表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/15

第8話:ヴァイスの丘(後編)

 午後の陽が傾きかける頃。

 二人の影が、苔のついた石段をゆっくりと登っていた。


 そこは、“ヴァイスの丘”と呼ばれる高台──

 かつて見張り塔として使われていたという、荒れた石造の構造物が今も残されていた。


 「……ここ、覚えてる……かも」


 カイが、遠い記憶を手繰るように呟く。


 「小さい頃に一度、姉さんと登った気がする。高いところから村が見えた……確か、あの時は……」


 記憶は断片的で、ところどころ霞んでいた。

 けれど、それでも彼は“来た”ことがあると、自分に言い聞かせるように、塔の扉へと手をかけた。


 《構造物は全体の45%が崩壊。上層部への侵入は危険と判断。地下構造あり。熱反応……なし。静的状態を維持中》


 「ゼロ、内部探索を許可。防御態勢は維持」


 《了解。リュウ、物理的危険は低いが、内部環境の不安定化に注意。スーツのフィルターレート調整済み》


 石の扉を押し開ける。

 重い音と共に、冷たい空気が吹き抜けた。


 中は暗く、空気は重たく澱んでいた。

 湿った匂いが鼻を刺し、石壁には水滴が滲み、天井からぽつりぽつりと雫が落ちていた。


 静かだった。あまりにも。


 「……誰も、いないのかな……」


 カイが、肩をすくめながらリュウの後に続く。


 湿気が高く、ベタつく空気が肌にまとわりつく。

 リュウの漆黒のボディスーツも、わずかに濡れ、彼女のしなやかな身体の輪郭にぴたりと張りついていた。

 くびれた腰、引き締まった腿、そして胸元のわずかなジッパーの開きから覗く滑らかな谷間。

 それは塔の闇の中で異様なほど艶めいていた。


 だが、カイはそれに気づいていない。

 彼の目はただ一つの希望──“姉の手がかり”だけを追っていた。


 塔は二層構造になっていた。

 一階には見張り室らしき空間、そして階段を降りた先に──


 閉ざされた、分厚い扉があった。


 《扉の封鎖は物理式。鍵は破損済み。開放可能。背後警戒──異常反応なし》


 「開ける」


 リュウが手をかざすと、扉は軋みながらゆっくりと開いた。


 ──そこには、古びた装置があった。


 それは、まるでこの世界のものではない。

 金属の筐体は今も鈍く光を反射し、盤面には魔法陣でも紋章でもない、滑らかな曲線のパネルが配されていた。


 「……これ、何……?」


 カイが思わず声を漏らす。


 見たこともない。想像もしたことがない。

 “像”でも“絵”でもない、“何かが映るもの”──そんな概念すら、彼にはなかった。


 《……これ、古代技術の遺構か? いや待て、電力供給反応あり。微弱だが──》


 「ゼロ、起動可能か?」


 《直接接続を試みる──……リュウ、これは……信号形式が既知パターンに近い。構文も……一部、似ている》


 「……地球のものか?」


 《この記録装置──地球のものに“似てる”。少なくとも、我々の時代技術と近い基盤を持っている》


 リュウは一歩前に出た。

 彼女の赤い目が細められ、微かに緊張を帯びている。


 塔に漂う古い空気が、時間そのものを巻き戻しているようだった。


 「… …この世界に、類似技術が存在するか、あるいは……かつて我々の世界から来た存在か」


 《どちらも否定できない。だが、今は目の前の記録装置に集中すべきだ》


 カイが、不安げにリュウを見上げる。


 「……これが姉さんの、手がかりに……なるの……?」


 「確認中。記録装置、現在の動作モードは?」


 《音声記録、映像記録──部分的に残存。ただし全体の記憶媒体は劣化。映像、再生可能部分を抽出する》


 低く、微かな起動音が鳴る。

 暗がりの中に、光の粒が舞い、そして──映像が浮かび上がった。


 「うわぁ、なにこれ......」

 カイが驚くのように呟く。


 それは、村らしき風景だった。

 何かに追われる人々の姿。そして、逃げる中に、ひとり──


 赤毛の少女がいた。

 顔は明瞭ではない。だが、その輪郭、背丈、髪の長さ──


 「……!」


 カイが、息を呑む音が聞こえた。


 「停止。映像フレームを固定、拡大」


 《……照合中。カイとの遺伝的近似率、70%以上──姉、ユナの可能性高》


 カイの口元が震えた。

 声を出そうとして、出せなかった。

 まぶたの奥が熱くなり、でも、涙は落ちなかった。


 ──姉さんは、生きてる。

 それだけが、今、彼の世界のすべてだった。


 「追跡方向は?」


 《東──山岳地帯へ逃走中。追撃個体は複数。映像、ここで終了》


 塔の中に、沈黙が戻る。

 濡れた石の匂いと、機械の温もりだけが残った。


 「……姉さんは、生きてる……」


 カイの声は、震えていた。けれど──力強かった。


 リュウは、静かに頷いた。


 「次の探索地点、東の山岳地帯。追跡を開始する」


 《ルート再計算中。補給地点不明。地形危険区域へ接続の可能性あり──戦闘準備を強化すべき》


 「了解。任務、継続」


 塔を出た時、空には灰色の雲が広がっていた。

 そして、遠くでは雷の音が聞こえたような気がした。


 旅は、さらに深い領域へと踏み込もうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