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しらないところで Annex  作者: 南 紅夏


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8/9

命日、あの人の好物だったケーキを食べながら その3

「おじいちゃん…そこの道で…?」

 目に涙をため、唇を震わせながら美雨が窓の方に目をやった。

「…そう、そうなのよ。私の見てないところで、知らない間に。

 ずっと一緒にいたならイヤなところとかも見えて、文句の一つもあったんでしょうけどね。大きなケンカ一つもしないうちにそんな事になったから、綺麗な思い出しかないのよ」

 卓上の光輔の写真は、当然若い時のままだ。

「生まれて1か月だったから、あなたのお母さんは、本当のお父さんの記憶なんて全然なかったのよ」


 私はそう言いながら、亡くなるほんの少し前に、彼が言っていた言葉を思い出していた。


「うちの父の家系って、早死にらしいんだ。40になる前に大体みんな死んじゃうんだって。事件や事故に巻き込まれるとかで。

 そうじゃなくても、大体精神的に何かおかしくなって自殺しちゃうらしくて、結局40まで生きた人がいないらしいよ」

 都子を抱っこしながら、光輔は笑ってそう言った。

「えっ?」

 本気なのか冗談なのか分からなかったが、笑って言う話ではない。

「大丈夫、こんなかわいい子が生まれたんだもん、死ねないよなー!パパお仕事頑張るぞー!」

 一瞬不安そうな顔をした私の心配を吹き飛ばすように、その人は幸せそうに笑っていたのだ。


 こんな話、美雨に言えるわけないじゃない。

 現に、都子もおかしくなって自殺を図った。多分あの時も40になる前だったはずだ。

 そんな話など信じれるはずもなく、都子の言動がおかしくなるまで、私はこの話を忘れていたのだ。

 次は、美雨もそうなるかもしれない。都子がいなくなってから、そんな不安がずっと付きまとっている。


 この件を知っているのは、私の他には美雨の父だけだ。

 アメリカにいる彼なら、何か情報を得てくれるかもしれない。

 遺伝的な何かなのか、病気なのか。




「それで…おじいちゃんの会社ってどうなったの?」

 ティッシュで目元を拭いて、鼻を思いきりかむと、美雨は質問を変えた。

「そうね、残されたのは腕はいいけどコミュ障のシステムエンジニアと、プログラムには縁のない体格のいい男だけ…」




 事件から半年がたったころ、マンションに一人の男が尋ねて来た。

「光輔さんと同じ会社で働いていました、田中と申します」

 それは最初に光輔と出会ったあの日、一緒にバーにいた体の大きな男だった。

 その腕には、ミカン箱半分くらいのやや小さめな段ボールが一つ、抱えられていた。


「この度は…何と言っていいやら…自分も全然心の整理がつかなくて。あいつとは小学生くらいからの腐れ縁でしたから…」

 そう言って頭を下げると、彼は私の勧めたソファに腰を下ろした。


「会社は、事後処理が終わって先月末で事務所を引き払いまして、ヤツの…光輔の置いていた私物を持って来ました。ご迷惑かも知れませんが…不要だったら処分なさってください」

 彼は持ってきた段ボールを開けはじめた。

 やはり、光輔が抜けた状態で会社の存続は難しく、立ち行かなくなったようだ。


「あの、もう一人の方はどうなりました?」

 私には、彼が持ってきた荷物より、光輔と一緒に走ってきた仲間のその後の方が気掛かりだった。

「ああ、古川ですか。あいつは、光輔が『自分に何かあったらこいつを頼む』って前々から大手の知り合いに言ってたそうで、すぐに引き抜かれて行きました」


「そうですか…。あなたは、どうなさるの?」

 田中は箱から手を放し、まっすぐ私の方を見た。

「自分は…大して何ができる訳でもないですし、あの二人のサポートしかしていなかったので…お恥ずかしい話ですが、収入のいい暮らしをさせて貰ってたくせに、金勘定だけやっていたもので…これといって変わったことはできないんです。妻と子供もいますから、とりあえず3人で一旦地元に帰ろうかと思ってます」

 お茶を一口飲むと、その男は少し寂しそうに笑った。


「まあ、お子さんもいらっしゃるの。奥さんは?それで構わないんですか?」

「ははは、彼女こそ保育士の資格がありますし、どこでもやっていけますよ」

「…保育士…」

 その時、私の頭の中で色々な物が繋がっていっていた。


「あの…もし次のお仕事の予定が決まっていないのでしたら、このマンションの管理人をやってみませんか?管理人というより、コンシェルジュなんですけど。元々このマンションに専門の人を置く予定だったのですけど、決まってなくて、今は社員が持ち回りでやってまして。住み込みで出来る方を探してたんです」

