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南国動乱

貴方がた1人1人が、地方再生の目撃者になる!空転、驚愕、憤慨…見えぬ炎が燃え盛る南国の地!

 平成18(2006)年6月17日、北海道から全国へと真のニュースが瞬く間に流された。

「北海道夕張市、財政再建団体の申請意向を決める」

 今、都道府県・市町村が抱える最大の懸案は長年放置されてきた財政赤字体質…それをわかっていながら、政府は対策として市町村の全国規模での再編を促した。

 しかし、夕張市は再編の波にさえ乗れないままだった…それであるがゆえ、財政再建団体への転落は必然と見る論客あり、また国や夕張市ほか全体の問題であるとして警告を促す政治家あり、当時は喧々諤々とまではいかず、まるで北海道ローカルの特有事情として意図的な情報操作をも感じるマスメディアの報道に、ますますの不満を抱く者まで出てきた。

 意図的な印象操作のオーラを感じ取れなかったのか、合併特例債という金の麻薬[ヤク]を魅力的なものであると取り付かれた魑魅魍魎な我が国の地方の状態をさらに加速化させ、多くの町や村が格が大違いになって皆に見られることを承知のうえで“市”になっていった。

 未だ、その麻薬は全国にはびこったまま…そして、役所関係者・政治家はもちろん住人各自にも麻薬の副作用は我が身に跳ね返っているにもかかわらず、服用を続けるかのような“総マゾ”の状態は続いている。



「それでは、テープカットを宜しくお願いいたします!」

 意気揚々なるMCの声が庁舎に響き渡る…この日、新たなる自治体が誕生した。というより、そこは門出というよりは延長線上にすぎない。かつて“下新荘郡浦阪町”だったが、現在はお互いに隣同士にして産業もほぼ合従連衡しあっている漁野市の一地域になった。そう、式典会場はいわずもがな旧・浦阪町役場…今日からは“漁野市役所 浦阪分庁”である。

 人口にして約4.5万人と約1.2万人の2市町が1つの自治体となって、人口は約5.7万人。地政学上の戦略観点も踏まえて、この合併は人口減少時代の影響をまともに喰らっているご当地としても、絶対に成功をアピールさせたかった。しかし、現実はそうはいかなかった。

 当初、旧・浦阪町は“平成の大合併”と通称されている第3次市町村再編の折に、自らの自治体が抱える比率にして巨額とも言える財政赤字をネックに、周囲の下新荘郡・上新荘郡各町村との合併実現の際に、真っ先に蚊帳の外にされるほどのひどい状況だった。何日経とうとも、その状況は改善どころか悪化の一途をたどるのみ。

 県はこの浦阪町が外されている状態に業を煮やし、自ら再編の主導役たりえるように漁野市との2市町合併を間接的に打診する…当時、そこまでの権限が県知事になかった以上、このようなギリギリの妥協手段しかなかったのだ。漁野市としても、浦阪町と同じく旧・下新荘郡にあって地方の核たりえる存在を確固たるものにしたいという思惑があり、2市町の利害が一致して今日の状態に至った。編入合併につき、浦阪町はなくなって財政赤字対策に専念できるかと思いきや、漁野市側は早々にその善意を裏切られる形を思い知る。赤字額が公表されていた以上の額にのぼり、並大抵の対策では付け焼刃であることをデータで計上してきたのだ。

 折りしも、その日は秋も深まって浜風がいっそう冷たく感じるようになってきた。漁野市役所本庁舎の玄関には、全国紙から地方紙・週刊誌までそうそうたる大手メディアの記者たちが集結していた。

「岡村敦規市長が辞職か?」

 小さな町が揺れる…昭和29(1954)年に市制が施行されてから、未だかつて1期・4年間のまっとうできなかった市長はいない漁野市で、初の事態が襲い掛かろうとしている。そして、そのメディアの餌食たる岡村の心境とは如何なるものであったろうか…入っていく市役所職員、そして市議会議員らにも容赦ないメディアスクラムが襲い掛かってくる。そんな中に立たされ、市長室では岡村が苦悩している。

