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第六章 獣の楔石 part5 (魔獣の選択)


「……なに……?」

「なっ――」

 二人がほとんど同時にうめく。

 お互いに死力をこめた一撃は間違いなく肉片を突き刺していた。藤堂のかまえる獣殺刃と光牙の生成した細胞の刃。それら相討ちする刃の先に存在していたのは――

「まさか……そんなことが……?」

 黒い触手の塊――困惑した藤堂が振り返り、その背後に光牙も視線を送る。

 月の光を遮り、大きな影が二人を覆っていた。いつの間にか、音もなく――その魔獣は近づいていた。

「静音!」

 たまらず光牙が呼びかける。その声が届いているかは分からない。だからといって暴れるわけでもない――

 どうやら彼女は明確な意思を持っていた。藤堂と光牙の攻撃を受け止めて――本当に静音が魔獣になったというのなら、そんな真似をするはずがない。できるはずがない。だからこそ藤堂も戸惑っているのだろう。

 光牙は笑った。決定的な証拠をつきつけたことに――そして、ほおに涙が伝う。

「はは――やっぱりな……」

 確信。期待や希望といった喜びの感情が一つのまとまりになろうと結束し始める。

 そう信じた時だった――魔獣が狂いだしたのは――

「伏せろ……!」

 とっさに藤堂が光牙を押し倒す。

 渦をかいて旋回する嵐のようになって魔獣が激しく取り乱す。

「なにを……やっているんだ……?」

 光牙にはまるで理解ができない。彼女がどうして急にそんな儀式めいた行動を始めたのか――

 天に振りかざした片腕の鋭い鉤爪――それを魔獣は自分自身の額に突き刺した。岩山のように盛り上がったいびつな皮膚がさらに突き破れ、にごった血が次々に濁流していく。

(はやく止めないと――!)

 光牙が立ち上がるのを、藤堂が抑え付けた。

「……黙って見ていろ。仮にも奇跡とやらを信じたいのならばな」

「奇跡だって……? なにをいってるんだ、アンタは……!」

 混乱する頭がさらに交錯する。藤堂がなにかを語ろうと口を開いているが――魔獣が自ら痛めつけた傷の深さは放っておけるものではない。

「離せよッ! このままじゃ静音が――!」

 手を振り払い、光牙がよろめきながら立ちあがる。

 その時――ひとつの限りなく美しい咆哮が夜空の天空を貫いて森のすみずみにまで響き渡った。

「そんな……嘘だろ…………」

 光牙は耳を疑った。

 その声はまぎれもない静音の声であり――はっきりとした意志が伝わってくる。

 身体が固まったように動かない。指先も、足も、まぶたさえも――それらの動かし方を忘れてしまったように、光牙は愕然と打ち震えた。いや、信じられずにいたのだ。彼女の額から引き抜かれた絶望に――

(獣の楔石――)

 複雑に交錯する思いをかきわけて一つの記憶が浮かび上がってくる。かつて彼女の口にした言葉が頭の中で鮮明に繰り返された――

『わたしたちは自分の好きな時に選択できるということ。この石のおかげで……わたしたちは最後まで理性を失わずに人間として生きられる』

(待ってくれ――)

 願う。ただひたすらに。だが時間は止まらない。むろん彼女も……

 赤い緋色の石。まるで自分の命を神に捧げるように――魔獣はそれを噛み砕いた……


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