「住み込み…コンシェルジュ…ですか」

「マンションにお住まいの方全員の、執事です。

 それと、これもお住まいの方用なんですけど、短時間預かりの保育施設もそのコンシェルジュの住居用の部屋に隣接して作ってるんです。奥さんがよろしければそちらもお手伝いお願いできないかって」

「それは…願ってもない話ですけど…自分、執事と言うにはごつすぎると言いますか…」

「防犯上、そっちの方が頼りになります!しかも光輔さんの幼馴染なら、私が安心できますから。経理作業が出来るなら、なおの事助かります」


「うー…えーっと、つ…妻と相談してきてもいいですか?」

「勿論です!ちゃんとした雇用条件、用意しておきますので!」

 当初、この段ボールを渡したら地元へ帰る準備をするつもりだった男は、急な話によろよろしながら部屋を出て行った。


 私は、客人が帰った後、その男の置いて行った開きかけの段ボールを恐る恐る覗き込んでみた。

「あ…」

 一番上に置いてあったのは、フォトスタンドに入った、二人で海外挙式した時の写真だった。

「職場に飾ってたんだ…」

 次に、端の方に入っていた分厚い封筒を開けてみた。先程の男と光輔、少し神経質そうな男3人が、どこかのロッジのようなところではしゃいでいる写真が何枚も入っていた。

「いい写真…」

 一枚、とてもいい表情の光輔の写真を見つけ、フォトスタンドの写真と差し替えた。

 リビングの端のベビーベッドで寝ている都子に向かって

「ミヤちゃん、お父さん、カッコいいでしょ?」

 と小さい声で話しかけた。


 その翌日、田中は妻と、1歳の男の子を連れて現れた。

「改めまして、お話しを聞かせてもらえますか?」

「もちろん!お待ちしてました」

 そして私は、このマンションのコンシェルジュを見つけることに成功した。




「えー!じゃあ、その時のおじいちゃんの会社の人って、田中のおじい様だったの?で、この写真が、その時箱に入ってた写真?」

 美雨が、卓上のフォトスタンドを掴んだ。

「そ。なかなかに縁って不思議よね」

「で、1歳の男の子って、田中のおじさま?」

「うん」


「えー?じゃあじゃあ、郷子ちゃんのお父さんの方のおじいちゃんは?レンじいちゃんとは、どうやって出会ったの?」

 今日は光輔の命日だから、との事で話し始めたはずだったはずだが、美雨の興味は二人目の夫の方に移ったようだ。

「…まだ私、話続けるの?」

「聞きたいっ!」

 美雨は目をキラキラさせている。

「もう…そうね、こんな機会でもないと、もう話すこともないかな…」

 私は苦笑しつつ、昔話を再開した。




 それから更に半年が過ぎ、私は育児休暇を終えて職場へ復帰した。

 都子はしばらくの間母が見てくれて、保育園の空きが出たらすぐにそちらに預けた。


 その頃の鈴川建設の動きとしては、父が倉田家の土地をきちんと正規で買い上げ、このマンションの裏の整地も始まるというところだった。

 私は毎日通常の仕事をこなしながら、なるべくずっと忙しくなるように色々な仕事を詰め込んだ。

 その頃から少しずつ、経営の方にも首を突っ込むようになっていた。

 とにかく息をつく暇がないように。光輔の事を考える時間を作らないように…。


 もうすぐ都子が保育園を卒園するという時期になり、ようやく少し心に余裕が出て来た。

 まだ心の端にピリッとした痛みは走るが、光輔の写真を見ると反射的に出ていた涙も、抑えられるようになっていた。

 無理に仕事を詰め込むことをやめ、自分のペースを取り戻そうと考えられるくらいに回復して来ていた。


 1月の終わり頃だっただろうか。

 出先から会社に戻らず、少し早めだったが直帰の連絡をしてスーパーに寄った。久々に料理でもしようかという気分になり、食材を買い込んだ。

