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第一章 新人教育 part1 (腹を空かせた百獣の王)

 数年後、少年は大人になって働いていた――

 蒸すように暑い夏の日のことだ。

『我に、このような扱いをして覚悟はできているのか?』

 檻の中で百獣の王に睨まれながら、飼育員の金峰光牙(かなみねこうが)は黙って掃除を続けていた。強烈な臭気を放つ獣の糞を専用の袋に片付けて、石床や岩山の隅々を濡れたモップで丁寧に磨いていく。そうして動き回る間に、彼はすっかり汗だくになっていて、作業服はびっしょりと濡れていた。

『我は最強の王者なのだぞ。それは貴様とて分かっていることだろう』

 檻の外では家族連れやカップル、それにカメラを持った男の集団などがわんさか見物に訪れていた。傍らの看板にある「玉響(たまゆら)動物園 人気No.1 ライオンのレオくん」のキャッチコピーに惹かれてきたのだろう。そういう意味で、百獣の王は確かにナンバーワンの存在だった。

『そんな我に対して、一昨日も昨日も今日も鶏肉だと? しかもパサパサの胸肉ばかり……。たったこれっぽっちの食事で満足するとでも思っているのか? ええ?』

 べちゃっと地面に落ちた生肉を爪先でつっつきながら、小姑のように不平を漏らす百獣の王。その姿が可愛いと、遠くからは黄色い声が発せられている。

『馬肉だよ。馬肉。馬肉を用意せぬか。それもとびきり上質な馬肉をな。すみやかに要求に応えねば、飢えに耐えかねた我はいい加減、なにをしでかすか分からぬぞ……』

 いっておくと、この場において、レオの言葉を理解できるのは光牙だけだ。外にいる客にはただのライオンの鳴き声にしか聞こえない。そのことを確認するように、レオは続けた。

『おい。聞こえているんだろう、光牙。我は警告しているのだぞ。このようになりたくなければ、早急に馬肉を手配しろといっているのだ』

 高慢に鼻を鳴らして、レオは眼前の鶏肉を爪で引き千切った。それから無残な破片となった鶏肉を光牙の足元に向けてぺしんと放りつける。

 地面に落ちた細切れの生肉を見つめて、光牙はついに沈黙を破った。

「……黙って聞いてりゃ、好き勝手にほざきやがって――」

 観客が一斉にどよめき始めたのは光牙が半獣化を始めたからだ。まるで録画したフィルムで植物の成長を早送りするように、光牙の黒い頭髪は銀色の鬣に変化していき、作業服の下で筋肉が膨れ上がっていく。

 そうして変身を終えると、光牙はレオの頭をすかさず殴りつけた。

「ガタガタいわねえで、さっさと食いやがれ。さもねえと俺がテメエの肉にかぶりつくぞ!」

 レオは目玉をひん剝き、牙を尖らせて、怒り狂った。

『き、貴様……我をあいかわらず侮辱しおって……今日こそは貴様を屠ってくれようぞッ……!』

 戦闘体制になったレオが襲い掛かると、すぐさま観客の悲鳴があがった。だが光牙は至って冷静であり、やれやれといったようにため息をつく余裕さえあった。

「ったく。おまえもいい加減学習しろっつうの!」

 それはさながら時間の止まった映画のワンシーンのようだった。跳躍したレオの脾腹を光牙の華麗なソバットが見事に打ち抜いていたのだ。

 蹴りの衝撃でレオは吹っ飛び、背中から地面に打ちつけられて、ばたばたと痛みに悶絶していた。光牙はレオを真上から覗き込むように見下ろすと、改めて尋ねた。

「それでだ。さっきからよく聞き取れてなかったんだが……なにかいってたか?」

『……いえ、なにも大したことは。つまり、いつも美味しい鶏肉をありがとうございますってことです……』

 そう謝罪すると、レオは地面を這いずって、落ちた鶏肉を無理矢理に口膣に押し込んでいた。その様子に、光牙は満足したように笑った。

「そうそう。飼われている以上、感謝の気持ちは忘れずにな。……じゃないと、またシメるからな」

 最期にぼそっと付け足して脅すと、レオはびくりと肩を震わせ、檻の隅っこに身をひるがえしてうずくまった。

 一方、観客はかなり騒然としていた。迫力のある戦いに歓声をあげる者もいるが、およそ調教とも呼べない光景に、虐待はやめろと非難を浴びせる者もいる。

「……またやっちまった……」

 我に返ると、光牙は慌てて人間の姿に戻り、その場をそそくさと逃げ出した。


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