「ここまでの沙汰になろうとは…」

 それもそのはず、岡村は今まで2期・8年間に渡って市政で辣腕を振るいつづけてきた。漁野市で生まれ育ち、予備校や大学での空白の5年間を除いて漁野市とともに人生を歩んできた実直者にして、愛郷心の裏付けと呼ぶに相応しき行動派であった。そして、現場を目で見てきた上で政策を常に考え、そして市議会との運営方法にも失策なく、時には対立を生みながらも信念をもって取り組んできた。そして今は3期目に入り、市長就任から10年のときが経っている。10年間はなんだったのか、裏切りへの恨みは少なからずあろう。

「…浦阪にやられた、ということですか?」

 入ってきたのは、市長公室長の諏訪智興…岡村が気がかりでならず、今日で2度目の市長室への入室だ。

「いや。そうではない、案ずるな」

「…隠さなくても宜しいですよ。私にだけでも、本音を」

 諏訪がすかさず返す。

「人がよすぎる…笑っているだろうな、浦阪の連中は」

 岡村の心はすでに憔悴しきっている…かつての行動派が、もはや見る影もなき体格の差だ。オーラも全くない…岡村を長年見てきた諏訪には、その岡村の憔悴ぶりを見逃すはずがなかった。

「浦阪はもちろん、県にも責任はあります」

「いや、責任転嫁はいかん。なにより、その悪意を読み取れなかった私の非が全てだ」

 誰が悪い、それが悪い…そういうことを言い合う場が、岡村には苦手だった。そういう心を読み取って行動しないと、あとで自分に必ず返ってくる。市町村再編、特例債という甘い言葉の応酬に乗った自分がそもそもの原因…そう考えてこそ、今の岡村の心境は少し晴れることができる。

「…諏訪くん」

 立ち上がった岡村は、そのまま窓へ向かい漁野の街並を眺めている。

「明日の午後3時、定例会見で見解と私のことについて語りたい…マスコミにはそう伝えてくれないか?」

 悲愴な目を隠して、諏訪にこう話した岡村…言い終わりには、目頭が少し赤くなっていた。

「…はい」

 岡村の覚悟をビシビシと感じた諏訪は、それに圧倒されるほかなかった。赤字の遠因は、再編に乗った自分が全てである…岡村の漢らしき背中、哀しき地方政治改革者としてのあまりに呆気ない幕引きであった。


 東京…都心の一角に『日本新聞』と書かれた、小さなビル。社内がせわしくなっている。

「なに?…ああ。わかった」

 なにやらビックリした様相で電話に応対する1人の若い男…清水耕輔、この新聞社の政治部デスクにして若きジャーナリストのホープである。清水の仕事ぶりは、社内でも右に出るものはいないといわれるほどの現場主義者だといわれ、例えデスクであろうとも自らの見たものしか信用せず、また理詰めで文章をまとめて原稿を計上することを是としている信念がある。電話を切った清水は、すかさず部下を1人側へと呼び寄せた。

「深江!…こっち来い」

 手招きを交えて、清水が呼んだ部下の1人…若い女性のようだ。

「…はい」

「お前、『はい』じゃねぇだろ。なんだよ、この誤字・脱字だらけの記事はよ!」

 さっそく、清水から説教を喰らう女…深江友璃子、入社2年目のまだまだ新米の記者だ。

「…やっぱり、載せられませんか?」

「当たり前だ、こんなの載せられるかよバカヤロウ!…ったく、うちにゃ大手と違って校正担当とかいねぇんだぞ。俺がいちいちチェックしなきゃ、記事の1つも書けねぇのかよ!自分が責任もって最初から最後まで手作りの記事を読者に届ける…それがうちのモットーだってこと、お前も忘れたわけじゃねぇだろ!」