 スーパーの袋を持って歩いていると、薄暗くなりかけた近くの公園で保育園の制服のまま都子が遊んでいるのが見えた。すぐそばのベンチには母と、見知らぬ男性が座っていた。

「ミヤ、お母さん」

 手を振りながら近づくと、都子は私に気付いて走ってきた。

「ママ!今日はやーい」

 嬉しそうな都子の頭を撫でながら、母の元へ歩いた。

「京子、お帰りなさい。珍しく早いのね」

 手を振り返す母の隣に座る分厚いコートを着込んだ男性は、私の顔を見ると軽く会釈した。その手には都子のお気に入りの小さなパンダのぬいぐるみがあった。

「??」

 誰だろう。その人が誰だか分からないまま、私も会釈を返した。


「この方、倉田さんのところの廉治さん」

「倉田さんって、あの?」

 母の紹介で、眩暈がするくらいの衝撃を食らってしまった。

 小さい頃に、きっと一回会ったことのあるはずの、元許婚。

 その人が夕暮れ前のベンチに座って、穏やかに笑っていた。




「きゃあ!レンじいちゃん!登場した!まさかの元許婚が!?」

 美雨がぱちぱちと拍手した。

「そうなのよ」




「じゃあ、私は帰るわね。たまにはあなたも都子と遊んであげなさいな」

 母はベンチから立ち上がり、私の手元をちらりと見ると、都子に手を振った。

「ミヤちゃん、またねー!おばあちゃん帰るから。今日はママのご飯ですって」


 遊んであげてと言われても、買い物袋を持ってスーツのまま都子と遊ぶわけにもいかず、私は遠慮がちに母の座っていた場所に座った。

「えっと…お久しぶりです。体調は…えっと…」

 20年振りくらいだろうか。あの頃の印象より健康そうに見えるが、何と声を掛けていいか分からず、しどろもどろになってしまった。


「天気のいい日は、散歩がてらよくこの公園に来るんです」

 大人になり、日常生活に支障がない程度になっていた倉田家の長男は、若い頃に学校に行けていなかった分、今は通信の大学で勉強中との事だった。

「今更勉強したところで、就職も難しいんですけどね。…まあ、お陰様でお金だけはあるので、働かなくても困りはしないんですけど」

 穏やかな笑顔から突然飛び出したブラックジョークで、私は思わず吹き出してしまった。


 土地の権利は早いうちに廉治に分割贈与されていたそうで、マンション裏の土地の売却益は丸々彼のものになったそうだ。


「その節は…すみません、色々と…」

 別に私が悪いわけではないが、何となく約束を破ってしまったような後ろめたさだけが残っていたので、元許婚に深々と頭を下げた。

「いえ…でも、今からまたもう一回考え直すというのはどうですか?」

「!?…はい?」

「私は、今はまだ外で働くのは難しいですが、家事と料理は得意なんです。家を守ることは出来ますよ」


「ママ、おしっこー!」

 叫びながら、都子が駆け込んできた。

「え?あ、じゃ、じゃあ、そこのトイレ行こうか」

「やだ、おうちのトイレがいい!帰る!」

 そう言うと、都子は廉治からぬいぐるみを受け取った。


「レンおじちゃん、またねー!」

「ありがとうございました。…失礼します」

 話がぶった切られてしまった。

 廉治に向かって手を振る都子の保育園バッグを持ち、私は元許婚に頭を下げた。

「ええ、また。考えておいてくださいね」




 家に帰ってから、随分と親しげだった娘に廉治の事を聞いてみた。

「ミヤは、さっきの…レンおじちゃんとは、よく遊ぶの?」

「うん、お友達だよ。いつもあの公園でみんなとお話ししてるの」

「お話し?一緒に遊んだり、走ったりとかは?」

「走らせたらダメなんだよ。前に誰かが転んで、レンおじちゃんが慌てて走って来てくれたんだけど、レンおじちゃんの方が苦しそうになっちゃって、みんなではげましながらベンチまで歩かせたんだから」


