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しらないところで Annex  作者: 南 紅夏


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9/9

命日、あの人の好物だったケーキを食べながら 蛇足

 光輔の同僚で幼馴染だった田中が持ってきた、職場に置かれていた私物の段ボールの中身の話だ。

 

 写真やペン、手帳などの文房具や、予備のネクタイなどが入っていたその箱の一番下に、何重にもビニールの巻かれたノートのようなものが入っていた。


「怖っ…」

 無意識に言葉が出た。

 見ていいものか、開けていいものか悩む。

 都子が泣き始めたので、私はそれを箱に戻して確認を後回しにした。


 目覚めた娘は結構アクティブに転がるお年頃で、もうすぐハイハイをしそうな勢いだった。

 まだ全部確認が終わっていないが、今は子供の手の届かないところへ移動させなくては。私は取り急ぎ段ボールをクローゼットに押し込んだ。

 そのまま私は、箱の存在を忘れてしまっていた。




 改めて箱の存在を思い出した、というか気付いたのは、育児休暇を終えて職場に戻ろうかというタイミングだった。久々に着る仕事用の服が入るだろうかと不安になり、試着のためクローゼットを開けた時に「目が合った」のだ。


 箱を引き摺り出し、特級呪物のような扱いのぐるぐる巻きの梱包を手に取って、開きかけて再び怯む。

「怖いなぁ…」


 わざわざ職場に置いていたという事は、私に見せたくなかったのではないか。

 それとも引っ越しのタイミングで職場に持って行っていたとかで、わざわざ持って帰る必要がなかっただけなのか。

 散々悩んだ挙句、

「えいっ」

 とビニールを剝がした。


「日記?」

 少ししっかりした装丁の、大きめな手帳のようなものに書かれた文字は、明らかに光輔のものとは違う筆跡だった。

 日付は書いてあるが、年が分からない。一体いつのものなのか。

 しかし1ページ目を読み終わる前に、これが誰の日記か分かった。


「これ、光輔さんのお母さんのだ!」


 北欧の方からやってきた光輔のお父さんと、既に付き合い始めた後から始まっていた。

 毎日きちんと書いてある日記というより、何か特別な事があった時のみ書かれている覚書のようなものだった。


 自分の親から結婚を反対され、彼の実家の国に移ることを考えていた事。

 結婚前に北欧の彼の実家を二人で尋ねた時、既に生みの母は亡くなっていて実の父と後妻との一家だった事と、その家族自体は優しい人たちだったが、明らかに街全体が日本人に対して冷たかったことなどが書かれていた。


 彼の生まれた街での生活を諦め、二人は日本に戻ってくる。

 その後は実家からなるべく遠く、でも彼女の職場だった役場に通える程度の場所で生活を始めている。

 そして光輔が生まれた後のあたりに、あの問題の言葉の記述を見つけた。


「母も祖母もそうだった、うちはみんな40歳になる前にヘルヘイムに赴く短命な一族だ、と彼は言った。ある者は事故に、あるものは精神が崩壊して自ら死を選んだ。先祖がノルンの女神たちを怒らせるようなことをしたのかもしれない。でも、日本の神様の下ならきっと大丈夫だよ、と」


 知らないカタカナの単語が並んでいた。北欧の言葉だろうか。

 しかし読み進めると、光輔の父はやはり30代半ばで交通事故で亡くなっていた。


 短命なんて証拠はない。全てが偶然だ。

 振り返って開け放った引き戸からリビングを見ると、クッションマットの上で、都子はよく眠っている。

 私はノートを再び何重ものビニール袋に戻し、ぐるぐる巻きにして再び箱の一番下に敷いた。




 寝ている都子を抱きかかえ1階ロビーにフラフラと降りていくと、カウンターに立っていた田中が心配そうに

「奥様、大丈夫ですか?」

 と声を掛けて来た。


 この半年くらいで、田中の言動は随分と執事らしくなった。

 隙を見つけては隣町の柔道場に鍛えに行っているらしく、前より体が大きくなっている気がする。


「うう…田中さん。光輔さんの話、何でもいいから聞かせて下さい~」

「えー…っと。そうですね、じゃあ古川との話でもしましょうか。

 …あいつは人見知りが激しくて、初対面の人とは本当に喋れないヤツだったんです。それなのに、出会った初日に光輔が、彼が書きかけていたプログラムを覗き込んでベタ褒めしたんです。