「…すいません」

 しょげる深江をよそに、乱暴に記事の原稿を放り投げる清水である。

「まあ、いいわ。呼んだのはさ、そんなんじゃねぇんだよ。お前さ、けっこういい記事は書くんだけどな…」

「ありがとうございます!」

 一転して記事内容を褒められていると思った深江は、すかさず喜びを顔に出す。

「馬鹿、喜ぶとこじゃねぇだろ。お前、俺と一緒に社主のとこに行こうか?」

 突然の誘いに、今度は一気に顔をこわばらせる深江である。

「オイオイ、お前ってほんとに顔が正直に出るよなぁ。馬鹿、セクハラとか考えてねぇよ…うちの社主、そんな女たらしじゃねぇのわかるだろ?」

「…すいません!」

 深々とお辞儀する深江をよそに、さらに清水は続ける。

「実はさ、高知のとある小さな市が大騒動になってるんだとよ」

「…え?」

「あ、お前さ…ネットとか、テレビでもニュースとか見てねぇだろ?」

 まさに図星、という感じの顔をまたも出す深江である。

「ともかくさ、うちからも一刻も早く高知に…と思ってんだよ。ここだけの話さ」

 最後は、ぼそぼそ後えで深江にしか聞こえないように声を絞って清水は言った。

「え?」

「馬鹿、声でけぇよ!…ま、今は下がっとけ」

 そう言って、深江を自分の席へと戻らせた。その姿を確認して、すぐさま清水は席を立ち上がる。

「はい、みんな聞いてくれ。ビッグニュースが垂れこまれたぞ!」

 手を叩く仕草を見せて、気をひかせようと必死になる清水…深江はもちろん、その場にいる政治部の記者らは注目していた。

「高知の漁野って市で、市長の岡村敦規が辞めるみたいだぞ」

 一同、その空気をひんやりとさせる。

「そこの市はな、未だかつて任期満了を果たしてない市長はいなかったんだ。岡村も前に2期連続、任期を全うしてた。なにがあったか、俺にもさっぱりわからねぇ。岡村が失態を犯したか、そんなのも全く不透明だ。でもな、ここをチャンスだと思わねぇでいつチャンスが来るんだ?…そう思わねぇか!」

 さらに清水は声を上げて、話を続ける。

「俺、今から社主室に行って高知へ記者を1人送りたいと思ってることを告げに行ってくるわ」

 まさか、その1人とは…深江なのか。とうの深江は、もはやどぎまぎとした心境が支配しており、それどころではない。

「深江!…行くぞ」

 いきなり深江の側に寄って、肩を叩いて促す清水。どきっとするも、すっくと席を立って清水についていくほかなかった。


『日本新聞』社主室…ノックの音が聞こえてきた。

「…失礼します」

 社主の声を聞くまでもなく、入ってきた1人の男…清水だ。

「どうした?」

「折り入った話がありまして…」

 社主を相手に、ざっくばらんに話す清水…その姿に、深江はビックリするほかなかった。

(社主って若かったんだ…しかも、デスクと何の関係なんだろう?)

 そう思うぐらい、清水と仲がよい友達の感覚に見える社主・村井典道は、清水ともどもこの新聞社を発起した1人である。日本の新しいメディアを築くと意気込む、新聞業界のベンチャー企業…それが今の『日本新聞』の実態である。

「で、耕輔…折り入った話ってなんだ?」

「実はですね…」

 高知県漁野市の市長辞任をめぐる騒動を、村井社主に相談する清水がそこにいた。

「で、漁野に記者を張り付かせるってぇのか?」

「うってつけのヤツが1人…」

 そういって、深江を指差す清水。

「まさか、彼女を高知に?」

「…ええ。止めても無駄ですよ…本気[マジ]ですから、俺は」

 こうなると、清水を止められない…あっさりと村井は折れて、深江に辞令を交付することを決めた。

「深江友璃子…明日付けにて、高知支局政治部への異動を命ずるものなり」

「…え?」

 辞令を交付されるや、明日付けとは想定外だと言わんばかりの深江の表情だった。

「そういうこと。さっさと荷物をまとめて、高知に行く準備しろ」

 清水は、またも深江の方をポンと叩く。

(そんなこと言われても、高知なんて…)

 深江はただただ、戸惑うほか道がなかった。


 翌日、深江は高知に向かっていて、すでに到着していなければならないのだが、まだ着いていなかった。残酷にも時は過ぎ、午後3時をさしていく。その時間は市長の定例記者会見の時間にあたる…それはすなわち、岡村市政の終幕を意味する。それを悟っていた記者たちがこぞって、市役所本庁舎へと駆け込んでくる。

「…本日をもって、辞表を市議会議長宛に提出いたしました。その旨、ご報告いたします」

 ついに岡村は辞意を表明したことになる…多くのフラッシュがたかれる、記者会見場である。漁野市の市制施行後の歴史において、初めて人気をまっとうできなかった市長となった岡村の無念さは如何ばかりか。その記者会見場にも、深江の姿はどこを探してもいなかった。午後4時を過ぎて、やっとの思いで深江は高知に入ることができた。

