二日目の朝
三年半振りに書いた掌編でした。2014年夏頃執筆。
その日、夜は明けなかった。なんの前触れもなく夜明けのない一日が始まった。九月半ばのことだった。
こぞって特集を組むワイドショーを聞き流しながら俺はいつも通りの朝を送った。コーヒーを淹れ、トーストを焼き、通勤快速に乗って都心へ出る。辺りは夜闇の中にあって人々はそれでも朝を過ごしていた。ゴミを集積場へ運ぶ近所の老婆も、電車に遅れまいと走るサラリーマンも、きっと心に疑問を抱いてはいながら普段と変わらぬ行動をとる。鉄道各社は定刻通りに運行していた。
帰宅ラッシュのような電車内には奇妙な空気が満ちていた。訪れない夜明けを誰もが不思議がりながら誰も口を開こうとはしない。そんな一人ひとりがすし詰めになった車内で俺も一人、イヤホンから流れるいつも通りの音楽に耳を傾けて時間を潰していた。
俺が出かけたのは友人と映画を見ることになっていたからだった。物好きにも通勤ラッシュとかぶる時間帯を指定されたものだから、せっかくの夏期休暇に満員電車の不快感を味わわされてしまった。しかもそれがこんな奇妙な朝ときたのでは何らかの作為を疑いたくもなる。まさかあいつにそんな力があるわけもないのだが。
「よう、おはよう?」
それが約束に10分遅れてきたあいつの第一声だった。俺もおはようと言うべきかこんばんはとでも言うべきか、迷わないでもなかった。しかし朝は朝なのだ。おはようと返し、そして当然、この不可思議な空について言い交わしながら、俺たちは映画館へ向かった。
映画館はまったく平常と変わらない風情だった。ショッピングセンター最上階にある窓のないロビーは昼も夜も照明頼りなのだし、各シアターにはそもそも外の光が入ってはならないのだから当たり前ではある。これなら昼も夜も変わらんのだから映画館も24時間営業にするべきじゃないか。予約しておいたチケットをあいつが自動券売機で発券するのを待ちながら、俺はそんなことをぼんやり思っていた。チケットだって基本的に機械任せの販売だ。店員が常駐するコンビニでさえ24時間営業じゃないか。
深夜には交通機関は止まるしショッピングセンターも閉まってしまうことに気付いたのは映画が始まる直前のことだった。
肝心の映画はそれなりに満足のいく出来だった。ハリウッドの力作だけあって、見応えのある映像美が印象的なSF超大作といえた。それになんといっても爆音と爆炎だ。映画館の大スクリーンと音響設備を十二分に活かす演出はこれしかない。そこに見解の一致をみたからこそ俺たちは野郎二人で映画など見に来ているのだった。
感想を語り合いながら昼飯を終えた俺たちは早々に別れることにした。男二人でウインドウショッピングなんてたいして魅力ある休日の過ごし方とは言えなかったし、何よりどう見ても夜にしか思えない空が暗に帰宅を促しているように感じられたのだった。
「なあ、これ明日も続くと思う?」
これ、とはつまり明けない夜のことだろう。空を見上げるあいつは不安というより未知を前に好奇心でわくわくしているような目つきをしていた。
「さあな」俺は返しながら、いやこれは今日だけだろう、などと予感めいた考えを抱いていた。その理由はよくわからない。ただ白夜だの極夜だのは遠い異国の現象で、もしかすると明日それ自体が永遠に来ないのかもしれないという思いがあった。太陽の神が死んで世界を夜が支配する。夜は眠りの時間であり世界は永遠の眠りにつく。そんな妄想、とても聞かせられたものではなかったけれど、本当にそうならそれでも面白いと思ってしまっていた。世界の終わりなんて一度きりの大イベントじゃないか。それに立ち会えるなら死んだって仕方ないのではないか。
「わからないとしか言えないけど、明日もこのままだったらお前はどうする?」
俺はあいつにそう聞いた。明日が本当に来るのかなんて、それこそわからないような気がしていたくせに。
「どうもしないんじゃね。やることはやらなきゃいけないし。こうなった原因もわからないんだしどうしようもないじゃん」
あいつは言った。きっと多くはそう答えるだろう。たとえこのまま朝が来なかったとしても電車は定刻に走るし、サラリーマンは業務に追われるし、夏休みには終わりが来る。太陽が照らないだけで時計の針は進んでいるのだからそれが正しい。
