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第13話:神の剣、死神の舞(終幕)

騎士団に入団して、三ヶ月。

俺は新兵だ。今日、初めての遠征に出た。

剣の訓練は積んできた。腕にも自信がある。装備の扱いも覚えたし、仲間との連携だって練習してきた。“実戦”だと聞いても、怖さよりも、どこか高揚していた。

新しい鎧の革紐がまだ固く、擦れるたびに鎧下の肌が痛む。胸の奥は鼓動が高鳴り、手のひらは汗ばんでいる。それでも俺は剣を握り直し、深く息を吸い込んだ。森の空気は冷たく、かすかに湿った土と苔の匂いが混じっていた。朝の霧が白く低く漂い、仲間たちの足音を曖昧に包む。


……森の向こうから“彼女”が現れるまでは。

彼女は、ただひとり、まるで霧の一部のように現れた。音もなく。気配すらなく。

黒髪が朝露に濡れ、ゆるやかに揺れた。長い髪が薄光を反射し、緩やかにその輪郭を揺らしている。その身体を包む異様な漆黒の装束が、彼女の輪郭を際立たせ、目が離せなくなる。

胸元の谷間、くびれた腰、引き締まった太もも。朝の光がそれらをなぞり、艶を与える。黒い衣の裂け目から覗く白磁のような肌には、淡く光る繊維が走り、まるで自ら脈動しているようだった。

美しかった。

あまりにも、美しすぎた。

だが……何かが、違っていた。

その美しさの奥底から滲み出る“違和感”が、皮膚の下に這い寄ってくる。息をするたびに胸が締め付けられ、背筋に氷の爪が走るような感覚。まるでこの世界の理から外れた存在。命の構造そのものを否定する者。

――死神。そう呼ぶしかなかった。

部隊長が馬を進めた。「名を名乗れ!」

それが、最後の言葉だった。

気づいた時には、もう遅かった。

彼女は、音もなく“そこ”にいた。馬の正面、部隊長の目の前に――影のように現れていた。

そして、一閃。

首が、飛んだ。血が霧のように弾け、赤いマントが宙に舞う。胴体だけが馬に取り残され、やがてずるりと地へ滑り落ちる。赤い飛沫が馬の首筋に線を描き、俺たちの顔にも冷たく降りかかった。

何が起きたのか、わからなかった。理解が、意識に追いつかない。誰も、動けなかった。全員の瞳が一点を見つめたまま、息を詰めている。鳥の声すら消えた森に、俺たちの荒い呼吸だけが響いていた。

……だが、答えはすぐにやってきた。

「斬られた!」

「ギャアアッ!」

「た、助け──ッ!」

悲鳴。断末魔。怒声。血飛沫。

次々に響いては、途絶えていく。

見えない。

彼女の動きは、まったく見えない。

剣を構える前に、槍を振り上げる前に、仲間が崩れ落ちる。地面に血が広がり、葉に赤が飛び散り、森全体が鉄と肉の匂いに染まっていく。足元に転がるのは、さっきまで話していた仲間の腕。視界の端で誰かが喉を裂かれ、風に混じる血煙が陽光に赤い幕を作る。

俺は――逃げようとした。“これは戦いじゃない”と、本能が叫んだ。「神の罰だ!」と誰かが叫ぶ。その言葉が、脳にへばりついて離れない。

……だが、足が動かない。

いつの間にか、剣が手から落ちていた。身体が、冷たい。血が流れている。……自分がいつ斬られたのかも、わからない。自分の指先が震えているのが、やけに遠く感じる。

視界の端で、仲間の術者が崩れ落ちた。赤い線がローブを裂き、彼の体が静かに倒れる。杖が地面に転がり、乾いた音を立てて止まった。

(死ぬって……あっけないな。)

その傍らに立つ“彼女”。

裂けた衣服の隙間から覗く白い肌が、血と陽光に染まり、艶やかに輝いていた。汗と血を伝う筋肉が微かに動き、繊維の光が傷口を縫うように流れていく。

それは現実離れしていて、触れれば消えてしまいそうな幻のようで――あまりにも、恐ろしく、美しかった。

(あぁ……なんて、綺麗なんだ――)

