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第一章 新人教育 part2 (休憩室の昼時に)

 都市郊外の駅にある玉響(たまゆら)動物園は光牙の目から見ても明らかに寂れていた。書き入れ時の夏休みなのにまばらな客つきで、ペンキの剥がれた壁や亀裂の入った道は数年前から一向に舗装されない。それでも客足が絶無にならないのは、古い設備を気にせず、純粋に動物を楽しみにする人々がいるからだろう。

 光牙が北エリアの休憩室のドアを押しやると、ひんやりとした空気が舞い込んだ。室内にはいくつかの長机が並べてあり、ノートパソコンと睨めっこする女園長と休憩している同僚の姿があった。彼女は先代園長の娘で名を玉響蜜子と呼ぶ。なんでも八年ほど前に父が早期に他界してから、跡を継いで経営者になったという。くわえタバコの仏頂面で、貧困した財務事情に絶えず眉根をしかめる姿はもはや日常の光景だ。同僚の滝川はといえば椅子の上でふんぞり返ってあいかわらず飽きもせず雑誌の袋閉じをにやけて鑑賞している。散りじりした黒髪天然パーマの毛先に頭上の蛍光灯が白く照り返っている。

 光牙が机に座って食いそびれた遅めの昼食を摂ろうとすると、園長は茶色いサイドポニーを揺らして振り向き、命令した。

「おい滝川。例のアレ」

 その伝令を聞くと、滝川は読みかけの雑誌を閉じて、隣のパイプ椅子に積んであった書類を光牙の目の前にどすんっと置いた。

「……なんだ、コレ?」

 疑問符を浮かべる光牙に、滝川はだるそうな声で答えた。

「オマエ宛のクレームだとよ」

「光牙。あんた、約束を破って、またレオに乱暴してたみたいだね」

 園長が腫れぼったいタレ目を半眼にして問い詰めると、光牙はぎくりと身体を硬直させた。

「ど、どうしてそれを――?」

 彼女は光牙の背後に立つと、その後頭部をおもいきり拳骨で打ち下ろした。

「このスカタンが! 今回もしっかり全国に配信されてるんだよ!」

 そのまま耳を引っ張って、パソコンの前まで光牙を引きずる。LEDの液晶モニターには、つい先刻の騒動が鮮明に再生されている。タイトルには<極悪飼育員vs百獣の王 第3弾 華麗なるソバット>と記されている。驚くべきことに、わずか数時間で一万再生超え。ちなみにシリーズのきっかけになった動画は<極悪飼育員現る! ライオンにまさかのドロップキック!>であり、その再生数はダブルミリオンを記録している。

 客視点での映像を見て、光牙はおそるおそる弁明した。

「ちゃんと手加減はしたさ。それによ、レオが悪いんだぜ。いつもいつも贅沢なことばかりぬかしやがって。だからいち飼育員としては、やはり教育的指導をだな――」

「……いいたいことはそれだけか?」

 光牙の胸倉を掴みあげて、園長が顔を近づける。黒ずんだ目は完全にすわっていて、尋常ならぬ殺気が宿っている。背筋に寒気を覚えて、光牙はごくりと喉を上下に揺らした。

「こ、今後は気をつけるって……」

「ったく。そんな短気な性格だから、人間学校を喧嘩で退学なんかしちまったんだろ? いい加減、改善しな。そもそも普通のお客さんに動物の声なんか聞こえやしないんだから何を愚痴ろうが放っておけばいいんだ。あんたは動物の体調管理だけを気遣ってればいい」

「けどよ、しつけは大事だぜ」

「どの口がほざいてんだ。アンタのソレは人間の世界じゃ暴力っていうんだよ。……いいか。仏の顔も三度までだ。次に同じことやったら――いくら温厚なあたしだってホンキで容赦しねえからな。分かったか?」