 私には良く分からなかったんですけど、同じような事をさせるのに、3倍も冗長なものを見たことがあるが、無駄なループが多くて分かりにくくて意味不明だったと。それが、古川の書いたプログラムは無駄がない、実に美しいと」

「ああ…あの人、古川は天才だ、ってよく言ってましたよ」

「それ以降、褒められたことがよほど嬉しかったのか、もう古川は光輔にべったりで。あの会社は光輔が古川の能力を見て作ったようなものでしたから。そしてその3倍も長い下手くそなプログラムを作ったのは、実は光輔本人だったって言う」

「あははは。すごい、ちゃんとオチがある話だったんですね」

 笑いながら、でもやはり涙が溢れてしまう。


 一息つくと、私は本題に入った。

「坪井真奈美について、知ってる事を教えていただけますか?」

 短命の呪いなんてあるはずがない。光輔の死の原因を知らなければ。

 都子にはそれが関係ない話だと、はっきりさせたかった。


 田中は驚いた顔で私を見ると、ロビーにあるソファの方を見た。

「あちらでお話ししましょうか。…おーい久美子、少しの間都子ちゃんを頼みます」

「はぁい」

 保育士の資格を持つ田中の妻、久美子が奥から出て来て、寝ている都子をそっと受け取った。


「今まで…私から彼女の話をすることはずっと避けてまいりましたが…」

 私が座ったのを確認してから、田中もソファに腰掛けた。

「ええ、お気遣いいただいていたのは分かってました。でも…そうだ。田中さんは、あの光輔さんの遺品の中にあったビニールに包まれてた手帳は読まれました?」

「いえ、母親の日記だと光輔が言っていたので、彼の母親の遺品だという認識でしたので…」

「そう…ですか」

 少なくとも田中は、あの手記が何かは聞いていたようだ。


「そろそろ私も逃げずに、現実を直視しなければ、と…」

「…分かりました」

 私の表情を見て、田中は静かに頷いた。


「彼女は、私達の学年で言うと1つ下。サークルには、光輔や古川のように元々一定量の知識があって入ってくる者と、パソコンに興味はあるけど、特に知識がない者との、大体2パターンですね。彼女は後者でした」


 Windowsのない時代、起動ディスクを使ってパソコンを立ち上げていた時代。個人でパソコンを持つことも稀な時代だった。


「そこから、実際に使ってみて適性のある者とない者が出てきます。彼女は、私と同様適性がない方でした。どうやっても思った結果にならないんですよ。

 光輔などは『3歳児にお願いするように書け』とか、古川なんかはコップを掴みながら『コップを持てって命令するんじゃない、手を開いて、腕を何時の方向に伸ばして、コップに手が当たった時に指を曲げろ、プログラムってのはそういう風に書くもんだ』って言うんです。…想像力ですよね。何も知らない機械に情報を与えて、どう動いて欲しいかお願いしていく。私や彼女には難しかった。でも、二人は丁寧に何度も教えてくれました」


 真奈美は、すぐに光輔の事が好きになった。

 そして、古川が真奈美の事を好きなのも見ていてわかったそうだ。


「光輔は、すぐに彼女から距離を取りました。真奈美の事より古川の気持ちを優先したんです。

 当たり前です、あいつにとって古川は尊敬出来て、しかし不安定で、放っておけない友人でしたから。頭はいいけど社会に出られるのか、あいつはずっと古川の事ばかり心配していました」