意識が、すぅっと遠ざかっていった。



「術者までが──!」

「貴様ァァァ!!」

怒号と共に、残された兵士たちが突撃する。それは戦術でも連携でもない。ただの本能。恐怖。絶望が混ざり合った“死への突入”だった。足音が重なり、鎧がぶつかり、声が裏返る。

血が飛び、土が舞う。戦場に絶叫が満ちる。

リュウは静かに振り返った。裂けたボディスーツの隙間から露出した肩と太もも。そこに走る血と煤、そして修復を続けるナノマシンの光。繊維がゆらりと淡い光を放ちながら破れた布を繋ぎ、肌の奥へ潜り込む。骨の輪郭に沿って微かな震えが伝わり、彼女自身の呼吸がわずかに上下する。

その姿は、戦場の混乱のなかで――あまりにも異様で、美しかった。幻のような、戦場の亡霊。

「……排除対象、接近中。」

その言葉が、すべてを締めくくる合図だった。

赤い瞳が、兵士たちを無表情に捉える。人の情も、敵への怒りすらなく。任務を遂行する、それだけの存在。剣が振り下ろされる――が、その瞬間にはもう終わっていた。

ナノブレードが顎から斜めに頭部を断ち、血が弧を描き、兵士は崩れる。槍を突き出す男の膝を蹴り砕き、膝をついた瞬間に喉元を断つ。血が霧のように舞い、呻きが消える。返り血が霧の中で光を散らし、森が赤い霧に覆われていく。

後続が叫びながら走り込む――リュウは跳躍し、肩を踏み、空中から踵を脳天に叩き込む。骨の砕ける音が、喧騒の中で異様に響いた。

「う、うあああああ……!」

その叫びは、悲鳴ではなかった。恐怖と、崇拝と、狂気が入り混じった――“絶望の讃歌”。

彼らの瞳には、魔性の女神を見ていた。

斬り、踏み、砕く。リュウの動きは、死神の舞踏。ナノブレードが空を裂き、血と鉄が風に溶ける。火の粉と土煙のなかで黒髪が揺れ、ボディスーツが返り血にまみれながらも、なお光を弾いた。


――そして、終わった。

戦場に残ったのは、折れた剣と、砕けた槍と、血と屍。焼け焦げた肉の匂いが空気を鈍く染め、風がそれをなぞっていく。靴底がぬるりと血を踏む音だけが、耳の奥に残った。

《リュウ、周囲反応数ゼロ──敵性個体、全滅。》

ゼロの声が、ひどく静かに響いた。

リュウは動かず、戦場の中心に佇む。裂けたスーツ。滲む返り血。淡く走る修復の光。そこに立つ彼女の姿は、神話の終わりを告げるようだった。

岩陰から見つめるカイの瞳には、恐怖と尊敬、そして混乱と微かな希望が入り混じっていた。叫びたかった。「ありがとう」と。泣きたかった。「怖い」と。けれど、どちらも――言えなかった。

リュウは静かに立っていた。死の中心に、沈黙の中で。あたかも、ここが彼女の本来の舞台であるかのように。

「……これが、君なんだね。」

ぽつりと呟くカイの声が、風に溶ける。少年の手は震えながら、姉の破れた布切れを強く握っていた。

リュウは答えない。その横顔には、人としての影がなかった。

《リュウ。今の“詠唱”とやら……あれは、地球側の技術体系では説明不可能だ。もしあれがこの世界の“力”なら、俺たちは──未知の原理に晒されている。》

ゼロの言葉に、静かな緊張が滲む。

「関係ない。この世界の法則がどうであれ、敵を排除する。それだけ。」

赤い瞳が、何も揺らがずに答える。

《……了解。だが今後、詠唱を“戦術対象”として記録する。分析は続ける。》

そして、カイがリュウの手を握った。震える指。だが、そこには確かな意志があった。

「行こう、リュウ。……ここにいても、もう“何も”残ってない。」

リュウはわずかに頷いた。赤い瞳が、カイを一瞥し――すぐに前を向く。血に濡れた地を、骸の中を。少女と少年が、また歩き出す。

それは、“次なる標的”を探す旅路か。あるいは、命じられた記憶をなぞる亡霊の行進か。

世界は何も答えない。

ただ、風が――静かに、吹いていた。

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