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第12話:神の剣、死神の舞(後編)

空気が変わった。

森の湿った匂いに混じって、血と金属と火の匂いがゆらりと流れ込む。風が一瞬、ざらついた質感を帯び、葉の擦れる音が低くなったように感じられる。緊張が空気そのものを硬質に変える、そんな瞬間だった。

リュウのボディスーツに走った裂け目から、白磁のような肌が覗き、赤黒い血と朝の光が重なり合う。冷たい光と熱を孕んだその一瞬は――美しさと恐怖を両立させる残酷な奇跡だった。吐く息が白く霧散し、そのたびに血の滴が地面に黒い点を刻む。

ナノマシンが放つ微細な輝きが、滑らかな肌を艶めかせる。戦場に咲いた“死”の化身は、女神の神聖さと死神の冷酷さを同時に纏い、そこに立っていた。微細な光粒は肌の上で流星のように移動し、繊維を縫い、血管に沿って消え、再び現れては光の回路を描く。それは見ている者に“生命の再構築”という言葉を嫌でも思い起こさせた。


兵士たちは、声を飲んだ。目の前の光景が、理性と本能を軋ませる。誰もが逃げ出したい衝動に駆られるが、長年の訓練と誇りが彼らの膝を押さえつけていた。恐怖を押し殺し、剣を握り直し、じりじりと歩を詰める。その瞳には――畏れと敵意、相反する感情が交錯していた。鎧の継ぎ目から汗が滴り落ち、鉄と革の匂いが周囲に立ち込める。

《リュウ、背後──三体、接近。全員剣装。C-2推奨。》

ゼロの声が、刃のように脳裏を走る。リュウは振り向くより速く、地を蹴った。濡れた大地を裂くように疾走。その足音はまるで雷鳴を刻むかのように連続して響き、朝の霧を切り裂いた。

その両手に、ナノブレードが展開される。霧の中、斬撃ルートが赤いラインとして視界に描かれ、彼女の動きと完璧に同調する。ゼロによるゼロ距離演算。視界に浮かぶラインが、彼女の刃を導く。

一撃――最前列の兵士の首を斬る。血の花が霧に滲み、肉体が崩れる。甲冑の間から飛び散った血潮が、朝の陽光に透けて紅い雫となって降り注ぐ。

すぐさま横に流れ、二人目の側頭部へ回し蹴り。甲冑の下で骨が潰れる音が響き、「ぐっ……あああああっ!!」と悲鳴が割れる。折れた兜がくの字に歪み、歯が飛び散る。

三人目は袈裟斬り。鋼の鎧を紙のように断ち割り、無言のまま崩れた体が土に吸い込まれる。刃は相手の心臓部に届く前に鎧の支柱を砕き、骨を断つ。

足元に残ったのは、ただ命を失った肉の山。霧が血で濁り、まるで赤いベールの中にいるかのように世界の色が変わっていく。


だが、そのときだった。

後方――沈黙の中に立つ、一人の男がいた。ローブを纏い、剣も槍も持たぬ姿。その唇だけが、何かを刻むように動いていた。視線はまっすぐリュウに注がれ、その目は異様な光でぎらついている。

「……ル・セント……ファリオ……エル・ディア……」

周囲の兵士たちが、あからさまに距離を置く。まるで、そこだけ空気の層が異なるかのような沈黙。濃密な“異質”が、男の周囲に渦巻いていた。地面の草が逆立ち、空気が光の粒子になって男の周囲を回転している。

《……リュウ? 後方にて非戦闘個体、口頭による一定リズムの反復音声。何らかの行動準備か?》

ゼロの声に、わずかな焦りが滲む。男の両手に、微細な粒子が集まっていた。空気そのものが収束し、赤い光に変じる。まるで世界のルールを違えるかのような、異常な現象だった。

次の瞬間――

「……爆ぜろッ!!」

咆哮と同時、虚空に火球が現れた。それは、存在してはならない“無”から生まれた紅蓮の塊。空気の層が振動し、耳鳴りのような高周波が兵士たちの鼓膜を刺す。

《な、何だこれは!? リュウ、急速接近する未確認エネルギー体! 避けろっ!》

ゼロの叫びとともに、リュウが跳ぶ。火球が彼女のいた場所を貫き、背後の岩壁に叩きつけられる――

爆裂音。

火が、風が、大地を灼いた。地が震え、葉が焼け、森の空気が悲鳴を上げる。破裂する倒木。舞い上がる土煙。炎が木々を走り、光景は一瞬で地獄に変貌した。大地に埋まっていた鉱物が熱で膨張し、ぱん、と小さな破裂音を連鎖させる。


