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第一章 新人教育 part3 (新人現る)

 一週間後、噂の女子大生は現れた。あいかわらずの夏晴れで、焼きつける陽射しが降り注ぐ日だ。

「神林琴子です。これからお世話になります!」

 ぶかぶかの作業服と安全靴、暑苦しい格好にめげる様子もなく、彼女は明るい表情を浮かべていた。黒髪の頭には小さな団子が一つ。顔は年齢の割に幼くて、全体的に小柄だ。園長の言葉を借りるなら、美人過ぎる飼育員というよりは、可愛すぎる飼育員を目指す感じだろうか。確かに人目を惹くほどの魅力を放っている。

 隣に連れ添う園長は彼女に優しく微笑みかけた。

「あなたの教育係は、前にも話していた通り、彼――人獣族の金峰君が担当よ。真面目な奴だから大丈夫と思うけど……なにかあったら迷わずあたしに連絡するように。すぐにとっちめてあげるからね」園長はそれから態度を百八十度旋回させて、光牙にはドスのきいた小声で釘をさした。「……光牙。ちゃんと怪我のないようにするんだよ。いいね」

「……わかってるって」

 そうして園長は立ち去った。背後の壁裏に隠れていた滝川の首を腕で巻きつけながら。おそらく滝川は園長のいなくなった後に登場して琴子と接触することを画策していたのだろう。光牙は遠目にかれらを見送った。それから琴子に視線を移すと、彼女はものめずらしそうに凝視していた。

「俺の顔になにかついてるかい?」

 彼女は小さな両手を慌てて振った。

「あ、ごめんなさい。人獣族のヒトを間近に見たのは初めてなので――」

「いや構わないさ。きみくらいの年齢だと珍しいモンだろ」

 人間の未成年は人獣族と知り合う機会はほとんどないといって良い。人獣族は就職するまで人間社会で暮らすことを禁止されていて、それまでは人獣族だけの土地で暮らすように法律で定められているからだ。人獣族は生まれつき強靭な肉体を持つだけに、人間の子供と一緒には育たない。学生の彼女が珍しがるのも無理はなかった。

「あのー」そう断ってから、彼女は続けた。「だとすると、変身って、いつでもできるんですよね?」

 それはまるで戦隊ショーを観る子供のような顔つきだ。初めて人獣族を見る人間のほとんどは、そういう期待をする。光牙もそのことには慣れているし、彼女の気持ちも分からなくなかったが――かといって、今は勤務時間中だった。

「おいおい、きみだって遊びに来たわけじゃないんだろ。ちゃっちゃと仕事を始めるぞ――」

「えー。ちょっとくらい良いじゃないですか。見たいですよ、ヘンシーン。ヒーローみたいでカッコイイじゃないですか」

 なにやら仮面を被った孤高の戦士のように腕を回して、琴子。しかも、やたらキレが良い。表情は完全にキメ顔になっている。平凡そうな少女の突然の機敏で大胆な動きに、光牙は眉を訝った。

