懐かしい匂い
ep10 タイプワイルドの後。
召喚1日目の夜、湊太が大牙の部屋を訪れた後の、大牙目線のお話です。
「ちょっと照明暗めにして」
小声で呟くと、すっと部屋全体の照度が落ちた。
目の前のテーブルには、何種類かの酒瓶と、飲みかけのグラスが3つと使わなかったグラスが1つ。暗さと相まって、この一角はバーかスナックのような雰囲気だった。
そして、そこに不釣り合いなティーカップとソーサーが1セット。
湊太は口をつける余裕もなく帰ってしまったため、中の紅茶はクレアが持ってきた時のままだ。
なんだか嵐のような時間だった。
ソファから立ち上がると、目の前にはクレア、左では俺の上司である「先生」こと、山下博昭が眠っている。
「どーするかな、これ」
とりあえず空き部屋のベッドから毛布を2枚取ってきて、クレアにそっと掛ける。もう一枚を先生にかけ、一旦ソファに座りなおした。
卓上のアイスペールの中はほぼ水で、残っている氷は僅かだ。そこから最後の氷を探して自分のグラスに入れると、クレアの手土産の焼酎を注いだ。
こちらの屋敷の人間には、湊太の祖父・耕作がこの星に移住してきたことは周知の事実だった。
だが、地球上での扱いが「死んだこと」になっているのは、この星の人には全く必要のない情報だったため、偽装用の死体を用意したレビ一族の医療関係者しか知らない。
生きていることが湊太にバレるのは、時間の問題だったのだ。だったのだけど。
―――でも、今日の予定じゃなかったんだけどな…。
そしてこの事態を招いたのは、夕食の時、レビとの会話で何の気なしに発言した自分だ。
食事の途中、山下先生から「湊太君のお友達の子、君のお兄さん知っとったみたいや」と音声だけの短い連絡が入った。
そこで、漠然と「来るかもな」と思っていたのが確信に変わり、つい言ってしまった。
「俺が湊太の立場だったら、間違いなく今晩もう一回来ると思うよ」
と。
レビは口下手で時々残念な所がある。だから
「ソータが来ても、俺は何もしゃべらないぞ」
と何か困ったような顔をしていた。
この何か月かの付き合いで分かっている。レビは感情が顔に出やすく、隠し事が下手だ。
湊太の祖父の耕作とは気が合うらしいので、しょっちゅうお互いが遊びに行き来しているらしい。これ以上湊太と話していると色々とボロを出しそうで、勝手に警戒していたようだった。
「来ても、多分レビに連絡はしないだろ。昼間のあの態度じゃ、話しづらい人って思ってる…と思う」
「話しづらい…そうか…」
それだけ言うと、レビは変にしょんぼりしていた。寂しそうにメインディッシュの肉料理をパクリと口へ運ぶ。
時々、本当にこの人は子供っぽい。
レビの横で、レビの妻であるハルカが顔を向こうに背けつつ、肩をぷるぷると震わせていた。笑いをこらえているのが俺には分かっていたが、レビはまるで気付いていない。
「なら、ソータはタイガのところに来るのか?」
「他に選択肢がないだろ。…レビのあの人見知りの発動の仕方は、ただの不機嫌に思われるぞ?」
「不機嫌に見えたのか…」
しょんぼりが加速している。
ハルカも限界が来たらしく、ぶはっと吹き出した。
「もう、なんなの!何?私が一緒に行った方が良かった?」
「いや頼む、それはやめてくれ…また今度、今度で!慣れてからで!」
俺とレビ夫妻がデザートに入ったころ、レビの祖父であるランディ夫妻が入ってきた。この家は長寿の一家なので何世代もが同居しているが、現家督の長は、名ばかりだがレビである。
ランディ夫妻は二人とも医者なので、手の空いたタイミングで別々に夕食に現れることが多いが、今日は珍しく一緒だった。
「シルビアの事、ソフィアにばれたんですって?」
入ってくるなり、祖母のシモーネが呆れたようにレビを睨む。
「バレるのはもう仕方ないのよ。ただタイミングが…ねぇ」
「いや、レビが悪いわけじゃないだろう。シルビアがちょっと…やんちゃが過ぎるだけで」
夫のランディが困ったように笑いながら着座した。
「タイガがついていながら何てこと」
シモーネの矛先が、なぜかこっちに向かってしまった。
「あれは仕方ありません。アステリア様が船の墜落の話をした流れで、嘘をつける状況ではなかったんです」
「あの子が…じゃあ、仕方ないわね」