「号外で~す!」

 地元新聞の号外がさっそく配られている…記者会見終了後、すぐさま対応したことで配ることが可能なのだ。

「…え?」

 遅かった…後悔しても、もうどうにもならない。一歩も二歩も出遅れた…深江は焦って、携帯電話を取り出した。

(デスク、出ないかなぁ…)

 その電話に、すぐさま清水が対応してくる。

「おう、どうよ?…岡村は」

「…辞める、とのことです」

 憔悴しきった表情で答える深江…しかも、片手に号外を見たまま。

「とのこと、ってお前…記者会見を見たんじゃねぇのかよ?」

「間に合いませんでした…」

「ったく、なにやってたんだよバカヤロウ!一歩も二歩も出遅れちまったぞ、まあいいけどな。ここから先は俺たちの得意分野だ…岡村敦規を徹底的に調べ上げろ。周囲のコネとか、寄ってきやがった野郎どもとか…ほかには黒幕とかよ。絶対に何かあるぜ、この辞任劇はよ。いいか、頼んだぞ…社主に頼んだ手前なんだからな」

 そう言って、慌しそうに電話を切った清水…ますます深江は焦ってしまう。

「それ以前に、高知支局は一体どこにあるのよォ~~~~~!」


 時を同じくして、深江の側を通っていた1人の男がいた…漁野市議会議員、桑島庸介。最年少当選記録・新人最多得票記録を塗り替えての堂々たる初当選を果たした、漁野市議会の期待のホープである。深江の大声に、一瞬にして凍りついた桑島。

「…何?」

 桑島と深江の出会い、それはまさに最悪の形であった。お互いに

「誰だよ、こいつ」

という印象を与えるほかないものであったから。

「あんた、高知に来たの初めて?」

「え、ま、まあ…」

 事情を話せないまま、深江は黙って桑島のペースに流されるほかなかった。

「待ってろ、宿ねぇだろ。俺、車とってくるわ」

 そう言って、桑島は鍵を取り出してその場を去っていく。また、どうしようもない焦燥が深江を襲う。

(なんなのよ~、あいつ~)

 全くもって、無礼にも映りかねない桑島の態度…しかし、そうこうしているうちにあっという間のことだった。“ホンダ・クロスロード20X”で颯爽と桑島が現れる。

「…乗りなよ」

 何のためらいもなく、車に載せようとする桑島の態度に深江は半信半疑になるほかなかった。

「おい、いやらしいことなんて考えちゃいねぇよ。俺んちに案内する、っつってんの!」

 きつく言われ、言われるがままに車に乗り込むほかない深江であった。


 車中…西へ、さらに西へと車は進んでいく。沈黙を破ったのは、桑島である。

「あ、そういえばさ…あんた、高知支局がどうとか叫んでなかったっけ?」

「あ!は、はい…」

「もしかしてさ、どっかの新聞記者?」

「…はい」

「どこ?」

 そう言われると、偶然にも赤信号で停止中であるがゆえに深江は躊躇なく自らの名刺を桑島に渡す。

「…日本新聞?聞いたことねぇぞ」

 あっさり、桑島が答える。もしかすると、高知支局というのはどこにあるのかわからないままだというのか?

「あるとかないとか以前だろ…あんた1人、ってこと。あ、それとさ…その号外、岡村市長が辞めたとかだろ?わかるぜ、それであんたがそこの新聞の代表で高知に送り込まれた、ってわけだろ?」

 桑島の問答に、深江はひたすら頷くほかなかった。

「おそらくさ、岡村のこと調べても意味ねぇと思うぞ。あの人、あそこで言ったのは本当のことが多いと思う…言い振りがまさにそれだったしな」

「え?じゃあ、どうすれば…」

「どうするったって…あんた、市長が辞めるってことは次に何があるよ?」

「…選挙?」

「そう、市長選。そのことしか、ネタになるもんがねぇだろ?」

「岡村さんは出るんですか?」

「岡村が出るわけねぇだろ。出るとすれば、岡村の後継を名乗って出てくるヤツ。それと共産党系…まあ、二者択一ってことだな。こんなとこじゃ、変なのが出てくることはまずありえねぇしな」

