44 泣くなら部長の胸でしょ!
「夏樹先輩。寝付けないんですか?」
「あっ!ああ。ちょっとな。
綺麗な景色を見て興奮したのかもな!」
「そうですか?僕はもう、眠くて...ファァ。
眠くてたまらないのでお先に...おやすみなさい。」
そう言うとチョン君の寝息が直ぐに聞こえてきた。
七海は、布団に潜り込んでスマホを開いた。
(寝つきのいい事。今夜はそれがうらやましいよ。
それにしても千晴からメール来ないなぁ。
こっちから送ったメールに
おやすみと返信してきただけだ。
やはり俺の思い違いなのか?
いや、短亀ちゃんが眠るのを
待っているのかも知れない。
その時点で何か意思表示をしてくるのかも…)
七海は、眠気と必死で戦っていた。
眠くない訳では、なかった。
今日は、鮎釣りに奮闘し、みんなの為に頑張った。
本来なら心地良い疲労でぐっすり眠れる筈だった。
それが部長の思い掛けない行動に翻弄され
眠れない夜に陥っているのだ。
我慢すればする程、眠くなる。
イヤホンをしてゲームを始めたが身が入らない。
メールを見るが、やはり来ていない。
うつらうつらしては、また起きる。
それを何度も繰り返したが
とうとう最後は、深い深い眠りについてしまった。
「ハッ!」と眼が覚めた時には
朝日がサンサンと部屋を照らしていた。
チョン君は、もういない。
リビングに向かったのだろう。
スマホを開きメールを確認した。
メールは、きていなかった。
「何だったんた。千晴のあの行動は?」
七海は、頭を抱えて苦悩した。
しかし終わったのだ。
欲望を満たす機会も禁欲を破る苦難も…
どちらにしても回避出来たのだ。
それで良かったのだと自分に言い聞かせた。
洗面所で顔を洗うとリビングに向かった。
七草とチョン君はテーブルに着き
銘々スマホを見ている。
ヨッシーと短亀ちゃんは
部長の朝食作りのお手伝いだ。
出来た料理を装ったりお皿を出したり
配膳したりしている。
「ナクサ!
アンタも少しは手伝ったらどうなんだい。
短亀ちゃんを見習いなよ!」
「あっ!すいません気がつかなくて!」
チョン君が慌てて立ち上がったが
七草は、まだスマホに向かっている。
「チョン君は、いいよ!
私は、男女平等なんて
高らかに謳うタイプじゃないからね。
だからこそだよ。
女の子の誇りを持ってるなら、こういう時…
自然に料理の用意とかするもんじゃないのかい?
料理が出来なきゃ、皿をを出すとか。
食事の用意は、大変なんだよ。
部長一人に任せようなんて、もっての他だよ。
男が猟に出て女が料理する
それがアンタの大好きな、昔からの習わしだろ」
"ガタッ!"七草が突然立ち上がった。
勢いで椅子が倒れた。
「そうだ!ヨッシーそうだよ。
それが欲しかったよ。その言葉がっ!
よし!手伝うぞ!」
「もう、終わったよ!
椅子を起こして席に着け!
それから後片付けは、やれよ!
手伝いじゃなくて、率先してやれ!」
「それは、無理だ。
食後は、腹一杯で一ミリも動けん!」
「あーもう勝手にしろ!
でも自分の分くらい自分で運べよ!...
返事は⁉︎ 」
「は~い!」
「フフフフッ!」
短亀ちゃんが笑い出した。
「ホラッ!短亀ちゃんのスイッチが入った」
ヨッシーは「そらみろ」と言う顔をした。
「ハハハッ!だってやり取りが
お母さんと娘さんみたいだから。
七草さんは、部長さんも、お母さんみたいだし
お母さんが、いっぱいいるんですね。」
「そうなんだよ!
みんな私の事が可愛いくて堪らなくてな!
ついつい甘やかしてしまうんだよ!」
「自分で言うかーっ!
しかも私達は、アンタを少しでも
真っ当にしようと厳しくしとるんだ!
甘やかしたりなど一切しないぞ!」
「ありがとうございます。ヨッシーさん!
その心遣い、いつも感謝してますよ。」
部長も食事の用意が完了し席に着いた。
「でもまぁ、そのくらいにしときましょうか。
せっかくの食事が冷めてもなんですので…
じゃあ、皆さんよろしいですか?
それでは、いただきます。」
みんな手を合わせた。
「いただきまーす!」
お味噌汁に、だし巻き卵、しゃけの塩焼きにお漬物、ありふれた朝食だが
やはり旅先で、みんなと食べる食事は、格別だ。
「ヨッシーさんは
いつも七草さんに凄く厳しいですよね?
たまに、本当は嫌いなんじゃないかと
思ってしまう事も、ありますよ!
そんな事は、ないでしょうけど…」
短亀ちゃんが二人の関係を不思議がった。
「そうですよ。そんな事、決してありませんよ。
ヨッシーさんは、七草さん一筋ですから…」
部長がお味噌を手にさりげなくそう言った!
「えっ⁉︎ 」
突然振られた上に、その内容に
ヨッシーは頬だけでなく顔全体が真っ赤になった。
それを隠すように顔を両手の平で隠して
テーブルにうつ伏せた。
「えっ⁉︎ そうなのか?」
七海が驚いて声を上げた。
「何を今更驚いてるんだ。
私とヨッシーは、相思相愛だ。
そんな事わざわざ確認せんでもわかるだろ!」
七草がドヤ顔で七海を諭した。
「えっ!だってオマエが好きなのは七星だろ?」
「七星は恋する人だ。
ヨッシーは、愛する人だ。
私にとっては、どっちも、大切で大事なんだ。
私は、好きな人を性別で選んだりしない。
多様性なんかでもない。
ただ好きになっただけだ。
その気持ちに私は、正直なだけだ。
これからも、まだ好きになる人が
現れるかもしれない。でも入れ替えたりしない。
誰かを好きになったから
他の誰かの存在を消したりしない。
嫌いになるまで外したりしない。
ただヨッシーは、私の初恋の人だ。
だから他の誰かとは、違う。
特別な存在だ。
誰とも比べようのない人なんだ。
これから先もそれは、変わりようがない事実だ。」
「わーーっ!」
ヨッシーがテーブルにうつ伏せたまま
声を上げて泣き出した。
我慢し切れず感情が溢れ出したのだ。
途中から、泣き声は、嗚咽に変わった。
部長が優しく背中をさすっている。
「ヨッシーさん。ごめんなさいね。
一度ハッキリさせておきたかったの…
七草さんの気持ちを….
ヨッシーさんが、やきもきしているのが
手に取るようにわかっていたから…
差し出がましい事をしてしまったけど、許してね。」
「部長ーー!」
ヨッシーは、部長に、しがみ付いて
また声を上げて泣き出した。
「ヨッシー!泣くなら私の胸で泣きなさい!」
「ヤダッ!アンタの扁平ゴツゴツ胸じゃ
泣き心地が悪いよ。
泣くなら、部長の豊満なこの胸が最高だよ!」
「あっ!ヨッシー先輩!それは、ないですよ!
離れてください!」
「どうしたんだ?短亀ちゃん!
ヤキモチか?」
七海は女心がわからなくなっていた。
「そうですよ!フンッ!」
「何故に怒ってる?全然わからない。」
「そうですね。不可思議です!」
七海とチョン君は、この部屋に…
ポツンと置き去りにされた様な錯覚に陥った。
続く