 なんだそれ。全然体調よろしくないじゃない。


 その日、久々に自分で夕食を作った。

 それまで、仕事帰りに実家に寄ってご飯を食べ、娘を連れて帰って寝るというのが日常だった。みそ汁の味噌の適量さえも、もう思い出せないくらい久しぶりの料理だった。

「うーん、悪くないけど、おばあちゃんのご飯のがおいしいかな?」

 遠慮がちに娘にダメ出しされ、少々へこんだ。


 それから早めに帰る事などはそうそうなく、廉治と会う事もなかった。

 しかしある土曜日、都子と共に公園に行った時、廉治がいた。

「お久しぶりですね」

 廉治は穏やかに微笑んでいた。

「こんにちは。今日は暖かいですね」

 2月だったがその日の昼間は暖かく、都子と同じ保育園の子もいて、すぐに子供たち同士で遊び始めた。


「考えてもらえましたか?」

 いきなり、そう聞いてきた。

 病気では苦労したのだろうが、社会的にすれていない、人間関係で苦労していない感じの、変な純粋さのある人だった。距離感や間も独特だ。

「えーっと…」

 返答に困り、私は目を泳がせた。


「じゃあ、一度私の料理を食べて見て下さい。胃袋から掴みますから」

「ぶふっ」

 また、吹き出してしまった。

「何か苦手なものはありますか?ミヤちゃんは好き嫌いは?ちゃんと考えて作りますから」

「待って、待ってください。私まだ行くなんて言ってませんよ?それに…おうちにお伺いするなんて…」


 子供が遊びに行くのとは訳が違う。彼の家に子供を連れて行くなんて、周囲から何と思われるか。

「…ああ、周囲の目なら大丈夫です。私は気にしませんから」

「いや…」

 あんたじゃないよ!と出そうになったが、ぐっと飲みこんだ。


「じゃあ、今から準備します。夕食はぜひうちで食べて下さい。出来たらお迎えに上がりますので、お家で待っててください。よし!では買い物に行ってきます」

 とても嬉しそうな顔で、そわそわとベンチから立ち上がると廉治はそのまま小走りで公園を出て行った。


 え?今日?今日の夕食の話?