「……きみ。ちょっと変わってるな?」

「それ、よくいわれますー。おかげで姉や兄、それから十歳の妹にまで白い目で見られてますよ」

 なぜか片手に意気揚々とVサインを掲げている。色々と問い詰めたい気持ちにも駆られたが、光牙にはそれより優先することがあった。

「とにかく行くぞ。動物たちが腹を空かしてるんだから」

「まさかエサやりですか?!」

 たちまちに琴子がきらきらと目を輝かせる。

「――その様子だと動物は好きみたいだな」

「当たり前じゃないですか! 超がつくほどの大好きです!」

「そうか。そいつは良かった」

 光牙は満足げに笑った。動物を好きな人間に悪い奴はいない。光牙の持論だった。

 しかし、半時間もしないうちに光牙は彼女の致命的な欠点に気がつくことになる。


「うわー! すごい! 馬ってかわいーですねー!」

「おい」

「リョータくんに、スバルくんかー。肌も毛並みも綺麗だねー」

「新入り」

「わっ、わっ、たくさん食べてます! いいですねー。うっとり」

「……なにやってんだ、おい」

 何度か呼びかけて、琴子はようやく振り返った。

「あれ、どうしたんです、センパイ。そんなしかめっ面しちゃって」

「どーしたもこーしたもない。おまえはどうして勤務開始早々にサボってるんだ!」

 光牙が怒鳴ったのは、自分の跡をついてくるはずの彼女が柵の外で待機したままだったからだ。馬のエサ管理を教えようというのに、ただ一般客のように騒いでいるだけ。両手の軍手は真っ白いままだ。琴子はむくれたようにほおを膨らませた。

「失礼ですね。わたし、ちゃんと見てましたよ。あれが大麦つぶしの機械で、牧草はあそこの青色の倉庫から台車で運ぶんですよね。それから穀物は計量して与えるようにして、牧草はいつも絶やさないようにしておく――ですよね? どうです、ばっちしでしょ」

 すらすらと答える彼女に、光牙は突っ込んだ。

「だから、それを手伝って欲しいってんだろうが! せっかくオマエに教えようとしているのに――」

「自分。やる時にはやる女ですから」

 得意げな声で、親指を立てて琴子。光牙のこめかみにぷっと血管が浮くと、その手首を掴みこんだ。

「ほう。だったら今がやるべき時だ。つべこべいわず、さっさと来い!」

「きゃあぁぁぁぁ! やめてくださいぃぃぃ!」

 腕を引きずろうとすると、琴子は突然に悲鳴をあげた。そのヒステリックな声に思わず手を離し――それから光牙は怒りに震えた。

「オマエ……ふざけてんのか……?」

「もう。センパイったら強引なんだから」

(……落ち着け、俺。とにかく落ち着くんだ)

 光牙は深く深呼吸した。それも大きく小さく慎重に三回ほど繰り返して――。

 もし琴子が女性でなければ、とっくに殴っていたのは間違いない。はやる気持ちを抑えながら、光牙は震え声で続けた。

「いいか。遊んでいる暇はない。飼育員の一日は忙しいんだ。次々に作業しないと動物たちが困っちまう」

「そうですよね、頑張りましょう! センパイ!」

「……って、ガッツポーズを取りながら後ろにさがるな!」

 彼女は地面をスライドするようにして、光牙からささっと離れていく。光牙が怒ったように睨むと、琴子はさすがにまずいと思ったらしく、肩をすくめて萎縮した。そして顔を横にそむけて、

「実は……わたし、近づけないんですよ」

 ぼそっと、そういった。

「近づけないって、動物にか? 好きなんだろ。いったい、どうして?」

 光牙の問い詰めに、琴子は観念したように告白した。

「動物アレルギーなんです、わたし」

「……は?」

 予想もしなかった回答に、光牙はおもわずすっとんきょうな声をあげた。

「生まれつきなんですけど、動物に近づくとアレルギー症状が出ちゃうんです」

「…………」

 しばらく沈黙したのは彼女の言葉の意味を理解するのに時間がかかったからだ。動物アレルギーの人間が動物園で働くということは、つまり、失神もしくはそれ以上の危険性があるということだ――

 光牙は一つの結論を導いた。

「よし。今すぐ帰っていいぞ。それじゃ、おつかれっした――」

 手を振って、光牙がすみやかに立ち去ろうとすると、琴子はすかさず飛びついた。

「ま、待ってくださいぃぃぃーッ! それでもわたし、動物は大好きなんですぅぅぅっっ!」

 小さな体のどこに隠していたのか、琴子は異様な力を発揮して光牙の腕に食い下がっている。

「なにいってやがる! 動物アレルギーのヤツが動物園で勤務なんて、ほとんど絶望的じゃねえか! 悪いこたいわねえからよそで働け!」

「いやですぅぅぅぅっ! 小さい頃から動物園で働くことが夢だったんですぅぅぅっ! やっとの思いで雇ってもらえたんですからぁぁぁ!」

 綱引きのように引っ張り合う二人。だが女の力で人獣族を引きとめられるはずもなく、琴子はずるずると引きずられていた。撒き餌に食いついた魚のようにびろーんとしがみつきながら。