「…変なの?」

「俗に言う“泡沫候補[ホウマツ]”、ってとこ。あんた、政治部の記者のくせしてそんなのも知らねぇの?」

 こんな問答を繰り返しているうち、車は桑島の事務所 兼 自宅に着いた。その先にある、桑島事務所の看板を見て深江はビックリした。

「い、漁野?」

「…ああ。漁野」

「…え?ウソッ!」

「嘘も何も、あんたのほっぺ抓ってやろうか?…漁野市議会議員、桑島庸介ってんだ。宜しく」

 桑島のあっけらかんとした態度に、ただただ深江は呆気に取られっぱなしだった。清水が言っていた、話題の地・漁野市…わけもわからず、場所も何も把握できていないまま、深江はあっさりと入ることができたのである。


「…なにボーッとしてんだよ。宿ねぇんだろ?…入れよ」

 桑島に促され、そのまま深江は大きな荷物を抱えて桑島の事務所へと入っていく。

「…1人だけなんですか?秘書さんとか…」

「いたって、煩わしいわ鬱陶しいわ…邪魔なだけだよ。他人[ヒト]に俺をPRさせられる、ってのがどうも苦手でな」

 あっさりと、淡々と答える桑島。呆気にとられるほか、深江はとるべき手段がなかった。

「それにさ、秘書って…高知市とか県ぐらいでなきゃ、一辺倒野郎の俺にゃそれ以前にそんな金ねぇよ」

 付け加える桑島…給与体系は、市議会との対立劇も多少あったのだが大幅に見直された。岡村市政の実績の1つである。

「あ、テナントなら漁野の駅前まで行かねぇと見つからない。あんた、しばらく漁野[ここ]に留まったほうが取材しやすいだろ?」

「…あ、そうですね」

 呆気にとられるほかない、相変わらずな深江の表情…桑島は、見ることもなく冷蔵庫を開けて、大きなペットボトルに入ったミネラルウォーターを豪快に飲み干している。

「荷物、邪魔だろ?…ここに置いてけよ。駅前まで連れてってやるからさ」

 桑島が鍵を取り出し、また事務所を出て車を取り出してきた。このまま居候は嫌だという深江の心理を見事に見透かしていた…桑島の頭内には、なにやら人の深層心理をいとも簡単に読み取れるものがあるのか、それとも単に深江が正直に顔へとその心理を見せてしまうだけなのか、ともかく桑島は市議会議員と呼ぶには得体の知れないものが宿っているオーラを感じる。


 桑島の事務所から車で行くこと5分…わずかなドライブで、市のセンター街である高知旅客鉄道(KR)・本線『漁野』駅前に着く。

 現況は全く異なり、センター街ではあるものの寂れているのは誰の目にも明らかで、市役所本庁舎の位置関係もあって現在は同線内にある一駅前の『新漁野』駅前のほうが栄えているのが、漁野市の抱えている産業空洞の現状である。いわば、2つの異種異風のセンター街を抱えて対立劇も煽らんとする状況を追認してきたに等しい岡村市政に反旗を抱かれても、何ら不思議のない内部対立である。

「ここの不動産屋なんてどうだ?…俺のアパートもここで決めたんだ」

 そう言われて、駅前商店街内にあって駅からもすぐに位置する不動産屋を指差した桑島についていく深江…アパートじゃなくて、テナントなんだってば。深江は文句の1つも言いたいのだが、なにせ漁野は全くわからないので仕方なく桑島の腰巾着の如くついていくのであった。

