第4話:少年との邂逅(後編)
焼けた大地を、風が吹き抜けていく。
かつて命が交錯した戦場は、いまや静寂の荒野と化していた。風が巻き上げる灰の粒が、焦げた大地をなぞるように舞い、瓦礫の隙間を掠めて消えていく。
動くものはほとんどない。ただひとつ、黒き影と、その隣に寄り添うように歩く小さな背中だけが、生命の香りを纏っていた。
「……村まで、どれくらいの距離だ」
リュウの声は、冷えた金属のように無機質だった。歩調は完璧に均整を保ち、数式のような足取りで地を刻んでいく。荒れた大地も、倒れた兵の骸も、彼女の歩みにとっては何の意味もなさなかった。
そのすぐ後ろを、カイが小走りで追う。
「う、うん……えっと、たぶん……半日くらい?」
《“たぶん”とは不確定表現。精度不十分。》
「……方向は?」
「こ、こっち……だと思う。たぶん、森の方に道が……まだ残ってたら……だけど……」
風が再び吹き抜け、黒髪がふわりと揺れた。
カイの声はかすかに震えていた。言葉の端々に、自信のなさと疲労が滲む。生き延びるためだけに逃げてきた少年に、明確な地理認識などあるはずもない。
だが、リュウは問うことをやめなかった。無言で、彼の指差す方向へと足を運ぶ。合理性がすべての選択基準──それが、彼女という存在だった。
《対象は12歳前後の人型個体。社会的知識・戦術判断能力、極めて限定的と推定。》
「理解している。使える情報だけを抽出する」
《……それでいいのか?お前、本当に“この状況”を理解しようとしてないだろ》
ゼロの問いかけに、リュウは応じない。だがその沈黙には、わずかな「揺らぎ」のような余韻が漂っていた。
「……あのさ」
不意に、カイが口を開いた。
「さっき……なんで、みんな倒しちゃったの? 兵士たちまで……」
リュウは歩を止めず、淡々と返す。
「敵意を確認した。排除は最適行動」
「でも……それって、味方かもしれなかったのに……」
その言葉に、リュウの視線がわずかにカイを捉えた。赤い瞳が、少年の目を正面から見つめる。その奥に、かすかに何かが揺れた。
「味方とはなんだ?」
「……え?」
「敵性反応のない個体。あるいは、同一目標のために協力関係にある存在──その定義か」
「そ、それは……たぶん、そう、だけど……」
カイはうつむく。正論だった。正しいのに、何かが大きくズレていた。
《言葉の意味は合ってるが、ニュアンスは絶望的にズレてるな……》
ゼロのつぶやきにも、リュウは反応しない。足音だけが、再び静けさの中を進んでいく。
「質問。敵性生物たちの呼称は?」
「……え、敵性って……“魔族”たちのことだよね……そう魔族とみんな呼んでた……」
「魔族。仮称登録」
《データ反映完了。“魔族”──敵性種族と暫定定義》
「四足の獣の個体は?」
「あれは……でかいやつは……“魔獣”って……そう言ってた」
「魔獣。補助個体として記録」
カイの語る言葉は曖昧だった。だがその曖昧さこそが、“生きた情報”としての価値を持っていた。
《周辺地形、未整備。森林帯接近中。視界制限──警戒レベル、上昇》
リュウは速度を落とさずに周囲を見渡し、敵性反応の有無を再検査する。
「継続行動。村の座標を取得し、現地の社会構造を解析する」
「そ、そんな難しいこと……ぼくには、よくわかんないけど……」
「案内だけでいい。お前の判断で、避けるべき場所があれば即時伝えろ」
「……う、うん……わかった」
カイの頷きは、先ほどより少しだけ力を持っていた。怯えはまだ残るが、どこかに信頼の種のようなものが芽吹いていた。
「その代わり……」
「条件提示か。許可」
「ぼ.....ぼくを、もう──誰にも、殺させないで」
その言葉が、風よりも静かに空気を震わせた。
リュウは一瞬だけ足を止め、ゆっくりとカイの方へ顔を向けた。
「理解。保持対象の継続保護を最優先条件に設定」
《……さすが、戦闘マシン。任務定義は完璧だな》
リュウの顔には、やはり何の表情も浮かばなかった。けれどその歩調が──ほんのわずかに、カイの速度へと調整されていた。
カイはまだ、その変化に気づかない。