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第一章 新人教育 part5 (宿直室の暗がりにて)


 うす暗がりの密室で二人の男女が見つめ合っていた。真夏の夜を駆け抜ける風が白いカーテンをひるがえさせ、庭に植えてある木々の枝葉を揺らしている。やがて葉々の擦れ合う音が鎮まると、部屋の中にはぎこちない沈黙が漂った。その気まずい静けさに耐えかねたように、女の方が先に口を開く。

「あのう……センパイ……?」

「どうした。あまり喋るんじゃない。もし見つかったら……まずいんだからな」

 小さな拳をぐっと握って、彼女は小声で囁くように続けた。

「こんな時に不謹慎なことは分かっています。でもお願いです。言わせてください。どうしても伝えたいんです……。わたし、センパイのことが――」

 彼女の震える唇を、男は人指し指でやさしく抑えつけた。

「まてよ。そういう台詞をいうのなら、先に俺にいわせてくれよ」

 人形のように華奢な肩を掴み、男が女の頭を胸にそっと抱き寄せる。そして告白した。

「好きだ。ずっと好きだったよ。できることなら、俺と付き合って欲しい――」

「センパイ……」

 女は喜びのあまり瞳を濡れさせていた。だが彼女の声が急に男の耳元で震えだす。

「セ、センパイ……あれ、窓の外――ま、窓の外――! センパイ――!」

 目を見開いて恐怖に怯える彼女の視線を追って、男も愕然とする。

「なっ――」

 振り返ると、真っ黒な暗闇の中に、白い顔をした子供の顔が鮮明に浮かび上がっていた。すべての視界が一瞬のうちに子供の顔で覆われると、たちまちに悲鳴はあがった――

「き、きゃぁぁぁぁああああ――――――!」

「って、やかましい! このボケ娘!」

 ブチンっ――。

 ――。

 紐の切れるような音と共に、子供の顔はあっさりと消えていた。なぜならそれはテレビの映像だったからだ。

 そこはホントは宿直室。密室でも暗がりでもなんでもなく――白色の蛍光灯が広々とした部屋をあますところなく照らしている。タイル張りの床を段差で隔てた先には和室まで用意してあって、そのちゃぶ台には湯気の沸き立つ緑茶やお菓子まで並べてある。部屋にはおどろおどろしさの欠片もなく、なんとも生活味溢れる光景があるだけだった。

 そこにいる二人の男女はいちおう見つめ合ってはいるものの、テレビのロマンティックな雰囲気とは程遠く、むしろ険悪そうにお互いでにらみ合っているといった風だ。リモコンを片手に持つ甚平姿の光牙はぎろりと目つきを尖らせていて、まるい醤油せんべいを咥える琴子は負けじと眉を釣り上げている。ちょっとした火花が散っているように見えなくもない。

「なに無断でテレビを消してるんですか、センパイ」

「それは俺の台詞だろうが! なに勝手にテレビを見てやがる! ったく、人が風呂にいってる間に油断も隙もありゃしねえ。原則、テレビは禁止だって教えたばかりよな?」

「いいから! 早く戻してくださいよ! これから受験勉強のしすぎでノイローゼになって自殺した子供の悪霊が、愛し合うリア充カップルを恐怖のドン底に突き落としていく、ちょうど良いトコなんですから!」

「んなもん知るか! 俺は今からでもお前を外にほっぽり出しても一向に構わないんだぞ」

「ちぇ。センパイのケチんぼ。一方的に権力ひけらかしてずるいですよ」

「やかましい。つべこべ言わず、このまま大人しく寝るのか、急いで終電に飛び乗って帰るのか、どっちか好きなほうを選択しろ」

 すると琴子はしぶしぶとハミガキを始めた。明らかに不満そうな顔を浮かべながら――。光牙はどっとため息をついた。引率の教師にでもなれば、このような気分になるのかもしれない。それから光牙は、完全に閉めていたはずの入り口の扉が少しだけ開いていることに、しっかりと気がついていた。そっと近づいて、おもいきり引き開けると――廊下には園長が聞き耳を立てるように突っ立っていた。

「……で、あんたはなにをやってる。ついさっき帰ったとばかり思っていたが――」

 ばれていないと思っていたのだろう。園長が左右に目を泳がせる。

「あり? バレてた? あはは。さすが光牙。いやさ、こんな面白そうこと見逃せないだろう? 真夜中の情事がおっぱじまるかもしれないってのにさ」

 そんな彼女の片手には録画用のデジタルカメラがしっかり用意されていた。そのことに苛立ち、光牙は全力で叫んだ。

「んなわけあるかッ!」

 一方、園長の姿に気づいた琴子は、光牙を横に押しのけて、彼女に向かってウサギのように飛びついた。

「うわー! 園長さんもきてたなんて! これはもう、みんなでお泊り会の流れですね!」

「さすが琴子ちゃん。あたしが見込んだだけあって、話が分かってる。それじゃあ、さっそく準備しなくちゃね!」

 一瞬のうちに女同士で結託すると、彼女らは未だかつてない迅速な速度で寝支度を整えた。たちまちに畳の上に三つ葉の陣形に布団が敷かれる。そうして頭上の蛍光灯をすばやく消すと、二人は素早く寝床に飛び込み、タオルケットにくるまった。

「さあさあ。光牙くん、カモーン」

 まっすぐ下ろした茶髪を掻き撫でて、園長が色気を振りまくように指で誘う。星空ばりに輝く彼女達の瞳は、どうみてもすぐには寝かしてくれそうにない。

「…………」

 光牙はあまりの展開の速さに絶句した。それから深々と嘆息しながら、懇願するようにぼやいた。

「いや、頼むから……さっさと寝かせてくれよ……」

 実のところ、光牙はくたびれていた。日中の炎天下に加えて、新人の面倒まで見ていたのだ。肉体に溜まった疲労は貪るような睡眠を求めているのだ。

 だが琴子はさらにそんな光牙をおちょくるようにして、さっきのドラマの少女のような声色でとぼけてみせた。

「センパイ……あれ、窓の外――」

 光牙はうんざりしたように、彼女を睨みつけた。

「おまえ……話を聞いてたか? 俺はさっさと寝たいんだ。お前のボケに付き合っている暇は――」

 そう言いかけた時、光牙もまた異変に気がついた。

「なっ――」

 どうやら琴子の差し迫った表情は決して演技ではなかったらしい。真顔のまま、彼女はさらに続けた。

「センパイも聞こえましたよね、今の声――」

 光牙は廊下に飛び出て窓を開けると、外の暗闇の奥から突如として子供の顔が浮かび上がる――なんてことはなく、しかし確かに声が聞こえていた。それは獣の猛々しい雄叫びだった。


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