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第二章 止まった時間 part8 (誘拐、そして)


「きゃあっ!」

 その場のだれもが彼の存在に気づいていなかった。メットの男までが驚いたようにしている。突然に琴子の背後に現れた男はどうやら頭上の山林から飛び降りてきたらしく、身に纏っている詰襟の黒装束には至る所に木の葉をくっつけていた。小柄な彼女の体を軽々と担ぎあげると、街路灯の明かりが彼の顔を照らし出した。

「あ、あんたは――」

 驚く光牙に構う様子もみせず、黒ずくめの男はメットの男に琴子をすばやく譲り渡した。琴子は手足をばたつかせて抵抗しているものの、彼らの力の前では無意味な足掻きでしかなかった。

「そこまでしてわざわざ面倒な真似をするな。我々に遊んでいる暇はない。さっさと娘を連れて退け」

「ですが、彼を――」

「任せろ。私が引き受ける」

「……わかりました」

 するとメットの男はそれまで隠していたらしい――両肩の服生地を突き破って巨大な翼を背中に生やすと、夜の虚空に向かってさっそく浮かんでいった。

「ちょ、ちょ、ちょっと! え、やだ! まさか飛ぶつもりですか! ややや! わたし、高所恐怖症なんですってば! いや、わっ! わぁぁっ――――! セ、センパイ――――! ――――助けて――――!」

 なんだか間の抜けた悲鳴をこだまさせて、琴子。慌てて光牙が飛び掛ろうとすると、その進路を阻むようにその男が立ち構えた。

「久しぶりだな、金峰光牙」

「あんたこそ……。もう還暦も迎えただろうに、あいかわらず老けないな――藤堂先生」

 不思議なことに、眼前にいる初老の彼は記憶の中に思い浮かぶ姿と比べて、まるで時間の流れを感じさせなかった。総髪の凍てつくような表情に、もしかすればシワ一つだって増えていないのかもしれない。あいかわらず冷酷さを表情に漂わせているような男だった。

 かつて最強とまで謳われた人獣族、藤堂総十郎。まるで様子の変わっていない彼に、光牙はすっかりと萎縮していた。

(はたして太刀打ちできるのか、俺に……)

 光牙はさきほどからずっと自問していた。だがもう迷っている暇はなかった。見上げると、琴子はもう手の届かないような高度まで上昇しようとしている。

「くそっ! そこをどけッ――!」

 そう叫びながら殴りかかると――光牙はすぐさま唖然とした。藤堂はあたかも流水の底に沈む石を掬い上げるかのように光牙の手首をあっさりと捕まえていたのである。反射的に腕を引き剥がそうとするも、彼の手から篭められている万力じみた握力に妨害されて、その締めつける痛みに光牙はたまらず表情を苦悶に歪めた。なんとか逃れようと、今度は渾身の蹴撃を繰り出したが、それも片手で簡単に阻止されてしまった。

 藤堂は当身のように体を突き出すと、片足で不均衡な状態の光牙を後方へと強く吹き飛ばした。強風に飛ばされた紙クズのようになって、光牙が地面をみっともなく転がされる。

(こんなに圧倒されちまうもんなのか……?)

 たまらず光牙は胸中で毒づいた。見れば藤堂は獣化さえしていない。いくら強靭な人獣族といえど、今の獅子の形態である自分が力劣りすることにはまるで納得がいかない。うずく片腕を抑えながらほとんど絶望的になっている光牙を見て、彼は忘れていることを思い出させるように冷静に告げた。

「もう間に合わん。あの娘は遥か空の上だ。オマエに翼はないだろう」

 遥か夜空の奥を見上げると、確かに二人は小さな粒となっていた。もう琴子の悲鳴も聞こえないくらいの高度に達している。

「……彼女をどこに連れて行く気だ」

「安心しろ。我々は彼女に危害を加えるつもりはない。むしろ、その逆だ」

「どういう意味だ……?」

「我々は神林琴子を保護しにきたのだよ」

「あいつを保護だって? いったい、どうして――――」

 藤堂は緩急をつけたような動きで黒装束を機敏にはためかせると、あっという間に離れた間合いを詰めてしまい――おそろしく素早い手刀を光牙へと放った。

「ぐっ――」

 とてつもなく鈍重な衝撃を首に受けて、たまらず光牙が地面に崩れ落ちると、藤堂はそれを見下ろしながら静かに言い放った。

「我々に関わるな。どうせお前には解決できない問題なのだからな――」

 地面に身を屈め、揺らぐ視界のせいで立ち上がれずにいる光牙。藤堂はさらに続けた。

「彼女に遭遇したのではないのか。……大神静音に」

「なんだって……知っているのか、静音のことを――!」

 愕然とする光牙に気づいて、藤堂は失望するような視線を送った。

「やはり……その様子ではなにひとつ変わっていないようだな。どうやら、今も昔もお前は止まった時間に身を沈めたままのようだ」

「ま、待て――!」

「……私を引き止めてどうするつもりなのだ。同胞の尻拭い一つもろくにできず共生特課を早々に逃げ出した腰抜けが、まさかこの藤堂総十郎を打ち負かすつもりでいるのか? ……笑わせるな」

 それだけ言い残すと、彼は乗り捨てられたバイクを動かし、地面に這いつくばる光牙にはほんの未練も示さずにその場を颯爽と立ち去った。光牙は唇を噛み締めて、その乾いた排気音を見送っていた。

(――くそっ――いったい、なにがどうなってる――?)

 様々な疑問が脳裏に浮かぶ。肉体的にも精神的にもひどい混乱が光牙の中で取り巻いていた。


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