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第二章 止まった時間 part2 (英雄の言葉)

 夕陽が西に傾きかける頃、告別式を終えたほとんどの者が宿舎へと戻っていた。だが少年は一人で未だに佇んでいた。

 墓地は山頂近くにあり、地平線の先まで森と山が続いている。それら見渡す限りの土地すべてが人獣族の里であった。空のうすっぺらい雲の切れ間から降り注ぐ赤い陽光が森林の表面を綺麗に輝かせている光景を少年は一望していた。そして絶えず想像していた。遥か向こう側の未知なる人間の世界を――

 だれもいないはずの無人の墓地で足音がすると、少年ははっとして顔をあげた。

「先生――」

 背の高い初老の男が立っていた。それは少年のよく知る相手だった。綺麗な背広の上に医局の白い外套を羽織っていて、総髪の下にいつもの厳しい目つきを浮かべている。全体的にあいかわらず几帳面そうな格好をしていて、胸元にある漆器のように美しい赤色のネクタイは自信家そうな彼の雰囲気をよりいっそう引き立てていた。

 藤堂総十郎(とうどうそうじゅうろう)――。人獣族で彼の名を知らない者は絶無である。彼は若かりし頃に最強の人獣族として名を謳わせ、さらに研究者としても活躍し――そして最終的に英雄として賞賛されるほどの存在となっていた。彼がいなければ人獣族は未だに人間によって迫害されていたという。だからこそ彼を尊敬してやまない同胞は数多い。

 ただし少年からすれば、彼は英雄というよりも単なる学校の教師でしかない。藤堂は年老いて一線を退いてからは人間学校で教鞭をふるっていて、少年はその生徒であった。

 軽く会釈すると、その教師は静かに隣に並んだ。それから眼前の霊牌をそっと撫でて、つぶやいた。

「大神静音。私の知る限り、じつに優秀な子供だった」

「静音は――将来は藤堂先生みたいな存在になるんだって、いつも頑張っていましたから」

 彼は贖罪するように続けた。

「劣性人獣族の研究など学ばせるべきではなかった。せめて彼女自身がどちらの人獣族なのか判明してからにすれば良かったのだ……わたしは罪なことをしてしまった」

 彼の落ち込んだ声色に、少年はひそかに驚いていた。先ほどの忠孝の言う通り、どうやら彼は本当に悲しんでいたのだ。未だかつて、その堅物教師の表情が揺らぐところを少年は見たことがなかった。

 だからといって、藤堂はいつまでも悲しみをひけらかしているような男ではなかった。わずかな表情の変化をすぐさま奥底にしまいこむと、彼はいつもの毅然とした顔つきへとたちまちに戻っていた。

「先生。静音は――本当に助からないんですか……?」

 藤堂は冷静に答えた。

「……そんな可能性が残されているならば私が既に実践している。そうは思わんか」

 少年は納得せざるをえなかった。彼はさまざまに果敢な行動をして人獣族の発展に貢献してきた人物だ。今更、そんな致命的な見落としをするはずがない。そうして少年が黙り込んでしまうと、藤堂は優しく付け加えた。

「さっさと一人前になることだ。そうすれば悲しみはいずれ和らぐ」

 視線を転じると、彼は懐かしむような目であたりを見渡していた。おそらく彼はあたり一帯に埋められた霊牌の数だけ別れと悲しみに直面してきたのだろう。普段、無愛想にしているのはもしかすれば流す涙を既に枯渇させてしまっているのかもしれない。

 それら真っ黒な石碑を一様に睨んで、少年は自問するように言った。

「なにも殺す必要なんてないのに――どうして、こんなことをしなくちゃいけないんだ」

「取り決めだからだからな。我々人獣族が人間と共生するための――」

「凶暴な獣になるっていうなら、隔離だけすれば済む話じゃないですか」

「……その考えはひどく未熟でしかない。覚醒した人獣族の力を一度でも目の当たりにしたことのある者はそんな愚かな発言は決してしない。絶対的な恐怖を抱いているからな」

「魔獣――」

 自我を失った劣性人獣族の呼称を少年が口にすると、藤堂は静かに頷いた。

「かつて我々が迫害された原因はまさにそれだ。無秩序な破壊をする魔獣など、もはや災害と同義だ。人間と和解したとはいえ、そのことだけは今でも恐れているのだ。お互いにな」