 ツッコむ暇もなかった。一方的に決めて喋って、そのまま帰ってしまったのだから。

 そして、まあまあ走れるじゃない、とあさってな事も考えていた。


 ぼんやりしたまま、公園で遊ぶ都子を見るとはなしに見ていた。

 もうすぐ卒園式、そして入学式。そんな時、この子には父親がいた方がいいのだろうか。

 ぐるぐると考えていると、都子がいつの間にか目の前にいた。

「ママ、トイレ行きたい。帰ろうよ」

「ん、わかった」

 既にまとめたお砂場セットを手に、都子は後ろを振り返った。

「ばいばーい」

 友達に手を振る娘は、特に急ぐわけでもなく、トイレに行きたい風でもなかった。

「トイレは?急ぐ?」

「いそがないよ。今日ね、急にハンバーグ食べたいって思ったの。だから材料買いに行こうよ。わたし、こねるの手伝うよ?」

「あー…」


 何と言えばいいのか、説明に困りながらマンションのロビーに入った。

「奥様、お手紙をお預かりしております」

 コンシェルジュの田中に呼び止められ、カウンター上にそっと差し出された切手の貼られていない封筒を受け取った。

 表には、鈴川京子様、と達筆な文字で書かれている。

 裏には、倉田廉治と書かれていた。


「田中さん…」

 何か言いたかったが、言葉が出ない。

 そんな私の顔を見て、田中はふっと微笑んだ。

「私が口を挟むことではありませんが…。もう、光輔も怒らないと思いますよ」


 その場で封筒を開けると、中には『本日のお品書き』と書かれたメニューが入っていた。

 大人用メニューと、ミヤちゃん用メニューと書かれた2種類のメニューだ。

「ミヤ…今日、ハンバーグだって…」

「うん!作ろうよ」

「違う。作るんじゃなくて…」

 こういう気持ちは、何と言い表せばいいのだろう。

 田中に会釈すると、私は都子の手を引いてエレベーターに乗った。


 7時にお迎えに参ります、と書かれていたので、都子を風呂に入れ、スカートに着替えた。都子にも可愛いワンピースを着せる。

 しかし私の記憶では、場所は覚えていないが彼の家は大きな日本家屋だった。書かれていた洋風なメニューを見ると、正直何を着ていいのか分からない。


「どこか行くのー?」

 都子がワンピースでひらひら謎の踊りを踊りながら尋ねて来た。

「うん…レンおじちゃんが、お料理作ってくれるんだって」

「へええー!」


 7時を少し過ぎた時、家のチャイムが鳴った。

「え?あれ?」

 マンションの外から鳴らすチャイムではない、部屋の目の前のチャイムの音だった。

 慌てて家の扉を開けると、そこには廉治が立っていた。


「さ、早く早く」

 廉治は笑顔で都子の手を引き、歩き始めた。

 私は家の鍵を掛け、二人の後をついて行く。

 エレベーターホールをスルーし、廉治はそのまま同じ階の端まで歩いた。

「さあ、どうぞ」


「え?なんで…この部屋…」


 家主が少し前に手放し、無人となっていた反対側の端の部屋を、いつの間にか廉治が買い取っていた。

「いつ?いつからここへ?」

「今年入ってすぐです」

 開けた扉からは、とても美味しそうないい匂いが流れて来た。


「おじゃましまーす!わあ、うちと全部反対だー!面白いねぇ」

 間取りが全部うちと線対称で反対の部屋に、都子は興味津々だ。

「お邪魔します」

 私も都子に続いて中に入ると、ダイニングの大きな机の上に、書かれていたメニューの料理が全て乗っていた。

「順に出すもの良いかと思ったんですが、一緒に食べたかったのでこんな形にしました。さあ、温かいうちに食べましょう」


 廉治の作る料理はどれも美味しかった。

 そして食事の間、色々な話をした。


 このマンションを買った理由を尋ねると

「前の旦那さんは、あなたのためにこのマンションを買ったと聞きました。そこに私が行くのは違うって思ったんです。だったら私は私でプレゼントしようじゃないかと。まあ、自分で稼いだお金じゃないですけど。…何にしてもスタートラインはそこだと思って、まず買いました」


 私に求婚するにはマンション必須、みたいなルールを決めた覚えはない。

 しかし、この男は対抗したのだ、今はいない光輔に。


「小さい頃、あなたが私のお嫁さんになるのだと聞きました。外にまともに出られない私にとって、それが唯一の生きる目標だったんです。でも…それは叶わなかった。

 当然ですよね、何の努力もしていない私に価値なんてない。だから、今度こそ振り向いてもらえるよう、あなたにとって何が必要か考えました。まず、料理と家事です。そして心臓の手術も受けました」


 そう言うと、廉治は机の下から大きな花束を私に差し出した。


「親の決め事ではなく、私の意志として言わせてください。今度こそ、私との結婚を前向きに考えていただけませんか?」


「つまり…どゆこと?」

 都子が、不思議そうに花束と廉治を眺めた。

「おじちゃんは、ミヤちゃんのパパになりたいって、ママにお願いしてるんだよ」

「…はあー…すてき。レンおじちゃん、お料理ママより上手だし。私はいいと思う!」

「…こら」

 余計なことを言う都子を、私は軽く睨んだ。


「私はね、ハンバーグは捏ねたい方です!」

 都子がフォークを握りしめたまま、謎の主張を始めた。

「じゃあ、今度は一緒に作ろうか」

 笑顔で廉治が答え、二人で勝手に話が進めていく。


「ミヤちゃんの苗字が変わって騒がれるのも可哀そうです。倉田の苗字になる必要はないですから」

 この先出て来るであろう質問や問題は、全部対策済みのようだ。

「前向きに…検討させてもらいます…」

 私は花束を受け取りながら、辛うじてそう答えた。




「うわぁ…レンじいちゃん…うわあ~!思ったより情熱的だった!」

 美雨が嬉しそうに両手を握りしめていた。

「そっかぁ。おばあちゃん、大事にされてたんだねぇ…」

 目を閉じ、しみじみとそう言うと、ふと目を開け

「じゃあおばあちゃんが死んだとき、目の前に私のお爺ちゃんとレンじいちゃん二人が手差し出して待ってたら、おばあちゃんはどっちの手を取る?」

 と、身を乗り出してきた。


「…すごい事聞くのね…」

 思ったより難しい、意地悪問題だった。

「そんなの、答えられないわよ…そもそも、どっちも待ってないかもよ?」

 私はケーキ皿を重ね、キッチンへ運んだ。


「待ってるよ、多分。どっち選んだか、私が死んだとき聞きに行くから、その時教えてね?」

「そんな変な約束出来ません!」

 美雨の顔を見ず、光輔の写真を書棚へ戻した。


「あー!私の事透明って言ったの、大牙くんだったかも!」

 後ろから、素っ頓狂な声が聞こえた。

「タイガくん?彼氏?お友達?」

 光輔の写真を見ていたのだが、思わず美雨の方を振り返ってしまった。

「同じ生物部の、カエル可愛いって言う仲間!今英会話教室も一緒だよ」

「…そう」

 何にしても、人の名前を覚えない美雨から新しい人の名前が出てきたことは成長だ。


 あなたに似た、でもどこか抜けている美雨を見守ってやってね。

 最後に写真にそっと手を合わせ、私はキッチンへ戻った。


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