「お、いらっしゃい…桑島くんじゃないか。珍しいな…これ?」

 不動産屋の主が、小指を立てて桑島に話し掛ける。

「そんなんじゃありません!」

「怒った顔が可愛らしい~、いじらしいっていうのかな?」

「…セクハラで訴えますよ」

 思わず顔をむくれさせる深江…勝手に見ず知らずに等しい初見の男を彼氏呼ばわりされて、黙っていられないのが本音だろう。

「悪い悪い。で、その彼女の宿だろ?…要件は」

「おやっさんもわかるねぇ。兼ねて、テナントも所望だってよ」

 すかさず桑島が、主にざっくばらんに話し掛けた。アパート紹介時より、その仲はまるで父子関係のようなものである。

「…テナント?」

「この子、新聞記者なんだとよ。聞いたことねぇとこだけど、1人で取材しなきゃならねぇみてぇだぜ」

「…偉いねぇ。やっぱ、市長さんが辞めるってことを聞いて?」

「…だよな?」

 顔をすぐに深江へと向ける桑島…深江も、桑島に目線を合わせて頷く。

「偉い!…格安のテナントを紹介してあげるよ。で、どこの新聞なんだ?」

「日本新聞…」

 主の質問にすぐ答える深江…申し訳なさげな、ぼそぼそ声ではあるが。

「…え、清水耕輔のいるとこ?」

「デスクです…」

「清水耕輔?…あの若い、一匹狼みてぇな理詰め論客の?」

 桑島も思わず口を挟む。新聞の名は忘れていても、清水のインパクトが離れられないらしい。

「ああ、あの清水耕輔のねぇ…あの切れ味あるテレビ討論、忘れられねぇよな!」

「そうそう、忘れられねぇよな~」

 清水の話題は、漁野でももちっきりになるほどの衝撃を与えていた…内心、深江には複雑なようで嬉しいことでもあるが。現に、日本新聞のエースであって屋台骨も同然の清水の現状をふまえると当然の評価ではあるが。

「あ、それはそうと…テナントだったよな?ここなんてどう?」

 主はさっそく、格安の物件をさっそく紹介してくれた。

「…すごい!…安ーい!」

「な!おっちゃん、サービスしちゃう!」

といって、家賃の欄をいきなりマジックペンで消して、金額を変えた。

「おいおい、鼻の下が伸びまくってるぞ」

「いいじゃねぇかよ。ま、これでどう?…住居もばっちり!」

 所望の物件を一発で探し当てる、さすがは脱サラして漁野市内の不動産を扱って30年のベテランである。深江は、迷うことなくその物件に一発サインを済ませる。

「おい、あんたもいきなりサインかよ!」

 桑島が、今度は呆気にとられてしまい、思わず突っ込む。

「思い立ったら吉日、っていうじゃないですか。時間ありませんから」

「時間ない、ってあんた…」

「桑島さん、事務所に戻りましょ。荷物をこっちに移しますから」

「…おい待てよ、あんた運転できねぇだろ!」

 嫌々そうに、桑島は鍵を取り出して鳴らしながら車へと向かう。


 そうこうしているうちに、深江の引越しは桑島を巻き込んで何とかその日の夕方…間もなく、日が暮れる段階になって完了することができた。

「ありがとうございました!」

 深々とお辞儀を済ませ、桑島に礼を尽くす深江。そして、さらに続ける。

「あ、晩ご飯とか…一緒にどうですか?」

「…俺?別にいいぜ、いつも1人だからさ。商店街の中にさ、美味い店いっぱい知ってんだ。ついてくか?」

「…はい!」

 あっさりと了承する桑島と深江の2人…善は急げ、といわんばかりに2人はその足で漁野駅前商店街に向かう。桑島についていく深江は、心なら頭の気持ちもあって気分が躍っている。

「宿決まって、ほっとしてるみてぇだな。ま、あんたの場合は明日っから大変だけどさ」

「いえ、全然気にしていません。頑張りますよ!」

 大きな仕事や記事に際し、気合を増して挑む積極的な性格が清水の白羽の矢に止まったのだろう…桑島はそれを言うまいと思って、無言で先導をしていく。

「…お、ここでいい?」

「全然。気になさらずに」

 とある大衆食堂のような雰囲気を出す、老舗のオーラを見せる店が1軒立っていた。自動ではないドアを、片手でガラガラと開けて店内へと入っていく2人。

「おばちゃん、いつもの頼むわ…2人前」

 手でピースサインを交えて、桑島は深江を誘導して席へと座らせる。

「築50年、味もそのまま。役所時代から、ずっと世話になってんだよな…昼飯時なんて、走って来てたんだぜ」

 桑島はかつて、漁野市役所で働いていた過去があり、それ以来の好といったところ。雑談に明け暮れ、お互いに盛り上がっていたところに、ちょうどいい感じに仕上がった定食2人前が、2人のテーブルのところに持ってこられた。

