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第四章 魔獣 part6 (英雄の問いかけ)


「静音!」

 強烈に意識を惹きつけられて――ただちに駆け出そうとする光牙だったが、

「待つんだ。へたな手出しで邪魔をしてはいけない……」

 光牙よりもはるかに冷静なトーンで忠孝が引き止める。その呼びかけでいくらか熱が下がると、光牙はようやく全体の光景を認識することができた。

 五人の人獣族――それが魔獣を取り囲んで戦っている。忠孝と同じデザインの黒装束を纏っているが、その手中はとても穏やかでない。猛獣用の猟銃や殺傷力を追求した鋭利な刃物――あらゆる手段を用いて魔獣を物理的に殲滅しようと試みている。

 そして彼らの戦略はおそらく功を奏していた。

 魔獣は限りなく窮地に立たされている。皮膚の至る所に打ち込まれたぶあつい鉄杭――その激痛が全身の神経をたえず揺さぶっているのだろう。押し広げた口膣から悲痛な叫びを何度も漏らし、訴えている。先ほどから聞こえていた咆哮の正体はまさにそれだった。魔獣が動くたび、ずるりと剥がれた黄土色の毛皮の下から赤く湿ったぐしゃぐしゃの血の塊が見え隠れしている。

 ほとんど瀕死といって良い。もはや戦いと呼べる代物ではなかった。手負いの魔獣は攻撃する余力すらも持ち合わせておらず、ただひたすらに攻撃に耐えている――だが、それもおそらく時間の問題だろう――

 光牙はたまらず叫んだ。

「ふざけるなよ! あんたらはどれだけ彼女をいたぶるつもりだ……!」

 かっと燃え盛る炎のようになって――光牙の肉体が一斉に銀色の毛並みに包まれていく。上半身の筋骨がみるみる集中して発達すると、身に着けている革のジャケットが局所的にふくれて破ける。

 そうして半獅子の姿に獣化した光牙は忠孝の腕を払いのけると、ただちにその場を駆け出した。足場の悪い瓦礫だらけの玄関を飛び抜けて、まっすぐと野外にいる魔獣のもとへと向かっていく。野外の大気にすっかりと入り混じった硝煙の匂いがやけに鼻にまとわりつく――

「やめろ! もうやめてくれ――!」

 懇願にも近い光牙の叫び。

 混迷した戦況でそんな言葉を聞き入れる者はだれ一人いない――そう思っていた光牙だったが、予想は嬉しい方向に裏切られた。

 誰もが交戦を続ける中で、ただ一人だけ総髪の初老が振り返った。そして素早い身のこなしで光牙の眼前まであっという間に移動してくる。

 中肉中背の光牙より一回りも二回りもでかい。それは単に彼が長身というだけでなく、自らの背の高さよりもさらに長く尖った重槍を装備しているせいでもあった。変わった形状の槍で、先端に鋭く尖った矛先の頂点が三つあり、そこから歪曲した刃渡りがそれぞれに下っている。おそらく突きと斬撃の両方に優れる武器なのだろう。ねじれた刃状部には、どろっとした血と肉が何重にもなってこびりついている。

「藤堂先生……?」

 自分の答えに自信が持てなかったのは光牙の知らない表情を老人が浮かべていたからだ。ひどく疲弊にまみれた余裕のない顔――ただそれだけのことで別人に見えてしまうほど彼はいつも万全だった。厳格で隙のない冷淡に塗り固めた仏頂面――どんな状況でもそうあることが彼の異常であり、強さの秘訣のはずだった。その鉄壁が取り崩されたということは――それだけ今の事態が危機に直面しているということなのか――

 藤堂が口を開こうとした時、ちょうど空から声がした。

「先生!」

 その呼びかけは光牙の跡を追ってきた忠孝のものであった。

 藤堂が視線をいくらか交互させてわずかな逡巡を加えていると――その間に忠孝が矢継ぎ早に尋ねた。

「魔獣は……まだ仕留められていないんですか……?」

 一枚の羽毛みたいにひらりと地面に舞い降りた忠孝に、藤堂が苦汁をなめたように答える。

「ああ……アレが我々の予想を遥かに上回るほどの化物になっていてな……どうにも手こずっている」

(化物だと……?)

 その言葉に敏感に反応しそうになるが――光牙は本題を思い出して私憤をおさめた。そして、藤堂の注意を惹きつけるために大声を発する。

「おい、あんたなら指揮できるんだろう! 頼むから攻撃を止めさせてくれよ!」

 光牙の要求に――半眼になった藤堂は恐ろしく冷たい声で突き放すように返事をした。

「……つい先日、私はお前に関わるなと忠告したはずだが?」

 まるで心までもが凍りつきそうになって――それでも光牙は怯むわけにはいかない。

「……彼女がどうしようもない状況にあることは俺にも分かっている。そして、そのための覚悟だってつけてきたつもりだ。でもよ……こんなやり方があるかよ! いつまでも執拗にいたぶって――どうしてさっさとケリをつけないんだ!」

 なおも声を荒げ続ける光牙を、藤堂は冷静に咎めた。

「お前の目はとんだ節穴だな。あの光景が――我々に有利な状況に見えるとは」

「なに――?」

「見ろ……」

 藤堂が重槍をかざす。

「今回の一件に手配した戦闘員は私を含めて十二名。それが今は何名だ?」

 数えるまでもないことだった。隣にいる藤堂を除けば、もう眼前には四人の人獣族しか戦っていない。その意味をうっすらと読み取って、光牙が肩を震わせる。

「まったく愚かな誤算だった。返り討ちに遭った連中は未だに森の中にいる。生死の確認すらできていない有様だ」

「……」

 光牙は絶句した。

 共生特課は人獣族の中でも戦闘力に優れたエキスパートのみで構成されている。強靭な肉体を持つ人獣族が凶悪犯罪を起こした際に備えるためである。かつて候補生にも選ばれたことのある光牙は彼らの強さをそれなりには知っている。だからこそ、光牙は事態の深刻さをようやく痛感することになった。

 藤堂は向けていた獲物の矛先を納めると――周囲をさっと一瞥してから尋ねた。

「神林琴子はどうした……?」

「彼女なら来賓館の中に――」

 忠孝が答えると、藤堂はすぐさまに命令した。

「ならばお前は神林琴子を連れてすぐに避難しろ」

 まったく予期していなかったのだろう、その発言に驚いたように忠孝が目を見開く。

「どうして今更彼女を……?」

「わからんか? 今現在、この戦局でもっとも優先すべきことは――奴の標的である神林琴子を我々が保有しておくことだ。そうすればこの場は敗北しても、今後も先手を取ることができる」

「ですが……先生は――」

 そうなにかを言いかけたところで、藤堂は厳しく忠孝を睨みつけた。

「……奴を人里に出すわけにはいかんだろう? 分かったら、さっさと行け。二度は言わんぞ……」

「はい……」

 なかば納得していないような面持ちで頷くと――忠孝は翼を虚空に打ち鳴らし、再び洋館に向かって羽ばたいていった。その姿を見送ってから――藤堂は思い出したかのように後ろ髪を揺らして振り向いた。黒ずんだ瞳がまっすぐと光牙を捉える。

「それで……おまえはどうするつもりなのだ? 金峰光牙」

 かわいた声で藤堂。

「俺は――」

 凄惨な傷跡を負った魔獣の姿が視界にちらつく。固く結んだはずの気持ちが次第にほどかれていくのを感じながら、光牙が判断を戸惑っていると――

 突然に夜全体を震わすほどの激しい咆哮が響き渡った。


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