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エピローグ 2


 薄暮も終わりを迎え、地平線に浮かぶ黄昏の空が暗闇に蝕まれていく頃――

 病棟から少し離れた丘の草原で光牙は待っていた。脱いだヘルメットを首に引っかけ、エンジンの停まった単車にまたがったまま――北寄りに回る風が汗ばんだ黒髪をそっと撫でていく。

 退屈する時間は嫌いというわけじゃない。少なくともなにかしらの物事に焦燥して気を焼くよりはよっぽどマシだ。とはいえ、無意味に待たされることが好きというわけでもない。そんな余裕と苛立ちがないまぜになり始めた折、彼はちょうど現れた。

「待たせてしまったな」

 白衣を纏った老人。それは藤堂だった。夏場には暑苦しい恰好に見えるが本人はいたって平然としている。深いシワを帯びた顔はあいかわらず堅苦しい威厳を保っていた。

「構わないさ。どうせ今日は休みを貰ってるんだ」

「……忠孝の調べた話では法律外の契約をいいコトにずいぶんと安い駄賃でコキ使われているそうだな」

「……俺の話はほっとけよ」

「なんなら、今からでも私が口添えして人間学校に戻してやってもいいんだぞ」

「冗談。頼まれてもお断りだね」

 そう毒づいて、光牙。

 おそらく藤堂自身も聞かずとも答えを分かっていたのだろう。そのことにはさして固執せず、話を変えた。

「傷はもう癒えたのか?」

「ああ……時間さえあればこのくらいはワケないさ」

 光牙が腹に手を添える。痛みはない。残った傷跡もいずれ小さくなるだろう。それだけ人獣族の細胞制御は優れた能力だった。

 そして、そのことを思い出して――光牙は尋ねた。

「……静音がああなった理由は、アンタと同じことなんだろう?」

「どうやら事態の察しくらいはついているようだな……」

「誰よりも魔獣について詳しいはずだ。元々アンタは劣性人獣族で――魔獣化から生還した一人だったんだろ?」

「よく気がついたな」

「あの時、アンタの発言がなければ考えもつかなったことさ。獣化のできない身体。それこそが強さの秘密でもあったわけだ」

「……厳密には弱さでもあるがな。魔獣化で生き残った者の細胞はとびきり頑強なものに変異して、代償として柔軟性を失ってしまう。その結果、細胞制御ができなくなってしまう。他にも細胞変異時の弊害で様々な後遺症が残ることもあるようだがな」

「その言い方……もしかして他にも生存者は見つかってるのか?」

「私の知る限りでは二人だけいる。だが、それだけだ。隔離制度を作ってから四十年あまり――他に助かった者などはいない」

 とたんに遠くの墓地の光景が頭によぎる。

 感傷にひたりたくなる気持ちを抑えて、光牙はさらに続けた。

「あの『獣の楔石』は……単なる自害用の劇薬じゃなかったんだな」

「いや、劇薬と呼んでも差し支えはない。アレには獣滅因子者の抗体を基に精製した試作薬を入れているが、獣滅因子者を喰らうよりもはるかに純度が低いために助かる確率はきわめて低い。引き起こした細胞変異をろくに安定させず、むごたらしい異形の姿に変えて絶命させるケースがほとんどだ」

 藤堂の声が暗くなったのは気のせいではなかった。彼は悲しみを思う時、すぐさまに感情をしまいこむ癖がある。その一瞬を光牙は見逃していなかった。

「……馬鹿な俺にもようやく分かってきたよ。アンタの考えた隔離制度は劣性人獣族を迫害するものでなく、むしろ救うためのものだったんだな。獲得した人権を失わないよう――そして、せめてもの治療を施すための――」

「くれぐれも口外するなよ。そんなことが分かれば施設に隔離された連中は暴動を起こすかもしれんからな」

 光牙の言葉に、藤堂はすかさず鋭い光を宿した二つの眼で厳しく睨みつけた。まるで、力づくで相手を説き伏せるように。

 だが光牙にはまるで納得できない――

「俺にはそれが分からない。どうして同じ人獣族にそんな大事なことを隠すんだ。劣性でも助かる可能性はゼロじゃない。だったらわずかな希望があることくらい教えてやってもいいじゃないか……」

「……そうかもしれん。だが、そうではないかもしれんだろう」

「どういうことだよ?」

「オマエには分からんだろうが……希望を絶望と捉える者もいるということだ。かつての私のようにな」

「……?」

 疑問を浮かべる光牙だったが、藤堂はそれ以上の言葉を飲み込んでしまった。空を仰ぎ、暗闇を眺めながら、風に運ばれる草の匂いをしきりに受け止めている。

 まるで自分の空間に閉じこもったような彼の邪魔をしたくない気持ちもあったが、光牙はもう一つだけ気になっていることがあった。 

「なあ、先生。最後に教えてくれよ。どうしてアンタは静音を見逃したりしたんだ?」

「……難しい話ではない。私もまた甘かったんだよ。お前のようにな」

「……そうか……」

 その返事に納得したように、光牙はメットをかぶった。


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