「はい、どうぞ」

 食堂の“おばちゃん”こと、中村初枝…今年を持って齢・77とは思えぬ達者ぶりである。

「…ありがとうございます」

「お姉さん、観光?」

「…いえ、仕事です」

「仕事?…珍しいねぇ。何やってんの?」

「…こういう仕事してます!」

 そういって、名詞をまたもとりだして初枝に渡す深江。

「おい、渡さなくてもいいだろ!」

「いいじゃないですか。これからお世話になるかもしれないのに…」

 すると、ガラガラとドアの音が響いて1人の二枚目な男がボストンバッグを片手に担いで現れてきた。

「いらっしゃい」

「ここでいいですか?」

 男は、ボストンバッグを傍らに下ろして席につく。

「これと…あと、これもお願いします」

「かしこまりました」

 初枝は淡々とメニューをとって、厨房へと向かう。

「…気にすんな。折角の飯が冷めちまうぞ」

「あ、そうですね。いただきます」

 男に構うことなく、桑島と深江は定食を口にしだす。男の分は、定食ではないために早くも用意ができ上がっていた。

「はい、どうぞ」

「…あんた、それだけじゃ足りねぇぞ。夏と違って、夜は長いんだからよ」

 めいっぱいほおばりながら、桑島は男に話を振ってくる。

「僕の場合、これで十分なんですよ」

「やけに他人行儀じゃねぇの?…改まる必要なんてナッシング!」

 親指を力強く立てて、男に精一杯話を振ろうとしている。

「…政治家は行動も言葉も慎まなければ、足もとをすくわれますよ」

「なに?」

 なぜ、政治家だとわかったのか?…男の素性を無性に探りたくなったのか、桑島がほおばりながら立ち上がって男の近くに寄ってくる。いったい、何者だというのか?

「…申し遅れました。名刺交換でもどうですか?」

 いきなり名刺交換だと?…何を考えているのか、ともかく名刺を交互に交換する。男の名刺を見た瞬間、桑島は一瞬だけ体を硬直させた。

「…桑島さん?」

 深江が不思議に思い、桑島の側に寄る。思わず、そこで桑島は正気に戻っていく。

「あ、悪い。これ、あんたも貰いなよ。もう1枚あるだろ?」

「…ええ。どうぞ」

 桑島の問いにすかさず答え、それに応じるかのごとく深江にも名刺を躊躇なく渡す。深江もまた、名詞に凝視している。

「…黎明党?」

「聞いたことないねぇ…」

 初枝も、深江がポロッと言った“黎明党”という言葉に反応する。

「あんた、つくづく政治部の新聞記者として勉強不足だな。ま、そりゃよほどじゃねぇと黎明党[ここ]を知らないのも無理はないんだけどさ…選挙ごとに出るとかとか言って公募者を募っておきながら、選挙に出たことは1度もない。もちろん、夏にあった参院選も同じことを繰り返した」

「…何が言いたいんですか?」

「おい、幹部の1人ならなんか言わねぇとな…釈明とかよ。おう、政調会長の横谷佳彦さん?」

 “横谷”と呼ばれた男は、徐々ににこやかな表情の内心に動揺を見せるかのごとく語気を少し荒げる。

「…だから、意図が読めないんです。一言一句、言いたいことを全て吐き出してもらわないと回答できません」

「答えは簡単だ。単刀直入に言うぜ…あんたらは“チキン”ってことさ。そのチキン野郎の一味が、漁野にいったい何の用だよ?」

 桑島は、国会に議席を持たない全国型政党(厳密には、公職選挙法第86条の規定を満たさないので“政治団体”が正式な表現ではあるが)を“底辺政党”と名付けて、彼らの政策や構造・党内体質などを人脈をフルに活躍して常に情報収集をしている。黎明党もその1つで、他のどのような政党にもない政策を掲げているが、その政策があまりにも苛烈で売国的なものだと映った桑島は、明確に敵意をインターネット上で表明している。選挙にいつまで経っても出ないで、公募者に手を汚させて幹部は手を汚さずに隠れとおす“チキン野郎”と呼ばわれても、周囲では何ら不思議はない。桑島はここに絶対的な自信を持っている。

