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第六章 獣の楔石 part3 (互いの信念)


 疑いはあった。

 かつて人獣族の里にいた頃、藤堂の獣化した姿を見た者はだれもいなかった。そのことを不信に思う者がいなかったのは、彼は英雄であり強さをひけらかす必要がなかった――皆がそう考えていたからだ。

 だが、もし彼がなにかしらのきっかけで人獣族としての特性を失って獣化のできない身体になったのだとしたら――それは劣性治療どころの騒ぎではない。人獣族の存在そのものについての根幹を覆すことにもなる。

(……なにをいってるんだ、俺は……そんな馬鹿なわけがないだろう……)

 光牙はすぐさま首を振って、考えを霧散させた。

 よしんば藤堂が本当に昔から獣化できなかったとしても、彼の誇る強さは紛れもない人獣族のモノだ。そうでなければ今現在、彼が立っていることはありえない。光牙の渾身の一撃――鉄の重板さえも打ち砕く威力の攻撃に耐えられる人間などいるはずがないからだ。

「……無駄口が過ぎたな。今の話は忘れろ」

 それ以上の推測を嫌ったのか、もしくは目的を思い出してか――藤堂は光牙から視線を外し、背を向けた。彼のやるべきことは明確だった。

「待てよ……」

 光牙がうめく。

 藤堂は槍で虚空を薙いで告げた。

「お前はそこで見ておくが良い。私がすべてを終わらせてやる」

「……静音はアンタを慕っていたんだぞ……」

「だからこそだ。私には分かる。今の彼女は死を望んでいるのだと――」

「ふざけるなよ。どうして彼女があんな姿になっているのか、アンタにその意味が分からないハズがないだろう!」

 すべからく劣性人獣族には選択肢が与えられている。自らの手で人間としての最後を迎えるための――つまり、彼女は選択できなかったということだ。人間として生きることを――そして、その後悔が最後の理性を蝕んでしまった。

 藤堂は急に声のトーンを落とすと、まるで独り言のようにぽつりとつぶやいた。 

「……彼女がその決断に踏み出せなかった理由をオマエは知っているのか?」

「なに――?」

「これは私にとって贖罪でもあるのだ。一時の気の迷いが大神静音の最後の希望すらも奪ってしまったのだからな……」

 その意味を光牙が類推する。

「さっきアンタは静音を逃がしたと言ったな……。そのことに関係しているのか?」

 しばらくの沈黙を挟んでから、藤堂は再び冷たい声色に戻して告げた。

「……時間稼ぎのつもりなら止めておけ。魔獣並の再生力でもなければ獣殺刃の傷はそうそう簡単に癒えはせん」

 やはり見抜かれていた。

 彼の言うように今の光牙にはほとんど余力がない。脾腹の傷はろくに出血すらも止まっておらず、うずく痛みが遠く離れた手足の指先までも痙攣させている。

 だが――そんな重傷を負っていても意識はまだ根絶していない。

「待てって言ってるだろ……順番は守れよ。俺はまだ負けていない――」

 朦朧とする肉体を奮い立たせて、光牙が怒りのままに身を引き起こす。治療はもちろん終わっていない。正直なところ、立ち上がるだけでも精一杯だった。それでも光牙は立ち上がらないわけにはいかなかった。

「……次は死ぬぞ。私はべつに構わんがな」

 藤堂の眼が鋭く尖る。言葉通り、遠慮をするつもりはないのだろう。ほんの迷いすら見せず、槍を光牙に向けて構えなおしていた。

 とうてい情けは望めない。彼は若い頃には劣勢人獣族の隔離を英断したような傑物だ。そんな英雄の行動を改めさせるには、最低でも彼の信念に疑問を抱かせるだけの決定的な論拠がなくてはならない。当然、光牙はそんなものを持ち合わせていない。

 一切の交渉が通じない力。それはもはや狂気と呼んでも良い。そんなことを思いながら、光牙はうっすらと笑った。

「……はたして、あんたと静音……どっちが魔獣なんだか……」

 そう皮肉をこめて――もちろん余裕があるわけではない。口内に広がる血の味、全身のしびれ。肉体のあちこちに生じる異変が生命の危機を次々に訴えている。

 そんな決死の光牙を前にして、藤堂はなかば困惑したように尋ねた。

「……不思議なものだ。どうしてそこまで思いつめることができる……どんなにあがいたところで大神静音は絶対に助からないというのに――」

「なにいってんだよ。前にアンタが言ったことだぜ。生きていればチャンスはある。『未来を迎えれば』彼女は助かるかもしれないんだろ……?」

「論点がずれている。アレは既に魔獣となっている。助かる助からないの話でなく、もはや処分せねばならん対象となったのだ。……考えてもみろ。ヤツが人里に戻って暴れでもしたら――我々はまたしても奴隷の扱いを受けるようになるのかもしれんのだぞ。そうなった時、貴様は責任が取れるのか?」

 光牙はかぶりを振って、それを否定した。

「……アンタこそ前提が間違っている。静音はそんなことを絶対にしないんだ。さっきの様子を見てたなら、それくらい分かるだろう」

「だからといって――あんな悲惨な見てくれになった獣を放っておくわけにもいくまい」

「人里から隠れて暮らせば問題はない」

「そうして獣と一生を添い遂げるとでもいうのか? 笑わせるな……そんなものはまったくもって甘い子供の発想だ。貴様はその間に裏切られて命を落とすかもしれんのだぞ」

「その時は……その時こそ、俺の手で止めてみせるさ」

「……そのザマでか? たった一人の老いた人獣族すら止められんくせに――」

「……今からでも止めてみせるさ……」

 二人とも口を閉ざし――嘆きの森が静まり返る。

 いつからか魔獣は暴れることを止めていた。岸辺に身を埋め、沈黙を抱えたようにうずくまっている。おそらく全神経を注いで治療にあたっているのだろう。 

「良いだろう。そこまでの覚悟なら……もう言葉は不要だな……」

 老人が口を閉ざし、感情を消す。いくつもの死を見送ってきた瞳が、夜の闇よりも暗く沈んだ。


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