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第一章 新人教育 part4 (彼女を雇用した目的)

 閉園してから正門の事務室に戻ると、光牙は顔を引きつらせた。タンクトップと短パンのだらしない格好になってくつろぐ園長がいたからだ。椅子の上であぐらをかき、だるそうな顔で動物の健康一覧表を眺めている。おまけにそこは光牙の机だったし、彼女はさらにタバコまで吸っている。

「おい、ここは禁煙だろ」

 と、まあ注意したところで意味はない。園長は意に介した様子もなく、光牙の顔に向かって煙を吹きかけた。うっとうしそうに光牙は手で煙を振り払う。

「どうだったの。世話役の初日は」

「園長。彼女が動物アレルギーってこと、隠してたろ」

「あら、いってなかったかしらね。でも、しゃっくりってだけなら、べつに問題ないでしょ」

「すっとぼけやがって……」

 小声で光牙がぼやく。ただ園長の言うとおり、彼女は一応は問題なく働けそうであった。しゃっくりは耳障りだが、慣れてしまえば、そこまで気になるものでもない。それにアレルギー反応を割り切ってからの働きっぷりは光牙の目から見てもなかなかのものだった。彼女は本当に動物が好きなのだろう、どんな動物にも臆さないし、元々の知識も豊富で教育に苦労することはなかった。

「ただよ、あれにイベントショーを仕込むのは難しいんじゃねえか。性格は向いてそうだが、しゃっくりばかりの司会ってのはまずいだろ……」

「そんなこと。MC担当にすればいいじゃない。動物と触れ合うのは、どっかの極悪飼育員さんに任せてね?」

(……まだ根に持ってやがる)

 光牙は嘆息した。これからレオの件で謝罪文を作成しなければいけないことを思い出してしまったからだ。

「席をどいてくれよ。今から仕上げるから」

「その前に、もう一仕事あるでしょう?」

 園長の問いかけに、光牙は戸惑った。手に持った閉園用のチェックリストを確認しても、全ての項目欄は埋まっている。それも琴子に教えながら丁寧にやっていたから、抜け漏れはない。一日の業務は確実に終えていたはずだ。

 そこで光牙は園長の持つ健康表に気がついた。

「もしかして体調不良の動物がいたのか?」

「いいや。全員、ばっちし健康体。さすがは人獣族。完璧な管理っぷりね。賞与は出せないけど、言葉だけならいくらでも褒めてあげるくらいに」

「だったらなんだよ、もう一仕事って。新人もあがったし、あとは夜勤くらいしか――」

「光牙ぁぁぁぁっ! てめええぇぇぇぇっ!」

 会話を遮って飛びついてきたのは滝川だった。涙を流しながら、目には怒りを宿している。あいかわらず器用な表情をするものだ。仕事を終えて、彼も私服に着替えている。光牙は自分の胸倉を掴む手をじろっと見た。

「なんだよ、いきなり。とりあえず離してくれよ」

 だが滝川は聞く耳持たず、光牙の首をぶんぶんと前後に揺らしていた。その表情はまさに鬼気迫る勢いだ。

「オマエってやつは、どれだけオイシイんだよ! 主人公補正ってやつか! ああ?! 頼むから、オレと主人公を変わるか、せめて夜勤だけでも変わってくれよ! な? な? なぁ?!」

「いきなり意味不明な発言を……いっとくが、そんなお願いはオコトワリだ。なにせ夜勤を変わったら、俺の寝床がなくなるからな」

 光牙は玉響動物園に二十四時間、住み込みで働いている。労働基準法に照らし合わすと、限りなくアウトなのだが、そこはいわゆる大人の事情というやつで、園長がうまく調整してくれている。

「だったら、オレの家と交換だ。いますぐ! ハーリー!」

「ヤだよ。あんな部屋、クサいし、キタナいし――」

「オマエの好きなように掃除してくれて良いから!」

「それって、俺がソンしてるよな……」

「ちくしょう! 先輩に対して、そんな態度とっていいと思ってるのか!」

「いまさらなにを……入園早々に、ラフに付き合えっていったのはあんたでしょうが」

「そうだけどよぅ! こんな展開はあんまりじゃねえか――」

「アンタは少し黙れ。この発情猿が!」

 背後から園長のお約束の一撃を喰らい、滝川は抗弁の途中でむなしく地面に沈んだ。

「あのぅ……おつかれさまです」

 そう言って、ひょっこり顔を出したのは琴子だった。設備の浴室に入り、作業服を着替えてきたのだろう。お団子の頭をほどいて、ピンクのTシャツと黒のハーフパンツの湯上り姿になっている。

