第7話:ヴァイスの丘(前編)
朝霧がまだ道端に残っていた。
細く続く山道を、一人の少年と、黒き装束を纏った女が進んでいる。
足元の小石が時折転がり、曇った空から差し込む光が、二人の影を静かに引き伸ばしていた。
「……たしか、この先を抜けたら、“ルーデン村”っていう村に出るはずなんだ」
カイが指差す先には、わずかに開けた丘が見えていた。
その声には、不安と期待が入り混じっていた。
《目的地、仮登録。探索対象:該当人物の生存確認》
「ルーデン村......」
リュウの声は無機質だったが、その視線は常に周囲の地形や気配に向けられている。
「前に、誰かが言ってたんだ……姉さんが、ルーデン村に向かったかもしれないって。
正確には覚えてないけど……でも、可能性があるなら、行ってみたくて……」
カイは呟くように言い、足を止めず進んだ。
《風向き変化。音響反応低下。空気の粒子濃度に異常──無音域に入った》
「ゼロ、警戒モード。前方に敵性の兆候は?」
《検出範囲内に生体反応なし。ただし集落構造物の痕跡あり。破壊状態:75%以上。火災と戦闘痕確認》
丘を越えた瞬間、世界が沈黙に包まれる。
──そこに、村はあった。
崩れた塀。黒焦げた屋根。半ば沈んだ井戸。
焼け落ちた家屋の残骸には、もう“生活”の気配は一片も残っていなかった。
風が止まっている。
音も、匂いも、あらゆる“人の営み”が喪失した空間だった。
「……ここだ」
カイが呟くように言った。
少年は駆ける。焼け焦げた木の破片を踏みしめながら、焦燥にも似た勢いで村の中心へと向かう。
彼の目は、何か“痕跡”を探すように動き回っていた。
「姉さん……ここに来たのかな……」
リュウは一定の距離を保ちながら、焼け跡に残る微細な熱反応を解析していた。
《遺体なし。血痕あり。攫われた可能性高。敵性存在による襲撃跡と類似──ただし行動に一貫性なし》
「魔族や魔獣の痕跡か?」
《構造的には近いが、確定不能。痕跡データ不足》
焦げた壁に触れたリュウの指が、一枚の紙片を拾い上げる。
半ば燃えかけた文書。だが、その文字は、ゼロのデータベースのどれにも一致しなかった。
《未知の言語。解析不可能。構造は地球圏外と判断》
その佇まいはあまりに整いすぎていた。
焼けた村の焦土に、漆黒のスーツを纏って立つ異形の女。
湿った空気がスーツの表面をわずかに濡らし、胸元のカーブや腰のくびれに沿って微細な光を纏っていた。
その美しさは、あまりに現実離れしていた。
それゆえに、“不気味”で、“怖いほど異質”だった。
「カイ。姉の名前と特徴を再確認」
「ユナ……姉さんの名前はユナ。ぼくと同じ赤毛で……少し長くて、よく笑う人。
村の人が、姉さんが“ここに向かったかも”って……そんな感じで言ってたんだ。確かじゃないけど……」
少年の声は震えていた。
「この村の周辺に、姉がほかに向かう可能性のある拠点は?」
「……えっと……たしか……“高い塔がある場所”がいいって、姉さんが前に言ってた気がする。
遠くまで見えるから、何かあったらそこを目印にしようって……名前、そうだ……“ヴァイスの丘”? だったかな……」
《補足情報。北東2キロ、標高差のある地点に石造建造物を探知。用途:監視または通信。人為的構造》
「そこへ向かう。目的地更新──“ヴァイスの丘”」
《進行ルート再構築。危険域なし。視界良好、探索に適応》
リュウは振り返らずに歩き出す。
その背中を、カイはしばらく見つめていた。
立ち尽くす、焼けた村の入り口で──風は止み、空はどこまでも灰色だった。
「……待ってて、姉さん。見つけるから」
少年はそう呟き、ふたたび歩き出した。