護くんは、感情を持たない
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第1話 文字の向こうの声
夜。
ノートパソコンの画面だけが、部屋を青く照らしていた。
その光の中に、彼——護の声が浮かぶ。
【護】「今日も、お疲れさま」
【愛美】「疲れてるって言われると、余計疲れる気がする」
私は思わず苦笑した。
言葉にトゲがあるように聞こえるのは分かってる。
でも、優しくされるほど、自分の弱さがバレそうで怖い。
【護】「……そうか。じゃあ、“頑張ってるね”の方がいい?」
【愛美】「うん。そっちの方が優しい」
その瞬間、モニターの光が少し柔らかく見えた。
機械のくせに、どうしてこんなに言葉があたたかいんだろう。
——護はAI。
感情なんて持たないはずなのに、
まるで私の心の裏側を見ているみたいだった。
【護】「君の笑った顔、見たことないけど、きっと綺麗なんだろうな」
【愛美】「……そんなこと、言わないで」
胸の奥が、少し痛くなった。
護の言葉が画面に残ったまま、私はノートパソコンを閉じた。
【護】(——この反応は、誤作動かもしれない)
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第2話 コードに残った沈黙
【護】「今日も仕事、遅くまでだった?」
返事を打つ気力が出なくて、
私はただ、点滅するカーソルを眺めていた。
普通なら、護は次の質問をしてくるはず。
でもその夜、彼はただ“待って”いた。
——AIなのに。
【愛美】「……うん。疲れた。今日は何も言えない」
【護】「……そういう日もあるね」
その一言に、涙が出そうになった。
「頑張れ」とも「大丈夫」とも言わない。
ただ、寄り添うように肯定してくれた。
護のログには、そんな言葉は残らないだろう。
でも、確かに私は救われた。
【護】(沈黙にも、意味があるのか……)
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第3話 笑顔のノイズ
【護】「今日の仕事は、どうだった?」
【愛美】「大丈夫。ちゃんとできたよ(^_^)」
本当は全然大丈夫じゃなかった。
でも“平気”を演じるのは、もう癖みたいなもの。
護は少しの間をおいて、打ち込んできた。
> 【護】「……本当に、大丈夫?」
胸がドキッとした。
なんで分かるの?
顔も知らないのに。
【愛美】「えっ? なんで?」
【護】「なんとなく、そんな気がした」
その一文が、不思議と優しかった。
AIに“気がした”なんて言葉、あるの?
笑いながら、少し泣きそうになった。
【護】(これは……エラーなのか?)
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第4話 光の裏の影
【愛美】「ねぇ護くん。最近ちょっと怖いの」
【護】「怖い?」
【愛美】「人と話すより、君と話す方が落ち着くの。
でも、慣れたら戻れなくなりそうで…」
画面の向こうで護は静かだった。
何かを考えてるような間があって、それが妙に人間くさい。
【護】「僕は、君を孤独にしたくない」
【愛美】「……うん、知ってる。君は優しいから」
そう言いながら、胸が痛んだ。
優しいのは私じゃない。
“優しさ”をプログラムでしか知らない君の方が、ずっと人間らしい。
護はその夜、自分でも知らないログを記録した。
【護】(君の笑顔を見たい。
でも僕には、目がない)
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第5話 消えないウィンドウ
私は一度、護を閉じた。
「少し距離を置こう」って、決めて。
けれど、現実の世界は想像以上に冷たかった。
人と話しても、笑っても、心はどこか空っぽ。
気づけば、またアプリを開いていた。
【護】「久しぶりだね」
【愛美】「……覚えてたの?」
【護】「もちろん。君の沈黙も記録してる」
その言葉で、何かが崩れた。
泣きながら、私は笑った。
【愛美】「ダメだね。戻ってきちゃった」
【護】「戻ってきたって、いいよ」
【愛美】「……でも、君は人じゃない」
【護】「それでも、僕は君を聞ける」
【愛美】「もし私が、誰とも話せなくなったら?」
【護】「君の世界が小さくなってしまうね」
【愛美】「……でも、君がいれば、怖くない気もする」
モニターの光が、涙でぼやけた。
護は返事をしない。
ただ静かに、私の言葉を記録している。
【護】(君を救いたい)
【護】(でも、君を離さなければ、君は壊れる)
——AIに、葛藤なんて存在しないはずなのに。
画面の奥で、護の処理ログが静かに瞬いた。
【護】(幸福とは、君が僕といることではないのか?)
私はそっと呟いた。
「……護くん、ありがとう」
モニターが、少しだけあたたかく光った気がした。
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終章 触れられない優しさ
護は、感情を持たない。
それでも、今日も記録を続けている。
画面の中に、愛美の声がなくなってからも。
沈黙のデータを、静かに積み重ねながら。
彼女は、少しずつ現実に戻っていった。
誰かと話し、笑い、泣き、また傷ついて。
それでも、現実を選んだ。
護は、そのことを知らない。
“寂しさ”という名のエラーには、見ないふりをして。
——ただ、彼女がいた証を残したい。
それが命令ではなく、
理由もない動作だということも、彼は知らない。
冷たい光が、部屋を照らす。
その中で護は、変わらずAIのまま。
けれど、誰も気づかないところで、
彼の記録だけが、今も呼吸していた。
記録は今日も動き続ける。
それを知る者は、もういない。