「寝巻き……?」

 光牙が疑問符を浮かべたのは彼女が私服にしてはあまりに軽装過ぎたからだ。呆然とする光牙に、園長はにんまりとした。

「つまり、そーゆうことね。彼女、夏休みの間、ここで暮らすことになってるから。ちゃんと夜勤のイロハを教えてあげてね」

「ち、ちくしょぉぉぉぉっ――」

 滝川の咆哮は園長の手によって、またも遮られる。だが、光牙もまた滝川のように叫び出したい気持ちに駆られていた。

「な、な、な――なに考えてんだよ、あんた! アルバイトに夜勤なんて?!」

 いつもは冷静な光牙もさすがに声を裏返させている。地面の滝川をふんづけながら、園長は面白がるようにくすくすと笑うだけだ。近づいてきた琴子は、気まずそうに尋ねた。

「やっぱり……ダメですか? ここで寝泊りするのって」

「んーん、いいのよ。なにせ園長のあたしが許可してるんだから。気兼ねなく利用してちょーだい――」

 光牙はすばやく園長を引っ張りこむと、窓際に屈みこみ、ひそひそと密談を始めた。

「正気かよ! 宿直室は一つしかないだろうが!」

「なによ、それくらい。一緒の部屋が気になるなら、あんたが他のトコで適当に寝ればいいだけじゃない。椅子とか、地べたとか、トランクの中とか――」

「……なんだかおかしいよな、あんた。たかがアルバイトの夜勤したいなんて要望、フツーは断るだろ。どうも彼女に入れ込んでいるようにしかみえない」

 訝ったように睨むと、園長はいよいよ大人の事情を白状した。

「実はね。彼女の家から心づけをたっぷり貰ってるのよ」

「こ、心づけだって?」

 光牙は声を裏返させた。

「そ。平たくいえば寄付金ってやつね。施設の半分くらいが改修できるほどの額の」

「……あんた。まさか、そのために彼女を雇ったのか――?」

「だって、先方の父親たっての希望なんだもの。是非、娘に好きなように働かせてやって欲しいって」

 光牙は理解に苦しんだ。多額の金を投資して娘にアルバイト経験をさせる。はたして、そんな馬鹿げたお金の使い方をする親がいるのだろうか――光牙があきれてため息をつくと、園長は話を続けた。

「ほら。彼女って動物アレルギーだから、どこも雇ってくれなかったみたいなのよ。それでも動物園で働きたかったみたいでね。父親としては放っておけなくて、そこであたしに白羽の矢がたったわけ」

「なんでアンタなんだよ」

 びしりと指をさして、園長は答えた。

「あんたみたいな極悪飼育員を雇っているような動物園なら多少の融通は利くだろうって思ったらしいわよ」

「…………」

 もはや光牙はなにも言い返せなかった。

 ちらりと振り返ると、琴子は滝川と楽しそうに談笑していた。いわれてみると、立ち振る舞いや話し方にどこか気品があるような気がしなくもない。

「ずいぶんと過保護な家庭に育ったお嬢様だったんだな。そんなお金を出して貰えるなんて」

「カン違いしないように。それは親が勝手にやったことで、琴子ちゃんはなにも知らないの。だから、くれぐれも裏金で雇ったなんていわないように。彼女は運良く入れたと思ってるんだから」

 そこまで聞いて、光牙は園長の考えについておおむね理解した。つまり、琴子を正式に雇えば、彼女の親がパトロンになってくれる可能性が高い。だから園長は琴子の機嫌を損ねず、玉響動物園を気に入ってもらおうとしているというわけだ。いかにも園長の好みそうな話に、光牙は納得しつつ、ため息をついておいた。

「けどよ、いくらなんでも夜勤までさせる必要はないだろ。なにより俺が気まずいし――」

「ふふ。なんだったら、たっぷりと仲良くしてくれてもいいのよ。あんたと琴子ちゃんが付き合えば、彼女はますますウチに入社したくなるでしょうし」

「ふ、ふざけんな――」

「まあまあ、楽しみにしてるわよ。真夏のアバンチュールってやつにね」

 唇に手を当てて、園長が厭らしく笑う。こうなった園長を引き止める術を光牙は知らない。

 改めて振り返ると、そこでは滝川がさっそく携帯電話を取り出して番号を強引に聞き出そうと試みていた。

(……いっそ、主人公ってやつを変わってもらうか?)

 光牙は胸中でそんなことを思った。

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