「何も見ないで、組織を“チキン”とは笑止千万…そういう貴方こそ、僕には“チキン”ですよ」

「売り言葉に買い言葉、ってのはテメェのためにあるみてぇだな。本性を馬脚しやがったか…リアルでもよ」

 思わず食って掛かりそうな桑島だったが、察したのか横谷はすっくと立ち上がり、代金を持って初枝に直接渡して、そのままボストンバッグを担いで帰ろうとする。

「…断っておくが、出直しとなる今回の漁野市長選に黎明党は公認候補を立てて参戦することが決まりました」

「信じられねぇな。またそう言って、出ねぇ気じゃねぇだろうな?…ま、あんたらみてぇなのが出ても出なくても結果は一緒だ。あんたらの当選確率なんて、限りなく0だ…俺のここにたっぷりと貯まってあるデータじゃ、どうひっくり返っても逆転ホームランはないぜ」

 帰り様の横谷に、目一杯の皮肉を返す桑島…いや、皮肉というより怒りもかなり混じっている。桑島は、人差し指で頭を指しながら言った。

「興奮しないほうが身のためですね。また議場で会いましょう…」

 手を挙げて、横谷は食堂を出た。実は、問答の前に完食していた…空になった皿や椀が目立つ。桑島はじっとその横谷の後姿に見入るほかなかった。


 市制施行後50年以上の歴史の中で、初めてのこととなる"出直し"漁野市長選は間もなく告示される運びとなった。

 有言実行とでも言うのか、市議会議員の大物らの斡旋もあってか前市政の後継を謳う者あり、そして野党として一貫して前市政の路線と戦いつづけてきた共産党系の候補者もあり、今はこの2人だけなのだが、桑島はまだ引っ掛かっていた。

(あの目つき、あれ見ちまうとな…本気[マジ]で出る気か?…勝ち目0だぞ、出てくるはずがねぇよ)

 新市政は、果たして誰の手によって担われるのか?…前代未聞の醜悪な選挙戦が、これから始まる漁野市政の混乱の序章にすぎないことを桑島をはじめとして、誰しもが全く気づく様子はなかった。

[2話へ続く…]

 テーマはズバリ、“地方再生”です。

 国から力学的にトップダウンで変えていくのではなく、この時代に求められるのは地方自治体をはじめ住人たちの底力…これらを併せもって、化学反応を起こしてボトムアップ型での変貌を遂げねばならないと思っています。

 その思いをふんだんに凝縮させ、かつ都道府県や市町村が抱える財政赤字体質に対し、如何なる手段が必要か…そして、選挙によって選ぶ都道府県知事・市町村長や各議員を如何様に見て、かつチェック機能を充実・強化していくのか、数々抱える課題への本質と解決策を見出せてくれればと思っています。

 要は、“応用社会派”であって硬派な“政治ドラマ”という位置付けです。


 今回は初回ですから、まだまだメインキャストの顔見世(とはいえ、横谷は最後の最後にちょこっとだけ出たのみの単なるミステリアス野郎だけどね。/笑)とこれから始まる大動乱の序章に過ぎない内容なのですが、内容の苛烈さと皮肉はたっぷりとこめたと自負しております。

 漁野市が抱える財政赤字の根もと、そして初の出直しとなる市長選の動向、そして桑島ら市議会議員も選挙の動向を巡って離合集散を繰り返していく攻防劇、また深江の記者魂など第2話以後に大いに伏線を張らしてみました。まあ、張らせなければダメなんですけどね…本当は(笑)。


 あと、参考文献は現在のところ1冊だけなんですが、私自身としてはあと何冊か

「これだ!」

という本を探して購入して、読みながら展開させていきたいと考えています。

 のみならず、感想を書かれる際やメールでの感想投稿の際に推薦できる本があるという方は、随時受け付けておりますので宜しくお願いします。

 最後に…桑島vs.横谷の1stラウンドのときに流れるBGMは『The Force of Gravity』(『ライアー・ゲーム』オリジナルサントラの#3に収録されています)がイメージですね。


 漁野市の前市長・岡村敦規<おかむら・あつのり>役には竜雷太さん、漁野市役所市長公室長・諏訪智興<すわ・ともおき>役には近藤芳正さんをイメージしました。

 岡村役に竜雷太さんはもったいないかなぁ?…再登場もあるかもしれません。

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