 そんな折、とあるサークルOBが、業務で必要なプログラムの作成を依頼してきた。

 面白そうだと軽い気持ちで引き受け、光輔と古川だけで楽しみながら2週間ほどで作ったものに、大きな報酬が支払われたのだ。


「…会社作るか」

 支払い明細を見て、光輔が突然そう口にした。




「私は、書類を作っただけです。会社立ち上げのメンバーでしたが、プログラミングに適性のなかった私に居場所はなかった。でも、光輔が経理と事務を頼む、と。自分たちはそっちが苦手だから、と言って…」


 そして間もなく収入が安定して入るようになり、卒業後は事務所を構え、そのまま業務が続いた。

「感覚が狂いそうなくらい収入がありました。それをたった3人で分けるんです。もう少し人でも入れようかと話していました。そして…1年後に、卒業した彼女が転がり込んできました。

 光輔は反対しましたが、古川が…入れてあげようって…」


 それまでクライアントとの打ち合わせには、いつも光輔と田中の二人で行っていた。

 しかし、光輔の行くところに真奈美はいつもくっついてくる。

 バーで出会ったあの日も、本当は光輔と田中の二人で飲むはずだったそうだ。


「彼女は、近くに居ればいつか振り向いてもらえると思っていたようです。

 ですからあの日…光輔が奥様と二人でテーブルに移ったあの時も、真奈美は何か余裕でした。社長が次の顧客を捕まえようとしてる、営業を始めた…と」

「…最初は、本当に営業されましたよ?」

 私はあの時の事を思い出し、懐かしさに目を細めた。

「でも、何か…奥様は、あいつの琴線に触れたんでしょうね。翌日デートの約束を取り付けていたなんて私も気付きませんでしたし、当然彼女も。

 週明け、月曜に初めて話を聞いて…それまであいつには浮いた話一つなかったので、私も驚きましたけど…。とても嬉しそうに話す社長を見て、真奈美の顔色が変わりました」


 大学に入って4年、その後の就職してからの時間を考えると、彼女はどれだけ長い時間光輔を追いかけていたのだろう。

 それが、突然現れた見知らぬ女に搔っ攫われた。

「私が…憎かったでしょうね」

 本当に彼女が刺したかったのは、私だったのかもしれない。

「きっと真奈美は、どうやっても光輔が自分の方を見ない事は、分かっていたと思うんです…いや、分かっていなかったか、分かりたくなかったか…どうなんでしょうね。

 あの事件の日からしばらく、私もかなり辛かったですが、古川は…あいつは抜け殻のようでした」


 警察がやってきて、色々な物が持って行かれた。

 真奈美の私物はほとんど無くなった。光輔のものも一部持って行かれたが、後日返された。

 既に請け負っていた仕事は、古川を何とか焚きつけて完成させた。


 しかし、残った二人では客先に行き、ニーズを拾ってくる事は難しい。というか不可能だった。

 何が作成可能なのかが分からない田中と、人見知りが激しく、初対面の人間と会話が苦手な古川。先はなかった。


「請け負った仕事を全て納品し終わった後、古川を送り出しました。私達によく仕事を振ってくれていた大手に、光輔と懇意だった大学の先輩がいましたから。裁判が始まるかという時期に、一度だけ真奈美の両親が挨拶に来ました。普通の…本当に普通のご夫婦でした。それなのに…」