ふうっと息を吐き、シモーネも着座した。
「シルビアは自分を使った人体実験が好きすぎるのよ。きちんと治る暇なんてないんですから」
「まあでも逆に良かったんじゃないか?孫に会えると聞いて、彼女も今回は落ち着いて治してくれそうだし」
ランディが妻を宥めた時、曾祖父母も食堂に入ってきたので、俺とレビ夫婦はその場を失礼することにした。
食堂を出て、がらんとした1階の廊下を3人で歩く。
「おばあ様、怒ると怖い…」
すっかりしょんぼりしているレビの背中を、ぽんぽんとハルカが叩いた。
「あれはレビに怒ってるんじゃないと思うよ、多分シルビアにだと思うよ?」
「それよりシモーネさんは俺の事、レビのお目付け役くらいに思ってるのかな…こんな面倒臭いの、ちょっと遠慮したいんだけど」
人が好きなくせに人見知りが激しい、なんともレビは面倒なヤツだ。
エスカレーターのあるロビーに向かって歩いていると、左手の部屋の扉が開き、レビの子供二人とクレアが出てきた。
「ママ!今日マサムネ、残さず食べたのよ」
レビの長女が、弟の報告をしながらハルカに飛びついてきた。
「あら、マサムネ偉いぞー!クレア、面倒見て貰ってごめんなさい」
「構わないよ。この子たちを見ているのは飽きないのでな…それよりタイガ、ちょっと話があるのだが」
クレアのオンとオフの差には最初こそ驚いたものの、今ではもうすっかり慣れてしまった。しかし、個人的に何か話しかけられたのは今回が初めてではないだろうか。
「ソータが今夜、来るかもしれないというのは本当か」
これだから、エルフの地獄耳には困る。壁一枚なんて、ないにも等しい。
「予想だよ、外れるかもしれない。俺だったら来るな、と思っただけだよ」
「…一緒に待たせて貰えないか?」
「え?うん…まあ、別にいいけど。でも、時差とか考えると2時間くらいは後じゃないかな」
なぜだろう、今すぐにでも飛び込んできそうなクレアの圧を感じる。頼むからゆっくり来いよ、との意味も込めて、予想時間をやんわりと提示しておいた。
「分かった。手土産に、最近貰ったうまい酒を持っていく」
にこりともせず、淡々とそう言い残すと、クレアは食堂の方に戻って行った。
しかしクレアは酒とつまみ類を手に、1時間ちょっとで現れた。
手土産のうまい酒とは、まさかの九州の芋焼酎、しかも同じものが2本だった。地球から宇宙を渡って、日本人の自分のもとに届いたと思うと何とも因果なものである。
「で?差しでクレアと話すこと自体あんまりなかったと思うけど。湊太に何か用?」
「ちょっと…確かめたい事がある。私の勘違いでなければ…」
卓上に手土産を並べると、クレアはダイニング奥のミニキッチンへそそくさと移動した。グラスを4つ、アイスペールに氷と、デキャンタも用意してカートで運んできて、てきぱきと並べる。
「ヒロもどうせそのうち来るのだろう?」
「どうせ扱い」
自分の上司に対するクレアの物言いに、俺は思わず失笑してしまった。
こちらも部屋の飾り棚から何点か、研究所のみんなが持ち寄った酒をチョイスして卓上に並べた。自分ではなく、先生や先輩たちのものが大半だが、構ったことではない。この部屋にあるものは共有の備品だ。
クレアは入り口に一番近いソファに座ると、黙々とグラスに氷を入れた。そのまま焼酎をたぱたぱと注ぐと、くいっと飲んだ。
―――うん、乾杯とかそういうんじゃないんだね。
無言、かつ手酌で先にガンガン飲み始める。
いつもと雰囲気の違うクレアが面白くて、俺はしばらく眺めていた。普段はさっぱりした感じのクールなエルフが、黙ったままかぱかぱかと何杯も一人でおかわりしている。
最初は面白かったが、そろそろ沈黙も辛くなってきた。彼女には、回りくどいことを言っても伝わらない事はわかっていたので、はっきりと言うことにした。
「何も教えて貰えないのも、ちょっと息苦しいんだけど」
「いいから、タイガも飲め」
被せ気味に言われ、仕方なく俺もグラスに氷を入れ、勧められるがままに焼酎を注ぐ。
「あ、うまいなこれ」
「だろう?」
クレアが初めて笑った。
その時、念のために監視を頼んでいたグノメから耳元でそっと
『ツチダゼロワンの起動を確認』
と報告が入った。
ぴくり、とクレアの耳が動く。