「……はい」

「だったら、今日中に動物愛護団体様に丁寧な謝罪文を送っておくように。以上」

 解放されて席に戻ると、滝川は冷やかすように口笛を鳴らした。

「生物界最強の人獣族くんもさすがの園長相手には形無しだな」

「……ホント、あんなにおっかない目ができるヤツは人獣族にもいやしない……」

 光牙が小声でつぶやくと、滝川は面白そうに笑っていた。それは冗談でもなんでもなく本気のことだったのだが――。それから光牙は気を取り直して、割り箸を歯に咥えて割り、買っておいた弁当屋のカツ丼を食べ始めた。

「そういやよ。オマエ、女子大生の話は聞いてるか?」

 知らない話題に、光牙は首を傾げた。

「いいや、知らないな。なんの話だ?」

「オレもたった今園長から聞いたばかりなんだけどよ――。なんと……まさかの現役女子大生が来週からバイトに来るらしいぞ」

「バイトだって? 人手なら今のままで十分足りてると思うが……。夏休みだってのに客も増えちゃいないし」

 すると滝川は指をチッチと揺らした。

「……ふふふ。オマエはなにもわかっちゃいねえな。青二才」

 それから立ち上がると、硬く握った拳を前面に突き出して、テンション高らかにこう叫んだ。

「夏といえば水着。水着といえば美女! つまり園長は女子大生にコンパニオンをやらして客を増やそうってハラなんだよ! 動物に囲まれた園内をうろつく水着美女。こりゃあ、おまえのアニマルプロレスなんかより、よっぽど宣伝になるぜ――」

 その合間に背後にこっそり移動していた園長は、即座に拳骨をお見舞いした。滝川の目に星が浮かぶ。

「んなコトさせるかっつうの」

 光牙はお茶を飲み、なにごともなかったかのように話を戻した。

「で、どうしてアルバイトなんて雇うんだ?」

「目的は滝川のいうとおり、最終的には宣伝だよ。面接したところ、彼女は性格も面白いし、見た目も良くてね。しかも将来は動物園勤務を志望していた。イベントショーを仕込んだら面白そうだと思ってね。うまくいけば美人過ぎる飼育員なんて広告も打てそうだし」

「なるほど。たしかに水着と同レベルの発想だ」

「そこまで下品ではないでしょ。むしろナイスな発案といってちょーだい」

「……自分で言うか」

 光牙の突っ込みは聞き流して、園長は続けた。

「それだけじゃないんだよ。彼女がうちを気に入ってくれると、色々と美味しいことになるんでね」

「美味しい?」

 彼女は前かがみになって腕を組むと、にやっと笑った。

「……いわゆる、大人の事情ってやつだよ」

 光牙は豚肉をほおばりながら押し黙った。園長がそのように話を濁す時は、だいたい社会の表沙汰にできないことを考えている。つまり、知らない方が良いということである。光牙はそれ以上の会話を中断することにした。関わらない方が良い。そう直感したからだ。

 だがそんな光牙の望みなど露知らず、園長はさらっと告げた。

「ついでにいうと、そのコの世話役はアンタに決めたから。光牙」

 思わず光牙は咳き込んだ。慌てて、お茶で喉の異物を押し流す。

「ど、どうして俺が……?」

「そんなのカンタンなことじゃない。人獣族のアンタに任せておけば動物事故はまず起きないでしょ。彼女に怪我なんてされたらオオゴトなんだから」

 園長のさらに意味深な言葉に、光牙は嫌な予感しかしなかった。

「ええと……そんなメンドくさそうなことは引き受けたくないんだが……」

 そう訴えようとすると、園長は苛立ったように表情をゆがめた。

「へえ。散々迷惑はかけるくせに、たまのあたしのお願いは聞かないっての。三年前、人間学校を喧嘩で中退した落ちこぼれの凶暴人獣族を拾ってやった恩人はだ~れだっけね……ねえ? また橋の下で寝泊りしたいのかしら」

 光牙は嘆息した。この話を持ち出されると、選択できる回答は一つしかないからだ。

「……やりゃあいいんだろう、やりゃあ」

「うん。それでよろしい」

 勝利の一服とでもいわんばかりに彼女はタバコに火をつけた。

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