第二章 止まった時間 part5 (現役女子大生の顰蹙)
「……なんだよ、これは?」
閉園後の夕刻になり、事務室に戻った光牙は園長からヘルメットと愛車の鍵を唐突に手渡されたことに首を傾げた。
「アンタの都合で琴子ちゃんを帰らすんだろ。だったら、せめて送迎くらいしてあげるのが義理ってもんじゃないか」
「いや、それは園長も了承したことじゃ――」
言い訳しようとする光牙に、園長はずいっと詰め寄った。色濃い紅を塗った唇がやや挑発気味に笑う。
「へえぇぇ。あんな恐い目にあった女の子を一人で帰らせるわけかい?」
そうして刺々しい目つきになった彼女に逆らえる者は、この動物園には絶無だった。責めを受けた光牙はいつものように渋々とため息をつくしかない。
「ったく、分かったって。送ればいいんだろう、送れば――」
がっくりとして頷くと、隣の机に座る滝川があいかわらずの歓楽雑誌に視線を落としながら、ふてくされたように悪態をついた。
「けっ、ざまあみろってんだ。現役女子大生と一緒に夜勤なんて破廉恥極まりないし不謹慎なことしてるから天罰が下るんだ。まったく不埒なヤローだぜ。誠実なオレにはとても真似できない」
「……現役女子大生の勤める風俗店情報をリアルタイムでくまなくチェックしてる奴にそんなことは言われたくないんだが……」
彼の広げているページのでかでかとした見出しに光牙が突っ込むと、滝川はけっと舌打ちして視線を逸らした。いつもならば我が我がと名乗り出る場面だったが、彼は二輪免許を持っていない。代役に名乗り出ることもできなくて、代わりに拗ねるくらいの反抗しかできなかったのだろう。
そんな滝川に哀れむ視線を向けながら、光牙は園長に小声で尋ねた。
「……もしかして事情を話したのか?」
「そりゃあね。滝川だけじゃなく園内の職員全員にちゃんと話したよ。なにせ危険な目に遭うかもしれないんだから――」
普段のおちゃらけた表情でなく、しっかりとした責任者の顔つきで園長が話した。
「――とはいえ、細かい事情は話してないよ。アンタの昔の関連とかね」
最後にそう耳打ちされて、光牙はほっとしたように一息ついた。
「警察の件はどうなったんだ?」
改めて光牙が尋ねると、その質問を待っていたかのように園長は目玉をひん剝いて怒りを露にした。
「あいつらときたら本当に失礼な連中だよ。たった一人の駐在員を残して、またなにかあったら連絡下さいだってさ」
「へえ。まあ、そんなもんだろうな。実質的な被害があったわけでもないし、ここに再び現れるって可能性も低いだろうし――」
光牙は改めて自分の予想が外れていないことを確信した。今頃、やはり彼らは逃亡する魔獣を早急に処分しようと全力を尽くしているのだろう。
「あのー、お待たせしました」
がらっと扉が開くと、そこに着替えを終えた琴子が現れた。
昨日の寝巻き姿とは異なり、チュニックにデニム生地のホットパンツを履いて、いかにもイマドキな女子大生の格好をしている。雑誌の陰から、滝川が抜け目なく色視線を向けていることに気がついた園長は、すかさず彼の煩悩に満ちた頭をぽかりと小突いた。琴子はとてとてした足取りで近づいてくると、少し意地の悪そうな笑みを浮かべて光牙を見上げた。
「いやー、家に帰れるだけじゃなくて送ってもらえるなんて。すいませんねぇ、センパイ」
どうやら光牙はすっかりと琴子の顰蹙を買ってしまったらしい。彼女は急に棘のある喋り方をしていた。
「おい、俺を恨むのはお門違いだからな……」
「なんの話ですか。わたしはただ忙しいセンパイの手を煩わせて悪いなーって恐縮してるとこなんですから」
小さく舌を覗かせて、琴子。光牙は疲れたようにため息をついた。
(恐い目にあった女の子……ねえ……)
それよりは玩具を取り上げられたような子供の態度という表現の方がしっくりくるだろう。光牙はそう思った。