「うわぁぁ! 魔法だぁ……!」

岩陰のカイが叫び、身を伏せる。熱と轟音が重なり、世界が破れたような錯覚に襲われる。恐怖に凍えながら、彼の目だけはその先を――リュウを、探していた。

そして――煙の中から、リュウが姿を現した。

肩口のボディスーツが焼け、太腿に赤黒い煤が走っている。だが、ナノマシンが既に再構築を始めていた。肌を這うように光を放ち、修復の閃光が彼女の輪郭を照らす。光は幾筋もの糸となって傷口に吸い込まれ、繊維と血肉を縫い直す。

その姿は、まるで儀式を終えた神の化身のようだった。破壊の中で一人だけ秩序を帯びた存在、光の中で無傷の刃となって立つ姿。


《熱源が瞬間的に出現──エネルギー発生源は特定できなかった……音声と視覚効果の因果関係、未確定。“何か”が、この世界にはある。》

ゼロの声には、はっきりとした“未知への恐れ”があった。リュウの瞳が、術者を捉える。「ゼロ。」

《ああ、わかってる。“あいつ”は最優先で排除すべき危険な存在だ。》

リュウは踏み込んだ。脚が疾風のように駆け、黒髪が火の粉の中で舞い上がる。ナノブレードが閃光を放ち、全身が殺意の結晶となる。炎に焦げた葉が舞い、彼女の背後で尾を引くように落ちていく。

「な、なんなんだやつは!」

「あれは“神罰”だッ!!」

兵士たちが悲鳴のような言葉を吐く。リュウは空を裂いて降下し、術者の首へ――だが、横合いから投げられた剣が彼女の軌道を逸らす。リュウは静かに着地し、体勢を崩さず次の動作へ備える。

頬に伝った汗が、鎖骨を伝い、谷間に消える。その一滴でさえも、戦闘の美を際立たせた。

《戦術モード再展開。あいつら……また“あれ”を使ってくる。リュウ、慎重に。》

「問題ない。全て排除する。」

リュウの声は、氷のように静かだった。情も怒りも通さない。そこにあるのは、“対象”を処理するための明確な意志。

「魔性の女……あれは神の罰か!」

剣を握る手が震える。それでも、兵士たちは前に出る。背後では、再び詠唱の響きが漏れ始めていた。

「……レグニア……アス・フィン……!」


《リュウ、今度は熱反応じゃない。振動波の増幅……? ナノスキャン反応不能。これは……異常だ。》

「次こそ斬る。」

リュウは再び、重力を蹴り飛ばすように飛翔する。術者のもとへ、風より速く――

「……ル・ファ“魂を裂け”──」

その言葉が終わる前に。

ナノブレードが、男の胸を真一文字に裂いた。ローブに走った赤い線が、体を軋ませる。「がっ……!」

リュウは止まらない。回り込み、無言のまま、ブレードを頸椎へと突き立てた。骨が砕ける乾いた音。男は、音もなく崩れ落ちた。

それは、神話の終焉。神に祈り、術を操ろうとした者の、静かな死だった。リュウは、一歩も乱さずそこに立つ。血と煤に彩られたボディスーツが、なお鋭い光を返していた。


女神のような神聖さ。死神のような無慈悲。カイは、岩陰から拳を強く握った。リュウを見つめる視線に、もはや恐怖はなかった。

(この人は、絶対に……倒れない。)

鼓動が高鳴る。恐怖を超えた――憧れ。焼けた空を背景に、黒髪が舞い、世界の理をねじ伏せる“それ”に、カイは目を奪われていた。

この存在は、もう“人”ではない。それは、この世界の“理を凌駕する”者だった。

森に再び沈黙が戻ったとき、風と炎の匂いがまだ空を漂っていたが、その中心に立つ少女は一切の揺らぎもなく、ただ次の標的を見据えていた。

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