第五章 嘆きの森 part2 (疑念)
月光のうっすらと刺しこむ草地の広がり。そこで光牙は足を止めた。
(これだけ引き離せば、しばらくは大丈夫か……)
たえず背中にしがみつかせていた琴子をようやく解放すると、彼女は途端に不機嫌そうに不平を漏らした。
「うわー……ベッタベタ……センパイ、今度はもう少し上手く走って下さいよ――」
琴子の苛立ちの原因は、黒髪や衣類に絡みついた蜘蛛の糸、またそれに付随して粘着した葉っぱや枯れ枝などにあったらしい。森中を駆け抜けてきた痕跡を煩わしそうに振り払っている。
「すまない。急いでたからな――」
「まあ楽しかったから良いですケド……」
謝る光牙に、琴子が笑って済ます。そのことに光牙は少し驚いた。
「……オマエって、やっぱ変わってるよな」
「そうですか? どのへんが?」
「こんな状況になってもケロっとしてるからよ……普通はもっとむくれてもいいものじゃねえか? たぶん」
言いながら光牙が倒木した幹の上に座る。それと同時に意識を和らげて――全身を覆っていた銀色の羽毛が薄れていき、黒髪黒目の人間の姿へ戻っていく。獣化の時は身につけないようにしていたお気に入りのジャケットは先ほどの戦いですっかりボロボロになっていた。値段のことも考えると少し頭が痛くなる。
そう密かに光牙が落ち込んでいると――その隣に琴子が並んでちょこんと腰かけた。そして、さきほどの質問ににっこりとして答える。
「だって今回のことは仕方ないことじゃないですか。そもそもセンパイのせいじゃなくて、わたしの体質が原因みたいですし。わたしにしてみたら、どっちみち巻き込まれてたんだったら、先にセンパイと知り合っていてラッキーだったって感じですよ。おかげで少しは事情を知ることができましたし。もしわたし一人でいたらあの忠孝さんって人はなんにも教えてくれなかったと思いますよ」
(本当は俺にも教えるつもりはなかったんだろうけどな――)
光牙が心の中で付言する。
共生特課は簡単に言ってしまえば人獣族専用の警察機構であり、原則として民間人に事情を説明することはない。それにも関わらず忠孝がわざわざ話をしてくれたのは、あの時の彼に魔獣討伐を円滑に進めるため光牙たちを足止めするという算段があったからだ。そのような目的でもなければ彼らに情報を開示する必要性はまったくない。
(いや、そもそも……あれが本当の話だったかどうかも疑わしいもんだが……)
「あれ……そういえばセンパイ……」
そう断りを入れると、琴子は急に立ち上がり、じりじりと後ろに後退しだした。
「……どうした? 急に身構えて?」
「いや……その……そういえばどうして、急にあの場から逃げ出したりしたんです……?」
「そりゃあカンタンなことさ。あいつを助けるために――」
言いかけて、光牙は琴子が恐怖を覚えている理由をようやく察知した。
「ってことは……それってつまり、わたしを……その……生贄に捧げちゃおうってことですよね……?」