「この――いいかげん離せっての――俺はいそがしい――んだよ――!」

「だめです――見捨てないで下さいぃぃぃ――初日からクビなんて――今後のトラウマになっちゃいますよぉぉぉ……」

 ヨヨヨと涙声をもらす琴子。光牙はさすがに可哀相になって立ち止まると、疲れたように嘆息した。

「そうはいってもよ。アレルギー体質ならどうしようもないだろう」

「でも動物は好きなんですッ!」

「そんな意気込まれてもなあ……。無理なモンは無理なんだから――」そう言いかけて、光牙はふと疑問に思った。「厳密には、アレルギーはどんな動物が駄目なんだ? 大丈夫な動物だっているんだろ?」

 光牙の質問に琴子は即答した。

「全部の動物がダメですね」

「オーケイ、よくわかった。だから帰れ」

「ま、待って下さいぃぃぃい……」再び、ずるずると光牙に掴まって、琴子。「そうやって、すぐに見捨てないで、もっとわたしのことを前向きに考えてくださいよ!」

 すると光牙は明後日の方向を見つめて、空に向かってつぶやいた。

「さようなら神林琴子。おまえのことは永遠に忘れない。ホントに良い奴だった。おまえの生きたかった分まで俺が存分に働いてやるからな……。これで満足したか?」

「センパイが前向きになってどうするんですか! ていうか、わたし、死んでるし!」

「ちっ。これでもダメか。……いったい、どうしたら帰ってくれるんだ、オマエ」

「だから諦めないで下さい! どうしても動物園で働きたいんですから!」

 小芝居を終えて、光牙はめんどくさそうに髪をがしがしと掻き、うんざりとしながら琴子に視線を落とした。眉間にしわを寄せて、負けん気の強そうな顔を浮かべている。たとえ一ヶ月分のバイト代をまとめて払うから帰ってくれとお願いしても、彼女は諦めそうにない。光牙は折れたようにため息をついた。

「しょうがねえな……。それじゃあゴーグルとマスクでも装着して様子でもみてみるか。そうすれば多少は緩和できるかもしれないし――」

 そう提案すると、琴子はけろっとした声で答えた。

「あ、ご心配なく。わたし、そういう普通の症状ではないので。遠くにいる分にはマスクとかなくて大丈夫です」

「どういうことだ?」

「わたし、昔っから動物に近づくとしゃっくりが止まらなくなる体質なんですよ」

 それを聞いた瞬間、光牙の眉が引きつった。

「……しゃっくりだと?」

「そうです。しゃっくりですよ、しゃっくり」

「アレルギー反応って……もしかして、それだけなのか?」

「そ、それだけってなんですか! しゃっくりって百回連続ですると死んじゃうかもしれない難病なんですよ、ヤバイんですよ?」

 さも世界の常識を語るように、琴子が胸を張って、えへん顔をしている。

 彼女は気づいていない。光牙が目を真っ黒にして、すべての感情を顔から消し去っていることに――

「きゃぁぁぁあああああぁぁぁ! なにするんですかああぁぁぁぁ!」

 小柄な体の首根っこを捕まえると、光牙はエサを食べている馬の密集地帯に移動して彼女をそこに下ろした。怯える馬たちを呼び止めて、光牙は紹介した。

「おまえら、これが新人の神林琴子だ。これからお世話になるから、よく覚えておくように」

 匂いやら顔を覚えるべく、馬たちが次々に群がり、顔を近づけて琴子を認識していく。琴子のいった通り、彼女は途端にしゃっくりを始めている。そして、たったそれだけのことだった。


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