結局そんなどうでもいいやりとりを交わし俺たちは別れた。今日を限りに世界が終わるとしたらそんな節目は滅多にない。俺はその可能性に期待はしていたけれど、では見物料を払う覚悟はあるかと問われれば答えに窮した。明日死ねるか? 面白半分に死を覚悟できる人間がいるなら会ってみたい。
そんなことを考えながらしばらく街をぶらついて、服屋の店員のセールストークをかわしたり人混みに辟易したりしながら帰路に就いた。そろそろ本当の夜がやって来る時間だった。そこで俺は少し考える。本当の夜も何も、夜が終わらないまま次の夜が始まってしまうだけのことじゃないのか。太陽が出ていないのだからこの昼間も夜には違いなくて、ただ翌日の夜が始まるだけのことなのだ。
そうは言ってもやはり太陽がなければ時間感覚は狂うものらしく、夕飯を終える頃にはもう日付も変わろうかという時刻になっていた。遅くとも22時には食べ終わるのが常なのだった。帰宅してからはテレビも点けずインターネットにも接続せず、俺はただただ漫画を読み耽っていた。どうしても今日のうちに読み終わらねばならないような気がしていた。
明日は朝が来るのだろうか……それとも、「明日」は来るのだろうか、とでも言うべきか。いつまでも夜のままなのか、それともこの夜が終焉の合図なのだろうか。布団に横たわって俺は答えの出るはずもない堂々巡りに囚われていた。この闇が世界の終末だなどという考えも、もうただの根拠のない妄想とは言い切れない程度に俺の頭を占めていたのだった。しかしその根拠を提示できるわけでもなく、ただそんな気がするというものでしかなかったのだが。なぜ夜は明けなかった? 誰もその理由を説明できないのならなぜ明日は朝が来ると断言できる? これが、世界初の、世界終焉ではないと、誰が断言できる?
時計は午前2時を指していた。明日はこれといって予定もない。たとえ世界が終わるとしても思い残すことのないように、溜めてあった漫画は読み終えておいた。数ヵ月後に迫った院試はこの際忘れてしまうことにした。今頃世間では誰が何を言っているのだろう。きっと何らかの専門家たちがそれぞれの見解を述べたり、いい加減な運命論者たちが地球の明日を予言したりしているのだ。しかし何しろ前例がない事態なのだ。誰が何を言ったところで俺を納得させられるとは思えなかった。それよりはむしろ、明日の遠足を楽しみにするような気持ちで床につきたかった。これから先、どこで何が起きるかわからない、誰と何をするかわからない、何を見て何を思うかわからない、そんなわからなさを抱えて気持ちよく眠れる気がした。
それからなんとなく部屋を片付けてみた。人を呼ぶとき以外は散らかしっぱなしの俺の部屋は、ごく親しい友人ならば招ける程度にまで美観を回復した。本は本棚に。洗濯物は衣装ケースに。
気付けばもう午前3時を回っていた。思えば今日は存外に楽しい一日だった。世界は夜に囚われていたけれど、世間は変わらずに回っていて、俺もあいつも約束通りに映画を見て、それから俺は得体の知れない高鳴りを覚えて一日を終えた。一度くらいこんな日があってもいい。もしこの先ずっと夜が明けないとしても、俺はこの最初の夜を忘れはしないだろう。
さすがに眠気を覚えた俺は、手癖でアラームを6時間後にセットして消灯した。6時間後の世界に言いようのないわくわくを抱きながら。
翌朝、俺を目覚めさせたのはアラームに設定した音楽ではなく太陽の光だった。午前8時半、昨日の遅れを取り戻すように強烈な朝日がカーテンの隙間から漏れ込んできていた。
当たり前のように夜は終わった。ワイドショーは唐突に続いて終わった夜について益体もない激論を交わしていた。インターネットには終末論が湧いていたらしい。
俺はといえば、終わらない夜が終わってしまったことに多少の残念さも感じながら、それでも当たり前のように当たり前の朝が来たことに安堵していた。その安心感が俺には少し意外だった。だけど死ぬ覚悟なんて毛頭なかったし、ただなんとなく、こんな変な状況が理由もなく続いたら少しは面白そうだな、くらいにしか考えていなかったのだから、世界が常態を取り戻したことを素直に喜ぶべきだったのだろう。
光がなければもやしも育たない。夜が明けなければきっと電気代も上がる。それは少し困るな……そんなことを考えながら、俺は朝の買い出しに向かったのだった。




