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第11話:神の剣、死神の舞(前編)

朝の光が、静かに森を照らしていた。

夜明け直後の世界はまだ眠っており、霧に包まれた木々の隙間から差し込む陽光が、微かに湿った空気をゆるやかに撫でていた。湿った土と苔の匂いが微かに香り、遠くで小川のせせらぎが細い音を立てている。

草葉の露を踏みしめながら、リュウはただ前を見据えて歩いていた。その歩みに迷いはない。戦場を進む時と何一つ変わらぬ足取り。感情を交えぬ無駄のない軌跡。まるで死神の影が、朝靄の中を滑るかのようだった。漆黒の髪が霧に濡れて艶めき、身体に密着したボディスーツが、朝陽を跳ね返すように鈍く光る。昨日まで彼女を包んでいた傷の痛みや疲労の気配は、もはや表情のどこにも見えない。淡い光を帯びていたナノマシンの修復は夜のうちに完了し、戦場に立つ前の完全な姿に戻っていた。

その後ろを、ひとりの少年──カイが、小さな足音で追っていた。リュウの背を見失わぬように、ただ必死についていく。彼の呼吸は浅く、鼓動は速い。昨夜、焚き火の光の中で見た“眠る少女”──肩を晒し、淡い光に包まれて傷を癒す神秘的な姿は、夢だったのではないかと思えるほど遠いものに感じられた。

今、彼の目の前にいるのは──

あらゆる命を、無慈悲に断ち切る、“戦闘の女神”。

その背中は揺るぎなく、目線の奥には何ひとつ余計な感情がなかった。


森の奥を進むふたりの前に、突如、風が変わった。空気の密度がわずかに変化し、気配の断片が霧の中で形を成す。鳥の囀りが途絶え、葉擦れの音さえも遠のく。リュウの赤い瞳が、その気配に反応してわずかに揺れた。

前方──薄い霧の向こうに、銀に輝く列が現れる。それは、槍と剣を構えた武装兵たち。鎧の擦れる音が静けさを破り、空気を鋭く震わせる。朝の光を反射する槍先が、無数の光の矢のように霧の中に浮かび上がる。

歩兵小隊だった。整然とした陣形が森の細道を塞ぎ、彼らの背後には荷馬車や旗指物まで見える。金属の匂いと汗の匂いが朝の湿気に混じり、戦場の緊張を運んできた。


先頭、馬上にいたのは若き男。長く伸びた金髪を赤いマントが風に翻し、その鋭い眼光には歴戦の気迫が宿っていた。彼はこの部隊を率いる指揮官であり、その碧い瞳は、霧の奥に立つひとりの黒髪の少女を正確に捉えていた。

「……なんだあの娘は…..」

彼の声は低く、だが鋭く発せられた。部下が剣の柄に手を添えたまま口を開く。

「怪しい格好の女ですね、捕えますか?」

部隊長は答えず、わずかに眉を寄せた後、馬上から声を放った。

「貴様、名を名乗れ!」

鋭く掲げられた剣。その切っ先はまっすぐ、リュウに向けられていた。

「魔族か、ヒトか!」

だが、リュウは何も答えない。口を開くことなく、静かな視線だけを彼らに向ける。その瞳は凍てついたように冷たく、まるで言葉そのものを拒絶しているかのようだった。

──その瞬間、内なる音声がリュウの意識に響いた。

《リュウ。武装構成:剣装兵15、弓兵2、後方に非戦闘装備の個体1名。戦術支援の可能性あり。敵意レベルは高め》

《敵性判断、進行中──カイを後退させ。戦闘、推奨》

「下がってろ….」

リュウは、視線を外さぬまま、静かにカイへと命じた。その声は、感情の欠片すらない。だが、そこには絶対の確信があった。カイは息を飲み、ただ頷いて半歩後ろに下がる。

「──奴め、答えんのか…..」

部隊長が苛立ちを押し殺すように低く唸る。

「部隊長、どうなさいます?」

問われた彼は、一拍置いて吐き捨てるように命じた。

「構わん、ひっ捕えろ。手足の腱を断て」

その命令が届いた瞬間──空気が裂けた。

リュウの影が地を蹴り、音もなく宙を翔けた。朝の霧を切り裂きながら、その身体はまっすぐ小隊の中心へと跳ぶ。

「なっ……!?」

部隊長の瞳が見開かれる。次の瞬間には、リュウは彼の真正面──馬の頭上に、黒い稲妻のように現れていた。

そして── 一閃。

展開されたブレードが銀閃を描き、馬上の男の首元を横薙ぎに切り裂いた。頭部が宙を舞い、赤いマントが血煙を引きながら風に舞う。首を失った胴体だけが、しばし馬の背に揺れていたが、やがてずるりと地に崩れ落ちた。

「……っ!?」

沈黙が支配した。周囲の兵士たちは言葉を失ったまま、信じられないものを見ているような顔で目を見開く。たった一撃。彼らを率いた指揮官が、まるで玩具のように殺された。地に倒れた死体が、なおも血を噴き上げている。

「ば、馬鹿な……!」

「部隊長──!!」

誰かの悲鳴が上がった。それは、地獄の始まりを告げる合図だった。


カイは、その場に立ち尽くしていた。あまりの出来事に、思考が追いつかない。目の前で、現実とは思えない光景が展開された。人の首が跳ね、血が地面にも葉にも容赦なく飛び散る。生温い鉄の匂いが風に混じり、少年の鼻腔を突いた。

