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第五章 嘆きの森 part11 (嘆きの森)


 魔獣はなにも答えない。肯定も否定もせず、ただそこに佇んでいるだけ――不揃いな歯牙の隙間からゆっくりと吐息を漏らして鼻先を静かに震わせている。

 いつからか――光牙は自分でも気づかないうちに人間の姿に戻っていた。しめった夜の風が吹くと、光牙の黒髪が静かに揺れた。

「……俺は言ったよな。きみがどうなろうと最後まで面倒をみるって――」

 声は届いていないのかもしれない。それでも光牙は構わなかった。そう口にすることで、自分自身の覚悟を確かめておきたかった。

 過去の過ち――それは決して正すことはできない。だからこそ同じ過ちを繰り返したくないと願う。その強い想いが今度は正しい方向に行動を導く――

 なにも難しいことではなかった。今の光牙にはそう思える。彼女が獣になったのならば――自分もまた獣として暮らすだけ。ただそれだけの――たったそれだけでしかないカンタンな決断を幼い頃の自分は下せなかった。あまりにもふがいない。

 ただ、そんな後悔はもうどうでもよかった。

(……まだ間に合うんだ……)

 そう言い聞かせて――光牙が告げる。

「一緒に暮らそう。俺はおまえの姿なんか気にしない。だったら断る理由だってもうないはずだろう――」

 その瞬間、光牙は頭を抑えた。

 ずきりとした頭痛。

 つい先ほど彫像で殴られた箇所――痛みの原因はそれだった。思いがけず頭の中に琴子の姿が現れると、光牙はたまらず後ろめたい気持ちになっていた。

(悪いけど……夜勤の仕方は他のヤツに教わってくれ――)

 琴子がいきなりあんな約束を言い出した意図くらいは分かっているつもりだった。そのことを考えれば約束を破るわけではない。自分はただ人里から再び離れるだけだ。死ぬわけではない――

 魔獣の顔に身を埋めると、光牙は息を大きく吸い込んだ。濡れた毛皮にこめられた強烈な獣の体臭。それに血の匂いが入り混じる。それでも不思議と悲しみはない。いくら傷跡が深かろうと、やがて時間がそれらを癒してくれるだろう。

 魔獣はただれた瞼を下ろすとゆっくりと眠りに入ったようだった。深い呼吸と共に岩山のような身体が小さく揺れる。彼女がいったいどれだけの絶望を背負ったのか、光牙にはとうてい想像がつかない。かつて同族だった討伐隊に命を狙われ、世界のどこにも落ち着く居場所を持たず、たった一人の味方だっていない永遠の孤独を運命づけられて……

 ごろごろと喉の奥から聞こえる呻き声。それはどこか怯えているようにも聞こえた。

「心配しなくて良い。俺がいる。俺は絶対に見捨てたりしない。ただ生きるだけならどこかで隠れて暮らせば誰にも迷惑なんかかからないさ――――」

 その時だった。

 音もなく、気配もなく――それは忽然と光牙の視界に現れた。

 異常なほどに細長い、それでいて強靭そうな黒銀の塊――それが魔獣に残された最後の瞳に深々と突き刺さった。

「なっ――」

 光牙は愕然とした。あまりに一瞬の出来事であっけにとられるしかなかったのだ。それでも時間は容赦なく現実を推し進める。

 真っ白い月を背景にして赤い鮮血が噴出する。さらに大きな黒い影がたてつづけに飛び込んでくると――頭部に極端な荷重を受けた魔獣はあっという間にバランスを失い、その鈍重な肉体はいともカンタンに押し倒されて湖に打ちつけられてしまった。巨大な水柱と共に無数の水滴が舞い散り――魔獣の悲鳴が夜空にこだまする。

「あれは……まさか……」

 光牙には見覚えがあった。魔獣の顔面に刺さる一本の槍。そして――その柄を握る黒い影に――

 

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