 唇を噛み締めて、少年はどうにもならない悔しさを押さえつけた。じんわりと舌の上に血の味が広がる。

「その悲しみと悔しさをよく覚えておくことだな。人獣族としても人間としても、それが最も大事な心というものになる」

 藤堂の手が少年の頭に覆いかぶさった。大きくて硬い――そして暖かい手だった。さらに彼は見下ろす目元を小さく綻ばせていた。それは毎日のように顔を合わせている少年でも注意深く観察しなければ気づかないほど、些細な変化であったが。

「もしも未来であれば――」

 少年は少女の言葉を思い出して続けた。

「その頃には先生の研究している治療法は完成しているんでしょうか」

「なんともいえん。現段階ではとても現実的な期待に耐えうる代物ではないからな。劣性治療の行き着く先はつまるところ遺伝子情報の操作となるが――たとえばいかなる母親にも狙って双子を産ませるような真似は今の科学では実現できていない。私の挑戦とはそういうことだ。もしかせずとも果てしない徒労に終わる可能性は十分に高い」

 少年は手の平を獣化させると、それを夕陽に向けてかざした。銀色の毛並みが赤く揺れている。

「藤堂先生。俺たちは……人間なんですよね」

「そうだ。私もお前も紛れもない人間だ。法律で認められているようにな」

「でも静音は受け入れられない。俺なんかより遥かに優秀な能力を持っているのに、ちょっとした遺伝子の狂いが彼女のすべてを台無しにしてしまった」

 藤堂が黙ると、あたりは恐ろしいくらいに静まり返った。少年自身の呼吸が鮮明に聞こえるほどに――。

 遠くで雀の群れが一斉に羽ばたいて姿を消した。陽は山間に挟まって、まもなく沈もうとしている。しばらくして彼は頭の上に置いていた手をすっと離すと、背を向けて告げた。

「規律違反だが、いずれ分かることだから特別に教えておこう。……ごく少数の選ばれた者だけは劣性人獣族との接触を超法規的に許される」

「なんだって?」

 少年は目を見開いた。

「少し考えれば分かることだろう。危険因子となる彼らを管理及び処分する人材が必要なのだ。魔獣となった相手にもひけを取らない強靭な人獣族がな」

 もったいつけたような藤堂の話し方で、少年は彼の伝えたいことを先に理解した。

「まさか共生特課は……」

「そういう冷徹さが求められるところだ。もし、お前がその道に進むなら、早めに覚悟を決めておくことだな。忠孝のように」

「忠孝さんは既に知っている――」

 少年はそのことでさらに愕然とした。彼の真っ直ぐな強さがそういった覚悟の上に成り立っていることを想像していなかったのだ――。少年があっけにとられていると、藤堂は忠告した。

「いいか。非情かもしれんが、つまらんセンチメンタルに浸るのは程々にしておけよ。昔から我々は決別を受け入れてきたのだ。お前一人がいくら感傷的になったところで、劣性人獣族の運命は変わりようがない」

「つまらないだって――?」

 いきなりの投げやりな物言いに、たまらず少年は噛み付いて怒りを露わにした。

「静音は! あんたの研究に協力することを生き甲斐にしていたんだぞ!」

 逆鱗に触れたのかもしれない。藤堂は首だけを振り返らせて、少年を厳しくにらみつけた。

「彼女の未練をお前がくすぶる理由に使うな。……もしいっぱしの人獣族になるつもりがあるなら、仲間の最期を自らの手で葬ってやるくらいの気概を持つことだ」

「仲間の最期――」

 ほとんど腑抜けたようになって、少年が彼の放った言葉を脳裏に刻み込むように繰り返す。彼は教師としての責務を思い出したかのように、少年に向けて最後の説教を送った。

「くれぐれも霊牌の意味を履き違えるなよ。我々はかれらの偉大な犠牲を讃えているのだ。ただ嘆いて立ち止まるためではない。……はたして大神静音はこれからのお前にどうして欲しいのだろうな。落ち込む前にまずはそういったことをよく考えてみることだ」

 真っ白な外套にどこか冷たさを孕ませながら、そうして藤堂は去っていった。少年は、まるで時間が凍り付いてしまったかのようにその場から身動きできなくなっていた。

(静音が望むこと――)

 かつて英雄だった者の言葉はすっかりと少年の心を絡み取っていた。

 以降、数年の月日を経ても、少年は答えを見出せずにいた――


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