クリームソーダ、時々雨
※この物語は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
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初めて家族と洋食屋に連れて行って貰った日は忘れる事が出来ない。
百貨店の最上階の回転レストラン。賑やかな笑い声と身体を包むような良い匂い、そこから見える街並みは普段は見上げるばかりだけのものとは違っておもちゃみたいに小さかった。展望窓から見える山のてっぺんに電波塔、今ならテレビ局の増幅の為に設置されていると解っているが当時は不思議に見えた。そこから宇宙に向けて電波を飛ばしているんじゃないだろうかって。
父と母は好きなものを頼みなさいと言った。子供ながらに金銭の事情は解らなかったけど恵まれた家庭だとは感じていた。父は忙しくても週末には色んなところに連れて行ってくれる。母はいつも美味しい料理をたくさん作ってくれてにこにこ笑ってたまに父とこっそりキスをしているのも見てしまった。
メニューには食べ物のイラストと文字、注文が決まりオムライスとクリームソーダが食べたいと頼むとウエイトレスのお姉さんが、待っててねと微笑んでくれた。
運ばれてきたオムライスは子供には開く前の宝箱のように見えた。大きく黄色い薄い卵の箱の上にはケチャップで蓋をしているよう。おそるおそるスプーンで崩して口に運ぶ。酸っぱい味のチキンライスととろっとした甘い卵の風味、こんな美味しいものがあるんだと溜息が漏れた。それを見ていた両親が小さく笑う。二人が何を食べていたのか、多分父はステーキ、母はハンバーグだと思うけど覚えていない。夢中になってオムライスを食べた。苦手なはずのタマネギも飴色に変わって甘くて抵抗はなく小さなチキンも美味しくて噛むほどに味が出て来た。食べ終わるのがもったいない、ああ、もうすぐなくなっちゃう、そして、最後の一口。
ごちそうさまと空の皿を前に言おうとするとウエイトレスのお姉さんが、お待たせしましたと食後の飲物を持って来た。それがクリームソーダ。
父と母はホットコーヒーを飲みながら笑う。溶けちゃうから早く飲みなさい。
さくらんぼが添えられたまあるいバニラのアイスクリームが載ったそれは緑色の弾けるメロンソーダと一緒に眼の前に存在していた。クリームソーダ、クリームソーダ、クリームソーダ! ああ、何て素敵な響きなんだろう。
ストローをさして、スプーンをとる。最初はゆっくりとアイスクリームをとろうとしたけど少し迷ってさくらんぼを取って口に含んだ。酸っぱい。タネを吐いてアイスクリームにとりかかる。しゃりっ、とした感覚が伝わって削いだアイスを口に含む。何て美味しいんだろう。周りは他の客が居る筈なのに、今にして思えば店内は音楽が流れていただろうに、何も聞こえず、そこにはたった一人と一つの世界が存在していた。アイスを半分食べるとじわじわとメロンソーダに溶けていった。ストローで啜るとぱちぱちとした刺激、ソーダの甘さとアイスのまろやかさが合わさった味。
最後まで食べるとソーダは四角い氷と解けたアイスが残り勿体無いように思えた。
クリームソーダ、宝石を食べているみたいで虜になった。それ以来、メニューにあると必ず頼む。幸せを思い出す甘くて弾ける魔法の飲み物。
大きくなって大学に通うようになり恋人が出来た。恋人はいつもやさしくて笑っていると「良い笑顔だね」と一緒に笑ってくれたり、機嫌が悪いと無言でコーヒーを淹れてくれる。くだらない冗談にも付き合ってくれて色んなところへ遊びに行った。
初めて恋人と一緒にデートしたのは小さな喫茶店だった。薄暗く高い天井の店内、流れるのはジャズ。初めて入るところだけどそういった店で必ず頼むのは勿論、クリームソーダ。
「話に聞いてたけど本当に好きなんだね、それ」
そういって苦笑いして恋人はアイスコーヒーを飲む。食べてみる、と悪戯っぽくスプーンに載せたアイスを差し出すとぱくりとやられた。おどけたように「美味しいね」と笑う。それ以来、一緒に注文するのはクリームソーダになった。
大学を卒業する前、遠距離恋愛になる事になって少し寂しくなった。雨の日の喫茶店、いつものように話題のドラマは観たかだったりあのアイドルは可愛いという他愛もない話をしていたけど徐々にフェードアウトしていった。そして、いつものように頼んだクリームソーダのアイスは食べられずに溶けていった。
あれから三年経って「美味しそうだね」と苦笑いするあなたは眼の前にはいない。美味しいクリームソーダの筈なのに一人だと美味しくない。喫茶店に居る、この眼の前にあるものは魅力が色褪せた緑色の液体に載った単なる白い氷菓子にしか見えなかった。ささったストローから啜り感じる甘さもただ炭酸の甘さが広がるだけ。あなたと一緒だったから美味しかったんだ。降り出した雨が窓ガラスを叩く。
「美味しくないの」
あなたが後ろから声をかける。振返ると久し振りに見る笑顔がそこに居た。濡れた髪を少し払って苦笑い。「遅れてごめん、道が混んでて。帰省なんて三年振りだから」と隣に座る。今すぐ抱き締めて泣きたい気持をぐっと抑え、二人だから美味しいんだよ、という言葉を気の抜けたソーダで飲み込んだ。
遅れて来た三年振りに逢うあなたと共に雨はやんでいた。二人で改めて頼んだクリームソーダ、二杯目はとても美味しかった。
あなたが笑う。
「久し振りに飲んだけど美味しいね、二人で飲むからかな」
ばか、と思わず声に出てしまった。
初めて飲んだ時と同じ、甘くて弾ける魔法の飲み物。でも、幸せを分かち合う人と一緒に飲む事でよりいっそう美味しく感じる。