第六章 獣の楔石 part2 (力の差)
「なんだって――?」
突然に藤堂が打ち明けた真相に動揺して――光牙はそれが失態であったことにすぐさま気がついた。
わずかな動揺で生まれた一瞬の硬直。その隙を藤堂は狙っていた。
(かわせない――――)
そう絶望できるほどの素早い奇襲――。身を投げだした藤堂が、その突き出した槍を持ってしてあっという間に間合いを制圧する。光牙は身をよじってとっさに回避を試みたが、槍の軌道は容赦のない正確なものだった。
「ッ……!」
激痛――いびつに歪んだ刃先が銀色の毛皮を突き破り、脾腹の肉片を深くえぐり取る。たまらず地面にひざをつきたくなるような目眩をもよおす。
だが倒れるわけにはいかなかった。交錯してお互いがすれ違うかという寸前、光牙はその一瞬の間に発見していた。無理に攻撃を仕掛けた藤堂自身にも同時に隙が生まれていたことに――
おそろしいほど意識は冷静になり、光牙の感覚が急速に研ぎ澄まされていく。
欲しいのは速度だった。生かせるのは槍撃の勢い。光牙はのけぞった方向にさらに捻転を加えた。そうして瞬時に間合いを巻き取り、視界を激しく流転させて――その終点でぴたりと捉えた。両手で槍を握ったままでいる藤堂の横顔を――
あとはカンタンなことだった。転換した遠心力をそのまま拳に重畳して、その力の塊を相手にそのままぶつける。ただ、それだけだ。身を投げての奇襲――それが裏目だった。避けられないのは藤堂も一緒である。
たちまち光牙は手応えを得る。にぶい感触。その軋みが拳先から肘先に伝わっていく。
すさまじい衝撃音が鳴った。そして光牙の想像以上に威力はあったらしい。長身の藤堂が軽々と吹っ飛んでいった。身体の節々を何度も地面に打ちつけて、痛烈に転がり――その動きが止まる頃、ちょうど空中に弧を描いていた槍も跡を追うように地面に落下した。
(まだだ。さらに追撃を……)
そう望み、光牙はすぐさま駆け出そうとしたが――途端に全身が鉄にでもなったような重みが生じると、追従するように猛烈な目眩が襲いかかる。たまらず光牙は屈みこんだ。
腹部の傷口は思ったよりも深かった。複雑に食い破られた肉片から血がだくだくと溢れており、銀色の毛並みが今では真っ赤に染まっている。光牙は考えるまでもなく細胞制御による治療を始めた。多大な出血は疲弊を生み、やがて意識を断絶する。これ以上の損傷はまずかった。少なくとも今ここで意識を失うわけにはいかない――
そんな光牙の焦燥を嗅ぎ取ったように、藤堂がゆっくりと立ち上がった。そして、いつになく感情的につぶやいた。
「……まあ、いまさら驚きはせん。そもそも、お前の資質は私が見込んだのだからな……」
彼の左眼から血が流れていた。よく見れば顔の左半分そのものが変形している。光牙の拳圧が顔骨のどこかを折ったのかもしれない。だが――それだけだ。藤堂の意識は決して途切れていない。
光牙の拳に力が籠もる。傷の疼きが不安を煽る。
藤堂は点検するように自分の身体を一つずつ動かしていくと、さしあたっての機能に問題がないことを確認したのか傷口すら修復せずに歩き出した。地面の槍を拾い上げ、特に困った様子もなく片手で持ち上げる。そして槍の先端に付着した肉塊を示しながら藤堂は続けた。
「だが相変わらず甘いヤツだよ、お前は。昔、教えたろう。頑丈な人獣族同士の戦いでは殴打よりも斬撃が有効になる。今の一撃。細胞の刃でも使っていれば正解だったんだが……残念だったな」
「……ちくしょう……それでもアンタ、本当に寿命が近いってのか?」
光牙が舌打ちすると、藤堂は憐れむように自分の手のひらを眺めた。
「私は年老いたさ。そうでもなければあんな魔獣ごときに若い連中の力を借りる必要もなかった」
「……そうだろうな。アンタの強さに獣化まで加わったら……魔獣以上の化け物にだってなりうる……」
だれにだって容易に想像できることだった。今の老化した肉体ですら獣化した光牙を圧倒して、魔獣とも十分に渡り合っていたのだ――かつての彼が飛び抜けた強さを誇っていたことはまず疑いようがない。
(人獣族最強なんて呼ばれたわけだ……あまりにも格が違いすぎる……)
だが藤堂は意外なことを口にした。
「オマエはひとつ勘違いをしている。わたしは英雄と呼ばれるずっと以前から――もう獣化のできない身体になっているのだよ」
「……どういうことだよ……?」
光牙が困惑する。
獣化障害になりうる原因は老衰以外ではよほどの大病でしかありえない。そうであれば今の藤堂のように活発に動き回っていることはまず考えられない。
光牙に一つの考えが閃く。
「まさか……アンタは……人間になったっていうのか?」




