッコミを『孟嘗君』はかろうじて呑み込んだ。


「ほほう。して、その特技とは」

「説明するより、お見せしよう」


 と、馮驩は顔を引き締めた。吸って吐いてを深めに三回。膝に手をおき動かないのは、気が満ちるのを待っているのだろうか。

 一同は固唾を呑んで見守った。やがて馮驩が静かに口を開く。


「犬」


 バウ! ワウ!


「猫」


 ミャーウ。ミャーウ。


「牛」


 ムウウウウ。


「家鴨」


 クアック。クアック。


 一同はあんぐり口を開いたまま。しかし当の本人は、いよいよ調子が出てきたとみえて、


「羊」


 ネエエエ。ネエエエエ。


「馬」


 ネェーイ!


「豚」


 オインク、オインク。


「猿」


 ヤック、ヤック。


「蛙」


 リビリビ、リビリビリビ。


「鶏」

「も、も、もう結構で」

「もうよろしいので? まだまだレパートリーがありますが」

「み、見事お手並みですな」


 周囲は爆笑の渦だった。なんだこいつ、芸は芸でも大道芸か。おひねりでも投げてやろうか?

 馮驩は黙っていたが、近くまで飛んできたおひねりは、すまして袂に入れている。


「いやはや、本物そっくりですな」

「でなければ、物真似とはいえませぬ」

「さぞ修行されたことでしょう」

「左様、江戸屋○○の手ほどきを受けました」


 給仕の少女が注ぐ酒を受けつつ、馮驩はそううそぶいた。

 食客たちは手をうち喜んだ。手前は太上老君を奉る道家でござる。それがしは墨子を師と仰ぐ者。小生は商鞅、申不害の流れを汲む法家。揃いも揃って高学歴、一目おきあう叡知もいいが、顔を揃えりゃ喧々囂々、意識は高いが肩もこる、たまには座興もよかろうて。けど、江戸屋ナントカは少し調子にのってねーか?

 さすがに『孟嘗君』は落ち着きを取りもどして、


「いや、感服いたしました」

「それはどうも」

「他にもなにか、特技スキルをお持ちですかな」

「泥棒を少々」

「ど、どろ?」


 大きく見開かれた目から眼球が飛び出しそうになっている。

 ホームレス同然のなりでやってきて、食客三千人を囲う大富豪に、自分は泥棒などと口走っている。あきれた犯行予告ととるべきか、たんに図太いだけなのか。


「心配ご無用。こちらで窃盗をはたらくつもりはありませんので」

「ご、ご冗談がお好きでいらっしゃる」

「ここでは張り合いがないものですからナ」

「はは、は、は──」


 さすがの『孟嘗君』も、乾いた笑いしか出なくなっている。

 食客が鼻白んだ。かの孟嘗君を前に大言壮語も甚だしい、それでは誰から盗めば張り合いがでるのいうのだ。


「王ですナ」


 爆笑から一転、怒号が飛びかう。怒声だけではない。皿が飛ぶ。杯が飛ぶ。騒然となった。

 いきりたつもの。嘲いだすもの。泣いているもの。狼狽えるもの。席をたつもの。人を呼ぶもの。どさくさ紛れに嫌いなやつを殴るもの。


「肝要なのは!」


 びいん──と大気の振動を肌で感じる声量に、その場がぴたりと静止した。

 立ち上がるものは立ち上がったまま。振りかぶるものは振りかぶったまま。その手から落ちた杯がかちゃんと割れて、あとは何も聞こえない。

 馮驩は続けて、


「肝要なのはみっつ。観察、分析、実行なり。すなわち対象に予断をもたず、ありのまま観察せしこと。次にそれが何を意味するか正しく分析せしこと。最後に分析結果に有効な対策を、タイミングを過たず果断に実行せしこと」


 怒鳴るでもないその声が、なぜか間近で大太鼓を打つかのようにびりりと腹にくる。

 それでいて馮驩は高説をぶった気負いもなく、どころか合間、合間に手掴みで、料理を口に入れては食んでいた。

 そのうち杯をひょいと差し上げた。

 気づいた給仕の少女が駆け寄ると、あきれた男は注がれるのを受けながら、


「おわかりですか」

「え?」

「あなたに言っているのだが」


 今度こそ一同は腰をぬかした。

 威王・宣王の二代に仕えた名宰相の跡取りにして、その器量を怖れた実父に殺されかかった不世出の大器、戦国四君に数えられるかの孟嘗君は、まだあどけなさの残る少女だったのである。

 さしずめ『孟嘗君』ならぬ『孟嘗ちゃん』といったところ? それはちょっとふざけすぎ?

 それにしても素性もあやしいこの男が、なぜ斉の国におけるシークレット中のシークレットを知っているのだろう。


「つまりこれが、観察ですナ」


 馮驩は口のものを、ごくんと飲み込んで、


「皆さンの目線や仕草を見ればわかりますよ。真ん中に座っておられる御仁が、身代わりであることくらいはね。表向きには、それらしい影武者をたてておき、本人は思いもよらぬ姿で同じ場所にいる。成る程うまい手ですが、しかし気をつけられよ。あなたに懸想する狼がいるのはいいとして、櫓や趙あたりの息がかかった先生も、若干いらしてるようですからナ」


 図星だったか、その晩のうちに数名が出奔した。こうして馮驩は孟嘗君の食客に迎えられたのである。

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