リュウの姿は──昨夜、共に眠った少女ではない。まるで感情のない刃。流れるように、無慈悲に殺す。彼の目には、それが人でも獣でもなく、“死”そのものの具現に映った。

カイは、喉の奥から湧き上がる叫びを、唇を噛んで飲み込む。震える脚で後ずさりながらも、視線だけは逸らせなかった。──怖い。でも、見なくちゃ。目を逸らしたら、彼女が何者なのか、わからなくなる。二度と戻れない気がした。


「構えろッ!こいつは魔の化身だ!!神の剣で討て!」

叫びとともに、兵士たちが一斉に駆け出した。怒声と金属音が混ざり合い、森の静けさを切り裂いていく。


だがリュウは、構えることすらしなかった。両腕をだらりと下げたまま、ゆっくりと歩を進める。その様はまるで、生けるものを“刈り取る”ために造られた存在。

──殺すために、生まれてきた。

先頭の槍兵が、吠えるように槍を突き出す。だがその刃がリュウの肉体に触れることはなかった。

「──ッ!?」

雷光のように右手が閃き、槍の中心を素手で両断。硬い金属がまるで紙のように裂けた。返す手で繰り出された肘打ちが、男の喉元に突き刺さる。骨の砕ける鈍い音が響き、男は声も上げられぬまま絶命した。

「この化け物が──ッ!」

別方向から剣兵が斬りかかる。だがリュウはわずかに一歩踏み出し、剣を折るように蹴りで叩き折った。そして、動きは止まらない。踏み込みと同時に身体を跳ね上げ──「がッ──!!」鋭い膝が男の顔面を撃ち抜いた。頭蓋骨が凹み、男の身体は弧を描いて吹き飛び、地面を転がる。

《左前方の弓兵から矢が射出──》

音よりも速く、警告がリュウの中枢に走る。彼女はその声に応えるように、瞬時に地面に落ちていた騎士の剣を拾い上げた。無駄のない動作。迷いはない。剣を半身で構えたかと思えば、次の瞬間にはそれを投擲していた。

矢と剣が、空中で交差する。刃と刃──だが、勝ったのは鋼を貫く鋼。リュウの投擲した剣が、弓兵の胸部を貫通し、肉を裂いた。

「ッぐ──あああ……!」

呻き声とともに、血が弧を描いて地に降る。肉を引き裂いた音が、遅れてカイの耳に届いた。その間にも、次の矢が放たれる。リュウは即座に姿勢を低くし、回転しながら軌道を読み──一歩引く。矢が右肩を掠め、微かな痛覚信号が走る。だが彼女は、苦悶すら浮かべない。その手が、空を裂いた矢を──空中で掴み取った。

《再投擲、可能。距離4.3メートル、風なし。命中確率92%》

冷徹な解析が脳内に表示される。リュウは一切の逡巡なく、腕を引いてその矢を投げ返した。疾風のごとく放たれた矢が、まっすぐに弓兵の眉間を貫いた。鋭く放たれた一撃は寸分の狂いもなく命中し、男はその場で動きを止める。糸の切れた操り人形のように、力なく崩れ落ちるその身体。

《弓兵2名、無力化完了。反応なし。》

岩陰からそれを見ていたカイは、まるで夢の中の出来事のように呆然と立ち尽くしていた。恐怖と畏怖。声にならない感情が、喉の奥で震えていた。

《背後、二名接近。右斜め45度、岩壁あり。誘導して反射蹴り推奨》

内なる声が告げる。リュウは即座に動く。足元の岩を蹴り、身体を反転。太腿にしなやかな力を溜め、迫りくる兵士の顎に踵を叩き込む。砕ける音。歪む首。兵士の身体が無様に崩れ落ち、動きを止める。続けて振り下ろされた剣に対し、掌底の一撃。兜が割れ、顔面が反り返った。

「囲めッ!一気に潰せ!」

怒号が響く。残された兵士たちが、隊列を組んで包囲を狭めていく。その中に、ひときわ大きな斧を構えた兵士の姿があった。刃は光を反射し、ずしりと重みを感じさせる金属の質感。

《リュウ。斧兵、特殊金属製。衝撃強度高。転倒→背面投げに誘導可能》

戦術判断に従い、リュウはわざと足元を崩すように一歩を滑らせた。相手は好機と見て、全力で斬撃を振り下ろす。だが──それこそが罠だった。リュウの身体が反転。重力と遠心力を味方に、斧を躱しながら腰を抱え──

「うっ……がっ……!」

兵士の巨体が宙を舞い、後方へ叩きつけられる。その頭が大地に激突し、地面が割れるほどの衝撃音が響いた。砂煙が上がる。息が止まるような瞬間。

その時──鋭い金属音が、リュウの左肩を裂いた。

「……っ」

わずかに苦悶の息が漏れる。ボディスーツに細く刻まれた裂け目。そこから一筋、血がにじむ。だが、次の瞬間。リュウの身体を覆う繊維が、淡く光を放ちながら自己修復を開始した。ナノマシンによる再生処理。まるで神聖な儀式のように、傷を縫い、肌を閉じていく。

《軽微な裂傷。修復中。戦闘続行に支障なし》

冷たい報告を受けながら、リュウはわずかに目を細める。彼女の瞳が、一層冷たく、蒼氷のように輝いた。

「……排除」

その一言が、死神の宣告。


そして──死の舞踏は、なおも続いていく。

霧の森の奥で、朝の光が血と鉄と呼気を照らし出し、世界が再び沈黙を取り戻すまで、その動きは止まらなかった。

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