ああ、もうバレてる。これだからエルフは。ちょっとした隠し事も出来ない。
そして、すぐ来ると思っていた湊太からの連絡がなかなか来ない。クレアの目がどんどん座ってきているのが分かる。そして湊太から連絡が来て、通話が切れる頃にはクレアは待ちきれず、もう席を立っていた。
「ややこしくなるから、クレアは座ってて!」
言っても聞かない。
「いいからタイガが座っていろ!私が出る!」
絶対誤解されるな、と思ったが、もう何だか面倒になっていたので、様子を見ることにした。
夕食後の事から思い返すと、クレアは湊太の属性を確認したかったのだろう。
亡くなった旦那さんと同じタイプではないか、と。
懐かしい匂いに、惹かれたのかもしれない。変に真面目でオンオフがきっちりしている分、昼間のクレアには出来ないことだったのだ。
――それより、ここの片付けをどうしよう。
通常時だと「勝手に片付けるとクレアが怒る」ってやつなのだろうが、これはオフの時の話だ。酒はほぼ自分で出したものだし、片付けても問題ないだろう。
しかしカチャカチャと音を立てると起こしてしまいそうで、ちょっと気を遣う。
考えていても埒が明かないので、焼酎以外の酒瓶は棚に戻し、クレアがキッチンから運んできたカートにそっとグラス類を載せはじめた。残っていた卓上のもの全てをカートに運び終わったとき、目の前のクレアがむくりと起き上がった。
「すまなかった、迷惑を掛けた…」
「あ、ごめん起こしちゃったか。…気は済んだ?」
きりっとした目元に戻っている。
気配で何となくわかる。もう、いつものクレアだ。
「ん?もうアルコール抜けてるのか。早いな」
「タイガに言われたくないな。最初から全然酔っていなかったじゃないか」
「ははっ、全然って事もないけど、元々強い家系らしいんでね。飲み直す?」
「今日はもう止めておくよ。…そのうち…ちゃんと話せるようになったら、昔話でも聞いてくれ」
そう言うと、クレアは少し悲しそうに目を伏せた。
クレアの亡くなった旦那さんの詳細は知らないが、ランディ達と一緒にシルビアの治療にあたっていた医者だったと聞いている。
そして、先ほどの話で分かった。湊太と同じ属性と言うことは…。
「旦那さん、普通の人間だったの?」
「そうだ…短耳と長耳が番になって良い事なんてない、なんて分かってたんだがな。私の父も人間で、亡くなった時の母の長い嘆きも見ていた。でも…番えば、それがたとえ長耳同士だったとしても、先立たれれば悲しいのは一緒だろう?」
クレアはカートを大牙から奪い取ると、唯一使っていなかったグラスを手に取った。デキャンタの水を少し流し入れると、ソファにゆっくり戻っていく。
すれ違いざま、グラスからわずかに湯気のようなものが立ち昇るのが見えた。クレアは卓上に唯一残っていた焼酎をグラスに注ぎ、一気にあおる。
―――あれ?「今日はもう止めておく」とは一体。
「ソータ、また時々ぎゅーさせてもらっていいだろうか」
「いや、許可は本人に取って?それと多感なお年頃だから、いきなり抱き着くのもやめてあげて?」
「そうか…だめか…」
クレアはカートに再び空いたグラスを置くと、軽く手を振り、こちらを振り返りもせず
「明日朝片付けるので、そのまま置いておいてくれ。残った酒は詫びだ。好きにしろ」
と言って出て行った。
クレアの置いたグラスを見ると、底の方が凍っていた。
―――気化熱の利用?冷媒ガスを発生させた?いやいや…まるで液体窒素でもぶちまけたみたいな…。なんだ、これ。
「氷いらないじゃん」
ちょっと、これは面白すぎるだろ。
一瞬、雪女とかそういった妖の類の正体って、実は地球外から来た人たちとかかもしれないな、なんて飛躍したことを考えてしまった。
ひとしきり日本の妖怪に妄想を巡らせた後、ふと現実に戻った。
顔を上げると、酒に弱い先生は毛布にくるまって、そのままかーかーと寝息を立てている。
―――もうこいつはそのまま放置して、風呂に入って寝よ。
貰ったならこいつも棚に片付けるか、とクレアの置いていった焼酎の瓶を持ち上げた。
「…カラだよ…」
今度地球に戻った時に、同じ焼酎でも探してみるか。
俺は空き瓶をカートに載せると、そのまま浴室へと歩いて行った。
雪女、月から来た説もあるそうですよ。(wiki情報)