 田中は言葉を濁した。真奈美は裁判が開かれる直前に、監視の目をくぐって自ら命を絶ったのだった。


 被疑者死亡で不起訴処分。

 ただ後味が悪いだけだった。


「私は…元々彼女が苦手でしたので、申し訳ないですが逮捕後一度も会いに行っていませんでした。古川は…行けなかったようです。行きたかったのかもしれませんが」


「…お話、ありがとうございました。少し心の整理が出来ました」

 私は肩の力がふっと抜けた気がした。


 そこまで特殊な事案じゃない。これは呪いなんかじゃなかった。

 きっと都子には関係ない話だ、大丈夫。


 久美子にも礼を言って都子を受け取り、部屋に戻った。

 すぐに段ボールは潰して、光輔愛用の筆記用具は自分の仕事鞄の中のペンケースに入れるなどして、残った遺品全てを普段の生活の中に混ぜ込んだ。

 手記はクローゼットの中の衣装ケースに隠した。

 これでもう、何も心配することなんてない。






 それから30年以上がたったある日。

 仕事から帰ってきたところに、待っていたかのように10歳になった孫の美雨がやってきた。

「おばあちゃん…何や最近、おかんの様子がおかしいんやけど…会社ではどないなん?大丈夫なん?」

 そう言われた時、視界が一瞬揺れた。


「おかしいって…どんなふうに?」

 ダイニングの椅子に座り、揺れる視界を押さえながら、なるべく冷静に美雨の言葉に耳を傾ける。

「ずっとぼーっとして、皿はめちゃくちゃ割るし、手ぇ切ってても知らんぷりやし、何や…別人みたいになってん。急に暴言吐くし」


 ざあっと、頭の中にあの手記の事が蘇ってきた。


「あんなんで会社行って大丈夫なん?みんなに迷惑かけてへん?怖いわ、あんなん。なあ、郷子ちゃん結婚したらおばあちゃんうちに引っ越すんやろ?先にもうこっち来れへん?一人にしとくの怖いねん。一度病院とか連れてったって欲しいんよ」


 違う。あの手記の内容は関係ない。

 脳梗塞とか、そう言うものの類かも知れない。


「わかった。あとで一度様子見に行くわね」


 美雨が帰ると、私はすぐにスマホに手を伸ばした。連絡先から都子の直属の上司の名前を検索する。

「お母さん…お姉ちゃん、どこか悪いの?」

 隣で話を聞いていた次女の郷子が不安そうな声で聞いてきた。


「…分からない。…ああ、お疲れ様、時間外にごめんなさいね、鈴川です。あら、残業中?ご苦労様。都子はもう帰った?ああ…そう、よかった。ちょっと聞きたいんだけど、最近あの子の様子はどう?」

『何か、心ここにあらずって言うかぼーっとしてまして、先週くらいから急にミスが目立つようになってきまして。今日はその…奇行といいますか、急に部屋の隅に行って何か怖い、怖いとか呟いてたりしてまして。今日はそれで早めに帰らせたんです』

「そう…ありがとう。明日は病院に連れて行くから休ませるわね。迷惑かけるわね」


 電話を切ると、不安そうに眉を顰める郷子と目が合った。

「あなたには…話しておいた方がいいかしら」

 私は、都子が離婚後に戻ってきた時にこちらの家に移した件の「手記」をクローゼットから取り出し、例のページを開いて郷子に手渡した。

「都子の父親の…光輔さんの、母親の手記よ」


「…早死にの家系って事?しかも…事件事故…自殺って…病気とかじゃなくて?」

 前後をぺらぺらと捲りながら、郷子は素早く目を動かす。

「これ…お義兄さんには?」

「…言ってない。こんなのウソだって…今までのはたまたま、偶然だって思ってて、この手記の事なんか忘れてたのよ…」

 別れてもなお都子の事をずっと気にかけている、美雨の父親のことを郷子に言われ、一筋の光が見えたような気がして

「これ、知らせた方がいいのかしら?」

 と顔を上げた。


「だって、これが本当ならお姉ちゃんもだけど、美雨も危なくなるんじゃないの?一番頼りになりそうなの、アメリカにいるお義兄さんでしょ」

 手記を一度ぎゅっと抱きかかえると、郷子はそれを私に戻した。

「…分かった。明日、都子を病院に連れてくから…その結果次第で連絡する。それでいいかしら?」


 震える手で手記を受け取ると、私はそれを再びクローゼットに戻した。

「都子の様子、見てくるわね」

「うん。行ってらっしゃい」

 不安そうな郷子に見送られながら、ふーっと大きく息を吐き出し、私は玄関へと向かった。


 光輔さん、都子を守ってよ。まだ連れて行ったりしないで。


 心の中でそう祈りながら、今は都子と美雨が住む、光輔が買ってくれた部屋に向かって歩き出した。

 都子が一人でふらりと暗い夜の海に向かう、ほんのひと月前の事だった。

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